あなたがたは、「無」の精神あるいは本質を、知的な分析によらず、
自己の存在の内奥を探ることによって発見しなければならない。
しかも、概念や理論や抽象的な説明によらずに、生きた真実として「無」を理解したことを、
私に具体的にいきいきとしたかたちで示してほしい。
単純ゆえに最良の公安は「無」の公安である。
「無」とは生きて作用するダイナミックな精神を表現した言葉。
「無」は通常の認識力では理解できない。
老子からこの「無」の公安が与えられる。この場合の「老子」は自然である。
自然は言葉による説明をほどこさない。謎を提示するのみである。
全存在をかけて、直接的に把握すべきだということを肝に銘じておいてほしいのである。
1)おまえの本来の顔は何であったのか。親がお前を生む前にもっていた顔は?
2)両手をたたけば音がする。では、片手ではどんな音が?
この公安はユニークな解答がそれぞれに存在し、「真理の把握は完全に修行者に任されている」ということらしいですが
私はこの論理的に現象学的に無理な公安?に無為状態となります。
基本的な質問かとも思いますが、パラドックスの意味は「思考の罠」ということですか?
上記の1)、2)の公安についての考え方や何かヒントとなるだけでもください。
No.1
- 回答日時:
1)おまえの本来の顔は何であったのか。
親がお前を生む前にもっていた顔は?これ公案? そのままのように思いますけどね。「親がお前を生む前にもっていた顔は?」でわからなければ前世がわかる江原さんに聞けばいいだけでしょうね。つまり生まれる前の皮袋(肉体)の持ってた顔という意味ですね。立派な人は顔さえないこともありますが凡人は必ず前世があるから、金髪の美男子とでも答えればいいんじゃないでしょうか。
2)両手をたたけば音がする。では、片手ではどんな音が?
音はしてもしなくても正解でしょうね。音がするなら適当な音でいいんじゃない。片手じゃしないと思うならしないんでしょうね。
以上、適当な公案には適当な答えしかないのですね。
参考までに
この回答への補足
補足欄をお借りします。
「パラドックス」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%A9% …
色んなパラドックス(罠?)がある。
罠にかかるまいとするより、建設的なのは「罠にかけられてみましょう」とするのも突破口となるかも。一見は百聞に如かずで(違?)。
No.2
- 回答日時:
この公安って「隻手の音」ですよね?
「なんでも鑑定団」に偽者が良く出てくるだるま絵の作者の
白隠慧鶴が提唱者じゃないでしょうか?(勘違いだったらすみません)
ヒントや考え方を、ということなので答えを避けて書きますが
何かと何かが合わさって出来るものについて、
(1)両手で音を出したときとの音を考えます。
(2)片手で音を出す方法を考えます。ただし、反対側の片手は使いません。
(3)その結果、何が起きたかを考えます。
(2)は特に、全力でやっちゃってください。
それでこそ(3)に意味が出てきます。
蛇足ですが、老子は道徳教の1章で
道の道とすべきは、恒の道にあらず。
名の名とすべきは、恒の名にあらず。
無名は万物の始めなり。有名は万物の母なり。
と言っているので、そもそも説明できるものに価値を見出していない
と思いますよ。これもヒントかな?
この回答への補足
「轅(ながえ)を北にして越にむかはむと思はんが如し」『道元/正法眼蔵』
仏(悟り)は他に何かあるのでなく、即心是仏、すなわち我心なるものに他ならない。なにか特別にこしらえたものでないのを心にとどめなければならない。心の外部にある経典の文字を通じて仏を求めてはいけない。それでは車を北に向けて南に行こうとするもの。どうして目的地に行き着くことがあろう。
片手で手を打つのも心がそうしたいからし、心の中で音は聞かされるだろう。私が聞かせ、私が聞いている。与えながら拾う。
役立つとか価値とか差異を見出す頭の働きをmindという。移ろう様子や大切さを感じるのはheartがするのだという。良寛さん無一物を貫いて捨てるほども物も持っていないのに、ハート的充足していたので妙音(?)という収入(?)で静かでも物足りなさもなかったのだと思う。
でもしかし、無碍に自家発電装置があるので共認回路は要りませんから、としてしまうのも万物的な視野から遠のくものだし、需要と供給のバランス、リズムも自然にはあるでしょうし、自然は難しいことを簡単にしている、人間は簡単なことを難しくしてもいそう。心と脳の折り合いですね。
ありがとうございます。衝撃音ではないですが、誰かと一緒に笑い声を出したとします。そこから広がるものってあると思う。
一人だけ笑ったとします。気が済むまで、納得(?)しつくすまで笑えたとしても、その後人に伝えるのを我慢できますか?ワクワクを我慢できませーん。お笑い道に価値があるものでも意味もなく?
