許せない心理テスト

こんにちは,mrtommyです
現在,拳法を道場で指導しているんですが,今日乱稽古で2つの偶然が重なり
稽古生が大変な怪我をしてしまいました
柔道などでありがちな組打の格好だったようですが,
一人の足がもつれ,もう一人がこれはチャンスと思い切って投げに行ったのですが
こちらも足がもつれ,互いに重なり合うようにこけました
下になった生徒の右手がたまたま,小手を逆採りするような格好になっており
そこに関節を決める方向に全体重がものすごい勢いで落ちて行き,
倒れたときには「ボキン」と鈍い音が・・・急いで病院に連れて行ったが,
「例の無い折れ方でどうしたらこうなるのか」と医師も首をかしげる有様,
しかしプロですので迅速に方針を決めながらも
明日に他の医師にも相談しながら最善を尽くしてくれることになりました
ここで質問させてもらったのは,普段ゆっくり極めてギブアップで離すものが
本気で折に行ったときの危険性について武道家として知っておきたいからです
痛みや結末知らずして技だけ知っているのは何故か解せないと思っている
次第です。実際柔術されている方や合気道,また訓練という以上
ここまでされないのは現状と思いますが
知識の上でご回答頂ければと思います,技の危険性についても
私自身のアビリティに出来ればと思います
よろしくお願いします

A 回答 (6件)

Gです。



ひとつ気になっていたので書かせてもらいますね。

実力差の少ない、と言う表現をしていましたね。 確かに、その場合、事故が起こると言う事はあるでしょう。

でも、それは、両方が"実力を発揮"しているからなんですね。 つまり、トレーニングをしていない、「自分で自分をテスト」しているだけ。

ここ(私のところでは)トレーニングをしているんだ、と言う理解の元でトレーニングさせています。 あたりまえの事のように聞こえますね。 でもそれをしていない。 だから、事故がおきたときの事情を検討すると、トレーニングしている時ではなく、お互いに実力を出している時なんですね。

何の事か、と言うと、Play a roleと言って、トレーニングのために、相手の向上の為に、「役割」をする、ということなんですね。

つまり、トレーニングをしている人(A)の実力に基づいて、トレーニングが終わるまで、自分(B)の実力を下げる、と言う事なんですね。 つまり、BがAの為に、努力する。と言う事なんですね。 では、Bは余裕と言う物があるではないか、と言う事ですね。

そうなんですね。 その余裕が、事故を防ぐ注意力に使われるのですね。

でも、Cと言うレベルの低い弟子がAの為にはそれが出来ません、なぜかと言うと、Cの全てを出してアタックしても、Aのトレーニングには物足りないと言う場面が出てくるわけですね。 そうなると、今度はAの余裕が事故の防止となるわけです。

この余裕、と言う物がないと、あるいは作れないと、事故が起こるのですね。 ですから、レベルの高い弟子のトレーニングは先生がやらなくてはならない、と言う事にもなるわけです。

畳やマットが事故を防ぐのではなく、自分たちが事故を防ぐ、また、防ぐ実力がなければ、実際の場面では使い物にならない、事故を防ぐ事自体が状況を見極める実力でもある訳ですね。

だからこそ、トレーニングでは、とくにレベルが低い者達が対になってトレーニングする時は、同じレベルの物を対にしない、と言う事の理由でもあるわけです。

事故が起こるかもしれないと言う状況を見極めるのも指導員の経験の積み重ねでもあるし、責任でもあるわけです。 そして、それが、直接、「実力」と言う物に繋がっていくのです。

例えば、足首の捻挫は初心者に良くある事、とされています。 指導員は、それを知っていなくてはならないし、どういう状況だったら、捻挫が起こるか、どういうタイプの弟子に起こりやすいか(ま、とろい弟子、といってしまえばそうなんですが<g>)などを、言ってみれば、指導員となる資格の一部でなくてはならない、友いえると思います。

こちらでは、Defensive Livingと言いますが、事故防止の観念を道場でもフルに使わなくてはなりませんね。事故防止とは、ただ「注意する」ではなく、事故が起こる状況を知り尽くさなくてはならない、と言う事でもあり、その状況に弟子がいたら、ストップする、と言う事でもあるわけですね。

