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考えることが好きで哲学も好きなんですが、そもそもがよくわかりません。
物理学や数学はそれを応用して機械を作り、今の社会の基礎と発展に貢献しています。
ですが哲学は、万学の祖というように哲学の研究がいろいろな学問へと繋がったのはわかります。
ですがそれ以外で、古代から様々な哲学者が思考を重ねて研究をしていますが、学問としても成立しているのに明確な内容がよくわかりません。
研究するからには解決すべき問題があったからだと思うんですが、その結果なにか成果はでたんでしょうか?

哲学は「神はいるのか」とか、誰もが不思議に思うけれど途方も無いことを探求して真理を見つける学問だと思っているんですが、だとしたら考え方っていうのは人それぞれなので答えはたくさんあるだろうし、
だとすると哲学の研究っていうのは何を研究しているんですか?

また、哲学の進歩は人間を進歩させていますか。
例えば人殺しや戦争を哲学的に研究した結果、世界中の人々が戦争の無意味さを自然に知るようになったとか(=短い期間では認識できないが少しずつでも賢くなりつつあるのか)。

科学の目的は世の中を便利にするとか具体的な想像がついて、それに伴って機械が生まれるなど成果があります。
でも哲学の目的はうまく想像できず、学問の一つなんだから成果はでているんでしょうが機械のように具体例がわかりません。
個人的な意見ですが哲学の目的は賢くなることで、今の科学の発展が人間が賢くなった成果といえるでしょうか。

素人質問かもしれませんが、よろしくお願いします。

A 回答 (8件)

いいとこ、来るなあ。

。。
>哲学の研究っていうのは何を研究しているんですか?

すべての学問は、知を探求し、その結果、人の幸福に貢献します。
学問の、広いジャンルの中で、哲学vs数学 は、両極端の対極にあります。

数学は、だれにも普遍な真理のつみ重ねで、だれにも共通のたった一つの真理に、たどり着きます。
1+1=2 は算術だが、現代の高等数学も、この算術をひたすら積み重ねたもの。非ユークリッド幾何学・虚数を考え出し、
最先端の高等数学は、ITに活用され、日常生活では意識に上らないが、ネット・通信・安全保障は数学に支えられて、
だれもが日常、数学の貢献のおかげで、生活している。この数学とは、まるで異なって、

哲学には、だれにも普遍な共通の真理など、どこにも無い。
ギリシア最初の哲学者:タレスから、2600年の探求を重ねて、哲学はいまだかって、『真理』にたどり着いた事が無い。
「これぞ真理なり」と世に公言した哲学者は、世界史に多くいたが、
それらは、すべて誤謬であった。

だがしかし、今日の日常生活・社会の仕組み・・・「一生懸命にがんばって、世に貢献すれば、報われる」「他人を傷つけたら、罰せられる」「金を借りたら、利子をつけて返済する」
こんな社会の、すべての仕組みの根底に、哲学がある。すべての社会は、哲学を世に実現したものだ。
現代社会は、ニュートン=カントの世界観を、現実化したものです。

この世界観に、意義をとなえ、現代人の幸福を追究するのが、
二十世紀の哲学: 実存哲学と構造主義です。

>哲学の進歩は人間を進歩させていますか

現代人を進歩させ、幸福にする哲学が、実存哲学と構造主義です。
現代社会が、高等数学の、「高められた算術」の恩恵にあずかるように、
実存哲学が「高められた常識」とされた時、現代人は幸福になれる。
(コリン・ウィルソンの言葉を、少しアレンジしました)


こないだ、フランス大統領の表敬訪問をうけた、レヴィ・ストロースは、サルトルを論破して、歴史の必然を否定し、すべての民族の文化に価値がある、と論証しました。
バルトは、記号論をおし進め、社会で常識とされる基準・コードを疑うべし、と訴えました。

こんな哲学者の仕事を、世界への貢献に、直結できないのは、現代人の怠慢だ。と私は信じ、これに挑戦する覚悟でおります。
だれにも明快に理解される、実存哲学・構造主義に拠って、です。


>古代から様々な哲学者が思考を重ねて研究をしていますが、学問としても成立しているのに明確な内容がよくわかりません

哲学者、じゃあなくて、哲学の先生(中には、ただ外国語に詳しいだけの人間)が多いから、
哲学者の、驚嘆すべき発想を、ただ伝達する事もできず、中途半端に模倣するだけの人間は、もっと多いから。だと思います。

私が尊敬する哲学者、木田元先生の「哲学は人生の役に立つのか」(PHP新書)ご一読をおすすめします

PS 哲学の先生も、弟子を育成して、哲学を世の常識となす、という仕事によって、世界に貢献されています。ちょうど、
専業主婦が、家族に貢献する仕事によって、未来永劫までの世に貢献する、ように。です
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  目に見える物(物質)を対象にしている物理・数学・科学などの世界。

