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先日、このQ&Aで以下のような質問をしました。
Q 鶏の雛は孵化してからすぐに自分で餌をついばむが、ツバメの雛は巣の中で親が餌をくれるのを待っている。
  この違いを専門用語でなんと言いますか?
  またどちらがより進化した生物ですか?
A 早成性、晩生性、または離巣性・留巣性とも言う。
  赤裸で生まれる晩成性は新しい生き方なのでしょう。

ここでまた疑問がわきました。
 誕生した後、成長するために親の負担が少なく、すぐに自立歩行したり、自分で餌をとったり、外敵が襲ってきても可能な限り自分で逃げることが出来る生物ほど、原始に近い生物であり、
 逆に誕生した後も親から餌をもらったり、自立歩行・自立行動が出来ず巣や棲家の中に庇護されて外敵から守ってもらったりする期間(子育て期間とでも言うべきか)が長ければ長いほど進化した生物、ということになります。

 動物紹介の番組などではよく次のような説明がなされます。
「草食獣は生まれてすぐに自立歩行する。野生の草食獣は肉食獣に襲われたとき、自分の足で逃げる以外の方法がないからだ。
 肉食獣は生まれた後、親に守られながら生長期間を過ごす。野生獣の食物連鎖の頂点に位置する彼らは外敵が少ないので親が外敵から守ってやることが出来るからだ。」

しかし「進化」という言葉の捕らえ方の問題になるかもしれませんが、「親に近い状態」で誕生する生物が原始に近い生物であり、「未熟な状態」で誕生するというのであれば逆だと思うのですが。

未完全な状態で生まれて、親の手を煩わせて子育てさせて、死亡率の高い乳幼児期間を母体(あるいは卵)の外で過ごすのであれば、これは「進化した生物」とは言えないのでは?
 子育て期間は親は子に懸かりっきりになってしまい、自分のことは後回しです。下手すれば親子共倒れになります。

むしろ「進化した生物」であれば、細菌の細胞分裂のように、親とそっくりのコピー状態で生まれてきてもおかしくないと思いますが。

なぜ未完全な状態で生まれてくる生物ほど「進化した生物」なのでしょうか?

A 回答 (14件中1~10件)

 少なくとも生物学上の「進化」という言葉は、ある一定の方向性を持った「改善」であるという意味はありません。

それどころか「改善」という意味すら含みません。
 「進化」の定義は生物学でもその分野によって微妙に異なるのですが、分子生物学では遺伝子上の塩基配列が1つでも異なれば、例えそれが実際の形質に何の影響も与えなくても、それどころかコードするアミノ酸に変化をもたらさなくても、それを「進化」と呼びます。
 もっとマクロ的な生物学では、「ある遺伝子集団内での遺伝子頻度の変化」をもって進化と呼びます。古生物学などでは、形態に変化をもたらさないと「進化」とは呼びません。まあ古生物学では形態以外に生物を測るパラメータがないからでもありますが。
 でもこれらは決して無関係なのではなく、中立進化論などが分子生物学的な「進化」と進化論を強力に結びつけたりしています。

 それと誤解されているのは、現世の生物で「進化のヒエラルキー」があるわけではないという点です。つまりヒトはサルよりも進化した生物である、というのは生物学的には間違いです。
 全ての生物の共通祖先は1つですから、現在地球上に存在する全ての生物は、その共通祖先から「等しい時間」をかけて進化を続けてきて現在に至っているわけです。つまり全ての現生生物はみな現時点で「進化の頂点」にいる生物です。
 ただ、今も海に住んでいる魚類とヒトでは、同じ40億年の間に重ねた「変化の量」は異なりますから、魚類の方がより「遙か昔の古生物の面影を残している」ということは言えるでしょうけど。

