龍樹は大乗仏教を体系づけたと聞きます。
当時、大乗仏教は上座部仏教から攻撃されていて、龍樹がそれに対する理論武装をしたのですよね。
そこで龍樹はどう反論したのか知りたくなって、彼の思想を調べて見ると、空の哲学を作ったと。
そして私はまだ読んでいないのですが、空の哲学は非常に理論的で難解であると。
これでは多くの者が受け入れられる教えを目指す大乗仏教から遠ざかっているように見えるのですが、違うのでしょうか?
空の哲学は大乗仏教の理論的根拠となっているのですか?
私のここまでの理解が間違っているのかもしれません。
教えていただければ幸いです。
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
こんばんはです。
☆☆☆☆☆☆
~~~~~~
龍樹は大乗仏教を体系づけたと聞きます。
~~~~~~
龍樹は、それまでの仏教の《有の哲学》というべき《アビダルマ哲学》の破壊者です。
「大乗仏教を体系づけた」。これは微妙ですね。
一般的に彼の代表作とされる《中論》を見るかぎり、《体系者》としての一面はあまり強くありません。大乗仏教の《空》を縁起と結びつけた。そして、その龍樹の空の考え方の延長線に後の大乗仏教(の哲学)が発展したという意味でならば、龍樹は体系者といえるのかもしれませんが。。。。
一般的には、破壊者と考えられています。それまでの仏教の学説を木ッ端微塵にしてしまったもので。
~~~~~~
当時、大乗仏教は上座部仏教から攻撃されていて、龍樹がそれに対する理論武装をしたのですよね。
~~~~~~
《理論武装》?
これも微妙ですね。
龍樹は、いわゆる上座部系の仏教からの攻撃に対して、上座部の《アビダルマ哲学》の矛盾を論理的に示すとことによって、大乗仏教を擁護した。
こちらの色彩の方が強いと思います。
~~~~~~
そこで龍樹はどう反論したのか知りたくなって、彼の思想を調べて見ると、空の哲学を作ったと。
~~~~~~
いえいえ、龍樹は、「《空》について哲学をするな」です。
《有》と《無》の両の極端ではなく、その中(間)を観る、それが《中観》。
論理や言葉は《有》と《無》の両極端の教えを退けるために使われるべきもの。
だから、龍樹のこうした思想を受け継ぐ人々は自らのことを《中観派》と呼びました。
もっとも、後の時代に、《中観派》も自身の主張を持つべきだという考え方も現われ、《中観派》は二つに分裂します。
龍樹の反論は、「物などに自性や本体というものがあるとするならば、それはブッダの縁起の理法に抵触する。だから、物には自性や本体はない」、ほぼこの一点につきます。そのことを得意の論理を使って証明してみせています。
現代的な視点から見ると、龍樹の論法は限りなく詭弁や言いがかりに近いものが数多くありますけれども。
~~~~~~
そして私はまだ読んでいないのですが、空の哲学は非常に理論的で難解であると。
~~~~~~
そもそも《空》は哲学にならないものです。言葉によって語ることができないものです。そうした《空》について哲学をしているのだから、必然的に、雲をつかむようなつかみ所のない話になってしまいます。
しかし、龍樹オリジナルの《空》の定義は、
およそ縁起した(因と縁でできた)ものを、空であると言う。
それは概念的に仮説されたものであり、それはまた中道である
とシンプルなものです。
つまり、
因と縁でできたものだから、自性がない、空(から)っぽ、empty、つまり空。
それは概念的に仮りに設定されたもの。
因と縁でできたものとしては在ると言えば在るし、自性がないのだから無いとも言える。
それが《有》と《無》の両の極端を離れた中道ということ。
くらいの意味です。
それほど無茶なことを言っていませんって、龍樹本人は。
でも、中国では、《空の哲学》をやっちゃった。しかも、龍樹のこの空の定義を誤解して、とんでもない《空》の哲学体系を作ってしまった。だから、分からなくて当たり前!!
これを分かったら、スゴいですよ。僕なんか、まったくそこに何が書かれているか、チンプンカンプンだもの(笑い)。
~~~~~
これでは多くの者が受け入れられる教えを目指す大乗仏教から遠ざかっているように見えるのですが、違うのでしょうか?
