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私は極度の対人恐怖症で生活ができないほどです。

克服する方法、体験談でも良いので教えてください。
よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

日々の暮らしの中で、ぜんぜん


恐怖を感じない人がおられますでしょ。
なぜ、
その人には、恐怖を感じないのか
考えて、その思考プロセスをノートに書いてみませんか。

見られている感覚があって
それが恐怖を生じさせる一因であるとしたら
眼を見られることを防ぐ
サングラスを常用されますと、軽減されるのではないでしょうか。

サングラスは、屋外用と屋内用を
整えておけば便利ですね。

何から自身を守りたいのでしょうか。
恐怖感の種類が
殺害されたり暴力をふるわれる恐怖であるとすれば
テコンドーあるいは合気道をマスターして
いつでも対応できる腕前になっておけば
心に余裕が生じて、恐怖感が消滅するでしょう。

プラスの恩人はたくさんおられると思うのですが
質問者さまにとって嫌な人・不快な人を、
マイナスの恩人とおもうことができればその人たちに
感じる恐怖は消滅します。

自傷行為、幻聴、幻覚などはないのですね。
それは救いです。
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貴方が『神経症』の中の対人恐怖と言う事ですので少し説明してみます。

貴方は対人恐怖の症状だけが無くなれば、それだけを望んでいるかと思いますが、それは『無理です、出来ない事です』その訳を云いますので、字を追ってみて下さい。

神経症の治りと言うものは、体験の世界です。頭で分かっていても体験を伴わないとかなり、難しいと言えます。ですが、分かっていた方が良い事も有るかと思って説明してみます。完全に理解できなくても良いと思ってください、次第に治ってきた時に理解できると思うからです。

始めに『神経症』というものの説明をします。是は『自我意識』と『人間に備わっている処の、もう一つの意識』との心の対立と矛盾から引き起こされています。神経症の症状は色々と有ります。是は『意識した事』によって「発症する」と言えます。従ってその症状は『意識した事が症状名』になっています。人間は色々な事を『意識』します、不安を意識すれば「不安障害」です。

あらゆる症状名が考えられます。書く事を意識すれば書けなくなる『書徑』、話す事なら『吃音』、人に会う事なら『対人恐怖』という事になります。

従って意識しなくなれば、直ったという事です、ですが『治りたい、或はその症状を忌み嫌って、症状を追い出そう』とすることが、『症状の固定』になります。直したいと思う心が『症状を』作っています。従って貴方が直したいと思うときは『治らない』という事になります。

神経症が本当に治ったという時は症状が無くなる、という事では有りません、症状は死ぬまで付いてきます。ですが治った時は『症状は』気にならなくなった時といえます。気にならないので『意識』に上ってこないと言うことです。症状は有るけれど気にする必要が無くなった時といえます。

貴方の場合の心の矛盾と言う事は、「一念」は対人関係は可能と言う判断を下している事です。ところが「二念」は出来ないという判断を下している事です。この二つの意識の対立と矛盾が貴方の心の『痛み』と云えます。この場合の一念が『もう一つの意識』の判断と言えます。

『二念』で出来ないという判断は貴方の『自我意識』が下している判断です。貴方は自我意識ともう一つの意識との矛盾で『心が痛い」のです。そのことをもう少し詳しく説明してみます。

二つの意識の対立で貴方の自我意識が『主導権』を持っています。この事が、貴方の心が痛む原因となっています。無視された『一念』の意識は困っている貴方を見ています。何とかしてやりたいと思っています。自分には出来る、自分には可能と言う事を『知らせてやりたいと思っています」その印が、サインが自我意識の『心の痛み』なのです。

もう一つの意識が加えている圧力、圧迫を症状ないし、心の痛みなどとして感じています。訳の分からない所の圧迫感。どうしてか分からない罪悪感、生き難い想いなどです。自分の本当の声を無視している事からこの事が起きています。

余り長くなりますので、手短に要点をまとめてみます。貴方が『対人恐怖』本当に、真に直したいとお望みなら、もう治らないことを受け入れてください、自分はもう治らないと言う事を納得するのです。この事が『治るための』入り口。となります。

