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哲学を語る人でも、社会問題を語る人でも、構築主義的な基盤を持ってない、というか、持ってる人の方がすごく珍しいように思います。詭弁に限らず、哲学的な悩みの多くが、構築主義や分析哲学のような方法論で解決できそうなのに、なぜほとんどの人がそうしないんでしょう?

また数々の社会的な対立も構築主義的視点で見れば、解決の糸口が見えてくるように思います。

ではなぜ構築主義的視点が不人気なんでしょう?

理解するのが難しいからですか?
まだまだ新しい思想なだけですか?
それとも構築主義はよくないんですか?

回答お願いします。

A 回答 (2件)

思わずにやりとしてしまうほどのこの質問自体の回答の少なさが、


あるいは人気の無さに思えるかもしれませんが、
社会構築主義(いわゆる構造主義)は社会の分析上有用な発想であることは
間違いないと思います。実際現代のメディア報道は、殆どが構造主義に
則っているとすら言えますし。



ですが、その上で「個」より「全体」を主体とおくその発想は
やはり多くの人には受け入れにくい発想だと思います。

第一にご指摘の通り新しいこと、つまり今までの前提を覆す
発想の転換であることも原因の一つだと思います。
近代哲学以降、「個」の権利保障こそが社会の役割であったはずで
社会の下部構造として「個」が存在するとしては今までの前提が覆って
しまうのですから。一方でもし全体を重視するならば、70年前に大戦争を
巻き起こした全体主義の思想を想起させてしまうのではないでしょうか。
おそらく特に日本人にはマイナスのイメージが強いと思います。







そして、第二に構造主義自体にも問題はあると思います。
つまり単に批評のため、ともすれば政治的主張のためにしか利用されていません。
前提として、はたして本当に構造主義において議題に挙がるような
「特定の社会」は存在するのでしょうか?





なんのこっちゃ?と思われるでしょうから、一つ我々に関係する例を挙げます。



よくTV報道に「ネット社会の闇」のような報道スタイルがありますよね。
構造主義の観点から言えば、「外部の観測者から見れば、存在しない架空の
社会構造であるがその社会に属する人間にとっては真である。」
という原義そのものが適用できそうです。
ですが、実際は絶対者である外部の観測者の見解が
とんちんかんなものであることはネットを実際に使っている人間に
とっては明らかです。外部の人間は決して絶対的な理解者とはならないのです。




一人が犯罪予告をしたとします。構造主義における外部の観測者は
これをもって「ネット社会は犯罪の温床である」と宣言することが可能になります。
しかしながら、この場合の周りの人間の反応をよくよく観察すれば
「通報しました。警察がそちらに行くと思います。人生終わりですね^^」等の
とても暖かい反応に満ち溢れています。(みんな優しいなぁ・・・)
つまり犯罪の抑止こそがネット社会の姿でもあるのです。





このとき、外部の人間は冷静な観測を行うことができるという前提は既に崩れ、
分析としての存在意義を失います。ここでは単に「ネット社会」という「架空の社会」を
批判するためだけの政治的主張に成り下がるのです。


構造主義者に求められるのは全体を完璧に見通すだけの観察力と中立性ですが
それを兼ね備えた人間など、この世には存在しないでしょう。
分析のための理論としては完成度が高くとも、運用者が人間である時点で
客観性などそもそも確保できるわけが無いと思います。
構造主義者は「構造主義」という架空の社会の構成員に過ぎないのですから。

この回答への補足

すいません。法事が二つ重なり忘れてました…。遅くなりましたが、補足をば、とりあえず構築主義を構造主義と書かれてるのがニュアンスの違いを気になってしまうところです。やっぱ、知名度低いんですかね。構造主義はレヴィ・ストロースをイメージさせて個人的には構築主義と別物と思ってます。
それはさておき。


たしかに、人間である以上、感情などに左右されてしまうことはあっても、すべては構築されたものだ、一切は無だと悟ることにより、安直に保守やリベラルを盲進することなく、冷静に政策効果を見つめて提言ができるのではと思います。

絶対的な処方箋とはなりえなくても、方法論としてはかなり有効なのではと、もちろん使用する人間ってのが制約要因になったのだとしても。それでも、無いよりは格段にましなのではと思いまして

補足日時:2009/01/13 13:31
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> 構築主義的な基盤を持ってない、というか、持ってる人の方がすごく珍しい



構築主義的な基盤とは、ナラティヴをつねに問う姿勢による社会学のありかたを基盤とする、という意味ですか?

> 詭弁に限らず、哲学的な悩みの多くが、構築主義や分析哲学のような方法論で解決できそう

メタ言語によって言説における恣意性の疑義をただすことは、コードが成り立つ過程を分析するにはふさわしいですが、
哲学的な悩みは、コード分析とどのようにかかわり、分析言語の成立条件や過程とどのようにかかわるでしょうか?

> 数々の社会的な対立も構築主義的視点で見れば、解決の糸口が見えてくる

構築主義にかぎらず社会学のあらゆる手法が、そのためにあるべきではないのでしょうか?

> ではなぜ構築主義的視点が不人気なんでしょう?

ではと繋げるための前提はあなたが仮定したものであり、ではに続く命題はあなたの仮定が正しいことを必要としないでしょうか?

> 理解するのが難しいからですか?

本当に便利なもの、有用なものは、難しくありません。

> まだまだ新しい思想なだけですか?

はたして、思想でしょうか?

> それとも構築主義はよくないんですか?

よいかよくないかを何にとってと限定しますか? 研究アプローチとして意義があるにしても、
共同主観自体が疑われる場合には、別のシステム論を援用しなければならないかもしれません。

この回答への補足

遅くなってすいません。
もう見てないかもですが、一応補足します。

社会学的なアプローチもですが、「知覚の現象学」的な認知面からの構築っていうより全体的な意味での構築主義を意図してました。ちょっと一般と意味内容ズレてて申し訳ない。
ですから分析言語の成立条件も含めた、言語、認知、哲学、社会学に渡るような解釈をもっと様々な場面に適応してほしいなと。

なのに実際の政治や経済の研究の中でそういう視点的基盤を持ってると見受けられるのが非常に少ない。
そこが個人的に不満。


そこそこ有用なのに流行ってない。
>本当に便利な物は難しくない

語学は有用だけど難しいです。

思想かどうかは微妙といえば微妙ですが一般的に思想として含まれますし…。

良くないかどうか、主観的にどう思いますかって事で…

補足日時:2009/01/13 13:46
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