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挨拶について研究しております。
最近、疲れるような仕事の後の挨拶ではなく、朝以外に、廊下でのすれ違いざまなど職場内での挨拶に「お疲れさまです」という言葉を交わすケースが増えてきたように思います。
それは、何年頃からか知りたいのですが、この質問をお読み下さった方の職場では、1980年代あるいは90年代のどの辺からお使いでいらっしゃいますか。
また、既に1980年代以前から、職場内でいわば「今日は」がわりに交わし合っていたというケースはあるのでしょうか。
私自身は、実はこの挨拶には「元気」をそがれるような抵抗感があって、これから授業に行こうとするとき同僚の人に「お疲れさまです」と言われると、つい「恐れ入ります」と返してしまいます。私自身は、これから授業に行く人になら「行ってらっしゃい」または、英語が使えるなら“Have a nice class!”と言います。
皆様は「お疲れさまです」に対して、このような感じをお持ちになりませんでしょうか。

A 回答 (10件)

私が最初に「仕事」をしたのは、1985年でした。

あるチェーン店になっている書店でのアルバイトです。

その当時、そこではごく当たり前のように「お疲れさまです」を使っていました。同じ店で働く者同士では「こんにちは」代わりではなく、仕事を終えて帰る時に使う言葉でしたが、本社や他の店からの電話の時(仕事中、もちろん朝一番であっても)には必ず「お疲れさまです」という言葉をマクラのように使っていました。
この電話の場合の「お疲れさま」は「こんにちは」代わりの言葉に相当すると思います。

つまり、1985年には既に、今ほどではないにしろ、「お疲れさま」が「こんにちは」代わりに使われていたことになります。しかも、私の印象ではそれが昨日今日使われ出した言葉には思えず、1980年以前にも存在したのでは?と推測します。
が、ここは私が経験していないことなので何ともいえませんが……。

働いた経験が全くなかった私の場合、「そういうふうに言え」と言われて言うようになった言葉ですから、なんていうんでしょう、業界用語のような感覚と言えばいいんでしょうか、お客さまには「いらっしゃいませ」と言うように、本社からの電話には「お疲れさまです」と言うきまりなんだと、最初に素直に受け入れてしまったので、あまり違和感はありません。

でも、言われてみれば「朝っぱらから疲れてないよ~」と言いたくなる言葉ですね。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
私自身は、「お疲れさまです」の汎用は、何となく、バブルがはじけてからの、社会一般の疲弊感を表している挨拶ではないかと思っておりました。
同級生が、1993年に数年の海外出張から帰って、社内で「お疲れさまです」と交わし合っているのに、強い違和感を覚えたと言っていたことからもそのように思った次第です。
しかし、既に1985年に、時間を問わず、他店や本店との電話に「まくらのように」使われていたというのは、意外でもあり、貴重な証言でもあります。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2009/01/02 02:49

#8です。



言葉の問題は、個人差も大きいので、あまり自分で定義してしまうべきでないと思います。例えば「目上の人をねぎらうのは失礼」という意見を多く聞きますが、私は、仮に目下の人から「ねぎらい」の言葉をかけられたら、とても嬉しく感じます。日ごろの人間関係がよければ、言葉遣いは、多少はどうでもいいように思います。

勤務したのは1950年代から1990年代までです。初期の記憶ははっきりしませんが、60年代には、目上の人に「お疲れ様」という習慣は、かなりあったと思います。ただし、朝、顔を合わせたときに「お疲れさま」という習慣は、ほとんど体験していません。

4つの企業を見て来て、大きく「差」を感じました。ある企業では「上下の関係」は常にピリピリしていましたし、ある企業では、新入社員が部長を「さん」付けで呼ぶのが当たり前でした。
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この回答へのお礼

