プロが教えるわが家の防犯対策術!

いつもお世話になっております。
少し病的な範囲の質問かも知れませんが、お気軽に回答下さると嬉しいです。

「思索」等と言うと高尚な感じで恥ずかしいのですが。。。
*思索する時、皆様は「どんな感覚」でしょうか?
(私は只ひたすらに「自分の心に潜って行く」感覚です)

思索する時「前提を疑って掛かる(=白紙撤回の限界に挑戦?)」と思うのですが、
(そうではない場合がありましたら、ご教授下さい)
*自己の内部(?)に反発/拒絶を感じる事はありますか?
(私は磁石が反発し合うような感触で「近付く事も許されない」と言った感覚を感じる事があります)

曖昧な表現になりますが「自己認識の感覚」は、
*枠でしょうか?
*核でしょうか?
(私は「枠」と感じます。あまり自分の内部に「中身」を感じません。
言わば「空っぽの容器」の感覚です。以前(二十歳前迄)はとにかく「中身を見つける(無い気がしていたから)」事に必死だったように思います。ひと事件ありまして「今は内容量を増やす受容の時期」かも知れない、と考えてからは「容器の感覚」が強いです。自己暗示の成果でしょうか。汗)

単に表現に固執しているだけかも知れませんし、
個々人の感覚/言語化の違いもあるかも知れませんが、
出来ればこんな感覚に「実感」がある方にお答え頂けたら、と思います。
よろしくお願い致します!

A 回答 (23件中1~10件)

心は呼応する



与えよ
さあれば与えられん

求めよ
さあれば。。。

濁った井戸からは濁った水が
自ら掘ることをしなければ死んだ言葉が
溢れ過ぎる水は両手でもすくいきれない
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この回答へのお礼

目に止めて頂き、ありがとうございます!

どうにも「主語は?」「目的語は?」と言葉の外側が気になってしまうのですが。。。。汗
でも、
「言葉は心のホンのひとかけら」と言うものの、
目に見え、耳に聞こえる「言葉」の見えない部分、聴こえない部分から感じるものって、一体何なのでしょうね。。。。
頂いた文章からは、とても厳しいながらも暖かい色の空が見えます。

さて「具体的に何を言わんとしているか?」となると、雲を掴むようです。
私は雑念が多過ぎるのでしょうか。。。。がくん。。。汗

ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/29 14:39

思索というと笑われそうですが、似たような思いがありました。


これ以上考えたら、きっと自分が壊れてしまうような一線があるんです。私はそこで引き返しました。
もう充分だと感じました。
「自己認識の感覚」は、私も枠だと思います。
良き妻良き母(でもないが。。)を演じているだけなのかも知れません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

>私はそこで引き返しました。
>もう充分だと感じました。

私は頃合いを見て、息を整え、じりじりと進みます。
一度で済まそうとせず、何度でも出直します。
入り口を変え、鍵を変え、道を変え、手を尽くしてでも「その中」を知りたいと思ってしまいます。

>「自己認識の感覚」は、私も枠だと思います。

女性の方?でいらっしゃいますでしょうか?
いえ、もしかしたら「自己認識」と言うか「自我の形」には「性差」が無いだろうか?と考えたのもあります。
漠然とした考えですので上手くまだ説明出来なくてこんな質問になってしまいました。

ありがとうございました。^^

お礼日時:2009/01/29 14:46

自己認識の感覚を自我意識としてもよいとすれば自我意識のありかは空間ではなく時間ということになるという考え方があります。

貴方の言うところの枠というのは時間のことではないでしょうか。これが「我に返った」状態とすれば思考に没頭しているときは「我を忘れている」ということにならないでしょうか。あるいは自我意識を感じるというのは暗闇とはどのようなものかを確認しようと思って明かりをつけるようなものかもしれません。自分の尻尾を呑み込む蛇と同じと考えている人もいます。いずれにしても自分の自我意識というものは原理的にわからないものなのかもしれません。
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この回答へのお礼

>自我意識のありかは空間ではなく時間ということになるという考え方

全く持って漠然とした思いをそのまま質問にしてしまいましたので、裏付けや支えとなる考えがありません。大汗

時間か、空間か?。。。ですか。。。。
思うままに書くとめちゃくちゃになりそうなのですが。。。
只「何かをしつこく考える時」、何故かドキドキします。
全く「先に何があるのか見えない」のです。
怖くてドキドキするのでしょうか、何故かいけない事をしているような気持ちになります。
本当は反発を食らう前から、初めっから引き返したくてたまらないのです。
でも「恐いもの見たさ」なのか、知りたくてたまらない。。。

