「お昼の放送」の思い出

「特攻機の仕組み」について教えてください。片翼の下に爆弾を積んで、もう一方には錘をつけたと聞きました。バランスをとる為と言う事でしたが、なぜ左右に爆弾を積まなかったのですか?既に十分な爆弾の製作が不可能だったのでしょうか?また、左右に軽めにした同量の爆弾を積むことも出来なかったのでしょうか?燃料タンクに引火し易かったとも聞いていますが、燃料はどこに積んだのでしょうか?

A 回答 (6件)

No5です。


>つまり、その補助タンクには、燃料が入っていて、必要に応じて使用できたということなのでしょうか?
その通りです、燃料系統を切り替えて補助タンクの燃料を使用し、空になったら放棄します。

>左右のバランスをとる必要があった
だからバランスの為だったら両翼に爆弾を着けたほうが効果的でしょ。
両翼に着けたら航続距離が足らないから片方に補助タンクを付けたのです。
燃料を消費したらバランスをタブで修正しておけばよいのですから。

貴方がお聞きになった方の知識が不十分であったと思いますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。バランスをタブ(錘のようなものですか?)で調整しつつ、とにかく目的地まで飛べるはずの燃料があって、爆弾がある。バランスが崩れてしまわないうちに、突撃が出来る仕組みにはなっていたのですね。(迎撃され、あれほどあっさりと炎上しなければ。)ようやく、納得がいきました。お礼まで。

お礼日時:2008/07/07 12:23

>片翼の下に爆弾を積んで、もう一方には錘を


陸軍機の話です。
陸軍機は足が短い(航続距離が短い)為、片翼に爆弾、片翼に補助燃料タンクをつけて出撃した機体が有ります。この事の訛伝でしょう。
質問者様のおっしゃるとぉり爆弾の代わりに同量の錘など無駄で有りうる話では有りません。

当時の日本はガソリンに溶解しないゴムを製作する事は不可能でした。
其の為本来タンクの内側にゴムの袋を入れるのですが、それだと溶けて燃料管が詰まってしまうのでタンクの外側をゴムで囲みました。
内袋式と同じ効果を出すには、ゴムの厚さが段違いに必要で軍用機として成り立たなく成ってしまう(翼の厚さは決まっているので必然的にタンクが小さくなる....当然航続距離が少なくなる。 重いので燃料/弾薬の搭載量が減る 速度/機動性が落ちる)
為に結局無防御のままでした。
米軍の12.7粍機銃の曳痕弾か焼夷弾が1発タンクに当たれば発火して仕舞います。合掌

>戦果が上がらなくとも殉死者を増やす為
随分穿った見方ですね。
当時既に飛行機の補充能力は激減しその装備機材で出るしか無かったのです。
高知.徳島空から機上作業練習機「白菊」が延べ115機出撃して46機88名が散華しています。
又20年7月には台湾から中練8機が出撃7機 7名が散華しています。
(戦死者の所属は練習航空隊では無く在台湾の131航空隊ですから実用機が既に無かった物と思われます)
当然性能から目標は機動部隊以外の艦船です。

>艦爆機や雷撃機に至ってはわざわざ2人
航法/見張/通信/防御の為に偵察員が必要です、しかし小隊長機以外は操縦員のみで出撃した部隊も有ります。(艦攻/艦爆は操縦員のみの場合は無線の送受信も出来ません)

この回答への補足

回答ありがとうございます。素人の質問ですみません。足が短い。つまり、その補助タンクには、燃料が入っていて、必要に応じて使用できたということなのでしょうか?目標に到達するまでの距離を、補助の燃料を足しつつ飛んだのでしょうか。タンクは空、若しくは別のものが入っていたのではなく。左右のバランスをとる必要があったと伺ったのが、なぜかとても気になっておりました。では、そのバランスの崩れた時が、突撃のタイミングでもあったのでしょうか?

補足日時:2008/07/06 12:43
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>まして、戦果が上がらなくとも殉死者を増やす為だけに特攻させるとは、どういう意味があったのでしょうか?