 再度のご回答ありがとうございました。ishiwara様の職場では、1960年代から目上の人に「お疲れさま」でしたという慣習はあったけれども、現今しばしば見られるような、「疲れをいたわる」ということと無関係な、例えば廊下ですれ違うときなどの、「お早うございます」や「今日は」と同じようなレベルでの「お疲れさまです」は、90年代にも経験なさらなかった、と解釈してもよろしいでしょうか。それとも、「お疲れさま」と言い合うことを経験なさらなかったのは「朝」に限定でしょうか。
 目上をいたわることの是非ですが、いたわられる立場としては、「無礼だ」と怒るより、「嬉しい」と喜べる方が幸せだと思いますが、違和感を覚える、バカにされたような気がする、という感想を聞くこともあり、いたわる立場に立てば、難しいところだと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/03 01:05

#6です。



ご丁寧なお礼のお言葉ありがとうございました。

> その点、実は「ご機嫌よう」「ご機嫌よろしゅう」は、ポジティブでいいのではないかと思いますが、学習院かお嬢さん学校のあいさつ言葉、というイメージが定着しすぎてしまって、大人の男の方が使うのには抵抗感があるかも知れません。しかし、虚心坦懐に考えれば、「ご機嫌よう」はなかなかいい挨拶だと思うのですが、いかがでしょうか。

「ご機嫌よう」については、おそらく元の意味を辿れば非常に良い挨拶なのではないかと想像しますが、私は別れのあいさつ、英語で言うと"Good luck!"のイメージを持っていて、日常的、昼日中に交わす挨拶の言葉としてはどうしても捉えられないのが正直なところです。

それとも、lamei2009さんは帰り際に交わす挨拶のことをおっしゃっているのでしょうか?

Web検索しても、文章の結びの言葉、別れ際の挨拶の言葉としての説明しか見当たりませんでした。
また何か機会がありましたら、そのあたりご教授戴けると幸いです。
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この回答へのお礼

ご質問ありがとうございます。Gooに搭載されている『大辞林』第2版には「ごきげんよう」の項に以下のように記されております。
 
「よう」は形容詞「よい」の連用形の音便〕会ったときや別れると きに、相手の健康を祈り祝う意をこめて言う挨拶(あいさつ)の言葉。

広辞苑にも

人と出会った時または別れる時に、健康を祝しまた祈っていう挨拶のことば

とあります。
ですので、別れの挨拶としてだけではなく、出会いの挨拶としても使うことができます。ちなみに、関東国際高校という学校では、生徒教員を問わず、出会いの挨拶も別れの挨拶も「ご機嫌よう」で統一しているそうです。
ありがとうございました。ご機嫌よろしゅう。

お礼日時:2009/01/02 22:59

東京圏で、40年間に4つの企業で働きましたが、企業による違いはありませんでした。

「お疲れ様」という言葉に違和感を持ったことはありません。

この語を、朝とか仕事前に使った経験は、ほとんどありません。ただし、お互いに、特別な場所や、特別な時刻に出勤したときなどには、最初に使うことはあります。また、これから遠地へ出張する人に対して使ったことはあります。

仕事が済んだときや、帰宅するときには「ご苦労様」「お疲れ様」がふつうですが、上司に対して「ご苦労様」はほとんどありませんでした。
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この回答へのお礼

ご回答いただきまして、ありがとうございました。
4つの企業でお仕事なさって、そのどこでも「お疲れ様」という挨拶を使っていらっしゃり、しかしそれは昨今多用されている「今日は」のような「お疲れさま」ではなく、お仕事の後や遠隔地へ出張に行く人に対してお使いになったわけですね。
1975年頃川崎市での私自身の経験ですが、上司が難しい出張から帰ってきたとき、本当に大変だったと思い、「ご苦労様でございました」と言いたかったのですが、上司を「ご苦労様」とねぎらっていいものか、いうためらいがあり、結局頭を下げただけで何も言えなかったことがありました。その当時は、「お疲れさま」という挨拶は一般的ではなかったと思うのです。もし「お疲れさまでした」という挨拶なら目上の人にしてもいい、ということを知っていたなら、そう言ったと思います。(実は、「お疲れさまです」であれなんであれ、目上の人をねぎらう、と言うこと自体が僭越なことだ、という感覚もありますが)。
今は小学生でも、文化祭の準備など、疲れる仕事をした後は「お疲れさまでした」と言って解散する、という話を聞きましたが、1950年代・60年代私の学校時代は、掃除などの仕事の後には「ご苦労さんでした」「別れ」と言って終わり、解散していました。
それで、もしおよろしければ、東京圏の最初の企業にお勤めになったのは、いつころかお教えいただければ、ありがたいのですが、いかがでしょうか。