白隠慧鶴の「隻手の音」ですね。さっそく探ってみます。
No.3
- 回答日時:
ユニークな解答がそれぞれに存在しうる、ということは正解はないわけだ。
しかし、「無」を認識していることを匂わせないと未熟者扱い、なんでしょうね。
とりあえずいろんな方法がありますが、問いの構造を利用して反問してみては。
あるいは問いを比喩として置換してみるというのも。
>1)おまえの本来の顔は何であったのか。親がお前を生む前にもっていた顔は?
この問いの本来の意図は何であったのか。あなたがこの問いを考えつく前に持っていた意図は?
>2)両手をたたけば音がする。では、片手ではどんな音が?
正義が衝突すれば騒がしい。では、一つの正義のもとにある世界では?
本当はこういうことは公案「無し」で済ませたい。
ありがとうございます。私の存在というより存在がヘンテコな私をしているところにかけて答えてみますと・・・
>この問いの本来の意図は何であったのか。あなたがこの問いを考えつ前に持っていた意図は?
私の人生の問題は生理整頓です。この問いは無をどう認識しているか示せですよね。
使い勝手の悪いもの、有効利用されていないものが家に溢れてます!「勿体無い」は捨てることが悪いとしたのではなく、使わないのに持ってる無駄のことですよね。
家の状態は頭の状態とも重なるそうで、古いのはいいのですが、スッキリさせたいとずーと思いながら、一旦手にすると処分するのは難しいものがあります。買わない勇気、捨てる勇気も必要ですよね。
もっと自由な頭を持てて楽できたらなぁ。清貧に憧れてもいます。贅沢なものなくてもセンスがいいような。生活スタイルでも会話でも。単純化され飽きないもの。無でいいのに僅かで在る奇跡を感じたい。忘れ無い。そうなりたい自分自身、こんな意図かもしれない。
>正義が衝突すれば騒がしい。では、一つの正義のもとにある世界では?
過剰も不足もない静寂。ではどうでしょうか。
No.4
- 回答日時:
公案にしないで、公安(警察)にした理由はないですよね。
一応念のために。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%B8%F8 …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E6%A1%88
老子が公案を与えたのですか?
確か、老荘の祖とされる、謎の存在ですよね。
公案って師家から弟子に、というものですよね。
多分、臨済宗の特徴でもあったと存じますが。
どうも頭が混乱してしまいまして、ご補足いただけるとありがたいですが。後学のために。
ご指摘に先に補足していたのでお礼欄にあれやこれや思いつきと拾い読みしてる本のことやら書きます。
参考URLありがとうございます。ご指摘で私の後学に有意義を覚えます。(反省してない?)
混乱させたのはすみませんでした。けれども疑ってくれて、自発的に信じようとしてないのもいいものだ。分別を考えながら信じよう、信じさせようとすることは矛盾だという意見がある(哲学事典/W・クワインより)。獲得しようと努めながら睡魔に襲われ倒れるようなものでしょうか? 分別ないのは無知じゃないの?悟者も結果そうなるというならどこに違いをつければ!?差はやっぱり行き着くまで凄く考えた行動力ですかね。
テルトゥリアヌス「不可能故に我信ず」信じていると連ねた言葉より雄弁なのが行動。考えに不可能はない動詞で行動力。
体はじっとしていても深く考えたり疑ったり(指摘含め)想像力も行動力で、肉体の行動力よりダイナミックかも。時空次元からも自由ですし。
No.5
- 回答日時:
1) そんなものは ありません。
それが 無です。2) 風を切る音くらいはするでしょう。くだらん問いだという答えを添えるでしょう。
(1)のほうは さまに成っているように見えますが これも くだらない質問です。
★ 「真理の把握は完全に修行者に任されている」
☆ のですが 《恣意性》という自由に気づかせるだけでは 《無》の問題に到る気遣いはありません。誕生以前あるいは死後 このようなことに 想像力を発揮しても たいした成果は 得られません。その思惟のいとなみは 切りがないという性質のものだからです。占いと同じです。あっ 処世術は身につくのかも知れません。
ご質問に対するこれほどの暖かい批判は ないでしょう。
暖かい批判ありがとうございます。
「風の良寛」という本でで良寛さんに拘ってきた作者(中野孝次さん)は良寛さんの詩や歌に共感を覚え、その分かりやすさに親しみを感じるのに、良寛さん自身を認識しようとすると遠のいて見えなくなるという。存在の根源のところで常に相対していて見ようとすると見えなくなるそうです。切りがないほど取り出せて使い勝手がいい、なのに底がなく空っぽという。究極の処世術を持っている人なのでしょう。
No.6
- 回答日時:
補足をお願いします。
《この論理的に現象学的に無理な公安?に無為状態となります。》
〔A〕ここで《この》とおおせられているのは、
《1)おまえの本来の顔は何であったのか。親がお前を生む前にもっていた顔は?