 つまりそれぞれの生物は、自らの生息する環境や生き方によって、最適な形質を進化によって獲得してきたわけです。全てが進化の頂点なのです。

 ただ、胎生は卵生のモデルチェンジですから「ほ乳類の方が魚類より進化した生物だ」というのは、別に間違いではありません。
 ある特定の形質に着目すると、現生生物でも最も原始的な形態から"当面の完成形"と言える形態への一連のモデルは追跡できたりします。
 例えば「眼」ですが、これはヒトが最も"進化した"眼を持っているわけではなく、ヒトよりもっと優れた眼を持っている動物はいくらでもいるわけです。ですがとりあえずヒトのような「レンズを持っていてピント合わせと絞りの調節ができるため、距離と明るさに拘わらずたいていの対象物をしっかりと見ることができる」という眼を「当面の完成品」とすると、眼がない生物から感光点を持っているだけの生物、その感光点がくぼんでいるためある程度の方向感知能を持った生物、くぼみが深まり「ピンホールカメラ」のようになった生物(このあたりから"像"を認識できる)、ピンホールにレンズが付いた生物、そのレンズを筋肉で動かすことができ"ピント調節機能"を獲得した生物・・・というような「眼に関する一連の進化」を再現しているような生物がいます。

 で、問題は「出生する子供の成熟度」に、そのような「一連の進化の方向性」があるかどうかです。
 結論から言うと「ない」というのが正解でしょう。

 「眼」の場合は、外界を視覚によって認識するための必要要件というものがあって、それを全て満たす形態が「当面の完成形」であり、それに至る進化の過程というのがあるのですが、繁殖形態に関しては「子供を体内である程度まで育ててから外界に出す」ための「子宮」という臓器そのものが「とりあえずの完成形」なのです。
 もちろんその子宮にもいろいろなバリエーションがあるのですが、それらは必ずしも一連の進化の跡を追えるようなものではありません。
 つまりヒトの子宮が「最も進化した子宮」であるとは必ずしも言えません。ヒトの子宮は複数の子を育てるのには向いていないのですが、それならば時には20匹もの子供を育てられる豚の子宮が「最も進化した」子宮でしょうか?
 そうではないですよね。子供の数はそれぞれの動物種の「都合」で決まるものですから、ヒトが20人の子を持てる子宮を手に入れる必要はないわけです。

 子供をどの段階まで育ててから外界に出すか、というのも、子供の数と同じく「その動物種の都合で決まる」些細なパラメータのひとつに過ぎません。

 一般的に、草食動物は被補食動物ですから、自力で行動できない子供は補食される危険性が飛躍的に高まります。なので「生まれ落ちてすぐ自力で歩いたり走ったりできる」子供が有利です。
 そういう制約がなければ、子供はある程度未熟状態でさっさと出してしまった方が母胎への負担が軽くなるので有利になるわけです。

 そういう一般論で片づかないケースも数多くあるでしょう。

 ヒトも一般論では片づかない生物のようです。
 少なくとも類人猿から分岐したばかりのヒトは、生息していたアフリカのサバンナでは完全な「被補食動物」でした。ですから一般論的に言うと「子供を大きくしてから産む」方が有利だったはずです。
 しかしヒトは身体能力や牙などの形態ではなく、知能を発達させることによって環境に汎用的に対応できる方向に進化し始めました。
 すると脳容積が増えて頭が大きくなりますから、分娩にたいへんな負担がかかるようになります。
 またヒトは直立歩行を獲得したのですが、そうすると骨盤が締まるのでなおさら大きな子を産むのは難しくなります。
 つまりヒトは「未熟児で産まざるを得なかった」のです。
 ヒトは生後1年も独力で立つことすらままならないという「超未熟児」を産む割に、出産時の母体の負担は全ほ乳類中でも最大クラスですから、これがいわばギリギリの妥協点だったわけです。

 クマは冬眠中に出産します。だいたい2月くらいです。
 交尾するのは冬眠が明けて間がない5~6月頃です。すると妊娠期間は8~9ヶ月ということになり、ヒトや牛と変わらない妊娠期間なのですが、生まれてくるのは数百グラムという超未熟児です。(だからといってクマの方がヒトより「進化した」動物というわけがないですよね?)
 これはどういうことかというと、春に交尾して受精した受精卵は、すぐに着床せずに子宮の中で発育を止めたまま浮いた状態になっているのです。実際に受精卵が着床するのは冬眠に入る頃です。半年くらい子宮の中で遊んでいることになります。