お礼日時:2009/01/02 22:06

 おまけです。



 佐賀県唐津のある工場では、すれ違いざまに「こんにちは」と挨拶する習慣があります。これはこれで不便なものです。「こんにちは」は、その日出会う一回目しか使えない、という概念が私にはあるからです。何度も言わされるなら「押忍」と挨拶させてもらったほうが気が楽です。しかし彼らにすれば、廊下を往復する3分の間に「こんにちは」を繰り返すことも平気なのかもしれません。万事は慣れです。いずれにせよ大きな職場では相手がどこの誰であるかを知らなくても使える挨拶が必要です。

 「こんにちは」 (Today is)という奇怪な挨拶を初めて受けた人は不愉快だったでしょう。「今日はなんなんだよ!」てところです。私が「あけおめ」というメールにイライラさせられることと同じです。「あけおめ」と「こんにちは」は違う、などと言うなかれ。「素敵」「エッチ」という言葉をはじめ、日本語は実にふざけた動機で進化してきました。

 しかし、「こんにちはご機嫌もうるわしく」とか、「こんにちはお日柄もよろしく」などと正しく挨拶するべきだ、と言ったところで始まりません。挨拶は符牒ですから、それが挨拶であると相手にわかればそれでたくさんなわけです。「おつかれさま」「こんにちは」「ごきげんよう」。どれであっても、互いの尻を嗅ぎあう犬の挨拶と、効能としては変わりません。ただその挨拶に不慣れな人は、別の意味を適用してしまい気分が悪いだけです。万事は慣れです。
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この回答へのお礼

おまけありがとうございました。「お早うございます」にせよ「今日は」にせよ「お疲れさまです」にせよ、このような出会いの挨拶は、同じ人と一日に何度も交わすことには不自然さがあるのではないでしょうか。何度も出会うような場合には「会釈」という挨拶のしかたこそがふさわしいと思うのですが、この頃の職場では、3分前に会った人にも再度会えば「お疲れさまです!」と言うようにと、何が何でも声を出すことを指導するのでしょうか。…。
さて、「今日は」が昼の挨拶として使われるに至った経緯については、すみません、私自身まだよく分かっていないのですが、「あけおめ」とは少し違うように思います。違いは「あけおめ」が流行させようとして故意に作られた省略語だという点です。威儀を正してしかるべきお正月に、誰かが私に「あけおめことよろ」等と言えば私も嫌悪感を覚えるでしょう。しかし今でも一種の若者言葉で、若者同士(或いは若者だと自己認識している人々)の間ではよく使っているのかも知れませんが、若者でも私に「あけおめ」とメールをくれる人はいません。それは挨拶が「符帳」であるとともに、それ以上の敬意や近親感などの含意を持つものであり、若者は私に「あけおめ」を使える仲間としての近親感を持たない一方、それが敬意に欠ける表現だと言うことを知っているからだと思うのです。
「挨拶」は、慣れだ、という御説には、無論賛成いたします。とはいえ、私自身は、仕事が終わった後でもないのに「お疲れさまです」と言ったり、朝でもないのに「お早うございます」と言ったりすることには慣れることができず、慣れることができないことを以て、よしとしております。

お礼日時:2009/01/02 16:05

はじめまして



lamei2009さんのご研究の参考にはまったくなりませんが、私の会社では昨年から声掛け運動をスタートしました。
廊下で人とすれ違ったら、相手が誰であろうと「お疲れさまです」と声をかける、退社時には「お先に失礼します」、それに対して「お疲れさまです(お疲れさまでした)」と声をかける などです。
このことは、職場に来ている派遣社員の人たちはもちろん、請負で来ている(作業場所を提供しているケース)人たちにも協力を呼びかけて実施しています。