2)両手をたたけば音がする。では、片手ではどんな音が?》、 という二点のことでありましょうか?
〔B〕論理的に無理というその論理的とはどういうことなのでしょうか?頭の思考の中での話の運びのようなものでしょうか?
〔C〕現象学的に無理というその現象学を言い換えることはできないでしょうか?
〔D〕「無為状態になる」というのは、miko-desi様が所謂《公安?》に対して、「無為状態になる」、という意味でしょうか?
〔E〕無為とはなんでしょうか?行為がない、ということでしょうか?行為しないということでしょうか?
〔F〕無為状態でないことは、行為状態なのでしょうか?
行為とは何でしょうか?
★実は私も無行為ということ長く関ってきております。できればお教えを賜れば、多少ともご参考の投稿も出来るかもしれませんので。
この回答への補足
補足させていただくことが出来て質問者も今頃誤りに気付けた次第です。私の頭の構造のことをトンチンカンといいますが、公安ではなく【公案】ですね!!。交通安全と禅は無関係ではない気がしますが、やっぱり無関係かもしれません。天然も計算あってだろうとか、なんとも人の性で関係を作りたくなるもの。
この公案を出したのは老子ではなく中国の禅僧、じょしゅう(漢字変換できませんでした)のところに来た【案谷老師】でした。!!老子と老師って名前と敬称の違いなんでしょうか。
この質問は「タオ自然学/ F・カプラ」第一部、第三章「言語の彼岸」P56からまんま搭載させていただいたもの。この本も何度読んでも知識や血肉にしがたい内容です。成長期も過ぎ年のせいかも。
アドバイス全て何度も読ませてもらってます。ありがとうございます。近日中に何かかけると思います。あんまりアテにならないことを絶望せず。絶望しないことにも絶望せず。というと希望と同義だろうか?微妙には違う。これも一人でしてる禅問答。
No.7
- 回答日時:
脳と無である自然は、対立している。
生物の脳の進化は、自然対する脳の挑戦で、言葉は脳の分身、パソコンはコピーです。しかし脳は、無より次元が低く、無を無としか理解できない。だから脳が思考活動してる時は、人と無の交流を、遮断して、心がストレスになり。脳が思考を休んだ時は、人と無が、交流するので、心が癒されます。人が無を感じるのは、心が癒された時です。また人の心には、脳の自我と、大自然の無我が、対立しているが、脳の発達していない、赤ちゃんや動物は、無我の世界のテレパシーで会話しています。大人も意心伝心と、言って、頭を使わず、心で会話します。これが無の世界です。人の心の中で、無の世界が大きくなると、意心伝心で、楽しい癒された心になります。そして世界のしくみが、わかります。しかし脳では説明できません。とにかく心が、癒された時が、無の世界です。伝統文化の間の癒しや、日本語の母音の癒しは、無の世界です。この回答への補足
ありがとうございます。お礼が適当になってるかもしれないことすみません。入出力もが、感化され合ってて私も共同作業をお互いにしているものだろうで、もし時間を置けば違う感想が出てもっと上手く言葉を汲んで喜ばれるように書けるかもしれない。あぁそういっても今思ったこと書くのみです。
>脳は、無より次元が低く、無を無としか理解できない。
物理学者は11次元ぐらい?もっとかも?認識するそうですが、有限な人生で実践する演奏家や医師や法律家など資質や知識で世のため人のために働く人は何次元まで認識しているのでしょう?
日本は孤立した島国で資源も乏しいのに文化や自然と融合して都合のいい部分をうまく取り入れ利用して暮らしてきたことは認めるところ。古語の表意文字の漢字も、表音文字のアルファベットもひらがなもカタカナも並列利用してるとか、複雑ですが様々な事象を簡潔にもしてる。国民の識字率は高く広く深いし、日本語は楽しい。英語、外国語が不得手でもしょうがない?
