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江戸時代にキリスト教を禁止してよかった点はなんでしょうか?
教えてください

A 回答 (8件)

良かったことは「西洋列強の植民地にならなかったこと」それに尽きます。



南米などで行われたキリスト教に基づく「異教殲滅」が、日本で実行されず、現代の日本人クリスチャンはそれが悔しくてたまらないようで殉教を強調して被害者面しています。
南米での異教殺戮の歴史をみると、クリスチャンが日本でやりたかったことがよくわかります(きっと今でも事情が許せば神社仏閣やあらゆる日本の伝統を破壊しつくし殺しつくしたいのでしょう。原爆投下は異教国への神罰だとか主張したり、靖国裁判に精力を注いでいることからそれがよくわかります)。

当時のキリシタン大名の領土では神社仏閣は破壊、神官僧侶は虐殺、日本人は奴隷として海外に売られていたわけですから、そういう「邪教」が江戸時代に食い止められたのは本当に喜ばしいことです。
ちなみ「反天皇連絡協議会」とかいう現代の左翼組織も「反天連(バテレン)」を密かに自認しているようですから、キリスト教の本質は推して知るべきでしょうね。
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 外国人が見た幕末日本 ~ 米公使通弁官の日記 ~
 
── 無知と孤立の闇が消え、この帝国の誇り高い統治者も己の無力と
西洋諸国民の力を認めはじめており、今日まで、思わせぶりな女王のよ
うに世界のあらゆる縁組みの申し入れをはねつけてきたこの帝国も、よ
うやく人間の権利を尊重して、世界の国々の仲間入りをしようとしてい
るのだ。
 しかしながら、いまや私がいとしさを覚えはじめている国よ、この進
歩はほんとうに進歩なのか? この文明はほんとうにお前のための文明
なのか? この国の質樸な習俗とともに、その飾りけのなさを私は賛美
する。この国土のゆたかさを見、いたるところに満ちている子供たちの
愉しい笑声を聞き、そしてどこにも悲惨なものを見いだすことができな
かった私には、おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えよう
としており、西洋の人々が彼らの重大な悪徳をもちこもうとしているよ
うに思われてならないのである。(18571207 安政 4.1021)
── ヒュースケン/青木 枝朗・訳《日本日記 19890717 岩波文庫》P221
 
 Heusken, Henry J. 18320120 Olanda 江戸 18610116 28 /襲殺
(天保 2.1218 ~ 万延 1.1205)
 
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#3さん#4さん#5さんの回答にプラス という感じで。


布教と同時に教育も行っていたそうですが、教育というのは一種の洗脳みたいなものです。
ようするに日本に敵国のスパイ養成学校を作っているようなもんですよ。

日本文化で庶民文化が花開くのは江戸時代ですから。
鎖国していなからったら、いま伝統としてある風習もだいぶ変わっていたかもしれませんね。


日本が独立国家として生き残ってこれたのは、それなりの政策を取れた為政者がその時代にいてくれたおかげでもあるわけです。
江戸時代初期と江戸時代末期~明治はもう少し評価が高くてもいいはずなんですけどね。
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その当時キリスト教が根付いた国を思い出して下さい。

南米ではその国の独特の文化が破壊され、今では南米の人たちは、スペイン語とポルトガル語を話していますね。アメリカでは、アメリカインデアンですら英語を話していますね。フィリピンでは、スペイン語か英語です。ですから、江戸時代にキリスト教を禁止して一番良かった点は、今でも日本人が日本語を話していられることです。
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 鎖国から孤立へ ~ 世界史上空前の富を得た ~
 
 カトリックの信者になると、収入の一部を本山であるバチカンに献金
しなければなりません。
 なおかつ、幕府にも年貢を納めると、かぎりなく国力が疲弊します。
 
 戦後日本の奇跡は、たとえ占領軍の駐留を許したにせよ、自前の軍隊
を持たなかったために、経済的復興をなしとげたことにあります。
 諸外国に嘲笑されても、工業生産に専念したので豊かになれたのです。
 
 現在、キリスト教の総信徒数18億人のうち、ブラジルやペルーなど
極貧諸国をふくめて10億人がカトリックの財政を支えています。
 プロテスタントの多いアメリカでは7割の高校で進化論を教えません。
 
 あまりに裕福になった日本では、国民の半数が大学に進むようになり、
暗記した人が出世して、思索する人が落ちこぼれています。
 農漁業や工業の賃金が停滞して、あらたな貧困が発生しています。
 
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その頃の布教活動は、


100%純粋な気持ちでの布教活動ではなくて、
侵略のための先兵としての役割も担ってやってきている訳ですから、
好き勝手にさせないに越した事はありません。
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直接の回答でなくて恐縮ですが、「よい」というのは常に「誰にとって」ということを抱えています。

当時の人のうちの色々の立場ということもありますし、当時の人と現代人とのちがいということもあります。
ご質問は現代から見てということだろうとは思いますが、現代人も一様ではありませんから。
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宗教ごとに倫理観が違います


国民全てが同じ倫理観と価値観なら意識統一は簡単だし、政治を行う人も一つの倫理観に反することをしなければいいので政治も楽になります
現在の日本では宗教の自由が認められ、特に倫理観は人によって大きく違います
例を挙げますと死刑問題があります
みんなが同じ価値観と倫理観で死刑賛成となれば問題にはならないのですが、宗教によっては人が人を裁いて死刑にすることに抵抗がある人もいます
またもう一つ例を挙げますと電車内などで化粧をする女性が増えました
以前に比べ倫理観が変わってきたことが原因で、法に関係がない物事の善悪の判断も大きく変わってきました

モラルを維持するためには同じ価値観と倫理観が必要なのです
「そんなの法で禁止になってないけどやったらダメだよ」
ではこの「ダメ」というのはなぜダメなのか?
そこに大きく宗教が関わってきます
江戸時代の政治体制を考えると、キリスト教の倫理観は江戸幕府にとって邪魔でしかなかったからではないかと私は考えております
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