最先端は理論○○学なども含めて可なり広いと思います。そこで、科学万能に錯覚する人も多いと思います。

 でも考えているのは人間です。そこで、人間を扱っている分野が医療や福祉、教育・心理学そして哲学・宗教などがあります。そう考えた時、科学が進歩するのと同時に哲学も進歩して来たと思います。2000年前の科学とは違います。人間も違います。哲学だって同じ事が言えると思います。

 しかし現在でも2000年前と同じ課題があります。例えば生と死、不条理や貧困、それら多くの問題に対して、物質だけでは解決できない答えが求められていると思います。例えば愛とか、末期ガンの死の恐怖など。高度な医療は恵みですが、貧しい家庭や貧しい国ではそれらを受けられない現実もあります。でも、死は貧者にも豊者にも等しい摂理です。そうした問題に対して有るべき答えや人類に共通する平和的な答えを問い続ける、時代や社会が変化しても。そのような人間お根本的な疑問意応えてのが哲学と思えます。  以上参考までに。
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No.4です。


>社会学や宗教・テロリズムなどを通して多角的に見れたとき新しい発見が得られるかもしれません。
>戦争の原因が神なのかは、残念ながら今の私には判断できません。

そうですね。ハンチントン「文明の衝突」は、まるで宗教の対立=文明の対立 → その衝突が戦争だ
と読めてしまう。

だが、ハンチントンの次の著作「分断されるアメリカ」は、アイデンティティ論に言及しています。
アイデンティティ、という語を、世に送り出したエリクソンは、その著書「アイデンティティ」(金沢文庫)でこう言います。

自らが信頼する人を、たった一人の母親から、家族へ、近隣へ、社会へ、と拡大して行くのが、人としての成長だ。


「戦争の原因が神」という考えは、この信頼の拡大のとき、
民族で境界線を引いてしまい、自民族だけの内で、信頼を固めたから発生した。

民族の外にいる、敵は 『擬似種』だ。
すじちがいの神が、ふざけ半分に酔っぱらって創造したのが、邪宗を信仰する異民族で、
人によく似るが、人ではない『擬似種』なのだ。
と確信したから、戦争になった、と思います。
(鬼畜米英、などと、日本人も言った)


この、引かれた境界線を疑うのが、バルトの構造主義で、
人の幸福を追究するのが、ハイデガーの実存哲学。だと私は信じます。

二十世紀の哲学、構造主義・実存哲学を、世に現実化できたなら、
二十一世紀の世界に、平和を築ける。と信じています


すべての哲学は、人類の幸福に・世界の平和に、貢献する使命をになっている。
と私は確信するから、哲学を勉強しています
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哲学は究極の学問です。


人間の行動について善悪の判断をする唯一の特別な科学だといえるでしょう。
着々と成果はあがっていますよ。人権尊重、平和の希求、人種間の連帯、社会民主主義の普及などです。1000年前より各段に人口が増えたのはその顕著な成果のひとつです。もちろん人間にもいろいろありますから、進歩と普及はおそいですが、科学が原則無目的で欲望的利己的であり、破滅へも容易に突き進んでいくのを阻止できるのが哲学です。これからのテーマのひとつをあげておきます。「神はいない!」という科学知識の普及です。これによってイスラム原理主義のテロなどの現代の悲惨と戦争が防げると思います。
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この回答へのお礼

>>人権尊重、平和の希求、人種間の連帯、社会民主主義の普及などです。1000年前より各段に人口が増えたのはその顕著な成果のひとつです。
私はそれらは政治学の問題だと思っていたのでなるほどと思っていました。考え方によっては哲学の成果とも言えますね。
根本では政治・科学も進展と平和という面で哲学と繋がっているからこう思えたんでしょうか。
具体的な例をありがとうございました。

>>「神はいない!」という科学知識の普及です。
でもいろんな人間が自然に神の存在を感じて語ってきたので、神という存在自体が人間特有の知識の共通点を含んでいるような気がして、そこを探求すればいわゆる真理が見つかるのではとも思っています。
この点は社会学や宗教・テロリズムなどを通して多角的に見れたとき新しい発見が得られるかもしれません。
戦争の原因が神なのかは、残念ながら今の私には判断できません。もっと勉強して答えを見つけたいと思います。回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/12/21 23:04

これは、大雑把な私の感想です。



その>たくさんある<答えには それぞれ、いいところがあったりしますので、 それらがやがて、まとまる日は近いと哲学しています。

あるいは情報化社会にては、そこにもlugalさんや、わたしのように>考えることが好きで哲学も好き<な人間が その日を早める使命を持っているのかと思います。

そして、そのいいところが、(昔に切り捨てられた思想とかも、それは当時の思想で切り捨てられたのだから、そこに長所が無いとは言えない) あつまれば、

むしろ哲学こそ、 科学を統合し、経済を統合し、 戦争のようなひどい世界を無くし、豊かに 新鮮な感性で生きることのできる社会への「見通し」をつける知恵として機能する日が来ると思っています。

科学も考えた結果という意味では哲学の成果でしょう。 しかし、それが「希望への見通し」のすべてを私たちに与えているわけではないのである以上、 哲学の成果とはこんなものであると認めてはならない地点を私たちは生きているはずです。