~~~~~
これはある意味でYES、そして同時にNOです。
そして、これは僕からのちょっとしたアドバイス。
《空》という言葉が出たら、《ゆめ・まぼろしのようなもの》と読みかえましょう。
小難しい議論をしないのなら、これで大体、《空》がどのようなものか分かります。
あくまで《夢・幻のようなもの》ですよ。それは、眼の前にちゃんと存在していま~す。無いわけではありません。《夢・幻》では決してありません。
~~~~~
空の哲学は大乗仏教の理論的根拠となっているのですか?
~~~~~
龍樹の《空》についての定義は、その後の(インドの)大乗仏教(哲学)にそのまま受け継がれ、のちに意味が拡大されます。
《空の哲学》ではないですよ、龍樹の《空の定義》。
☆☆☆☆☆☆
で質問には、すべて答えているのかな。
ありがとうございます。
やはり竜樹の業績に対して私に誤解があったようですね。
そして、竜樹の思想と動機を理解するためにはまずアビダルマ哲学がどんなものか知る必要がありそうですね。
No.9
- 回答日時:
存在の分析「アビダルマ」を読んだら、
つづけて、認識の超越「唯識」仏教の思想(4)を読もう!!
そうすると、インドの仏教(哲学)がどのようなものかよく分かります。
実は、《存在の分析・阿毘達磨倶舎論》を書いた著者と唯識思想の大成者はヴァスバンドゥという同じ。
アビダルマと唯識はとっても仲良し。
そして、アビダルマと唯識思想を知っていれば、無敵です。
お礼が遅くなりましてすみません。
今回いただいたご回答からは離れるのですが、
今、中村元「慈悲」を読んでいまして、これが
竜樹に関する私の疑問に部分的に答えてくれました。
慈悲の実践の基礎は自他不二であり、自他不二の根拠を求めて諸法無我から空の考察へ突き進まねばならなかったと。
この書の第4章の目次が
第4章 慈悲の理論的基礎づけ
第1節 人は何故に他人を愛すべきか?
第2節 自他不二の倫理
第3節 空観はいかにして慈悲の実践を基礎づけ得るか?
1 慈悲と空観とは矛盾せざるや?
2 三種の慈悲
3 慈悲という意識を超越した実践
なんとも興味を引くではないですか。
No.7
- 回答日時:
No1でございます。
お礼、ありがとうございます。そして、
こんばんはです。
★龍樹がそれまでの仏教の学説を木っ端微塵に打ち砕いた。
これは、あくまで、大乗側、龍樹ヒイキの現代の(仏教)学者たちの見解・主張です。
しか~し、
実際は、アビダルマ哲学の素人である龍樹が騒いだくらいでは、アビダルマ哲学は揺るがなかった。
アビダルマ哲学は、ゴータマブッダ滅後、数百年の間、学者たちが綿々と築き上げてきた哲学の一大殿堂ですので。
これが歴史的真相です。
★アビダルマ哲学を勉強したい!!
これは、絶対にやめた方がいいと思いますよ。
アビダルマ哲学は、よく仏教のスコラ哲学とたとえられるとおり、ひじょうに煩瑣です。微に入り細に入っていて、非常にメンドい。俗に「唯識三年、倶舎八年」と言われますが、アビダルマ哲学の概説書である《阿毘達磨倶舎論(アビダルマ・クシャ)論》を一通りマスターするのに、それにかかりっきりでも八年は必要と言われていますので。哲学者・上山春平がいうように、それこそ頭が「クシャクシャ」になってしまいます(笑い)。
★龍樹の定義する《自性》とは?
これは、一般的に、バラモン諸学派の哲学の《実体》、たとえばサンキヤ学派の《プラクリティ》とか、や説一切有部の《法体》の両方の意味を合わせ持つ、と言われています。
《プラクリティ》というのは、物質を生み出す原因物質・根本物質といったようなもの。物質は、根本物質である《プラクリティ》から自己原因で自己展開します。仏教のいう直接因(因)や補助因(縁)を必要としない。
一方、説一切有部の《法体》というのは、現象の背後にあって、直接因や補助因によって、この世界に現象化します。まぁ~、《法体》はプラトンの永遠に存在する《イデア》みたいなものです。
ですから、龍樹が「縁起なるものを、われわれは《空》(無自性)と呼ぶ」といくら頑張っても駄目。正確には、他学派への反論になっていないからです。
龍樹や彼の跡をついだ学者たちが《自性》に対して「自性とは、そのもの固有性質で、生まれないもの」といったような定義を与えますが、説一切有部の《法体》は生まれるものではないので、中観派の批判はあたらない、ということになります。
なのですが、説一切有部は、《法体》は言葉で名指しされるものと考えます。《法体》は《イデア》みたいなものなので、当然と言えば当然。それゆえに、説一切有部は《概念実在論》であると言われます。
ならば、と、龍樹は、得意の論理を使って、
「バラモン教諸学派の《実体》や説一切有部の《法体》が言葉で名指しされるものであるとするならば、このような矛盾が生じる」
と、ゴータマ・ブッダの縁起(相互依存性や相対性)を使って、彼の代表作である《中論》で反駁しているわけです。
そして、《実体》や《法体》は存在しない。《空》《無自性》とつながるわけです。
このため、龍樹の考え方は「概念の《唯名論》」と類比されます。
よーするに、西洋のスコラ哲学で行われた《概念実在論》と《概念唯名論》の戦い《普遍論争》が、それよりはるか以前に古代インドで行われた、というわけです。
ですが、仏教のアビダルマ哲学のもう一つの雄、説一切有部から分派した《経量部》は、《概念唯名論》なんですよ。
古代インドで行われた《普遍戦争》、勝者は龍樹?
