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こんにちは。
「マルセリーノの歌」という有名な曲の譜面が学校の音楽の教科書に載っていました。
しかし、縦線の位置がとても不自然に思えるのです。
以下はその譜面を表したものです。カタカナは4分音符、ひらがなは8分音符、縦の棒線は縦線を示しています。拍子は2/2です。移動ド唱法ですがこの曲は短調なのでラが主音です。

ドミ|シシラしら|ミミドミ|シシラソ♯|ラー(最後は2分音符)

全部は書き切れませんので冒頭のみになってしまいましたが、下記のように区切ったほうが自然ではないでしょうか?

ドミシシ|ラしらミミ|ドミシシ|ラソ♯ラー|

それとも私の感覚が乏しいのでしょうか。
何か明確な解説をしていただける方がおられましたらご教授ください。

A 回答 (4件)

現代の音楽で用いられている、シンコペーション(弱起法)と呼ばれるものと同じ方法ですね。


小節の区切りの次の音は、強く出されます。ビートを効かせるとも表現されます。
ところが、曲想によっては弱い音から始まった方が合っている曲もあります。五線のの上に小節毎pを書けばよいのですが、それでは書く方も見る方も鬱陶しくて仕方ありません。そこで、この曲は小節の終わりに当たる弱い音から始まる、と云うことを最初の小節が不完全な形で表している訳です。
「マルセリーノの歌」は弱い音から入らないと変ですよね。
中世ヨーロッパやラテン・ダンスにも多く取り入れられている、リズム感をずらす手法です。、
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この回答へのお礼

書き込み下さりありがとうございます。
言われてみると確かにこの歌は弱い音から入るべきですね。
リズム感をずらす手法として中世ヨーロッパの音楽にあったというのでしたらこれはもう納得するしかありません。
また、シンコペーション=アウフタクトのことを言っておられるのでしたら、今までアウフタクトのことを少々誤解しておりました。このように意図的に強弱をずらす(アクセントではなく小節の位置によって)行為もアウフタクトというのですね。今風の歌謡曲ばかり参考にしていてはどうりで分からないはずです。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2008/09/17 21:56

#2さんと同じくガヴォットのリズムに基づいているように思います。


「アマリリス」という有名な曲がこれと同じパターンでやはり演奏を聴いただけでは小節の切れ目が分からないものです。
(アマリリスについての質問 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3748732.html
ガヴォットについて
http://ja.wikipedia.org/wiki/ガヴォット
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この回答へのお礼

書き込み下さりありがとうございます。
ご紹介いただいた「アマリリスについての質問」の質問者は実はわたくしだったのですwww今年の初めでした。

お礼日時:2008/09/17 21:41

古いヨーロッパの舞曲のリズムがもとになっているからではないでしょうか。

ほかに有名な曲で言えば、バッハの無伴奏ヴァイオリンパルティータ(またはリュート組曲)BWV1006の「ロンド風ガボット」や、フランス民謡「農民の踊り」(レスピーギが「リュートのための古風な舞曲とアリア2番」に使用して有名になった「村のブランル」と同じ曲)も同じようになっています。

ロンド風ガボット(2分の2。※3小節目のソレミの「レミ」は16分音符です)
ソ・ミ・|ミーレドレ・ファ・|ファーーーソミファレ|ソレミファレミドレシ|ドソミドミソドミ|ラミレドレミファレ|ファーソミラレレシ|ドー

農民の踊り(2分の2)
ソソ|ドラソファ|ミーファー|ソーソソ|ミドソソ|ドラソファ|ミーファー|ミーレソ|ドー
(分かりやすいようにハ長調に直して書いています)

これらは舞曲ですから、踊りに都合の良いように作られています。私は踊りについては無知ですが、足を踏み出す所が小節の頭になっているんでしょうね。

マルセリーニの歌では
小節の頭というのは強拍ですから、
ドミ|シシ
と弾いた場合と
ドミシシ|
と弾いた場合で比べてみると、かなり違った感じになると思います。たしかに
ドミシシ|
は落ち着きますが、逆に言えば
ドミ|シシ
のほうが躍動感がありますね。作曲家というのは、こんなことも色々考えて作っているんですよ。宮殿で貴族が踊っているのを思い浮かべながら強拍に注意して(体で強拍のリズムを取って)歌ってみてください。きっとイメージがわくと思いますよ。
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この回答へのお礼

書き込み下さりありがとうございます。
最初のほうで聞き慣れない楽曲名を次々に紹介されて、それらについて調べるのに時間がかかってしまい、もう少し簡略化していただけなかったのだろうかと不満にも思いましたが、しかし後半はとても分かりやすく、イメージも湧いてきて、なるほど、そういうのもありかと納得できました。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2008/09/17 21:36

私も質問者さんと同じ感覚です。


しかし、作曲・編曲者が「これでは平凡すぎる」と感じ、わざとシンコペーション(強弱逆転)を採用したのであれば、そのような音楽も十分に存在する意味があるので、その意図に沿って演奏することになるのでしょうね。
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この回答へのお礼

書き込みくださりありがとうございます。

>そのような音楽も十分に存在する意味がある

確かにそうですね。私もはやくそのような寛容性を持てるようになりたいです。

お礼日時:2008/09/17 21:22

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