当り前のことですが、それまでは挨拶しても返事を返さない、躾のできていない人が結構多かったためです。(お恥ずかしい話です)

まだ十分に定着していませんが、これが定着すれば、明るい会社のイメージ作り、職場の活性化にも寄与するのではないかと思います。

もちろん、lamei2009さんご自身や、他の方も書かれているように「お疲れさま」の言葉が最適だとは私も考えていません。
場面に応じて適切な挨拶を使い分けするのがビジネスマンのあるべき姿であると思いますし、「こんにちは!」でもいいのではないかと思いますが、まあ目下の人間に対して使う「ご苦労さま」よりはマシかなと思っています。
それに少々不適切でも、言葉が統一されているほうが規律がとれている印象を受けて良いのではないかと思っています。

でも、#1さんのように不快感を感じられる方もいらっしゃるということは考慮しておかないといけないですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。私も、常時職場で交わされる「お疲れさまです」は、或いは職場での声掛け運動のような中から出てきたのではないかとも思っておりました。それは、OK2009さんへのお礼にも書きましたように、入社と共に新人教育で外の人には「お世話になっております」内の人には「お疲れさまです」と言うように教えられた、という話を聞いたことがあるからでもあります。私がよく行く銀行の支店長さんは、「とにかく声を出せ」と指導しているともおっしゃっていました。
私はその声掛け運動はバブル期かバブルの崩壊期と関係していると思っていましたが、今、SayHelloTUさんのご回答を拝読して、家庭や学校での躾力の低下、つまりろくろく挨拶もできない新入社員が出てきた、ということとも関係しているということに、あらためて気づきました。その意味で、とても参考になりました。ありがとうございました。
さて、その際、声を掛け合う言葉として「お疲れさまです」が選ばれるのは、朝の「お早うございます」はいいとして、それ以外の時間に「今日は」と言い合うのは、少し職場の挨拶としてなじまない、ということもあるかも知れません。
「今日は」がなじまない理由は二つあって、一つは「今日は」は、(家族間では交わさない挨拶であるように)身内の人(社内の人)に対する挨拶としてはふさわしくない、という点、もう一つは、「今日は」は、例えば「今日は結構なお日和でございます」のような挨拶の縮約形であり、途中を飛ばして、「今日は、ございます」のように「です」「ございます」という丁寧形語尾を付けることができないので、目上の人に対して敬意を表すことができない、という点からだと思います。
けれども「お疲れさまです」は、労いの言葉ではありますが、逆にやる気で仕事を始めようとするときには志気をそぐような言葉でもあり、最適の言葉とはいいがたいと思います。
その点、実は「ご機嫌よう」「ご機嫌よろしゅう」は、ポジティブでいいのではないかと思いますが、学習院かお嬢さん学校のあいさつ言葉、というイメージが定着しすぎてしまって、大人の男の方が使うのには抵抗感があるかも知れません。しかし、虚心坦懐に考えれば、「ご機嫌よう」はなかなかいい挨拶だと思うのですが、いかがでしょうか。

お礼日時:2009/01/02 15:07

 鹿児島語の「お疲れ様」は鹿児島のほとんど唯一の挨拶言葉「おやっとさぁ」の日本語訳ですから、それを含めると鹿児島ではいつからと言えない永い歴史があります。

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この回答へのお礼

お教え下さいまして、ありがとうございました。なるほどそうなんですか。納得いたしました。

お礼日時:2009/01/02 15:13

なかなか面白いご研究をなさっておいでですね。


地方によっては違和感がない、というお話も参考になります。

私も間の悪さから、ついそんな挨拶をしてしまったことはありますが、
OK2009さんほかのご意見を拝見してみれば
確かに生半可な挨拶になりえますので、今ちょっと反省しています。