私なりの考えはありますが、  実は私の考えには大きな欠陥があることに最近気がつきました。  それが解決するまでは、 平和や平等や豊かな社会についての実際の「見通し」につながるような発表は 差し控えるべきと思うようになっているのです。

今 ワーキングプアーの身にて 心身かなり疲れていますが、この欠陥是正には 全力で取組んでるところです。

大勢の哲学愛好家が 今度こそただの考えすぎの域を脱しようとしていると思います。   私は 期待しています。
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答えの発見できるものとしては2550年以上前にゴータマシタッダ・お釈迦様が心について、生きる上での悩み苦しみの原因とその滅し方について、これでもかと詳細にがっちり語られています。



物質面についても、当時地球は平らだという考え方の中にあって、一つの銀河系にある星のひとつで有ることも、それが他にも多く有ることも、いずれ海が干上がるほどのに地球上が熱せられるであろうことも(現代でも憶測されてますね、相当先の話ですがw)、ブラックホールのことも、宇宙は収縮・膨張を繰り返すことも(劫という単位で、片道もしくは往復で使われたりしてます)、チョロット語っていますが。

たとえ話の中に挿入する程度で、メインは生きること心のことについて悩み苦しみを滅すことについては遍く語っているように思っています。

そういう意味での哲学面での成果はあると思います。

その他、定義が曖昧だったり、もともと成り立てなかったり、答えは出ないと解っていたりする類に入る哲学では成果なるものは出にくいもしくは出ないものと思います。何か考え方に変化は与えるかもしれませんが。

何か参考になれば幸いです。
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ノーベル賞に「哲学」部門がありますか?知らないのですが、ノーベル平和賞、ノーベル文学賞、とにかく、人類の平和と幸福のために尽くした人を聖人といいますが、みな哲学者であり、社会活動家、実践者です。


学問としての哲学には、縁がありませんが、ものごとを根本から考える人は、みな哲学者でしょう。
高校までの勉強では、「哲学」という科目は、ありません。国語、社会、理科、数学などの教科のなかで、「論理的な思考」を養い、「ものの見方、考え方」を学びます。
哲学のことを「ものの見方、考え方」と呼ぶ人もいます。世界を傍観しているわけではなくて、自分も歴史に参加している実感をこめて、「ものの見方、考え方、変え方」といってもいいでしょう。
なんでも、哲学の対象になりますが、大抵は、深刻な問題、人類とわれわれが直面する問題について、「問題」をとらえて、それをどう解決していくのかを考えます。そういう意味では、新聞、ニュース、特別番組
は、哲学の宝庫ですね。きょうのNHKスペシャル?は、「教育問題」でした。世界経済の危機、金融危機から、世界的な不況、それにともなう「派遣労働者」の首切り、これも、大問題です。これは、政治、経済の問題ですが、りっぱな「哲学」の問題です。なぜ、人間が、こんな扱いをされていいのか?なにが原因で、どこをどうすれば、解決するのか?
政治も、行政も動き始めていますが、仕事を探す前に、まず、住居を保障することが先です。その次に、景気が悪くなれば、労働者の首を切ってもいいのか?派遣労働者、季節雇用の労働者の首は切ってよいのか?
正社員の首を切っていいのか?なんかこの国の仕組みは、おかしくないか?ちょっとまえまで、こんなことは起きなかったぞ。
というふうに、自分で考え、ニュースを読んで考え、家族や、友人と話し合って考える。これが、「哲学」するということではないでしょうか?
lugalさんが、直面する問題が、一番切実な問題ですね。その問題を解決していくときに、自分で考え、だれかに相談して考え、専門家や相談にのってくれるひとと、一緒に解決していくなかで、lugalさんの「ものの見方、考え方」が鍛えられて、成長するのではないでしょうか?
哲学は、人類に問題や課題がなくなったときに、消滅するものだと思います。残るとすれば、過去の人類の歴史上のあやまちを、ゲームで解決するときに、ヘーゲルの哲学で解決するとか、いやプラトンだ、ソクラテスで解決するぞ、というゲーム機にのこるくらいでしょうか?
そのころには、法律も刑務所も、警察、軍隊、国家もなくなっているかもしれませんね。まだまだ、必要悪で、当分はお世話になりますが。
アメリカ先住民の人間性と人格の高潔さについて、フォレスト・カーターの「リトル・トリー」「ジェロニモ」を読んでみて下さい。
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哲学のことを進歩が止まってしまった学問の一つというふうに見る人は少なくありません。


一部には古代ギリシャでの発見や定義づけのように「有意な」哲学も存在しますが、
少なからざる哲学者が軽薄な言葉遊びに終始しているであろうことは推測に難くありません。(ソーカル事件参照)

あくまで一意見ですが、哲学とはもう「終わった学問」の一つではないでしょうか。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/ソーカル事件
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この回答へのお礼

リンク先のソーカル事件は以前に読んだことがありました。
ですが私は、いろんな人が哲学に魅力を感じるのは、まだわかっていないけれど共通で不変のものがあるからだと思ったりしてます。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/12/21 11:57

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