天使と悪魔選手権

国立大学が法人化されたことにより、旧帝大などの有名大学を除いた多くの大学(特に地方の国立大学や単科大学)が、教育環境の悪化を問題として挙げています。
また、一部の大学では実際の授業を行う上で支障が出たりするなど、財政面で苦労している大学もあるみたいです。私は大学生であまり詳しくはわかりませんが、このままでは大学が資金集めのための研究により多くの重点を置いたり、また授業料や入学料の高額化がなされることで大学で勉強したいにもかかわらず金銭的理由で大学受験を諦めざるを得ない高校生が増えて教育の格差が広がってしまうのではないかと心配です。
私も母子家庭で裕福でなく、奨学金や授業料免除を受けているのですが、そのような支援を受けれずに大学進学をあきらめてしまう人が増えることは機会平等がより失われ、長期的に見れば日本にとっても損失になるのではないかと思います。
北欧諸国とは政治・社会システムが違うため単純に比較することはできませんが、やはり高等教育の無償化によってより多くの若者に高等教育を受ける機会が広く開かれていることは、北欧諸国の教育力の高さと何らかの因果関係はあると思います。
それなのになぜ日本は世界的な研究推進のためにより多くのお金を使う一方で、教育格差の抜本的な解決に乗り出さないのでしょうか。
家庭的に貧しく、教育格差についてはより身近に感じます。なのでこの問題について特に疑問を感じます。教育問題について詳しい方がいましたら、ぜひその辺の日本の事情を教えてください。

A 回答 (6件)

無料の高等教育について、北欧の例をあげていますが、ドイツやフランスも無料かほぼ無料と言える状態です。

しかし、ドイツやフランスでは一般の国立大学が、先生の比率に対して学生が極めて多く、設備も良くないという問題があります。北欧についても、高税率高福祉の一環として学費が無料なのであって、システムが日本とは根本的に違うのです。

税金の投入を増やさない限り、学費を安く、教育環境を向上させることはできません。可能なのは、先生あたりの学生を増やす以外に安い高等教育は実現できません。実際、国立よりも私立大学の方が、学生が多いですよね。一部の国立大学みたいに、教学組織ではない研究所や組織に専任教授たたくさん張り付いていることはありません。

一方で、研究優先になるんじゃないかというのは、国が提供する競争資金としての「科学研究費」(文部省の他、いくつかの省庁が管轄)のことでしょうか?そういう懸念はあるかもしれませんが、この科学研究費は全体の3割と少ないのですが、間接経費といて事実上大学の運営費に回すことも許されています。つまり、科学研究費が取れる大学は資金も潤沢になり、教育も充実する可能性もあるのです。

とはいえ、大学教員は優れた研究成果を残しながら、授業をやって、大学の事務の上に、科学研究費関連の事務もこなすという3重苦、4重苦に陥ります。私も研究者なので、研究者同士や大学の先生と話すと「賢くて、まじめな学生は歓迎だけど、馬鹿でやる気のない学生を見ると嫌だよね。」という会話が良くあります。

なので、あんまり「科学研究費取って来い」と先生に重圧をかけると、一般の学生を相手にするインセンティブが減りますし、学生にもしわ寄せがいきます。「授業をちゃんと聞いていたのか?教科書読んだのか?」と思うような質問を学生がしてきたら、怒って怒鳴り倒してしまう可能性が高まることは確かです。いわば、入学は楽だが、卒業は難しい。学力のない学生は切り捨てる教育に移行していくでしょう。

今は、少子化が始まったばかりなので、学生獲得のため学生や先生も一生懸命やっています。しかし、いずれ私立大学は潰れていきます。国立も地方の大学は同様です。その結果、大都市集中と名門校への集中が起こります。実は、少子化の時代でも、名門校は学部を増やし、事実上定員を増やしているんです。
また、名門とは言えない大学も、文部省が例外として認めてくれそうな、目新しく、不足する人材を供給できる学部を新設することに躍起になっています。短大も4年制大学移行のため、同様の努力を続けるでしょう。