何か、取り留めのないことを書いてしまった懸念がありますが、既にご存知であった事かもしれませんが、事故が起こす「災難」は風邪を引いたから休みます、と言うレベルではない事と、事故防止がすなわち実力の賜物と言いたかったのです。

この回答への補足

回答くださった皆様
ありがとう御座いました

ポイントは皆様に発行したいところですが
個人的に若干の優劣つけさせて貰いましたので
ご了承ください

今後の気持ちを変えていく上で
皆様素晴らしい答えだったと感じています

今後も武道を通して思っている疑問や不満を質問すること
たくさんあると思いますので
そのときはよろしくお願いします

では失礼します

補足日時:2003/02/07 12:59
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この回答へのお礼

おはようございます

何度もご指導頂きありがとう御座います

どうしても,私の後者の疑問は曖昧な回答になってしまいがちですね
でも,仕方が無いことと思いますし
そのギャップを埋めていくより良い方法を見出していくのが
Gさん,回答くださった皆様,私を含め,永遠の課題と思います
今回は(今回も)ありがとう御座いました

これをもって締め切らせてもらいます

失礼します

お礼日時:2003/02/07 12:59

追記


>実力差がある中で相手をコントロールすると言うことは理解できました
えーなんと言ったらいいのか、これは当然。

>今ひとつ,モヤモヤしているのは,実力差が無いとき~
実力が劣ってるあるいは同等の時ちょっとした弱点(ミス)が
命取りになる時があります。練習している時にその事の自覚が無くて
なぜ練習以外の時にそれができましょう?実力差がないのであれば
相手をコントロールするよりも少しでもされた方がまずいのでは?

たぶんmrtommyさんの師と私の師の(あるいは門派の)理念が
違うからでしょうか?私の師だったらひっぱたいて
『冷静にって言ってるだろうが!!』と言ってます。
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この回答へのお礼

こんばんは

>えーなんと言ったらいいのか、これは当然

そーなんですよ!,言われてみれば当然なんですよ!
でも,そういう意識はないんですよね・・・普段
ここまで考えて稽古,指導する人は少ないんですよ!
ここで言っていただいたことで,今後の気の持ち方が変わると
思います!

>実力が劣ってるあるいは同等の時ちょっとした弱点(ミス)が
命取りになる時があります。練習している時にその事の自覚が無くて
なぜ練習以外の時にそれができましょう?実力差がないのであれば
相手をコントロールするよりも少しでもされた方がまずいのでは?

互いにコントロールをさせずにコントロールしようとする
このぶつかり合いの鍛錬により切磋琢磨され技量が上がっていくと
思います,ところがこれに反して技の危険性が上がります
コントロールできない(出来にくい)領域にいるからです
でも,このように考えていることが気の持ち方なのかも知れないですね!

ありがとう御座いました

お礼日時:2003/02/07 04:13

わーお、でも練習中に起こりやすいですよね?


私も投の練習中に股関節を傷めた事があります。
私の所は投は極をしながらが多いのですが、極を
決めながらの投ですので関節にかなり負担が
かかります。10回も掛けられれば痛みで握力が
なくなりとても掴む事が出来なくなります。
こんな事を30分位続けています。
ま、握力がなくなって投げる事が出来なくなる
って事はダメって事でしょうか。
何が言いたいのかと言うと怪我をするのはその人の
弱点の天の掲示。技の威力は(投を限定して)
練習で投げられればどう言うものか判るはず。
少なくても畳の上でない砂利の上・アスファルトの
上でどうなるか推測がつくはずです。
怪我をした時は怪我をした時の戦い方を学ぶいい
機会だと私は考えています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます

>何が言いたいのかと言うと怪我をするのはその人の
弱点の天の掲示。技の威力は(投を限定して)
練習で投げられればどう言うものか判るはず。
少なくても畳の上でない砂利の上・アスファルトの
上でどうなるか推測がつくはずです。

はい,そのあたりは,十分に承知しています!
その危険性を理解し,今後の取組に対するの心構えをここで出そうと考えています
皆様の回答で,実力差がある中で相手をコントロールすると言うことは理解できました
今ひとつ,モヤモヤしているのは,実力差が無いとき
互いにコンロトールできない状態の心構えが思い描けないという感じですね