 これは、秋は冬眠に備えて食い込まなければならない時期ですから、この時期に交尾も出産もするわけにはいかないわけです。
 かといって冬眠中に3kg(標準的な親と子の体重差だとこのくらいになる)の子を産んでしまったら、エサがないから冬眠しているわけですから、その子らはのきなみ飢え死にしてしまいます。
 とすると、進化の戦略上は「交尾は春にして、冬眠中に超未熟児で産む」というのが確かにベストですよね。
 また、秋まで受精卵を「保留」しておければ、食べ物が不作で冬眠までに十分食い込むことができなかった場合は、その受精卵を「破棄」してしまえば良いわけです。食えなかったのに妊娠が継続して出産してしまうと、親子共々飢え死にしてしまうリスクが高いですから。

 というように、どのくらいの大きさの子をいつ産むか、というのは、それぞれの動物種の「都合」で決まるものです。決して「進化した動物ほど未熟児で産む」などの単純な方向性があるものではないのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
誕生したときの成熟度と生物の進化とは直接関係がないことがよくわかりました。

お礼日時:2009/01/10 16:04

 Jagar39です。



 私も蝶やハエのサナギを何度か割ってみたことがあります。幼虫の身体を1回融かしてドロドロの状態からもう一度成虫の身体を組み立て直しているわけですよね。
 これはある意味、人間なんかより遙かに「複雑に」進化した生物、と言えないでしょうか。どうしても「複雑に」とか「高度に」進化した、という言葉を使いたければ、その形容は人類よりも昆虫の方が相応しいのでは、と思います。
 まあ種の数も個体数も"動物界"の中では昆虫がダントツに多いですから、「地球上の生物の覇者は昆虫」とは言えるかもしれません。

 イタチは鶏小屋には好んで侵入します。養鶏場にもよく侵入していくつかのケージの数十羽を皆殺しにして1羽だけ食べて帰る、という話はよく聞きます。
 私が見た鶏小屋の惨劇は、小屋の中で鶏は放し飼いになってましたから、イタチにすればまず皆殺しにしておかないと騒がしくて食事もゆっくりできないなど、後付でそれなりの理由が考えられないこともないのですが、養鶏場での話は鶏はケージに入っているのでまるで抵抗不可能な状態です。騒ぐといっても、イタチが鶏舎に入った時点で数万羽の鶏が騒ぎ出し(もちろん最初に騒ぐのはイタチを発見した鶏だが、瞬時に傾斜全体にパニックが伝染する)、それこそハチの巣をつついたような大騒ぎになっています。
 その中で、自分が食べる1羽だけでなくケージをいくつか、10羽から20羽程度の鶏を"皆殺し"にしている例が多いです。
 これはネコもよくやりますね。ネコはイタチほど殺しの"手際"が良くないので、せいぜい2~3羽ですが。イタチは頸椎を一撃でへし折るという、見事な手際の良さです。ちょっと惚れ惚れするくらい鮮やかです。ありなら短時間に10羽や20羽は軽く皆殺しにできるでしょう。

 動物には狩猟本能というか、攻撃性は本能として普遍的に持っているのでしょう。
 少なくとも「自分が食べるためにやむなく殺す」のではないように思います。その殺しそのものに快感を感じているのでしょう。
 私達も「生きるために仕方なく食べている」のではありませんし、「子孫を残すために仕方なくセックスをしている」のでもありませんよね。生存や繁殖のために必要なことは、そのこと自体に快感を覚えるようになっているのです。