「考え事に挑む」と同時に「相反して戸惑う自分の心」を落ち着かせながら進むので、くたくたになります。

一歩進むにも、忘れ物が無いかしら?
踏み込みが悪くないかしら?
この一歩のズレが今後何処迄歪みを生むかしら?。。。。と不安が膨張します。

私の考え事(=思索)はこんな感じです。
また違った方向から書いてみました。
めちゃくちゃですね。。。汗
ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/29 14:59

 ★ 病的な範囲


 ☆ という表現を使うのは どうしてなのかと いぶかっていたら どうも
 ★ 白紙撤回
 ☆ の過程に入ると どうも そこまでの状態になるかも知れませんね。けっきょくは 《ここ》に つまりは 《わたし》に戻って来ますが よほど面白い内容であれば 相手の考えの中に浸って行きますね。
 あるいは 批判を受けた場合だとか 自分の考えとは 正反対であった場合などには それこそ 我れを忘れて 
 ★ 只ひたすらに「自分の心に潜って行く」感覚
 ☆ になりますね。と言ってみたとき さらに わたしの場合に しっくり来る表現は こうです。
 ○ 相手の場の只中に――つまりこれは むしろあたかも相手の心の中に沈潜するといったことなのでしょうか――入っていく。
 ☆ という感覚でしょうか。
 そして あまりに深く相手に成り替わった感覚になったときには これは やられたかな とか うわぁっ わたしは完全にまいったということか とか 思って その感覚のときだけは 我れに帰るようです。
 つまり とことん 相手の論理に合わせて 推論を 最後まで 導いて行っていますね。考えてみれば。
 ただ こういうふうに 相手の思想を吟味・検証する場合には たいてい こちらの考えのほうが より一層 妥当である場合が ほとんとです。どういうわけか そうですね。
 相手の思想が 上である場合には ほとんど 最初に出会い知ったときに ただちに 感覚的に分かる場合が 多いようです。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 *自己の内部(?)に反発/拒絶を感じる事はありますか?
 (私は磁石が反発し合うような感触で「近付く事も許されない」と言った感覚を感じる事があります)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ これは よく分かりませんが ないようです。何が妥当であるか どちらが妥当であるか それの判断に かかりきりだと思います。《反発 / 拒絶》 よく分かりませんが ピンと来ないということは ないのでしょうね。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 「自己認識の感覚」は、
  *枠でしょうか?
  *核でしょうか?
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ どうも どちらも ないようです。
 ★☆ 「枠」と〔も〕感じ〔ないで〕 あまり自分の内部に「中身」を感じません。
 ☆ という状態です。
 ★ 言わば「空っぽの容器」の感覚です。
 ☆ というのではなく
 ○ ただ 白紙の状態〔において 相手の思想を 先へ先へと推理して行っている状態〕
 ☆ です。《容器・枠 あるいは 核》とは 感じないですね。つまり 《自己認識》の感覚は 《その相手の理論を行きつくところまで 導いて行って あれっ 打ち負かされたかな と感じたときに いちど 我れに帰ることがある》だけです。

 おそらく 能天気という生地の上で 相手の思想を転がしていく というのが わたしの思索だと思います。
 自分の考えを述べよという場合には――つまり いまこの質問に答えるような場合ですが―― たしかに 《自己の心の底に落ち着くかたち》で 考えるかも知れないのですが でも こういう場合には ただ 問いに対して 反応しているだけのようにも 思えます。意味は 思索という作業を介さずに 記憶にたずねて そこから 引き出してくるだけのように感じます。

 面白そうでしたので 筆が伸びましたが こんなんで いいのでしょうか。
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この回答へのお礼

面白そうと言って頂けて光栄です。^^
回答ありがとうございます!

ポルノの質問を締め切りながら漠然と浮かんだ思いをそのまま立ててしまいましたので、判り難いですね。。。汗
とにかく皆様の「思索の感覚」が知りたくての質問です。

人は誰かの考えを辿って行く時、「自分」は何処に置いているのでしょうか。
私は「自分と同じと感じる所」から入り込んでいるように思います。
「否定を怖がる」弱さが選ぶ入り口かしら、とも思います。

「自分の中に潜って行く」と書きましたが、それでは誰かの考えを辿る時は?と考え直してみました。
「誰かの考え」を辿っているつもりなのに、気付けば「自分を潜っている」気がします。これはつまり「道を間違えて」いるのか?、それとも「誰か」と自分が「重なっている状態」なのか?どちらなのでしょうか。。。。