>赤ちゃんや動物は、無我の世界のテレパシーで会話しています。大人も意心伝心と、言って、頭を使わず、心で会話します。これが無の世界です。
相手が動物でない限りいきなり首を噛まれて殺されることはなく、人間と人間との交流なら脳が休みっぱなしな質問に勤勉に答える人も現われる以心伝心で何とかなってるこれ結果がそう。
とはいっても日本が他の地域や民族より高次かどうか?どこに行っても色んな人がいますし。民謡や雅楽が好きな人は外国よりも日本では多数でしょうから和風の癒し効果は多くあるでしょう。日本人でもクラシックが好きな人はクラシックで、ロックが好きな人はロックでもちゃんと癒されると思うし、結局癒しは親しんだ育んだ環境や価値観にや、それぞれの厚かましい主観が隙間産業の癒しを求めてそうとも思うのです。癒しを隙間産業というのは、その隙間を見出すことこそ自分の根(本来の顔?)を伸ばす理由になるからです。
日本語は母音が多い言語なのはそうですね。でも母音は無我(執着がない?)、自然と対立した脳でない、無で?癒しという実感が来ないのです。人間が進化し新しい脳を獲得したのも、自然に抵抗し戦うための武器となったのかもしれません。でも脳も自然の所産ではないのかと思うのですが。
日本人が労いや感謝の証として贈り物をする時「つまらない物ですが」と付け加える習慣を外国人は受けてへの侮辱ではないか?というけど、「あなたの素晴らしさ尊さからすれば」と尊重しているからこその意味でしてたり、日本語の間の取り方は関西で日本人を何十年もしてますが未だ道を外しますし(苦笑)。瞬時に緻密に計算する機械でも及べない職人の勘の域が無か。明日のジョーとライバルの力石徹、長年連れ添った夫婦や師弟に会話は要らなくなるのでしょうね。
赤ちゃんの無我は高次な自然=無からまだ遠ざかってないからなのか?人生の奥義(とは何か?愛?)や無駄に生きた後悔も得ずにすぐ自然に還ってしまう子供がどうしても可哀想になる、有への執着、ストレスです。疑問も膨らんでしまって書いてしまうのですが、放置で構いません。
No.8
- 回答日時:
eyasi2012様の回答番号:No.7は、無に関する示唆的なお話ですね。
無と以心伝心の関連、心での会話。これは無の一面でありますね。
心、以心伝心に関する更なる経験と洞察を精進していくことにしたいですね。
ストレスというころば、私達はrestfulnessとrestlessnessという状態を対置して、精進します。
と参考までに。なお以心伝心ですよね。
この回答への補足
ありがとうございます。
「以心伝心」について洞察を深めてみたくなり調べてみたあれこれ。
以心伝心の「以」ってどういう意味で使われているのでしょうか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
以心伝心(いしんでんしん)
1)〔六祖壇経「法即以レ心伝レ心、皆令二自悟自解一」〕
禅宗で、言葉では表せない仏法の神髄を無言のうちに弟子に伝えること。
2)考えていることが、言葉を使わないでも互いにわかること。
「以心伝心」を英語に変換
have a near-telepathic understanding
「テレパシーに近い理解力」と表現。
http://home.alc.co.jp/db/owa/s_kaydic?num_in=51& …
その他にあった解説。
心遣い。目配せ。
欲求をストレートに表現せず(態度を曖昧にして)間接的に表現すること。
現実には、疎遠な相手や価値観が異なる間には、常識の隔たりがあるろ簡単に以心伝心は成立しない。
以心伝心が美徳かどうかにさしたる意味がないと考えるべき。
以心伝心という伝統?残すことは、現代の日本人にとって、益を期待すべきもない。
責任回避のため、意志疎通が明確になることによって不利益を受ける立場の人達に好まれるテクニック。上司と部下の関係で上司に有利であり、 基本的に過失がなければ既得権益を維持できるが、過失があればそれだけで失いかねない権益を持った立場にある人達がとる伝達方法としても有効である。
心で伝えようとしているのではなく、間接的な表現という意識的な自己表示を用い、既得権益を守るためのテクニックとしての以心伝心は、欲求の間接表現のことではなく、責任回避のため暗黙の了解を伝えることで、曖昧な態度のことは厳密な意味の以心伝心ではない。
以心伝心で意思疎通を図るには共感できる相手が居て、なおかつ経験や時間をかけた結果に現われるものでありそうですね。自分勝手に「伝わるだろう、分かってくれているだろう」とその場で自分の都合よく相手も理解して欲しいじゃ単なる甘えですよね。
武士道の葉隠の言葉からです。
「端的只今の一念より外はこれなく候。
一念、一念とかさねて一生なり。
ここに覚え付き候へば、外に忙(せは)しき事もなく、求むる事もなし。
この一念を守って暮らすまでなり。
皆人、ここを取り失ひ、別にある様にばかり存じて探促いたし、
ここを見付け候人なきものなり。
さてこの一念を守り詰めて抜けぬ様になることは、功を積まねばなるまじく候。
されども、一度たどりつき候へば、常住に無くても、もはや別の物にてはなし。
この一念に極り候事を、よくよく合点候へば、事すくなくなる事なり。
この一念に忠節備はり候なりと。」
一念はひたすらな想い
想いを積み重ねていったものが一生となる
一念を覚えれば、他に忙しいことも、捜し求める必要もなく
一念を守って暮らすだけ。
一念をとおして迷わぬようになるには多くの年月を得ないと出来ない。
しかし一念にたどり着いたならば多分は減らせ道理も決断も自身となる?