上層部からすれば
【特攻隊員の殉死が国民を鼓舞する】
さらに
【特攻隊員を多く出す=より国への忠誠心を示せる】
などの考えがあったのでは と聞きました
※あくまでそのようなケースもあったのでは?という事です

知覧に行かれたならご存知だと思いますが
水上機や練習機(赤とんぼと言われた複葉機ですね)での特攻
艦爆機や雷撃機に至ってはわざわざ2人て特攻したようです
ここまでくるともはや殺す為の作戦のように思えてしまいます

小さな男の子なら誰でも戦闘機に憧れると思いますが 最後の最後まで戦闘機(ゼロ戦など)に乗ることもなく 
戦果の期待できない複葉機などで散っていった人達はさぞ無念だったでしょうね
私には想像もつかない事ですが
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。知覧平和記念館では、確かに私の貧相な想像力など入り込む隙もなく、非人道的な戦争の「事実」を、ひたすら眼前に突きつけられ、言葉を呑むばかりでした。
それにしても、特攻の考えを発案、具体化したのも、同じ人間かと思うと・・。悲観的になりたくはありませんが、同じ事を繰り返してしまうような不安があります。

お礼日時:2008/07/06 12:39

質問とは関係なくなりますが、特攻兵器というと


人間魚雷【回天】
特攻艇【震洋】などもありますね
回天記念館が山口県にあります 
広島方面に行かれることがあるならぜひ行ってみてください

入り口にレプリカが展示してあり 当時「これなら飛行機の方がマシだ」と思った記憶があります
大変不謹慎であり、どちらも到底私には出来ない事ですが
飛行機が最後に空を飛べるのと違い、狭くて密閉された人間魚雷は救いようがなく絶望的で残酷な印象でした

桜花や回天などは、設計段階から人間を兵器の一部としているだけにより恐ろしい兵器だと思います
戦果あがらなくとも、(殉死者)を増やす為だけに次々と特攻させたケースもあるといいます 
もはや作戦とも言えない恐ろしい行為ですね・・・ 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

これらの残虐な戦が、まだほんの60数年前の出来事であることを、つい忘れてしまいますね。60年は長い道程だと言う人もいます。かけがえのない幾多の命の犠牲の上に、今の平和が築かれてある事を忘れるには、十分に長い時間なのでしょうか?平和ボケをしている自分を戒めねばと思います。同じ愚を繰り返してはならないと。

それにしても知覧の平和記念館がもう少し便利な場所にあって、現代の荒れた若者が多く触れることができればよいのに。あの、救いようのない?片翼に砂袋?というあまりにお粗末な風体が・・切ないです。

まして、戦果が上がらなくとも殉死者を増やす為だけに特攻させるとは、どういう意味があったのでしょうか?

お礼日時:2008/07/04 22:49

燃料タンクに引火しやすいと聞くと一式陸上攻撃機のことを思います。

長大な航続距離を獲得するために、翼自体を燃料タンク(インテグラルタンク)にした設計で、連合軍からはその形状からも「ワンショット・ライター」と呼ばれるほどでした。他の飛行機についてもだいたい主翼部分と、増槽といった補助タンクを積んでいました。日本には基本的な防御設計の軽視が伝統的にありましたので、例えばタンクの周りにゴムをぐるりと囲って、弾を吸収するといったことはありませんでしたし、コクピットの座席の背もたれ部分も薄いものが多かったみたいです。一方のアメリカは人命尊重の立場から、多少あたっても火を吹かなかったそうです。
方翼のみ爆弾を積んだという話ははじめて知りました。おそらくご指摘のように物資が不足していたのではと想像します。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。知覧の平和会館で映像を見て、あまりに呆気なく、一瞬で火を噴く戦闘機に慄然としました。なんと柔な作りかと。考えてみれば、敗戦間近の、死に物狂いの戦闘手段だったのですね。物資が、ことごとく不足していたのでしょう。それにしても、非人道的な乗り物だと思いました。戦争に人道も何も、ないでしょうけれど。お礼まで。

お礼日時:2008/07/04 10:54

 特別攻撃機(特攻機)の機体はなんでしょうか?



 機体形状で違うような気がするので

戦闘機
* 海軍機
o 零式艦上戦闘機
* 陸軍機
o 九七式戦闘機 o 一式戦「隼」 o 四式戦「疾風」

特攻専用機
* 桜花 * 剣(実戦未使用)* 橘花(試作)

練習機
* 九九式高等練習機 * 二式高等練習機 * 白菊 * 九三式中間練習機

爆撃機・攻撃機
* 九九式双発軽爆撃機 * 九九式襲撃機 * 九九式艦上爆撃機
* 艦上爆撃機「彗星」 * 九七式艦上攻撃機 * 陸上爆撃機「銀河」
* 四式重爆撃機「飛龍」
(主に、「ト」号改造機、ならびに、桜弾装備改造機が特攻作戦に使用された)

その他
* 百式司令部偵察機 * 九八式直協機 * 零式水偵
* 零式水観 * 九四式水偵

この回答への補足

回答ありがとうございます。知覧の平和会館を訪問しての疑問です。語り部の方のお話にそういった内容があったのですが、涙涙で、質問もままならずでした。隼か、疾風か・・・飛燕もありました。戦闘機、に分類されるのでしょうか?

補足日時:2008/07/04 10:18
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