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教えてください。
貴方にとっての想い出に残る名勝負とは・・・
悔しかったり、感動のシーンを、名選手名勝負のご紹介をお願い致します。

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私の場合は柔道の「故、猪熊功選手」と「山下奉裕選手」です。

「猪熊選手」
東京オリンピックの重量級での金メダリスト。
当時、私もしがない柔道青年でした・・・
待望の愛する柔道がオリンピック種目に、世界に強さと礼節とを示すんだと期待を込めて、その日は道場で見ました。

そして、明暗、悲喜こもごもの闘いが行われていた。
まさか、お家芸であり、不敗を信じていた柔道で、あの神永選手が図体だけがでかくても、技らしいものが何も無いチョコチョコ脚を蹴るような仕草だけのオランダのヘーシンクに、神永の必殺の体落としで果敢に攻める技を→何とすかされ、体重を掛けられ、圧し掛かったように押さえ込まれて負けるなんて。

跳ね返せ、立て、負けるな神永・日本柔道と、声を枯らし叫んだものだった。
その時、呆然となった私の中では何かが崩れ落ちるような、信じ難い一瞬でした。
我が日本柔道が、ショックの余り涙を堪え切れなかった・・・。

一方で、猪熊選手は激戦の重量級で僅か88kgの最軽量で32kg差もある巨漢カナダのロジャース選手を破り見事に金メダルを齎してくれた。
柔良く剛を制す、体重差を技の切れで必勝の執念で・・・。
それは、心技体の充実と全力を尽くし発揮による見事で華やかな勝利であった。
バンザイ!、バンザイ!、日本万歳!、柔道万歳!


「山下選手」
あれはソ連のアフガン侵略に抗議して、西側諸国がモスクワオリンピックをボイコットした時である。
金メダル確実と言われていた山下選手が涙ながらに訴えていた姿が鮮明に浮かぶ・・・。

政治とスポーツは違う!
それは、戦争を無くし、紛争の解決の為にも、平和の祭典オリンピックに参加させて欲しいとの哀願であった。
本当に悔しく、残念な時代であり、モスクワオリンピックのボイコットであった。

それから4年、待ち望み精進を重ねる身には、短くもあり長くもある歳月、今度は共産圏がボイコットの報復をした因縁のロスアンゼルスオリンピックである。
我が山下選手は選手生命や実力のピーク維持に励み、必勝・万全の気概で出場した。
そして順当に勝ち進んで行く・・・。

ところが、何と不運、神は仏は無いのか、これが勝利への試練なのか?
山下選手は、決勝を前に試合中に脚を痛めてしまったのである。
その決勝は、見るからに苦痛を堪えながらも、脚は引き摺り歩くのさえもが痛々しい姿である。
見ていて、頭によぎるは欠場・棄権の文字である。

相手は、強豪エジプトの巨漢ラシュワン選手である。
何とかケガが苦痛が少しでも消えてくれと祈る中で、心では敢闘空しく・・・の悲壮なる思いで心の声の限り声援していました。

その結果は?
ラシュワン選手が山下選手の痛めた脚を攻めず、正々堂々と構え組み合い、立ち技勝負に徹していた。
そして、執念・根性・神懸り的な対戦を経て山下選手が勝利し念願の金メダルを獲得したのである。

後に、ラシュワン選手には、弱点を負傷を攻める事を潔しとしなかった武士道精神のあるサムライだ・スポーツマンシップの鑑との称賛の声が上がった。
一方で、試合に勝負に同情は無用!
対戦相手に観衆に対し、試合に全力で挑まないのは非礼だとの非難も強く起こった。

何れの声が評価が対応が正しいのか、攻めていたらどういう結果になったのか・・・
今も、当時の両選手のお気持ち、現在の心境を私は知りませんし分りませんが・・・。

でも、信じたい!
そうありたい!
正々堂々と全力で闘い、結果が分かれた後には悔いが無い→互いの健闘とフェアプレー精神を称え合う姿、信頼し合う心で結ばれていると・・・。
礼節に始まり礼節に終わる、柔道の心が茲に結晶となって現れていると。

A 回答 (3件)