こうして、大学の破たんが続く一方で、競争力のある大学が徐々に大きくなるという集中と選択が起こると思います。同時に、大学の役割も分化するでしょう。最先端の研究と同時に高度な教育を施す大学と、安かろう悪かろう大学に分かれるのです。特に理系は、学費が高くなり、研究で稼ぐようになるので、状況は一層鮮明=厳しいでしょうね。

そして、底辺の大学では大教室での授業が今でも当たり前ですが、今後はさらに教室が大きくなります。例外的に少人数で頑張ってきた語学も2カ国後から1カ国後必修にして、こっちも大教室でやるようにします。ゼミも本格的にやる先生もいるでしょうが、やる気のある、優秀な学生だけを採用し、できない学生は落第させるという形になると思います。

ただ、今の学生は「教えてほしい」という甘えが強く、勉強は自分でするものという意識が弱い気がします。本を読む習慣もない人が多すぎます。そして、授業では何が試験に出るのか?ばかり気にしています。試験に関係なく、教養を身につけたり、勉強しようという気概がありません。
研究者の言い分ですが、研究者や大学教員も人間です。本当にやる気のある人は直接の学生だろうと、赤の他人だろうと、質問や相談をされて頭から相手にしない人は少ないと思います。(もちろん、何人かに1人は、意地悪な人もいます。)ただ、やる気のない、あまりにも不勉強な人と話すのは、楽しくないし、時間の無駄だと感じるだけなのです。
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この回答へのお礼

早速回答ありがとうございます。大学関係者の方の意見が聞けて参考になりました。
やっぱりこれからは良かれ悪かれ大学間での競争は盛んになっていくんですね。それによって日本全体のレベルが上がっていくのは素晴らしいことだと思います。しかし一方で経済的に貧しい家庭の人の大学進学の際の大学選択肢の幅が狭まり、教育の機会の不平等化が助長される様な問題は生じてほしくないです。
私は世間的には有名大学といわれるところに通っていますが、その中でも勉強しないで遊んでいる学生もいます。せっかく大学に入ったのだから、自分はそうならないように頑張りたいです。

お礼日時:2008/11/30 02:48

大学は、高等教育機関としての側面と、研究機関としての側面があります。


高等教育機関としては、先進各国の中で、最低の位置にあるといって良い状況です。
ここ数年は、大学進学率の向上も頭打ちになっていますが、国内だけを見ていると、日本の大学進学率は高いと思われています。実際にはOECD参加国中、ほぼ最下位となっていて、韓国、インドなど、アジア各国と比べても、半分程度の進学率しかありません。

統計的に日本に不利な要素として、高校進学率が高いこと、専門学校などの大学以外の進学率が高いことも挙げられます。
海外では、小学校高学年か、中学に当たる時期に、学問で身を立てるか、職人として技術で身を立てるかが選択され、中学/高校進学=学問で身を立てる=大学進学が前提 となっています。
日本でも戦前は似た環境でした。家庭環境で「大学に進学出来ない」以前に、高校に進学出来ず、かなり早い段階で社会に出て行くことになります。
日本は、とりあえず高校進学 が前提となっていて、本来、職人としての知識と技術をもっともに身に付けることができる時期に、それ以外の生計に役立たないものに当てている、というのが実情です。

この辺で、日本の教育環境自身が、ちょっと中途半端な状況になってしまっているといえます。

以上、参考になれば。
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この回答へのお礼

遅くなってすみません。回答ありがとうございます。
potachieさんのおっしゃる通り、現在の日本の教育環境は中途半端になっているような感じはします。何もすることがないのでとりあえず大学に進学するというよりは早い段階で社会に出て、職人としてその道を極めるというほうがいいとおもいます。
やはり若者が家庭の事情などに関係なく自分にとって最良と思える道を選択できるということが必要なのではないでしょうか。とりあえず大学へ、みたいな風潮が現在のような大学の供給過剰をもたらしたり、逆に選択の幅を狭めているということは言えると思います。