雑感でしかありませんが、80年代という着眼点には
どこか頷けるものがあります。疲弊感というよりも、それ以前は
職場での上下関係を「しつけ」的なものとする共通の理解があったので
無理に言葉をあてがわなくても、「会釈」でまかなえたのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。随分早くお目覚めになるのですね。
「間の悪さから…」といえば、男の方で、喫煙室やお手洗いで顔見知りの人と出会ったとき、「お疲れさまです」はとてもぴったりとした言葉だ、と言ってくれた人がいます。なるほど、会釈だけでは冷たいし、元気のいい挨拶を交わすような所でもないし、「お疲れさまです」はほどよい挨拶なのでしょうね…、と想像し、微笑を禁じ得ませんでした。
私の前の職場でも、躾られたわけではありませんが、朝一番に会ったとき以外は会釈を交わしており、それが自然でした。
しかし、声を出して挨拶することが志気に通じる、という考えからこのような挨拶が発声されるようになったのではないかと思います。そして、それは「イケイケ」のバブル期か、バブルがはじけて元気が無くなった時期かと思った次第です。「お疲れさまです」という語感からして、むしろバブルがはじけて疲弊感が漂っていた頃か、とも思っていたのですが、すでに1985年に使われていたというSamantabhaさんからのご証言もあり、考え直しているところです。ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/02 13:55

 時代よりも地域によります。

「お疲れ様」は鹿児島では昔から汎用の挨拶で、朝職場で会ったときにも使うことができます。長崎から鹿児島に来た友人はこれには非常にイライラさせられたのだそうです。鹿児島では誰も「お疲れ様」と挨拶されることを奇異に思わないのです。香川では「なんができよん?」と挨拶代わりに話しかけられることがよくあり、鹿児島出身の私はそのたびに現在自分が何を作っているかを詳細に説明していましたが、これも挨拶みたいなものだからだから深く考えなくても良いのだと言われました。

 挨拶に意味がないのは元来そうなので「こんにちは」と言われても、こんにちはどうなのか、暑いのか寒いのか、などと考えるのは無意味なことで、「さようなら」と言われても、左様ならどうするのか・・・。「こんにちは」「さようなら」と言う挨拶を品の悪いものとして避けるお上品な人たちも居るのです。挨拶とは元々符牒に過ぎません。万事は慣れに過ぎません。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。なるほど、地域性ということも確かにありますね。鹿児島では、朝からでもごく自然に「お疲れさま」と言うわけですね。私は「お疲れさまです」が単なる挨拶として使われだしたのは、1980年代後半からではないかと漠然と思っているのですが、しかし鹿児島では「お疲れさまです」は、1980年代以来、というような新しい挨拶ではなくもっと以前から何十年も使われていた…ということなのでしょうか。お教えいただければ幸いです。

お礼日時:2009/01/02 02:31

昔のことはわかりません。


現在のお疲れ様の使い方には不快を感じます。
朝、職場に行き、机上にメモがあり、そのはじめに「お疲れ様です。・・・・」とありました。
朝からお疲れ様に大変疑問が出て、その言葉の意味の無さに不快を感じました。
遊びの帰りにもお疲れ様をよく聞きます。その言葉を聞くと、嫌なら来るなと言う気持ちになります。もっとも相手はそういうつもりではないことはわかっていますが。
いずれにしても、気持ちのこもっていない「お疲れ様」であり、私はとても嫌いな言葉です。質問に同意で、常に私も意識しています。
ちなみに私も、上の例では「おはようございます」と「ありがとう」を用います。
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この回答へのお礼

早速のご回答、ありがとうございました。
ある職場では、新人研修の時、社外の人には「いつもお世話になっております」社内の人には「お疲れさまです」と挨拶するようにと教育されている、とのことです。
何か挨拶を交わしたくはあるものの、部内者への挨拶としては「お早うございます」以外では適当な挨拶がない、しかし「お早うございます」は朝、もしくはその日の最初に出会ったときしかしか使いにくい、というような事情もあって「お疲れさま」が使われだした、とも考えられます。
いずれにせよ、一仕事終わったとき、またはちょっと大変な仕事をしているとき、あるいは退社時以外にはあまり聞きたくないし、絶対に言いたくない挨拶ではありますが、同じお気持ちの方もいらっしゃると知って、心強く思いました。

お礼日時:2009/01/02 03:01

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