 ライオンはあまり狩りが上手くない動物です。大型ネコ科の動物の中では唯一、群れを作って集団で狩りをする動物なのですが、それでも成功率は低いです。
 ですから、
>「ライオンは必要以上にシマウマを食べない」
 というより、必要以上にシマウマを捕れない、のです。どうかすると必要な分すら獲れなかったりします。
 バラエティー番組の、しかも生物学に関しては明らかに素人の司会者が言うことを真に受ける方も軽率と言われても仕方ないですが、きちんとしたドキュメンタリー番組などでは、何日も獲物が獲れず、何度狩りを仕掛けても失敗し、群れ全体が餓死寸前まで追い込まれるような姿が放映されることもよくあります。下手なドラマより見ていてハラハラします。

 ネコが食べもしないネズミをいたぶって殺すことは、ネコを飼ったことがある人の多くは見たことがあるでしょう。これも狩りそのものを楽しんでいることは明らかです。

 チンパンジーについては、コミュニティ内での子殺しは日常的に見られますし、ボスの座を巡る裏切り、裏取引、暗殺などの行動は"人間そっくり"です。
 それでも、コミュニティ内の殺しは「コミュニティ外の個体の殺し」ほど残虐ではない、と言いますから、チンパンジーでもコミュニティ内ではある程度「抑止」されているのでしょう。
 コミュニティ外(つまり隣のコミュニティ)の個体に対する残虐性は非常に凄惨なものがあるそうです。コミュニティが全滅することもよくあるそうですし。

 人類は進化の過程で、この攻撃性については上手く抑止してきたのでしょう。でないと、ムラという小さなコミュニティが集まってやがては「国家」になる、というコミュニティの入れ子構造による社会は作れません。大きな社会が作れなければ文明も成立しなかったでしょう。

 まあなんにしても、興味がおありでしたらこんなサイトやバラエティ番組だけでなく、きちんとした本を読んで勉強された方が良いでしょうね。
 類人猿については良書が多くありますが、とりあえずは
「あなたのなかのサル(フランス・ドゥ・ヴァール)」早川書房
あたりをお奨めします。私がここで引用したような「闇の部分」だけが書かれているわけではありませんので、安心して読んで下さい。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
ご紹介の本は早速図書館で捜して読んでみます。
わ●わ●動物ラ●ドの件は司会者に関●宏を起用したT●Sのせいにしておきます。 (^^;)
イタチの被害は大変ですね。今後被害にあわれないように無事をお祈りします。

お礼日時:2009/01/11 12:58

No.12



私がお話している抑止力は相対評価であり、絶対評価の話ではないですよ

ですので今現在世界中で紛争が起こっている事が人間に抑止力がない証明にはなりません。
あくまで人間以外の他者と比較してどうかです。

そもそも生物の残虐性、攻撃性は普遍的に見られるもので

人間もまたしかりでそれを否定するものではありません。

ただ、他種生物と比較して高度文明が発達している事は

人間の抑止力のひとつの証明になるという考えです。

神と比較しての絶対評価ではなく、地上界にいる生物としての話です。

これ以上は答えのない話に突入しますから哲学の領域ですかね
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
よくわかりました。
われわれ人類が、抑止力を最大限発揮して互いに殺しあうことがないようにすることは無理ですかね。

お礼日時:2009/01/11 12:47

もうすでに良い回答がでていますね。



生物学には『退化』という概念がありません。
変化すれば、進化ですね。悪い変化であってもです。

なので人間などの哺乳類がもっとも進化したとはいえないですね。

人間は『機能が高等化した』動物ではあります。

何故だか理由はわかりませんが、生物は遺伝子の運搬ゲームを
行っています。
アメーバのようにコストが安いのでたくさん作れるが
壊れやすい乗り物で遺伝子を運ぶか
人間のように高機能だが高コストでたくさん作れない乗り物で
遺伝子を運ぶか
両者はあくまで戦略の違いでしかありません。

審判の日までどちらの戦略が正しかったのはわかりません。

人間だけの話に限局すれば、高機能で高性能コンピューター搭載の
乗り物で遺伝子を運ぶことを選択しました。
そのため頭が大きく、ある程度未熟な段階でないと産道が通れません。
高機能の生物すべてに当てはまる理由ではないのですが人間に
関してはそれが理由といわれています。