>怪我をした時は怪我をした時の戦い方を学ぶいい
機会だと私は考えています

ここでの回答とは別に,武道家として技量を上げていく上での
課題として心に刻んでおきます

ありがとう御座いました

お礼日時:2003/02/06 00:35

Gです。


遅くなりましたが、また、書かせてもらいますね。

余裕のある関節技、という言い方で、こちらでは、「壊さずに壊す」をしています。

なぜかと言うと、武道はあくまでも、一対複数(複数対複数)に基づかなくてはいけない、と言う理由なんですね。

つまり、関節技の弱点とは、相手と密着している、自分の両方の手を使わなくては有効にかけることが難しい、相手の体重がかかってくる可能性が高い、痛みの為に相手が自分でバランスをなくしてしまう、また、痛みの為にこちらの体の一部をつかんでくる(無意識に)、また、痛みによる反応は人それぞれ、などなどなど。なんですね。

余裕があるとは、相手の関節は限度にきていても、自分の体は限度を超えていない、つまり、いつでも限度を超えることが出来、脱臼/骨折に持っていける、つまり、もう一人の相手の「お相手」をしなくてはならない時のひとつの手段として、できる、と言う事でもあるのです。

そして、その余裕とすなわち、「絡み合って、倒れてしまう時に、緩める事も出来る」と言う事でもあります。それが、意識した関節技であろうと、自然にそういう形になってしまっても、と言う事でもあります。

こちらでは、関節技を教える時は、「使える武道」として、この点をまず、はっきり教え込みます。

特に、ねじりをきかせた、例えば、小手返しなど、そのまま落ちれば、骨折は縦に起こります。 つまり、単純骨折にはならないと言う事なんですね。

また、ギブアップするまで、技をかけ、また、かけられる、と言う事で、各人間には、違った関節の限度、と言うもがあると言う事が分かりますし、また、痛みに耐え、いつでも、反撃の精神的準備ができる、と言う訓練にもなるからなんですね。

肩の関節を伸ばした腕で限度に持っていく、肩固め、でも、ひねりを右に持っていった場合と左に持っていった場合と、違う痛みとダメージを与える事が出来ます。 つまり、一方は、脱臼をさせないで、限度にきたら、肩の関節が壊れる物と、もう一方は脱臼をさせて腕の使用を無にする、と言う事になります。

また、goose neckと言われる(日本語の名前が分からない)、手首を内側に曲げる事によって(反対側の肘を何らかの形で固定して)、失神させる事も出来ますね。

使える関節技は、マットでしか使える技ではないのですね。 つまり、倒れたら、コンクリートやアスファルトの上にもろに倒れる、と言う事なんですね。 (柔道の腕による受身がきかない(g))

ですから、運足が大切となり、プレイン(両足で作る線)の相手との角度、もつれた場合の地面への落ち方―できるだけお尻と背中で地面を受けるのであって、まっすぐ下に落ちない、もちろん、無意識でも、掌底で地面を受けないなど、まず、基本となることを教えます。

これらは、教えて覚えるのではなく、体で覚えなくてはならない、つまり、残念ながら、必要以上の痛みも、受け、経験しなくてはならない、と言う事にもなってしまいます。 必要悪とでも言わざるを得ないことだと思います。

これは、密着した時点で、目への攻撃、また、金的への攻撃でも言えることで、50kgの女性が120Kgを相手にしなくてはならないのなら(しなくてはいけないということですが)、その攻撃の後はどうする、と言う事になり、もつれて倒れると言う状況は必ずといっていいほどあるんだと、しなくてはならないと言う事でもあります。

さらに、これは、ナイフ/拳銃を持った相手とのもつれ合い(密着したあとの)でも全く同じことが言えます。

安全、かつ、現実に近づけることを前提に、教えるということが私たちの課題であり、また責任であると、いつも心がけています。 それが私たちにとって、武道への挑戦でもあります。

mrtommyさんが経験なさり、疑問に持ち、改善を図る姿勢に対し、私は大変うれしく思います。

これでいいでしょうか。 分からない点がありましたら、また、補足質問してください。
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この回答へのお礼

こんばんは
再回答ありがとう御座います

そうですね,私の方では関節だけを例としましたが
目,金的,のどなど急所への攻撃に関しても
同様のことが言えますね,だんだん見えてきました!!!
目や喉は防具が或る為,安全に稽古に取り入れますが
金的や脊髄へは,正しい姿勢での空撃を持って1本としています!