私は、第25回スーパーボウルです(NFL :アメリカンフットボールです)。


初めて、TV生中継をフルで見た試合でした。
カードは、バファローVSニューヨークジャイアンツです。
逆転につぐ逆転で手に汗握った覚えがあります。バッファローのサーマントーマスの階層にゲスト解説(?)の長島茂雄さんが興奮していたことを覚えています。試合は、終了間際逆転を狙ったフィールドゴールが外れて、1点差でバッファローが負けました。

思えば、この試合がバッファロー、スーパーボウル4連敗の序章でした。スーパーボウル4連敗は唯一の記録ですが、スーパーボウル4年連続出場したのも、バッファローだけが持っている記録です。
このことをスーパーボウルに4連敗したという汚名ととるか、または、スーパーボウルに4年連続した偉業と取るか、人によって評価がわかれるところです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

アメリカンフットボールの最高峰の試合(スーパーボウル)ですね。
しかも、試合展開が逆転につぐ逆転で終了間際のせめぎあい、そして結果が1点差の大接戦であれば、知らず知らずのうちに手に汗握るのは分ります。

NFL:良くルールが分らぬ、まったくの門外漢の私でも、その時の観衆や貴方様の、その臨場感、興奮、感動が、鮮やかに甦ってくるようにです。

余談(体験と記憶)
◇娘が関西学院大学に在籍時、確か実業団との試合に友人が出ていて、一緒に応援に行きました。
その時の記憶では・・・ラクビーと似ているが、いかにもアメリカの競技だと思いました。

当時の、根性だ、団結だ、陣地取り合戦のような、精神論(スポ根・敢闘精神)が大きな比重を占めていた(学生・社会人)ラクビーに比べ、攻守の切り替えやパス・フォーメーション・戦略的なサインプレーの駆使と目まぐるしい選手とボールの移動、ゲームの緩急・切り替えが・・・

恥ずかしながら、何故、今のプレーで得点が入ったのか、試合が突然、たびたび中断するのか、最後まで得点経過やルールが分らないまま観戦していました。


◇現、京セラドームの確か杮落としにアメリカの強豪2チームの対戦試合に、家族で行きました。
当時の私は、ナイターでビール片手のプロ野球観戦が大好きで、子供に付き合ってただけでした。

チアーリーダー?
私は、両チームのそのユニフォーム姿で踊る、白人黒人のショーを見つめていた。
グランドのゲームよりも、彼女達チアーリーダーの華やかさと美しさと脚線美に、目を奪われ見とれてる単なるスケベー親父だった。

それと、DJですか?
うるさいだけの音楽が絶えず流され、ゲームの間中の放送が、試合の興奮とシンクロしての英語でされており、ちんぷんかんぷん、やかましく、家族のかたわらで、どちらのチームをどの選手を応援するでもなく、手持ち無沙汰な時間を過ごした記憶があります。

今考えれば、周囲の興奮の中、ウツラウツラしてたのは→もったいな、選手や観客に無礼な、その場に似つかわしくない傍観者だったと反省しております。
ぜひ、今後はライスボール等を見る機会には、少しでもルールを勉強し、試合の感動に参加したいと思いました。

熱いエピソードを頂戴して誠にありがとうございました、心よりお礼を申し上げます。

お礼日時:2009/02/04 10:12

ラグビー史上最大の番狂わせと呼ばれる第4回ワールドカップの準決勝、フランス対ニュージーランドです。


その大会では、全盛期のロムーやウマガなど豪華なタレントを擁し絶対の優勝候補と言われていたニュージーランドをフランスが破った試合で、試合開始前の整列のシーンを見るとフランスとニュージーランドのプレーヤーの表情が全く違っていることに気づきます。リラックスした表情で国歌を歌うニュージーランドのプレーヤーと鬼気迫り涙を流しながらラ・マルセイエーズを歌うフランスのプレーヤー、試合が始まると、フランスの狂気(ラグビーでは最大の賛辞の一つ)がニュージーランドの冷静を圧倒していきます。
10回戦えば9回はニュージーランドが勝つでしょう、そのただ1回の勝利をフランスが乾坤一擲引き寄せた試合でした。

ラグビーに一番大切なものを見せつけられた試合でした。

名勝負というのとは違いますが、後楽園で実際に目の前で見た試合、東映高橋善正投手の完全試合です。場内、7回あたりからの雰囲気はまさに異様でした。声を出すのすら憚られるようで、完全試合達成後のほっとした開放感は忘れられません。試合の細かい点は覚えていませんが、とにかくあの雰囲気は忘れようがないですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
感動的な場面が、ドンドン、色々と浮かびます。
イヤ~、スポーツて、本当に素晴らしい!