なぜ、人間は残虐なのか。。なぜ足るを知らないのか。
これは人間に限らないでしょう。
熊は産卵のため川登りをしてくるサケを狙って食べますが
その際、おいしい卵の部分だけを食べ、後は捨てます。
それを一回の食事に数百匹繰り返します。
まるで人間のような無駄ですね。
動物であっても恵まれた環境にいる場合いくらでも足るを知らない
傍若無人な振る舞いをします。

またシャチは遊びの狩りをします。
イルカなどを狙い、ボールのように複数で投げあい悲鳴を楽しみます。
それを朝から晩まで飽きるまで続け、捕食はしません。
成体の行為なので狩の練習というわけでもありません。

またJagar39さんも言われていますがチンパンジーは群れのリーダー
の座の取り合いなどで、相手の寝ている時に襲う闇討ちや複数で
相手を殺す行為を日常で行っています。

人間の残虐性は否定できないものですが
他の動物と比較してこれほどの高度な文明を築けているという
ということは、それだけ抑止する力も強いのだと私も思いますよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
>人間の残虐性は否定できないものですが
他の動物と比較してこれほどの高度な文明を築けているという
ということは、それだけ抑止する力も強いのだと私も思いますよ。

今この瞬間でも世界のあちこちで戦争は起こっています。
抑止力というのは本当に効いているのでしょうか?
戦争のない国でも、見えないところで悪いことする奴らはたくさんいますけどね。
またその悪い奴の尻馬に乗っかって甘い汁を吸う奴らはもっとたくさんいます。
経済の戦争は目の前の人間が血を流すわけではないので強者はやりたいホーダイですね。

お礼日時:2009/01/11 09:24

 Jagar39です。


 そもそも「進化のステージ」はどの生物でも同じ、という前提に立てば、質問をどのように言い換えても「そんな現象はありません」という回答しかありません。

 ヒトの赤ん坊が未成熟児なのは確かですが、それを持ち出してくること自体、「ヒトが最も(複雑に?)進化した動物」という誤った認識が前提になってますよね。
 ではカンガルーなどの有袋類はいかなる哺乳類とも比較にならないくらいの「未熟児」を産みますが、有袋類は哺乳類より「複雑に進化した」動物なのでしょうか。
 それどころか複雑といえば両生類のように幼生期と成体期で呼吸方法が異なる生物や、一生の間に何度も身体の造りや生理機能までをごっそりと作り替える昆虫の方がよほど「複雑」ではないでしょうかね?
 親の形態が「完成形」だとすれば、昆虫ほど「未完全な状態」で生まれてくる生物は、脊椎動物の中にはいませんよ。

 複雑という観点では、それこそ哺乳類であれば人類もカバもネズミもたいした違いはありません。妊娠期間の長短はほぼ「身体の大きさ」に比例しています。別に複雑な動物が個体発生に時間がかかるわけではありません。ああ、少なくとも人間よりは牛の方が「複雑」ですね。胃を4つも持っているから。
 染色体数や遺伝子の塩基配列は、その全てが遺伝子として機能を持っているわけではないので単純に数や長さで比較はできないのですが、これもヒトが「最も多くの遺伝子」を持っているわけではないです。牛の方がゲノムの全長も長いし。

 まあとりあえず、生物学を学ぶ時は「人類が最も進化した生物」などという固定観念は取っ払ってみてください。

 あ、それと「人類だけが薄汚い動物」というのも、取っ払った方が良い固定観念ですね。
 共食いや子殺しは非常に多くの動物種で確認されています(チンパンジーの子殺しはかなり陰惨)。まあチンパンジーは最もヒトと近い動物なのでやることも似ているのですが、群の権力争いなどもほぼ「人間と同じ」ことをやっているといって過言ではありません。
 イルカも非常に凄惨なリンチをしますし、食べもしないのに遊びでネズミをいたぶり殺すネコも、飼ったことがある人はけっこう見ているでしょう。
 私は鶏小屋にイタチが侵入した跡を見たことがありますが、10羽ほどいる鶏を皆殺しにして、その中の1羽だけの、それも胸肉(いわゆる"ササミ"ですね)だけを食べて、ウンコして去っていました。