>安全、かつ、現実に近づけることを前提に、教えるということが私たちの課題であり、また責任であると、いつも心がけています。 それが私たちにとって、武道への挑戦でもあります

本来あるべき姿は,正にわれわれが理想としているものそのものであります
しかし,理想とは裏腹に安全性も追求していかなければなりません
私個人の拳法哲学の中で,「寸止め」という言葉これを極めて,初めて熟練者・達人の領域に達すると解釈しています
それは立ち技であり寝技でもあると思います
今,自分のできる寸止めは寸止めであり寸止めにあらずです
その上でも,危険性や,やってしまえばこうなるだろう結末を知っておく必要があると思いました

ありがとう御座いました

お礼日時:2003/02/05 01:19

私が本格的に格闘技に取り組み始めて1年が過ぎたころ…。



見事に腕がらみ(?あれが一般的な腕がらみといえるかどうか…)から、上腕骨をもっていかれました。周囲にはボキィという音が鳴り響いたそうです。まわりにいた全員が動きを止めるほどの音だったそうです。(自分的には自分の叫び声の方が大きかったのでは?と思ったのですが…)

状況から説明すると、合宿中、半分余興で打撃中心、ただし組み技もOKという、いわば両者の合意のもと、いつもと違うルールでやっていました。打撃だけでは私の相手にならなかったので(相手は組み技中心の他競技出身者だったので…)まぁ今から振り返れば両者とも未熟だったのですが…わたしは一瞬、間接投げをくらった、としかおもいませんでした…。相手も実際そのつもりのようでしたが…両者とも、たおれて結局、ボキィといった感じで。直後は私はあんまり痛くなくてむしろ折った相手の方が顔面蒼白だったのを覚えています。

私はしばらくは折れたという感じがまるでしませんでしたが、その後、たまたま合宿中に居合わせた外科医がこりゃおれてるわと言い出して救急病院に行きました。
いきさつを説明してレントゲンを取ったあと、スポーツ骨折と診断され、大学病院で手術しろといわれました…。骨が縦方向に3つに折れてました。その後ボルト挿入されるわ、尺骨神経麻痺が起こるわ、勝手に余興やってたのがばれて怒られるわ(自業自得)、休んでた間の実習の補習をやらされるわと…。

前置きが異様に長くなりましたが…結局、私の場合もほぼ事故でした…(笑)。今は笑っていえますけど。その後、しばらく間接防御法を考えたのですけど…。間接投げって言うのは投げることが目的で、ふんばったら間接を壊す、というものですよね?つまり、間接を壊さないように相手を制すためには逆にいうと(ふんばられても)なげなきゃいけない訳で。(じゃあなんで投げられた俺は折られたのだ?)
結局、相手のコントロールができなくてはどうしようもないと思うんですよ。例えば、打撃技で相手を単純にぶん殴って昏倒させるよりは、ピンポイントに打撃を与えて脳を揺らして怪我させずに相手をたおすのは技量がいるわけじゃないですか。ようは間接技は本来、間接を砕くものなんですから、その目的以上のもの、間接を砕かずにあいてを制すために使う時は、やっぱり相手より技量が上じゃなきゃ、相手と自分の体をきちんとコントロールできなきゃどうしようもないんじゃないないかと。

mrtommyさんの質問の意図はほんとに痛いほど(いろんな意味で)わかると勝手に思ってます。わたしも相手の肉体を壊さずに相手を制すことはひとつの理想だと思ってますので。ただ、時々思うんですけど、日本武道って基本的に相手より技量が上であることが前提の技術体系と思想がおおいような気がするんですよね…。それは本来の”相手をぶったおしたもの勝ち”の”武”とは違うと思うんです。その反する思想と技の間を埋めていくのは結局、技量なのではないかと…。

ではでは
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この回答へのお礼

ご回答ありがとう御座います
お久しぶりです!