「反発/拒絶」の件に関しては、嫌な記憶だのトラウマだの深層心理だの、と言った辺りが関連しているのかな?とも思います。
封じ込んで忘れた振りをしている記憶とか。^^

考え事だの思索だの、といい雰囲気の言葉を並べていますけれど、
私は結局、自分の中の「こんがらがった糸玉」と格闘している感じです。
なので、現金で日和見と言う反省がいつも付きまといます。汗
純粋な意味での思索ではない、と思うのです。

>おそらく 能天気という生地の上で 相手の思想を転がしていく というのが わたしの思索だと思います。

私はイマイチな薄暗がりから闇の中で、握りしめた物の正当性を確かめる為に進んでいる、かな。
「転がす」なんて、怖くて出来ません。
自分の手から離れるのが怖くて仕方が無い感じです。
。。。この辺が「病的な範囲」と書いた理由です。^^

ありがとうございました!!

お礼日時:2009/01/29 15:23

こんばんはー。


質問文読んだんですが、すごく共感するものがあります。方向性が、僕と似てるー、と思いました。
質問そのものより、こういう疑問が出る過程が近いです。

>私は只ひたすらに「自分の心に潜って行く」感覚
僕もこの感覚が今でもメインです。

>前提を疑って掛かる(=白紙撤回の限界に挑戦?)
これも一緒です。

>自己の内部(?)に反発/拒絶を感じる事はありますか?
同じかどうかわからないですがよくあります。
自分の直観は正しいというのに、感情は反発する嫌がる、と言うときがあります。個人的に。それは、僕は自分の偏見や思いこみを壊せるチャンスだと思ってます。でもそれをやってしまってややこしいことになるかも、ですが。一度それをやったら解決するまで止まれない感じです。

>*枠でしょうか?*核でしょうか?
ぼくはどちらもです。
この場合の自己認識は自己本質、という意味に取りますが、その場合、自分を枠と取るのは、自分の中の外向的な一面の性格ですし、その場合、外部を認識する視点で自分を捉えるので自分は枠だと感じます。逆に内向的な視点の時は、自分の中心ー核こそ本質と感じます。でも内も外も、本来同じもので、それは、内、や、外、という視点を使わないと直感すら働かない人の脳の限界だと考えてます。内も外も共に現実の一部に過ぎないのに、内、と思ったら内のことで頭がいっぱい、外と思ったら外のことで頭がいっぱいになる、というのは人の把握能力が、現実を全部丸ごと一度に把握する力がない、というじゃないでしょうか?
今中身を増やす時期、と書かれてるので、それは、自分の行動を外向きにーつまり外向性の強い期間に入ってる気がします。そのため、核と言うより、枠というほうがフィーリングにぴったり来るのかなー?と想像します。

ぱたん・・・
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この回答へのお礼

sheep67様、お久しぶりですね。^^
回答ありがとうございます!

>質問そのものより、こういう疑問が出る過程が近いです。

そうなのですか。。。いえ、何とも私は「自分の為だけに思索している」ような気がして、あまり良い状態とは考えられないのですが。。。
自分に囚われ過ぎている、とも感じます。

>それは、僕は自分の偏見や思いこみを壊せるチャンスだと思ってます。

同感です。
人がやらない事とか、難しいと言われる事とか、これは大変そうだなあと思う事とか、そんなことばっかりに闘志が沸いてしまう面倒な性格です。汗
要は戦闘好き、なのですね、私。。。笑

>でも内も外も、本来同じもので、それは、内、や、外、という視点を使わないと直感すら働かない人の脳の限界だと考えてます。

これは「あーーー!」と思いました。
形や言葉は違えど物は同じ、と言う事ですね、「人の脳の限界」。

>人の把握能力が、現実を全部丸ごと一度に把握する力がない、というじゃないでしょうか?

あーーー!!凄いですね!!
そうです、自己認識やら自我の形を捉えようとする時って、捕まえる傍から溢れて行く感覚で魂が叫び出したくなります。(変な表現!大汗)

まだまだ何か「考え」と呼べるような物を熟成するには中身が足りない!!と思うのです。

お礼日時:2009/01/29 15:47

最後の一文、 ちょっと・・ぱたんって・・


余計な一言が・・すみません。無意識に書いてしまった・・

さっき締め切った問題考えすぎて頭疲れてたんですねー。
僕も外からいろいろ取り込みたい時期です~~
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うわ~まぶし~


見て!見て!光線が全身から
直視できない!!!
もっもっもしかしてあれは。。。

たった一言でも
生きている言葉は場で光を放つものだと思うんだけどさ。。。
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この回答へのお礼

こんばんは、m_cosmos様。
再びの回答、ありがとうございます!