>ラグビー史上最大の番狂わせと呼ばれる第4回ワールドカップの準決勝、フランス対ニュージーランドです。
10回戦えば9回はニュージーランドが勝つ、そのただ1回の勝利をフランスが乾坤一擲引き寄せた試合でした。

ラグビーは、私も大好きです。
読んでるだけで、当日の激闘、感動的な情景が伝わって来ます。
スクラム、タックル、トライ・・・
そして、何時しか、ノーサイド!
互いの健闘、全力プレーを讃え合う感動の瞬間を迎える。

私は国内の試合しか知りませんが、
中でも、新日鉄釜石、同志社の黄金期が強烈な印象、雨にも負けず風にも負けず・・・の懐かしい想い出の光景です。



>後楽園で実際に目の前で見た試合、東映高橋善正投手の完全試合。場内、7回あたりからの雰囲気はまさに異様。声を出すのすら憚れ、完全試合達成後のほっとした開放感は忘れられません。

プロ野球は、昔から何度も観戦に行きましたが、完全試合・ノーヒットノーランには縁がなかったです。
羨ましく、その緊張感、静まり返ったシーンは想像だけですが、乱打戦の興奮とは一味違う内容の濃い試合だったのでしょうね。

高橋善正投手は、うっすらとした記憶しかないが、東映フライヤーズはよく覚えています。
西鉄と同じく、低人気のパリーグ球団の悲哀からか・・・
ファンにとっては辛く悲しい現実→日拓・日ハムと球団経営や名称が変遷したのですね。
水原監督、張本・大杉・白・土橋がいた、後には浪商の尾崎投手が入り大活躍したんですね。

私は、昭和31~33年頃の西鉄ライオンズの大ファンです。
三原マジックの三原脩監督が率い、鉄腕・稲生和久、怪童・中西太、豊田、大下、高倉・仰木・玉造・和田・河村・若生がいた野武士軍団である。
私の記憶では、リーグでは南海ホークス(鶴岡監督・杉浦・野村・皆川・杉山・広瀬が活躍)がライバルで阪急・毎日・東映・近鉄は概して下位に低迷が多かった。
当時が野球に燃え、観戦・応援にも打ち込んだ懐かしき時期である。


スポーツは、何でも一流の試合は素晴らしいもの。
オリンピックや国際試合には頑張れニッポンと熱く燃える。
中でも、現在の入れ込み度・関心度は
柔道>プロ野球>大相撲>ラグビー>ゴルフ>サッカー

お礼日時:2009/02/04 17:58

こんばんは、


「キンシャサの奇跡」
 モハメッド・アリが、当時無敵のチャンピオンであったジョージ・フォアマンに対し常識外の戦法(ロープ・ア・ドープ)を用い、一転、完膚なきまでに叩きのめした、ザイールで行われた、あのタイトルマッチです。
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この回答へのお礼

>「キンシャサの奇跡」
 モハメッド・アリが、当時無敵のチャンピオンであったジョージ・フォアマンに対し常識外の戦法(ロープ・ア・ドープ)を用い、一転、完膚なきまでに叩きのめした、ザイールで行われた、あのタイトルマッチです。

                ↓
モハメド・アリですか・・・
確か、蝶のように舞い、蜂のように刺す。

オリンピックでの金メダル、世界ヘビー級チャンピオン、アメリカンドリームとブラックパワーの代表スターだった。
軽快なステップと有言実行<大口を叩きそれを実行してしまう>

私も、是非、ライブまたは映像で「キンシャサの奇跡」試合の全貌を観たかったです。
イメージ的には勘違い、場違いかもしれませんが・・・
私の好きな歴史で例えると「五条の橋の弁慶と牛若丸」ですね?

貴重な事例のご紹介を賜りありがとうございました、心よりお礼を申し上げます。

お礼日時:2009/02/05 22:57

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