本当のところはどうなんでしょう。
龍樹の思想は、(大乗)仏教だけでなく、後の時代のバラモン諸学派の哲学に大きな影響を与えたのは事実ですが。。。。
ちなみに、龍樹を祖と仰ぐ中観派の一派は、後の時代に《経量部》の一派と合流したりもしていま~す。《中観経量学派》とかいうんだよな、確か。
★龍樹の《空の定義》の拡大の一例
一番分かりやすい例は、仏教の唯心論と言われる《唯識・瑜伽行派》の基本論書・《中正と両極端の弁別》(中辺弁別論)の冒頭の二句ですよね。なので、服部先生の訳を紹介。
虚妄なる分別はある。(縁起されたものです:ねむりねこ註)
そこに二つのもの(主観・客観:ねむりねこ註)は存在(《実在》の方がいいかも:ねむりねこの感想)しない。
しかし、そこには空性が存在し、
(主観と客観は、実在しないから。それは分別する、つまりモノを分けて考える心が作り出したものだから:ねむりねこ註)
その(空性)の中にまた、かれ(すなわち虚妄なる分別が存在する)。 (1・1)
それゆえに、すべてのものは空でもなく、
(分別をする心の中には主観・客観が存在するので空ではない。分別をする心は空っぽではない:ねむりねこ註)
空でないのでもないと言われる。(主観・客観は心が作ったもので、実在するわけではないから:ねむりねこ註)
有であるから(虚妄なる分別が存在するから:ねむりねこ註)、
無であるから(主観・客観は実在しないから:ねむりねこ註)、
また有であるから(虚妄なる分別の中に主観・客観が存在するから:ねむりねこ註)、
そしてそれが中道である(《有》と《無》の両極端を排しているから:ねむりねこ註)。 (1・2)
龍樹の《空の定義》をもとに論理が展開されるのと同時に、《空》の意味解釈の拡大が行われています。
で、「全ては、心が作り出した」と仮定すれば
(じつは~、中論ではないけれど、龍樹の著書にもこうした考えが表明されていたりもする)、
《中観派》も《アビダルマ哲学》も矛盾なく体系化できちゃうんだよね。
それが大乗仏教の《唯識思想》と呼ばれるもの。そして、《唯識思想》は仏教思想の完成形態と呼ばれています。
日本の宗派色の強い仏教者には評判が悪いけれど、《唯識説》。。。。
事実、この後、インドでは、仏教哲学は認識論や論理学などへと姿を変えて行きます。
★仏教思想の入門書
龍樹の《中論》や世親の《阿毘達磨倶舎論》は難しいし、
(《中論》を読むと、間違いなくアタマが混乱し、仏教(哲学や思想)、嫌いになります。《倶舎論》を読むと、アタマが《クシャクシャ》になります)
裏玄関(インド仏教思想の最終完成形)から入ることになりますけれど、仏教哲学(思想)の入門書としては、
横山紘一 唯識思想入門 レグルス文庫
あたりをお薦めします。中観思想やアビダルマ哲学も少しですが入っていますので。
そして、この本で《唯識思想》の洗礼を受けると、も~、《中論》は、無傷では読めなくなるという強い副作用がついた、
とってもアリガタイ本です。
けっこう、中国や日本の唯識思想、つまり、法相宗独自の説・解釈が入っているのが気にかかりますれど。。。。
日本仏教の概説書としては、
凝然大徳・鎌田茂雄全訳注 八宗綱要 講談社学術文庫
あたりですか。
この本、結構、役に立ちますよ~。わたし、辞書代わりに、この本を色々と活用しています。
日本仏教の思想をまんべんなく知るには、もっともすぐれた本だと思います。特定の宗派に偏ることなく、中立的な立場が貫かれています。ただし、日蓮系の宗派、浄土真宗の教学については書かれていません。
そして、龍樹の中論がどのように中国で理解(誤解?)され、《空の哲学》が花開いたかを知ることもできます。ほんのチョッピリですけれども、《アビダルマ哲学》の匂いを嗅ぐことができます。
渡辺昭宏 日本の仏教 岩波新書
でもいいんだけれど、結構、あぶね~んだよな~、この本。過激なことをいっぱい書いてあるので。。。。
浄土真宗や日蓮宗系の人は、この本を読むと、絶対にキレる!!
