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私は大の「平家物語」好き、歴史マンガ(源平合戦&幕末もの)好きです。
でも読んでいると、首切りシーンが多くてゾッとしました。
挿絵つきの平家もの小説は、さらし首の挿絵があまりにリアルで、目を覆いたくなりました。
だったら読むなよ!って言われそうですが、感涙するシーンも数多くあり、
平家ものは捨てられません!
笛吹き美少年の平敦盛が泣く泣く殺された話や、
木曾の旭将軍が妾の巴を逃がして家来とともに死ぬエピソードはマジ感涙です。
幕末ものは、近代史の勉強になると友人に勧められて「るろうに剣心」にハマった時期がありましたが、
あれもバトルシーン、流血シーン満載…。
昔の人(少なくとも江戸末期の人)はどうして首切りなどためらわずできたのでしょうか?
(後の日本軍もかなりやばい事しましたが…。)
決定的な理由があってやってたのなら、その理由とやらを知りたいです。
  
PS.14歳で首切りをした酒鬼薔薇は頭狂ってる!もはや人間ではない!
  と思ってます。

A 回答 (9件)

諸賢もおっしゃられていることに付け加えると、刀で首をおとすのは、実はむずかしい事なんです。

テレビドラマで切腹の介錯なんてやっていますが、あの介錯する人は例外なく剣の達人です。骨を切るわけですから、刀も3人で使い物にならなくなります(日本軍のやばいこと、なんて、大量生産の軍刀ではムリです。高い日本刀でもムリです)。三島由紀夫が楯の会事件をおこして割腹自殺したとき、介錯をした人がいたのですが、達人ではなかったらしく、三島の首には鉄棒でたたいたようなあとがいくつもあったそうです。逆に西南戦争で西郷隆盛を介錯した別府晋介は、一撃で西郷の首を落としています。
あと、えらい人の介錯役は名誉職でもありました。忠臣蔵の大石藏之助を介錯した安場一平は出世して熊本藩から江戸の幕府御歩使番になっています。そのときの刀が残っていますが、彼一人のために名刀を用意し、そのような刀ですら、真ん中はギザギザに刃がこぼれています。

すでに紹介のあるギロチンなどは、1930年代までパリで公開でやっていました(朝早くの時間)。イギリスの歴史は内戦の歴史でもありますが、わざわざフランスから腕のいい首切り役を呼び寄せたり、逆に下手に首切りをやらせて、苦痛を長引かせたりとかしています。オスマン・トルコでは首を切らないと約束して降伏した敵を、しばって、胴体切って処刑、なんてやってます
西洋では倒された相手の甲冑を、倒した騎士の従者がはぎとります。甲冑には家紋があるので、勝った騎士は指揮官にそれを見せ、日本の首実検と同じことをしました。そして、家紋確認がすんだら、戦場に古道具屋が必ず店を開くので、そこに売りつけます(家柄がいいほど高くなる)。そうして、負けた(死んだとは限らない)相手の従者に、コッソリと売ったことをつたえると、負けた側が高く買い戻す。これで、勝ったほうは名誉をえて、負けたほうは恥さらしをしないですむわけです(死んでいても自分の家紋が入った武具がさらし者になるのは家の恥になりますから)。この変形に、負けた人を生きたまま捕らえて、その実家に身代金を要求することもありました。3回十字軍のリチャード獅子心王は、うらみをいろいろ買っていてドイツで捕まり、15万マルクの身代金をイングランドが払う羽目となっています。西洋では身分の低い人は絞首刑、身分が高いほど斬首刑となり、ギロチンはフランス革命のとき死刑執行人の手が足りなくなったので高貴の人を効率的に処刑するために、内科医の国民議会議員ギヨタンが発案した、効率的かつ苦痛の少ない人道的機械でした。で、同様に平民の処刑にも効果的な、共和の精神に則した最新医学の成果だったのです。
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他の方も言って折られるように本人確認というのがまずあります。