自分に対しての以心伝心(言葉にならない一念)を見出し
実体化させているか、叶う行為しているかを禅問答が問いかけているのではないのだろうかと思います。
>私達はrestfulnessとrestlessnessという状態を対置して、精進します。
安らぎ、と落ち着きがない状態ですね。常に落ち着きつつ覚醒していきたいです~。
No.9
- 回答日時:
老子も、無知になるほど、道タオ無に、近づくと言ってます。
だから脳を、脳波がアルファ波になるように、休ませる事が、無を理解するため必要です。とくに前頭葉を休ませ、後頭部は活発になります。老子の本の内容も、脳を休ませる方法が、書いてあります。また世界中で、日本語だけが、母音を強く発音します。この母音の時、癒し、無が発生します。この影響で、日本の伝統文化、和風文化は、西洋的な自己表現ではなくて、脳を休めて、心を癒す事を、追求しています。だから座禅、茶道、能、日舞、雅楽、平曲、義太夫節、演歌、民謡、日本画、短歌、俳句、和食などを、実践すれば、無を体験できます。しかし基本的には、脳が休んで、心が癒されている時は、いつでも無を体験しています。ただ人が気づいていないだけです。しかし、脳と無は、対立してるので、頭では理解出来ません。身体と心で理解して下さい。この回答への補足
再びありがとうございます。
日本語の癒しということを考えたり探ったりしました。
日本語は母音を強調しているですね。子音により発声にイントネーションやアクセントや声調を定めていることの多い外国語とは違う響きがあります。インドネシア語、フランス語でも声調はあまりないようですが子音を判別するのは日本人は不得手で難しいです。
淡々と語っても通じる日本語を職業にしている人、日本語の専門家(アナウンサー、朗読の語り手等)は標準語のアクセントをしっかり身に着ける必要がある。方言では文化に沿った独特の言い回しやイントネーションがある。言葉によって心情を表すのに多種多用なリズムを持たせて表現能力を高めてもいますね。そういった機能を頭で使いこなすことは至難であっても、「言葉にならない気持ち」を言葉に乗せるのに有効だったと思います。
短歌、俳句など最近は読んでいるのですが、こういった探求が出来るのも日本語ならでは。理論によらず脳を休めながらも(?)自己表現が繊細かつ単純化しても直接感じさせる心地よいリズム、理論ではなく、リズムで全体(自然や深い心情)と調和せしめる(?)術のある日本文化を尊ぼうと改めて感じる機会になれました。
No.10
- 回答日時:
今回のeyasi2012さんのお話はとても真髄を語っておられますね。
《日本語だけが、母音を強く発音します。この母音の時、癒し、無が発生します。この影響で、日本の伝統文化、和風文化は、西洋的な自己表現ではなくて、》
やはりこれは日本語だけなんでしょうかね。ほれ込んでしまっている深遠にして該博なヒンドゥのも、やはりどこか日本語にない何か残滓が残りますが。
サンスクリットの言葉と発音はほんの一部しかできないのですが、いわゆるインド・ヨーロッパ語でなんでしょうね。
所謂聖典用の、古代言語であっても。
全ての種音であるとされている、宇宙音、お寺の梵鐘、オウムなどは母音で構成されていますよね。
これが日本語では全部の基本になっているのですね。その所為だったのですね。
他の文化はほんとに、自己表現、自己中心から始まり、その対処と処理をどうするかで、思想が構成され、構築されていますね。
何も国粋主義というわけではないのですが。
以心伝心とテレパシー。
前者も何か、不合理とか、腹芸とか、まやかし的とかの評論を何かとされがちですが、わからない人にはわからない、伝わらない人には伝わらない。これは当たり前ですよね。
聖典だった、聖者の言葉だって、詩だって何だって。
やはり、心というか、存在が伝え、受け取るのですよね。
テレパシーは私は、(非頭脳言語、非頭脳)という註をつけて、ご回答をワードに保存させてもらいました。悪用はしません。
ことば化できなかったのですが、私の考えにとても合致します(これって、若くて現場をもっていると、悪用の危険がありますね)。
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