お礼日時:2008/12/05 22:14

>なぜ日本は世界的な研究推進のためにより多くのお金を使う一方で、教育格差の


>抜本的な解決に乗り出さないのでしょうか。

研究偏重という説は置いといて。
教育格差の解決に乗り出さない理由の一つは、国民(!)がそれに対して関心がないからです。

国民が怒りを上げる問題は、後期高齢者医療、年金問題、孤独死する高齢者等々・・・
団塊の世代やそれより上の世代の問題です。これは、彼らの世代は人口が多く選挙などで発言権が強いからです。

日本では国民が一体の存在かのように語られ、せいぜい「富裕層 vs 庶民+貧困層」という対立軸くらいしか語られません。しかし、実は世代間の利害対立が重要な問題になっています。年金制度や高齢者の医療制度も崩壊の危機に瀕しており、これを救うには現在それを受けている人の権利を削減せざるをえないところに来ていますが、それに対して強い反対があります。後の世代にツケを回してでも現在受けているサービスを維持したいという意見が強力です。
そうなると、学校教育などまさに興味の外側です。

そして、声の大きい世代から否定的な見方をされている以上、国としてはそれに動くことはできません。
高校生以下には選挙権はありませんし、その親の世代が教育を何とかしてほしいと思っても数が大したことありませんので、声の大きな世代にかき消されてしまいます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
確かに選挙のときでも経済政策や年金問題などが話題に上るのに対し、教育の格差はあまり話題に上らない様な気がします。
勿論このような話題は暮らしに直結するので関心も集まりやすいし、大切なことですが、長期的視野でみた場合、教育の格差は将来の日本にとって上述のことに加えて大事な問題の一つだと思います。
やっぱり教育の格差を実感したものでないと教育の機会不平等などといったことにはあまり関心がわかないものなんでしょうか。
日本は先進国の中でも教育に対する国民の関心は低いほうですからあまり重要視されないのも納得できますけど、もう少しこれらの問題にも注目してほしいと思います。

お礼日時:2008/12/01 02:21

>教育問題について詳しい方がいましたら



全然詳しくない、素人の意見を。

>金銭的理由で大学受験を諦めざるを得ない高校生が増えて
>教育の格差が広がってしまうのではないかと心配です。

「教育の格差」と言う時に、大学教育までを含めてしまうことに非常に違和感を覚えます。
はたして現在、大学生でまっとうに教育を受けている人間がどの程度いるのでしょうか。

高校生と大学生でその知的レベルにどの程度の差があるのか疑問です。
ならばいっそ、早い段階で社会に出る方が日本のためになるかもしれません。

問題にしているのは「教育の格差」ではなくて、就職条件の格差なだけではないですか?
大学に行くことで、有利な就職条件を手に入れているだけではないと言えますか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
koko_u_さんのおっしゃる通り、大学でも遊んでいるばかりで全然勉強せずに社会に出て行く人も多いみたいです。少子化によってこれから先より労働力不足が生じるであろう日本において、4年間そのように過ごすのは社会的にマイナスになるのでそのような大学生は早い段階で就職したほうが社会にプラスになるというのは否めません。

ただし私の言う「教育の格差」とは、学びたい意欲があるにもかかわらず金銭的理由などから教育を受けれないという、機会の不平等のことで、その一例として大学進学をあきらめる、もしくは選択肢の幅が狭まるということを挙げているのです。なので高卒(中卒)で早く社会に出てお金を稼ぎたいと思っている人が自分の考えた結果として大学に行かないというのは、私は教育の格差(=教育を受ける機会の不平等)ではないと考えています。また、就職の条件で大卒>高卒という図式が必ず成り立つというわけではなく、現に高卒や高専卒のほうがある大学より就職面で有利に立つということもあります。
なのでここで私の言う教育の格差は就職条件の格差を表わしているわけではありません。