その他に、信仰上の理由があったのではないかと私は考えています。

日本には即身仏になろうとして入定した人々が多数いました。
なぜ即身仏になろうとしたのか、その理由のひとつに弥勒信仰があったとのことです。

弥勒菩薩は56億7000万年後に現れるとされる未来仏です。
弥勒菩薩が現れたときに、聖業に参加するために生き返りたい、
そのためには魂の容れ物である肉体を残しておくことが必要だ、と
考えられたようです。

このような信仰がもとになって、生き返られては大変だということで
胴体と首を切り離したのという側面もあるのではないでしょうか。

奈良県明日香村の高松塚古墳の被葬者も頭蓋骨がなかったということです。

私も残酷なのは苦手です。
先日、拷問について調べていたのですが
イラストを見ただけで気分が悪くなりました。
こういうのは体質なんでしょうか。
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先の回答者さんとかぶるかも知れませんが・・・



大勢の兵士が敵味方入り乱れる戦場で、個々の兵士の働きぶりを大将が一人一人チェックをする事は、まず、不可能ですよね。
・・・なので、合戦でどんな功績をあげたか?というのは、皆、自己申告制なのです。

戦いが終って、「私は、こんな活躍をしました」というのを、自分で上司に報告して、それを認めてもらって出世につながるわけですが、そのためには、当然の事ながら、証拠か証人がいります。

今なら、討ち取った武将を写メで撮影して上司に送信!なんて事もできますが、それもできず、かと言って、遺体ごと運ぶわけにもいかないので、倒した敵が誰であるかが、一番よくわかる首で証明するのです。

さらし首は、今でいうところの、新聞やニュースで犯人の写真を出すのと同じです。
戦争は、地元住民に多大な迷惑をかけますから、敵のボスが死んだという証拠を見せながら、その終結を「終ったから安心してね」ってお知らせするのです。

そして、皆さん書いておられるように、これらの行為が、残酷かどうかというのは、時代による価値観の違いによって変わっていきます。

わかりやすく、説明しますと・・・

たとえば、あなたは鶏肉好きですか?
もし、あなた自身が好きじゃなくても、鶏肉を食べる人を「よく、食べれるな~残酷ね」とは思いませんよね。

しかし、鶏肉が、現在のように、切り身になってスーパーに並ぶようになったのは、戦後の事・・・
それまでは、各家庭で鶏を飼ったり、市場で生きたまま売られていました。

それを、食べる時に、殺して、軒先に吊るして血抜きをし、羽根をむしって調理するのです。
それを、普通の主婦がやったりします。

今、現在の主婦に「こうやって鶏を調理してください」と言ったら、ほとんどの人ができないし、残酷だって思う人もいるでしょう・・・なんせ、魚もさわれない人がたくさんいるのですから・・・

でも、その時代に生きていた人は、皆できます。
もちろん、今の時代も、どなたかがそれをやっていてくれている事を忘れてはいけません。

あなたも、その時代に生きていれば、また、違った考えを持っていると思いますよ。
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 先に回答されてきた方同様、残酷さというものは時代や地域によって大きく異なり、ゆるぎない普遍性といったものはないんです。



 戦場においての斬首-首実検については触れられたがいらっしゃるので言及はしませんが、斬首という刑罰はほんの百数十年前まで当たり前にこの国で行なわれており、しかも庶民にとってはちょっとした見世物(ま、タダってこともあったのでしょうが)でもあったのです。いまのわたしたちにとって相当キツいことであってもその時代の彼らにとってはフツーの日常というものだったのです。
 斬首つながりでいえば、おフラーンスのギロチンは受刑者の苦痛をできるだけ軽減するように考案された近代的な処刑法だったんです。それ以前は、手足を折って高く掲げた車輪に死ぬまで晒しておくなんて刑罰だったんです。また、同様にこれまた庶民の娯楽であったんです(ま、それよりずっと前には王族の公開出産なんていまの私たちからするととんでもないことをしていた国でもあるんですが)。
 さらには野蛮の代表選手の如くいわれるニューギニアなどの首狩り(人肉食)という習俗もまた、彼らにとっては敵の勇敢さを称える行為であって決して死体をおもちゃにするって目的でそうしていた訳じゃないんです。むしろ、彼らにとっては討ちとった敵の亡骸をそのままにしておくほうが余程敵に対して侮辱的であるように、一方の文化に属するものが他方の文化に対して正邪や優劣を判定することはもはやできないんです。と、いうか私たちが属している『近代』もまたそのうち、残酷とか野蛮とかいわれても不思議はないんです。