再度ご回答ありがとうございます。
しかし、アビダルマ哲学を本格的に勉強しようというつもりはないので、
存在の分析「アビダルマ」―仏教の思想〈2〉 (角川文庫ソフィア)
を買うにとどめました(笑)
渡辺昭宏 日本の仏教
はこの間見かけましたが、そんな本だったのですね。
私が今回この質問をした背景として
・釈迦は在家信者たちをどう考えていたのか。
・大乗仏教に対して当然上座部仏教から攻撃があっただろうに、それをどう正当化したのか。
に興味があったので、立場としてはその本と逆のようですね。
No.6
- 回答日時:
縁起と空を同一視したり、
縁起を発展させたものが空だ
と考えないほうがいいと思います。
縁起と空は別であると考えたほうがいいと思います。
というのも、いわゆる
釈迦の悟りの内容である縁起を解き明かしたのが
ナーガールジュナの空だという表現が
おそらくナーガールジュナと大乗仏教の空を
特別なもの扱いしてきたのだと思います。
縁起を本当に釈迦が説いたのか?
について私はだんだん懐疑的になっています。
一応、スッタニパータの862から874偈の
争闘が縁起と関係あるのではないかということらしいのですが。
862 「争闘と争論と悲しみと憂いと慳みと慢心と傲慢と悪口しは、どこから現われ出たのですか? これはどこから起ったのですか? どうか、それを教えてください。」
http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/su …
それからスッタニパータにも空はでてくるといいますが
1119 (ブッダが答えた)、
「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界が空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り越えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、<死の王>は、見ることがない。」
ここで問題になるのが
スッタニパータの文献学的な問題です。
スッタニパータでも古いところや新しいところがあります。
No.5
- 回答日時:
>釈尊の思想の中で、最初は話しても理解不能だと思った部分を竜樹は理解し、そこを展開したのが彼の著作だということでよろしいでしょうか?
○そうです。インドの時代の無というのは目に見えないという程度の意味でしかなかったのですが、言葉にこだわる人が出てきて何にも無いと言う意味になって釈尊の教えが形骸化してきたので無いという意味と違うという意味で空という概念を持ち込んだのですね。空も現代ではなんにもないという意味になってきてますね。
小乗から大乗へを表す悟りの言葉は、「真空無双⇒真空妙有」ですね。「真なる空には妙なる有がある」ということなのですね。その「有る」世界観を示したのが中論ですね。
中論の八不中道「不生・不滅、不常・不断、不一・不異、不来・不出」の解釈を正しく理解できれば、「妙有」が解ったということになりますね。現代では解釈自体が完全に間違ってますので、竜樹の正しい評価ができないということでしょう。例えば、「不一・不異」は「摩訶止観」ですね。これは、「複数の自分が同時に存在するが、複数のようにみえて実は1つなのだ。」という意味なんですよ。こんなの普通の人、いや坊さんでも理解できないでしょうね。
No.4
- 回答日時:
まず、竜樹(ナーガールジュナ)については、「中論」を著したという事実が判明しているだけです。
他にも彼の著作ではないかと言われている文献はあるのですが、鳩摩羅什が書いたとの説があったりして、判然としていません。また、正確な伝記等もなく、色んな伝承がありますが、後世の創作も多いようです。
有名人の伝記に尾ひれがついて、ある事無いことが一杯書かれてしまっているという状態です。
ですから、上座部仏教からの攻撃を受け、理論武装したというのも事実かどうか分かりません。
また、大乗仏教を体系づけたという評価も如何なものでしょう。
大乗仏教信者の一方的なプロパガンダだと思いますが。
彼の「空」の思想が後年の大乗仏教の関係者に利用されたと見る方が、中立的な見方じゃないでしょうか。
また、彼の唱えた「空」の思想は、釈迦が教えた「縁起」の説を発展させたものであり、形骸化した「説一切有部」などの上座部仏教の理論から本来の仏陀ゴータマの教えに回帰させるためものであったと評価します。
