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チェーザレ・ボルジアは、ローマ教皇アレクサンデル6世の息子だといわれていますが、本当でしょうか?

カトリックの司祭は、結婚できないと聞いていますが?

チェーザレの妹のルクレツィアも、この教皇の子供だそうですが、本当でしょうか?

A 回答 (3件)

チェーザレ・ボルジアが生きた時代には「血液型」と「遺伝」については知られていず、ましてや「DNA鑑定」といった方法はありません。

よって
「チェーザレ・ボルジアは、ローマ教皇アレクサンデル6世の息子だといわれていますが、本当でしょうか?」
というご質問は厳密には回答不能です。

質問者さんが日本国籍をお持ちでしたら、戸籍上「男性Aと女性Bの子」となっているでしょう。
質問者さんが「女性Bの子」であるのは、産院での取り違えでもない限り間違いありません。ただし「男性Aの子」であるかどうかは、民法のいくつかの規定によってそのように結論されているか、男性Aが非嫡出子(質問者さん)を認知した結果によるものです。質問者さんと男性A、女性BがDNA鑑定を行えば高い確率で「質問者さんが男性Aと女性Bの子」であることが推定できますが、普通はそういうことはしませんね。

前置きはこのくらいにして、チェーザレ・ボルジアが、ロドリーゴ・ボルジア(教皇アレクサンデル6世)の子として「扱われている」のが「歴史的事実です。質問者さんがお望みの答えはこのようなものでしょうか?

ただし、ご指摘の通り「カトリックの聖職者は結婚できない」ルールがあり、建前としては「ヴァノッツァ・カタネイと某男性(ロドリーゴ・ボルジア以外)の子」となっていたようですが、それはあくまでも建前であり、当時の誰も本気にはしていませんでした。

15世紀のイタリアは、現代の多くの社会と同じかそれ以上に本音と建前が乖離した社会であったということです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

アレクサンデル6世を貶めるための、でっち上げかと思いました。

ローマ教皇は、一生、童貞だと思っていました。

お礼日時:2008/09/12 13:07

ネポティズムという言葉があります、日本語で縁故主義。

イタリア語 nipote<伊>=甥、姪、孫 から来ています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/縁故主義
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

俗世から離れたはずの聖職界では、あってはならないはずですね。

お礼日時:2008/09/12 13:14

今年の5月にドイツのZDFのTVでAlexander IVローマ法王の番組が放映されていました。



その番組によればAlexander IV(法王就任1492ー1503) はローマ法王であるよりもたいへん家族、父親願望が強かった人のようです。
その頃はマルティン・ルターが宗教改革〈1517)を唱える少し前で、カトリックが最大の権力を振い、世の中の全てを握っている時代でした。

番組のHP.にはAlexander IVの彼の美人の娘Lucreziaと息子Cesareの描かれたフレスコの家族画が紹介されています。http://www.zdf.de/ZDFde/inhalt/19/0,1872,7229619 …

アレクサンデル6世
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC% …

ローマ法王の一覧
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC% …
「多くの悪い息子たちが生まれ、娘たちも生まれた。まさにこの人こそローマの父である。」とインノケンティウス8世は呼ばれました。また、ベネティクトゥス9世は「聖職者に扮した地獄からの悪魔」と呼ばれたそうです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

よくわからない世界ですね。

お礼日時:2008/09/12 13:12

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