お礼日時:2008/12/01 02:00

ご指摘のような問題は、たしかにあると思います。

ただ、国立大学の法人化と、高等教育の無償化は、少しずれた問題のように思います。分けた方がよいのではないでしょうか。

大学が資金集めのための研究により多くの重点を置いている状況は、私の知る某教授も嘆いておりました。

●国立大学の法人化
そもそもは、受験人口に対して、大学の数が多すぎるため、これを何とかしなければならないわけです。行政が直接的に、残す大学とつぶす大学を決めてしまえば手っ取り早いのかも知れませんが、そんなことをしては物議を醸し出すと言うことで、国立大学を法人化し、自然淘汰させることにしたのだと思います。


●学費を安くする?!
現在、大学入試において、定員割れを起こしているような大学は、推薦を乱発して学生数確保に必死です。全国模試の偏差値で20~30程度であっても、指定校推薦を取れたりするそうです。一般入試にしても、名前さえ書けば入れてしまうようなモンです。

MARCH以上を受ける人でもない限り、受験生なんて勉強は大してやっていないと思っても過言ではありません。(高三の今時分でも、平気で遊んでいたりする)

下のランクの大学では、もう大学レベルの講義は学生が理解できず、高等学校での学習内容を、大学で教えています。

そう言うわけで、こんな状況で、学費を安くする(=行政の財政負担を増大させる)ことに、どれほどの意味があるのか、私には疑問です。

(成績優秀な学生を援助する)奨学金を充実させるというのなら、まだわかりますが。



>それなのになぜ日本は世界的な研究推進のためにより多くのお金を使う一方で、教育格差の抜本的な解決に乗り出さないのでしょうか。

これはちょっと、テレビの見過ぎではないでしょうか。私自身、詳細は押さえていませんが、テレビなどで報道されていないだけで、日夜、解決策を練っている状況はあると思います。

世界的な研究推進の予算って、すなわち高等教育への予算を多く配分していることにもなりませんでしょうか、偏りとかの問題は別として。

大阪府知事が言っていましたが、「金がないのなら、勉強して、まず、公立を目指せ(この話は、高校進学でした・・・)」にはわたしも同意見です。そして、その公立学校(国公立大学)の学費でも負担が大きいとあれば、奨学金を目指せ、と言いたくなります。すべての人に「チャンス」をしっかりと用意して上げることが平等ではないかと、私は思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私の知り合いにも全然勉強していないのに地元の私立大学の指定校推薦を取った人もいました。確かに少子化時代の中で大学の数が増えすぎるというのもどうかと思います。

すみません。私の説明不足でした。私が言いたかったのは、本当に目標を持って勉強したいのに、経済的な事情で大学進学をあきらめざるを得ない人が今よりさらに増えてしまうのは良くないのではないかということです。大学生だからと言って無条件に学費を安くして国のお金を大学に多く回すべきだとは決して思っていません。その点で奨学金をより充実させるのはいいと思います。私も奨学金をもらっていますし、実際にそれでだいぶ助かってます。
azharuさんがおっしゃるように奨学金をより充実させて教育の機会をより多くの高校生に用意してあげることは大事だと思います。

お礼日時:2008/11/30 03:38

教育の問題はそれほど簡単に結論を出すことはできないものだと思います。

これはあくまで素人の感想です。まず教育といった場合、市民の常識の程度を高めるための義務教育と言われているものと研究者(新しいものを作り出す、あるいは創造できるようになるための)を育てるための教育に分けるべきだと思います。昔大学は後者のための教育機関でした。しかし現在は前者としての意味も濃くなってきています。あえて言えばほとんどの人は常識を高めることが精いっぱいでとても新しいことを行う力はありません。研究者と称している人でも本当に新しいことができるチャンスは実に少ないものだと思います。多くの研究者もやはり現在の水準の常識を身につけることで終わってしまうことが多いと想像します。また新しいことができることが常識を高めることより上のものであると考える必要もないと思います。教育にはお金がかかることは当然ですが、義務教育と研究者教育とを区別しないで格差という言葉を使うとあまり良い結果にならないように思います。
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この回答へのお礼

 
私も教育の問題について簡単に解決できるとは思っていません。教育の格差を実感した1大学生として教育の機会不平等の現状に疑問を持っているのです。
広い視野でもって客観的にこの問題を見ていきたいと思います。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/30 03:13

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