>たった一言でも
>生きている言葉は場で光を放つもの

生きている言葉。。。。それです!
私が何かと「言語化能力」にこだわってしまうのは、「生きている言葉を生み出したいから」です。
一言一言が、一文字一文字が、躍動し光を放つような文章に時々出会います。
研ぎ澄まされた感性と鍛え上げられた言語化能力と暖かい人間性で築き上げられる文章。。。。

でも、「生きている言葉」って、生み出すものじゃなくて、
溢れ出るもの、沸き出すもの、かも知れませんね、自然と。

ありがとうございます!^^

お礼日時:2009/01/30 21:37

質問者さんの意図をきちんと理解できているのかわかりませんが、私なりの回答をしてみたいと思います。



核を感じる瞬間というのは、確かにありますが、日常において思索する際には、確実に「枠」として自分を認識しています。
枠というのは、つまりは、思索する際、外から自分を眺め回す感覚があるので、枠のようなものの存在を認識しているということですが。

対象の内部にどんどん入り込んで行き探るというよりは、対象の内部から表出してくるものをあらゆる角度で捉えるという感じでしょうか。

ですから、前提としては、懐疑を抱く対象だけとは限りません。

中身が空っぽというようなイメージより、私の場合は、自分自身の内側は、宇宙のような暗黒空間で常に広がりを持っているイメージを持っています。(自分でいうと何だか妙な羞恥心を覚えますが・・・(笑))
ですから、見えるもの(認識している対象)も見えないもの(認識できていない対象)もあり、追いかけても追いかけても辿り着けない「果て」の存在も感じています。

ですから、私の場合は、自分の心に潜っていくと、果て(枠)を見つけられなくなり、感じるのはただの空間のようなものということになります。
核の存在は感じますが、中心がどこかはわからないので、これが核というはっきりした認識は持てずにいます。

という訳で、どちらでもあり、どちらでもない、というのが私の自己認識における「感触」ということになります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

>枠というのは、つまりは、思索する際、外から自分を眺め回す感覚があるので、

そうですね。。。
ん?あれ?私はあまり「外から眺める」感覚じゃないのです。
只ひたすら「空の容器に放り込んでいる」感じです。(適当だなあ。。汗)
それで、「考える」時にはそのごちゃごちゃの容器の中をごそごそ探しまわっているのです。。。と言う事は、中身を探しているのは誰(何)?と言う疑問になりますよね。

これってつまり「核で感じている」って事でしょうか?
あれあれ??

人間の思考力の届く範囲なんて、たかが知れているってことなのでしょうか。
それとも、こうして捉えようと挑み続ける事によって、いつかは「果て」に辿り着くのかしら。。。

ありがとうございました!!

お礼日時:2009/01/29 16:01

NO8です。

お礼拝読いたしました。

>人間の思考力の届く範囲なんて、たかが知れているってことなのでしょうか。
>それとも、こうして捉えようと挑み続ける事によって、いつかは「果て」に辿り着くのかしら。。。

「果て」についてですが、

果てを捉えようと挑み続るということは、そのチャレンジ自体が広がりのスピードをアップさせるという考えですので、果てにはいつまで経っても辿り着けないものと、私は考えます。
(というより、辿り着けないからこそ、面白いと私は思いますが)

私は、思考力も含めて、自身の内部で起こる現象や対象物は、宇宙のように常に広がっていくものという認識でいます。
時間の流れがある限りは、そこは常に広がりを見せるものだということですね。

「たかが知れている」と言うと、なんとなく劣ったイメージですね。私のイメージでは、優劣とは全く次元の異なる、単なる物質的な限界点として「果て」は存在しているというだけです。
つまりは、命に限りがある限り、持ち時間に限りがあり、ゆえに「果て」という物質的限界点があるのだ。ということです。
ですので、人間の思考力に限界があるというより、一人の人間の思考力には限界があるというほうが適切かと。

共通点から探す場合も、そうでない場合も、理屈は同じような気がします。
自身内部の宇宙には、様々なストックがある訳ですが、私が自分と異なった考えを辿る際には、そのストックから、対象物とリンクしそうな「触媒」を探すということですね。これが、私にとっては、内部を探る感覚です。でも決して内側に入っていく感覚というより、やはり外から探している感じなんですね。内側から探すとなると、触媒の正確な位置がわからなくなりそうです。

私の場合は、核の存在を一つと限定できるかどうか、実は核と呼べるものは、複数存在しているのではないか・・・と、自身では感じています。質問者さんはどうですか?