 「攻撃性」はどんな動物にも見られます。草食動物にだって激しい攻撃性はあります。牛だって闘牛をさせるくらい激しい攻撃性を持っていますし、ゾウだって草食動物ですがかなり恐ろしい「猛獣」です。
 ゾウやチンパンジーのような社会性を持つ動物でも、その攻撃性は激しいものがあるのですが、人類は昔はもっと激しい攻撃性を持っていただろうと考えられています。最も近縁のチンパンジーがとびきり激しい攻撃性を持っているからですが。
 なので人類は自らの攻撃性をうまく抑制してきた、とは言えるでしょう。
 少なくとも仮にチンパンジーに人と同程度の「知能」を与えても、まず絶対に人類と同規模の「文明」は築けません。攻撃性が高すぎて、コミュニティがある一定以上の規模を越えて大きくならないからです。

 まあそういうわけで、ヒトだけが薄汚い動物、というような自虐的な生物観は持たない方が良いですよ。
 それどころか、生物学特に進化論を安易にイデオロギーや宗教と結びつけるのは非常に危険です。過去、人類はその手の過ちを嫌と言うほど繰り返しています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
昆虫について
小学生の頃カブトムシを飼っていて、誤ってサナギをつぶしてしまったことがあります。中身は血管でも筋肉でもない乳白色のどろどろしたものでした。薄気味悪いな、と思いましたが、後に図鑑で、「昆虫はサナギの時期に体内の構造を完全に作り変えてしまう」というような記述を見ました。あのどろどろしたものが言うなれば”体を全て分解した状態”なのでしょう。

攻撃性について
挙げていただいた事例、非常に驚きました。イタチの例は飼育舎にいる家畜を襲った場合の特殊事例ということはないのでしょうか?イタチは野生の状態なら獲物を一匹仕留めて、まだ他の獲物が狙える状態ということは考えにくい(一匹目がつかまった時点で他の獲物は逃げ去ってしまう)ので、鶏小屋に侵入した時、「獲れそうな獲物が目の前にいるから獲る」という状況と「獲った獲物を食らう」という状況と、どちらを優先するかという自然界では起こりえない初めての状況判断に迫られた。そして「獲れそうな獲物が目の前にいる限りはとにかく獲る方が優先」という判断を下し、逃げ場のない鶏小屋の鶏を全滅させた。
全滅させてから初めて我に返り、「あれ、俺何やってんだろ。獲るのは一羽で充分だったのに・・・」と思いながら、一羽だけ食べて満足して去っていった、と。
 もし、イタチが「鶏小屋内の10羽の鶏が、自分にとって必要な量」と認識して鶏小屋の鶏を全滅させたなら、殺した鶏を持ち去って巣の周辺に埋めて保存食にすると思いますが。
 それとも「ライオンは必要以上にシマウマを食べない」といったわ●わ●動物ラ●ドの関●宏が嘘をついていたのでしょうか?(ま、あの人の司会もいい加減だからな・・・)

進化論とイデオロギー
例としては「純粋なドイツ人は優良人種」と言ったヒトラーの政策のことですかね?
ま、そのうち日本のA首相も「派遣社員は劣等人種」なんて言い出しそうですねどね。

お礼日時:2009/01/11 09:08

確かに、、、ヒトの赤ちゃんは何もできないから、非常に未熟で親の手厚い保護が必要です。

魚やバクテリア、ばい菌は逆です。

進化の言葉の定義にもよるのですが、「なぜ未完全な状態で生まれてくる生物ほど「複雑に進化」した生物なのでしょうか? とすれば、これまでの回答の中にある批判を「ある程度」回避できるでしょう。

その修正された質問に答えるとすると、複雑な個体発生は単純に時間がかかるからです。進化論的に言うと、種の保存、自然淘汰に対する抵抗性は、非常に未熟で親の手厚い保護が必要であっても、非常に強いことがあるのです。