その次は、対人恐怖ばかりではなくて、『神経症』全般の事を学んで下さい。神経症と言うものがどういうものであるのかという事です。其れには『森田療法』というものが最適かと思います。鈴木知準先生の書いたものをお薦めします、私の先生でも有ります。

また、神経症を乗り越えるためにも、人間として不安の解消を求めるためにも『禅』の事も学んでゆく事をお薦めします。人間として成長して行く事が全ての不安から開放される事だからです。禅の中には「生死」の問題からも『開放』される究極の『心の癒し』が有るからです。

禅を学ぶなら鈴木大拙博士の著作を学ぶのが良いと思います。入門編から、専門的なものまであるからです。禅の中に在るもの、それは『人間はどうして悩むのか』という事です。その不安解決が『自分自身を知るという事』です。不安を起こしているものが「自身」の中にいます、それを自分でつかむ事です。それは究極の癒しの心理学とも云えます。
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僕も強度の、強迫性障害で強迫行為により、30年ほど、仕事を転々として


生活できませんでした。家族があっという間に、なくなり、天涯孤独になり
相談、頼る人もいません。でも、薬より、そのせいで、ずいぶん良くなりました。今は特にひどく困るような事はありません。環境の変化も大事だとそして
一人になり困っても、自分で解決しなければならない。その分つよくなったようです。貴女の場合、生活も出来ないくらいでしたら、薬物療法と、認知行動療法の併用で治療したほうがいいと思います。必ず治るとは言い切れません
でも、他の人の相談や、経験上薬だけで治った例はあまり聞きません。
認知行動療法は、その割には、良くなった人の話をききます。辛いようですが、頑張ってください。
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 あれじゃないですかね~。

対人恐怖症が直るというのは、対人関係に不安を抱いたり緊張しなくなるのではなくて、不安になったり緊張したりすることを気にしなくなることじゃ~ないかと思います。対人恐怖症でない人でも、大事な商談などでは緊張すると思います。違うのは「商談でこちらの言いたいことを伝えたい」という事に集中している点だと思います。「緊張してはいけない」とはあまり思っていないと思います。禅問答のようなんですけど、「気にしてはいけない」と思うことも「気を紛らわそう」と念じることも、実は気にしているのと同じなんじゃ~ないかと思います。
 欲張りな私たちは、「こうあるべき」というものを想像します。対人関係でも、「人に対してにこやかであるべき」とか、さらには「人からにこやかな人だと思われるべき」と考えます。自らの課した「べき」思考に縛られます。「べき」のレベルが高ければ高いほど、身動きできなくなります。だとすれば、最低レベルの【合目的性】だけ考えて行動すればいいはずです。買い物するなら買い物することが目的ですし、何か発表するなら発表することが目的です。自分の実力以上にうまく振舞おうとすると誰でも緊張します。
 私たちのからだは、自分の意志通りにならないこともあります。例えば、心臓を止めようと思っても止められませんし、呼吸も少しは意志の力で止められますが限度があります。では心臓のドキドキはどうでしょう。緊張や不安やイライラなど、およそ感情と呼ばれるものは意志では直接コントロールできないものだと思います。押さえつけようとすればするほど反発します。自然に放置すれば、放物線を描いてやがて消滅します。その消滅していく感覚を味わえば、懸念することもなくなります。押さえつけようとジタバタしていると、消滅していくその感覚を味わい損ねてしまいます。

 たぶん、こういう話をもっと上手くプロはするんじゃ~ないかなぁ~と想像します。時間が掛かると思います。一進一退、三歩進んで二歩下がるような感じになると思います。頑張って…いや、頑張らないでくださいね^^。
 参考;
  http://www5a.biglobe.ne.jp/~yukimaru/shinkeishit …不安
  http://www.silver-ray-shadow.jp/shinkei_sononaos … 直し方
  http://green.ap.teacup.com/applet/forest2003/msg …とらわれの心
  http://homepage3.nifty.com/mitsuaki-koba/newpage … 学習
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先ずはきちんと専門医にアドバイスを貰って、道筋というかナビゲートしてもらうのは大切だよね。


今の自分が出来る事を少しずつやっていく、自分を立て直していく。
その過程で少しずつ経験を重ねていく事で自分に折り合いもつけていけるでしょうし。いきなり克服は難しいし、時間も掛かりますからね。
焦らずにやっていってください☆
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