 で──別の視点から考えると、蘇りに対する恐怖が挙げられると思われます。太古の時代から人類は死者が蘇ってくることを大層恐れており、それを裏書きするように邪な不死者の伝説が残っています。そこで、絶対蘇らない殺し方として、わざわざ死者の首を斬ったり心臓を串刺しにしてきたことの地続きで、人は首を斬り落とさずにはいられないのでしょう。
 現代のばらばら殺人などでも、隠蔽を容易にするという合理的な目的だけではなく、絶対に蘇りのないような状態にしなくては怖くて仕方がない(DVの被害者女性などではそうですね)、という心理が働いたが故のものもあるようです。

 ともあれ、人というものは文化といういともあっさりと移ろうものを普遍的なものと勘違いしてしまいがちなもので、いまは非道く残酷で野蛮に思われる公開処刑なんてものも、やたらと死刑が大好きな昨今の世論なんかをみていると、あっさりと市中引き回しとか獄門打ち首や火あぶり釜茹でが復活しても不思議はないんじゃないか、って気もしますね。でも、それを求める彼らにとってはそれが当たり前であるように、残酷さというものは誰にとっても一様という訳でもないんです。
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幕末に


メリケン国では札入れでプレジデントなるものを選ぶと言うことだ。
と、言われても、ほとんどの日本人はちんぷんかんぷんでした。わけわかりませーん。と。

現代の日本人が、「ためらわずに」選挙投票できるのと同様に
幕末の日本人は、「ためらわずに」首切りができた。

そういう認識が時代で違うと言うことだと思います。
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当時は「残酷でも何でもなかった」だけです。



貴方や私が「残酷だなあ」と感じるのは「そう感じるように教育されただけに過ぎない」のです。

貴方や私が「我々の現代文明と接触してない、常識として斬首が普通に行われている部族が居る土地」に行って「残酷だ。そんな事はやめなさい」と言っても、現地人は「はぁ?何言ってのアンタ。これが一番苦しまずに死なせる方法でしょ?よそ者は黙ってろ」って言われるだけ。最悪の場合は「彼らの常識に従って」首を切られて殺されます。

>決定的な理由があってやってたのなら、その理由とやらを知りたいです。
決定的な理由なんかありません。それが「比較的、他の方法よりも合理的だっただけ」に過ぎません。

>PS.14歳で首切りをした酒鬼薔薇は頭狂ってる!もはや人間ではない!
「現代の我々の常識に照らし合わせれば」ですね。

「異なる時代、異なる国、我々と異なる常識をもつ、ここではないどこか」では、狂っているのは酒鬼薔薇ではなく貴方や私かも知れませんよ。
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昔ですからね。


「大将首」と言うぐらいで、首を切って頭を取る事が「絶命」+「本人確認」を最高の形で証明できる手段でもあった訳でしょう。
刀が最高かつ誇り高い武器だったのですし。

因みに、「首を切る事」と「鉛玉を何発もブチ込む事」や「爆弾で木っ端微塵にする事」が、どちらがより残酷でしょう? 
なんて言う質問は非常にナンセンスですから、現代の戦争も昔と変わらず残酷の極みだと思いますよ。 
そうそう毒ガスや核兵器だって使う現代の方が残酷?
いいえ。 
人を殺す行為はどんな方法であれ残酷という事なのです。
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戦場から名ある武将の首を持って帰らぬと雇い主(主人)から褒賞をもらえないことやその後の昇進ができないからです。

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首を切り落とすのは、相手を「完全に殺した」ことを明白にするためでしょう。


銃殺や絞首刑、電気イスよりも、遥かに決定的に、そして瞬時に「死んだ」ことが分かるので、争いの白黒をつけたり、後腐れのないようにするのに適していたのではないかと思います。

以上、勝手な推察でした。
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