fujishiroさんは,身をもってその痛さ,そして危険性を体験されたわけですね
貴重な体験のお話を頂き非常にありがたく思っています
私自身,関節を極められ痛い思いはしたことあるものの破壊に至っては経験ありません
試合中に何度か相手の方が続行不能と言うことはありましたが・・・
やはり皆様おっしゃられるところの,技量の差がポイントになっているようですね
不慮といえ相手に怪我をさせる或いはしてしまうことは,まだまだ未熟ということですね

fujishiroのご意見に「日本武道って基本的に相手より技量が上であることが前提の技術体系と思想がおおいような気がするんですよね…。それは本来の”相手をぶったおしたもの勝ち”の”武”とは違うと思うんです」
そしてGanbatteruyoさんの意見に「使える武道と言うコンセプトから考えると、現実に近づけさせると言う事は、状況ないし相手を最後までコントロールできるようになる実力でもあると言う事なんですね」
とあるように,実力差があるが故に成り立っている?ように思えます
理想を追求しつつも,実戦に関しては相手あっての訓練になります
また実力者同士のぶつかり合いにより,切磋琢磨されていくものと思います
その上で,危険性等の認知も当然指導者として,武道家として
必要であると今回の件で考えるようになりました
今回の事故も私が指導している目の前で起こった事ですので
十分反省すると共にここで感じたこと,ご指導頂いた事を今後の指導に役立てて行きたいと思います
ありがとう御座いました

お礼日時:2003/02/04 11:50

アメリカで伝統空手、護身術を何でもありの使える武道というレベルで教えているものです。



関節技で一番問題になるのは、技をどうかけるかではなく、どうしたら最善の効力を得られるか、なんですね。

もちろんじゃないか、と言う方もおられると思います。 しかし私が見てきた範囲では、とてもその理解が十分なされているようには思えないのですね。

つまり、関節技の効力は関節が外れればゼロになる、両者の体重のバランスを崩す事によって、地面とぶつかる時の力が加わり、関節、骨、および、筋肉/靭帯が耐えられる以上の負担がかかってくる、体のこのような「部品」は思ったより頑丈に出来てはいない、また、これらの「部品」には加わる力の角度によって「耐久性」の違いが著しい、と言う事なんですね。

と言う事は、効力がゼロになる前までに、相手の重心の移動をコントロールできるような体裁きの技術が必要となってきます。 寝技であればまだしも、立ち技から入る関節技に必要なスピード(相手が防御に入る前に決める、ということです)、相手の痛みによる急激に無くすバランス構成、しかも、脱臼させずに効力の持続、など、理論は分かるが、実際にはこの辺のトレーニングがかけているように思えてなりません。

と言う事は、技の練習を、現実に近づけさせる毎に、危険性(技の危険性ではなく、それに付随する、上に書いた要点)が高くなるということなんですね。 ですから、使える武道と言うコンセプトから考えると、現実に近づけさせると言う事は、状況ないし相手を最後までコントロールできるようになる実力でもあると言う事なんですね。

ですから、全てを出し切る現実の状況でも、「事故」は起こらない、と言うことになります。

技をどうやったらかけることができるかだけを練習していては、「事故」の防止が出来なく、すなわち、有効な技の持続ができないと言う事でもありますね。

このことは、バランスの問題が存在する立ち技を、どのように寝技の状態に(立ち技のままで)持っていけるか、と言うトレーニングにも繋がっていく物であるわけですね。

これでいいでしょうか。 分からない点がありましたら、補足質問してください。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとう御座います
お久しぶりですmrtommyです

今回の稽古では,生徒も若く内容としても関節技をコンセプトには
措いていない所での投げから当身の稽古でした
確かに生徒は関節技1つ知らない未熟者で当然防御など言語道断です
たまたま知らない同士がもつれ合った,偶然の産物として今回の
結果となりました
しかしながら,彼らとは違い私は関節や逆取りなど多彩に使用するため
その危険性についても把握しておくところがあると判断したわけです!
稽古や訓練の上では,破壊することはできないし,行わないので
トレーニングに関しては今まで通り,相手がギブアップすれば開放する
方法を取って行くつもりです
但し自分の認識として,壊さずとも壊す!ちょっと表現難しいですね
判っていただけると思いますが・・・私が言いたいことは・・!!

ちょっと最後に

>使える武道と言うコンセプトから考えると、現実に近づけさせると言う事は、状況ないし相手を最後までコントロールできるようになる実力でもあると言う事なんですね

おっしゃっていることは,大変理解しやすく判りました
但し,実力差があるが故になせることと思います
仮に実力がイコール或いは,わずかとした場合は
「武道」というコンセプトにおいた場合,状況が変わってくると
解釈できますがいかがでしょう???

お礼日時:2003/02/04 04:18

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