たとえば、ヒトは非常に未熟で親の手厚い保護が必要な子供を生みますが、親の手厚い保護によって、子供を強力に保護し、自然淘汰圧から守ります。そしてそれ以上に、子供を教育することによって、あたかも自然界の王のように、他の種をある程度自由にコントロールできるようになる訳です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/11 08:41

「どちらがより進化しているか」という設問には意味はないです。

現代に生きている生物はすべて生きている環境に適応した者だけが生き残っています。
生きている環境に応じて生き残れるような生まれ方をしない生物は子孫を残せないので、草食動物は生まれながらに逃げる能力を持っているだろうし、その必要がなければそういう能力がなくても生き残れるというだけのことです。どちらが進化しているかなど意味のない質問です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
現存している生物は現在の自然環境にもっとも適している生物、ということですね。

お礼日時:2009/01/11 08:25

 その通りではありますが、言葉を極めての自嘲し慨嘆は、何の役に益にもならないのではないでしょうか。



 一人の釈迦の出現が可能のためには何千人の釈迦以上の人、思想があったかを知ることが大事ではないでしょうか。
 現象として現れていることの背後、基底にはそれをはるかに超えた世界と存在があることに思いを致せるようになさることが重要かと愚慮します。

 世の預言者といわれる、ムハメッド、イエス、クリシュナ、などなども、基底や根底世界の、まことに限定された現象だと私は感じさせられております。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/11 08:24

 Jagar39再びです。


 前の鳥の質問も読んでみたのですが、私は鳥類の分類については素人なので前の質問の回答者さんが正しい回答をしているのかについては判断ができません。まあ文章の書き方などからは「ちゃんとした知識を持っている人」という印象は受けますが。
 なので結局、質問者さんの受け取り方と解釈に間違いの原因があるのでしょう。

 鳥の話では、地面の虫や植物をエサとするキジ類と飛んでいる虫をエサとするツバメでは、「エサを獲る」困難度に大きな差があります。
 飛んでいる昆虫を捕らえるには高度な飛翔能力と優れた空間認識能が最低でも必要で、それらを備えるには長い時間がかかるのは理屈で考えても判ります。
 だからといってキジよりツバメの方が「進化した鳥」、まあこの言葉は生物学上は正しくないので(この言葉を使うから誤解しやすくなる)、「後から出現した」鳥だということは正しそうです。(決して正しいと断言できないことは後述します)
 つまり、大昔に生きたキジとツバメの共通祖先から分岐して、キジとツバメに辿り着くのでは、ツバメの方が時間がかかり、後の時代になるでしょうから。

 でもそれは飛翔能力と空間認識能について「ツバメの方がキジより高度である」と言えるだけです。
 キジもツバメと同じ時間をかけて進化してきているわけですから、どちらが「進化した鳥」とは言えないわけです。そういう表現が誤解を招き、生物の正しい理解を妨げてしまうのでしょう。
 キジ類はツバメのような飛翔能力を獲得しなかった代わりに、何でも食える雑食性を進化させたわけですし。

 ツバメのように「飛んでいる虫」がエサと言うことになると、生まれたばかりの幼鳥では自分でエサを獲ることができません。親と同じくらい飛べるようにならなければ孵化しない、なんてことをすれば、親は卵を産むときに自分の身体全てを卵に移行させなければなりませんから、そのような進化は「繁殖の機会は1回のみ」ということになってしまい、かなり不利になってしまいます。
 で、どうせ自分でエサを取れないのなら、もっと未熟状態で孵化させた方が親の負担が小さくなるわけです。卵に移行させる栄養を少なくできますから。
 というわけで、ツバメはツバメの都合で、未熟な雛を産んでいるわけです。