こういった問いかけに対して、的確に伝達可能な言語のストックを私が持ちえていないせいだとは思うのですが、言葉での表現の限界を感じてしまいますね(笑)
でも、質問者さんのこの問いかけで、また一つ小惑星が誕生した感じがしますね。ちょっとした宇宙旅行のような楽しい気分です。
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この回答へのお礼

neroli3様、また来てくださり、感謝申し上げます!^^

>「たかが知れている」と言うと、なんとなく劣ったイメージですね。

あ。。。ごめんなさい。
私は「人智を超える存在」を漠然と感じていて(特に何かの信仰がある訳では無いのですが)、その存在の智慧に対しては必然として「劣っている」となってしまうのです。言葉足らずで申し訳ありません。

きっと、その「果て」は「人智の果て」であり、
>単なる物質的な限界点
なのだと思います。(思います、ばっかりですね。。。大汗)

>私が自分と異なった考えを辿る際には、
>そのストックから、対象物とリンクしそうな「触媒」を探す

はい。#4の方へのお礼欄に
>「否定を怖がる」弱さが選ぶ入り口かしら、とも思います。
と書きましたが、そうですね、わざわざこんな不必要に卑下する事も無いかも知れませんね。。。悪い癖です。
只の「触媒」、効果的な「触媒」。。。それでいいのですね。

>実は核と呼べるものは、複数存在しているのではないか・・・

中学の時に実験した事があります。
「一つの事に対して、私は幾つの思い/考え/印象を抱くのか?」って。
毎日毎日自分の心に潜り込んで遊んでいました。(ネクラな。。。大汗)

その結果「人間は複数の人間を抱えて生きている」と結論が出ました。
優劣/強弱/好悪。。。関係無く、両極端を含む複数の「心」が私の中に同時に息づいているのを見ました。^^
何人もの「私」が、仲良くか、仲悪くか?(笑)共存し、この具象化された「私」を形成し、生かしている、と実感するのはなかなか面白い体験でした。

思い付くままに書いているのでめちゃくちゃですね。。。
申し訳ありません。

お礼日時:2009/01/30 21:55

#2です。

お礼拝読しました。
>入り口を変え、鍵を変え、道を変え・・
ああ。またそれだと違っていたかも知れません。
私は、1本調子だったんですよ。
でももう、踏み込まないでしょうね。

>「性差はない・・
書き方が悪かったです。うまく表現できないので。。
私は女性ですが、「自己認識」に私も性差はないと思ってます。
枠としたほうが、ラクなんです。

面白い質問でした。
昔、漠然とですが、そのようなことを疑問に思っていた時期があったのです。
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この回答へのお礼

こんばんは、Yseult様。
また回答下さり、嬉しいです。^^

>でももう、踏み込まないでしょうね。

これはどうしてでしょうか?
よろしければ理由を教えて頂けないでしょうか?

私は「知らない事」が好きです。
世界も社会も自分も、とにかく「知りたい!」と思ってしまいます。汗
不思議な事に、何かをひとつ知ると、反対側の事も一つ知る事が出来るように感じるのです。
例えば、自分について一つ知ると、世界についても一つ判った気がする、と言う感覚です。
うーーーん。。。具体的に何を知った?と尋ねられると困っちゃいますが。。。汗

でもこの感覚も穿った見方をすると、「自分と他者を重ね/同一化し過ぎる(自我境界が曖昧になる?)」ようにも思えてしまうので、あまり自信は無いのです。。。。

自己認識の性差について、ですが、
申し訳ありません! 私は「有るのではないか」と考えているのです。
あやふやな文章で誤解を招き、反省します!

「自己認識」と言うか、「他者に対する自己の確認」と言った感覚です。
これを女性は「他者と自己の間/或は他者そのもの」に置き、
男性は、「自己の内部」に置く、そんな気がしたのです。

そう言っても私は女性ですので、男性の認識は想像でしかないのですが。。。
未就学児三人の子育ての日々で、そんな事をふっ、と考えたのです。
でも、何せ三人の怪獣に追いまくられて視野は狭まり、外出は侭ならず、サンプルが少な過ぎるので妄想でしかない考えです。。。

>枠としたほうが、ラクなんです。

そうですね、存在する物事は存在する以上認めざるを得ない物ですから、
核を設定していちいちその核に「お伺い」を立てる手間を考えると、「まずは放り込んで、それから考える」方が楽ちんですね。^^
(なんて適当な質問者。。。。大汗)

ありがとうございました!!

お礼日時:2009/01/30 22:16

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