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江戸時代の武士身分の把握はどのように行われていたのでしょうか?
町人身分や百姓身分はそれぞれ住んでいる村や町の「宗門改め帳」などの現在の戸籍のような物に記録されて、把握されていたと思うのですが、武士の場合はどうに身分が把握されたのでしょうか?

見た目ではなく、身分を証明できるような公的な文書が存在したのでしょうか?

A 回答 (6件)

浪人の人は、「自己説明責任」ということになります。


仮に、仕官する場合、家譜や感状の提出を求められるようです。
※ 感状の研究を見たときに、再仕官の時に偽造されたようだ。というような記述があったので、裏から考えると、再仕官には感状が必要なので、偽造したと思われます。

異説もうひとつの川中島合戦
この本に、記述が見られます。
紀州本川中島戦国屏風が、通常と違うのは紀州家に再仕官した宇佐美定祐もろもろねつ造したからと書いてありました。
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>武士の場合はどうに身分が把握されたのでしょうか?



時代劇ドラマでも昇給家禄いくらとか、どこに出仕とか辞令を読み上げていますね 申し渡しとかいっているようです 読み終わったら裏返して見せていますが渡していませんね 花押もあったと思います
当然現在の人事管理のようなシステムがあったはずです

武士の場合は幕府 藩などの組織ごとに 当時の人事管理をやっていたのだと思います 人事担当重役のような家老がいたのではないでしょうか

>身分を証明できるような公的な文書が・・

服装 持ち物 供 家紋などで見分けられたのではないでしょうか
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端的にいうと、名字と帯刀です。

農工商の者でも特別に認められる場合もあります。
明治維新後、帯刀は禁止、名字は特権ではなくなりました。

もう一つ、切捨御免です。無礼があった場合ですけどね。
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江戸時代の武士は幕府なり諸藩なり、あるいはそれらの家臣に雇用されていなければ武士身分ではありませんので、分限帳に登録されているでしょうが、小身の場合でわたりの家臣を使っていたりすればそんなものもないでしょう。


ただ町奉行所などにつかまって「たれそれの家来」といえば主人のもとに問合せが行きます。
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武士と認められた家に生まれ、育つことが条件です。



幕末、町人が武士の家に養子に入ることがよくありましたが、本人は武士としては実質的に認知されませんでした。
その子からすこしずつ実質的に武士として認知されていったようです。
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仕官した者を武士と言います。

仕官できないものは、浪人であり武士ではありません。武士道の精神を持っていることと身分は必ずしも一致しません。大学に合格できない浪人生が大学生と言えないのと同じです。
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