 では先ほどの「鶏よりツバメの方が必ず新しいか」という点ですが、「鶏」であれば確実にツバメより新しいです。鶏なんて人間が作った種ですから。では、鶏の方がツバメより「進化」している?
 まあ要するに、新しければ「進化した種」ということはないのです。結局大元の全ての生物の共通祖先まで遡れば、現在の全ての生物は人間から大腸菌に至るまで、「進化」にかけた時間は同じですから。それぞれの生物はそれぞれの都合でそれぞれの形質を獲得してきたに過ぎないというわけです。

 肉食動物は草食動物という「被補食動物」の存在を前提としていますから、必然的に草食動物より「後」に出現します。
 でも、仮にAとBという草食動物がいて、それを補食するCという動物が後から出現したとします。
 そのうちBが絶滅してしまったとすると、おそらくその後、Cが占めていたニッチ(生態的地位)を埋めるために、Dという"新しい"草食動物が出現します。肉食動物より新しい草食動物が出現するわけです。

 生物は「食物連鎖の上の地位」を狙って進化するわけではありません。食物連鎖のどの位置だろうと、そこで「上手くやるため」に進化するのです。
 もちろんその食物連鎖のどこかを占める動物種が絶滅などで抜ければ、その空白は近くの地位を占めていた別の動物種が分化して占めることになるでしょう。なので「進化すれば食物連鎖の地位が上がる」のではありません。多くは変わりませんし、下がる(被捕食動物に進化する)場合すらあり得ないわけではないでしょう。

 産子の成熟度だけでなく、あらゆる生物の形質は同じように「単にその生物の都合でそうなっている」と解釈すべきでしょうね。
 先の回答で眼の進化の話を書きましたが、新しい眼を持っている動物は古い眼の動物より「進化した動物」と考えてしまうと誤解を生みます。
 古い眼の動物も新しい眼の動物も、同じ時間をかけて進化してきています。古い眼の動物は、それ以上の眼は必要なかったため、眼のモデルチェンジをやめただけなのです。

 知能もそうです。人類は知能を武器に生き残ってきた動物なので知能を進化させてきましたが、知能のもっと低い動物はそれで十分だったため、知能の進化にエネルギーを費やさなかっただけです。
 筋肉や眼や耳や鼻など、各パーツでいえば人類よりもっと高性能なものを持っている動物はいくらもいますし、人類はそれらのいくつかを「退化」させて現在に至っているわけですが、その「退化」もまた「進化」なのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
確かに人間より優れた身体能力を持つ動物はたくさんいますね。
しかしこれだけ高度な文明社会を形成したのは人間だけですね。
なぜこのようなことが出来たのでしょうか?
手先が器用で道具を使えるようになったことと、頭脳が発達したために身体能力だけでは出来ない(巨大重機を使って、ビルの建設、飛行機・自動車の設計・宇宙進出とか)目標設置とその達成ができるからでしょうか?

お礼日時:2009/01/11 08:21

 生物学のカテでのご質問は生物の進化の問題として、考察よりも知識のご回答となるのだということを切実に感じます。


 どの人間、誰が、どんな個人が成熟して死んでいっているでしょうか?
 今いる大人たちが人間として、存在として完成しているでしょうか?
 聖者、宗教的思想家。政治家。誰が大人でしょうか?
 この辺りの不思議、神秘はたくさんの回答者のいる哲学や宗教のカテでも、ご質問者のご回答には遠いでしょう。
 論や観念、理論の問題を越えた、造物主の意図、神秘の問題だということをご質問者とこの愚老も思考しております。
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございます。
 人間が進化した動物、というのは思い上がりかも知れませんね。
 ライオンは必要以上にシマウマを食べませんが、ルールなき自由主義の強者たちは必要以上に金を追い求め、その結果どんなにたくさん失業者という名の敗者(いやむしろ死者か?)が出てもまだまだ貪欲に利益を追い求めます。
 自分以外の人間が全て失業者になって、もうこれ以上どこからも利益を貪りようがない、という段階になってもまだどこかからピンはねするつもりでしょうか?
 蛸みたいに自分の足でも食うのでしょうかね? そうなるとそういう人間は蛸以下ということにでもなりましょうか・・・・

お礼日時:2009/01/10 16:32

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