一方、竜樹は布教者ではなく、仏教学者的要素が強い人物です。
彼の著書は、仏教学者、修行者のために書かれた専門書です。大衆教化の布教書ではありませんから難解です。
「中論」を理解するには、原始仏教の経典内容や仏教哲学の勉強が必要だと思います。
ありがとうございます。
>上座部仏教からの攻撃を受け、理論武装したというのも事実かどうか分かりません。
>また、大乗仏教を体系づけたという評価も如何なものでしょう。
こういったご指摘、とても参考になります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E6%A8%B9# …
ウィキペディアにも大乗仏教との結びつきが大きく書かれていますが、
それも違うのではないかという気になってきました。
No.3
- 回答日時:
上座部、というか説一切有部の思想が「概念と存在を不可分」として、
その研究を深めるのであれば、対して龍樹の中論が言っていることは全く間逆
「有に非ず、無に非ず」
なにそれ?と余計混乱するかもしれないので一応補足すると、
たとえば明暗であったり、善悪であったり、勝敗であったり
こういった概念は相互に依存して存在しているので、独立して片方だけでは存在しないですよね。
多くの概念は独立して存在し得ないので、世の中はこういった相関の関係(縁起)で
成り立っていると考えます。
だとすると、有と無という対立概念を論ずることも意味の大半を失う。
それぞれは相互に依存し、独立して存在し得ない不確かな存在なのですから、
そういった論説に執着すること自体が無意味であるとし、
釈迦と同じく「空」の概念にたどり着きます。
で、やっぱりここからが龍樹の本番です。
この思想がたどり着いた先は「悟り」への執着すら無意味という考え方です。
結局は空は概念の執着からはたどり着かない。
つまり空は悟りへの執着からはたどり着かない。
よって宗教の教条に執着する人間は悟りから最も遠い。
まわりくどく書きましたが、つまり要するに釈迦すら不確かなんじゃね?
とバッサリいっちゃったわけです。むむみょーの世界です。
(つまりよくよく見れば教祖の思想をいったん否定するわけですから、
龍樹の論説を解りやすい、と言ってしまうと宗教団体の営業活動的には
結構アウトなんじゃないでしょうか。だから解った上で難解とか
言っちゃってるのかもしれないですが、思想自体は韻を踏んで整理された、
非常にシンプルでスマートな考え方だと思うんですけどね。)
じゃあ何に意味があんの?というと・・・縁起を空と"逆方向に"進めれば
正当化の理屈を組めますよね。
ここからいわゆる(自称)大乗の仏教が始まったわけです。
ありがとうございます。
釈尊自身は有と無とかいうことを問題にしておられたのでしょうか?
当時の説一切有部の思想が有に偏っており、竜樹はそれを正したかったのが動機と理解してよろしいでしょうか?
No.2
- 回答日時:
>これでは多くの者が受け入れられる教えを目指す大乗仏教から遠ざかっているように見えるのですが、違うのでしょうか?
○違うのですよ。大乗教は法華経典とかさまざまありますが、要は、釈尊晩年の教えなのですね。
晩年の教えとは、言いかえれば、釈尊が菩提樹下でお悟りになったことなのですね。釈尊は話しても理解不能だと思い、初期の段階では、開示していないのですね。晩年になって弟子も育ったので開示したということなのですよ。だから大乗の教えは「摩訶不思議」なのですね。
誰でもわかる教えではないのですね。竜樹は「摩訶不思議観」を理解できたから大乗の祖のひとりなんですよ。中国では天台ちぎが「摩訶不思議観」を理解してますね。
日本では理解できなかったために、「大乗」という言葉だけが残ったということですね。
伝教大師、親鸞、日蓮は大乗法典のわかりやすい一部のみ使って「大乗」を広めたので大乗が小乗の先にある「大きな悟り」ということが理解できなかっただけなんですよ。
例えば、竜樹の八不中道は「摩訶不思議観」の一部ですが、空観も含めて大乗と言われる宗派では理解できていませんね。
まあ、現代は、時代も下って末法の時代真っ最中ですから致し方ありませんね。
ありがとうございます。
釈尊の思想の中で、最初は話しても理解不能だと思った部分を竜樹は理解し、そこを展開したのが彼の著作だということでよろしいでしょうか?
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