No.1
- 回答日時:
「思弁speculation」は、古典的には実践知の対概念です。
現実生活の中で役立つ技術的・道徳的な知恵が「実践知」ですが、これに対して、ただ認識と論理による説明のためにのみ行われる思惟が「思弁」です。古代ギリシアでは「観照theoria」と同一視されることがありました。現実生活の中では、人間誰しも他の何かに対する手段とならざるをえませんが、そのような在り方を離れて、「不動の動者=他のすべてにとって目的であり、決して手段とならないもの」を観念する生活、それが「観照」です。実践知とは次元のちがう知のあり方、そしてそれによる生活ということです。
また「思弁」は経験知の対概念でもあります。
人により状況により、「感覚」というものは変化します。同じものを見ても、昼と夕方とでは見え方がちがう。またさらに、「感覚」は肉体にそなわった器官に依存します。このため、「感覚は信じることができない」という立場が古来からありました。すると、この「感覚」を唯一の入り口として成立する「経験」というものもまた、信じるに足りないものとなります。「経験は知の土台にはなりえない、経験は排除すべき」との考え方が生じます。
するとここに、経験によらず、純粋に論理だけで演繹をすすめる思考の在り方が生まれます。これが「思弁」、「思弁的思考」です。
しかし、上記のような「現実の実用を離れた知」というのは、裏を返せば「役に立たない知」ということですし、「経験を離れた知」というのは、まったく現実離れした無意味な知にもなりえます。…というか、ほとんど確実にそうなります。
ここから、特に近代に入ってからは、ですが、「思弁」という言葉は「空理空論」というネガティブな意味合いで用いられることがほとんどです。したがって、自らの思想的立場を「思弁哲学」と称する哲学者はほとんどいません。例外的に、直観的理性によって絶対者の全体に直接到達できると考えたシェリングや、カント的理性を「悟性」と言い換えて、経験を超えて飛躍しうる理性の力を「思弁的」と呼んだヘーゲルは、この語を積極的な意味合いで用いています。
しかし…こう書いてきましたが、なんか、質問者の意図とズレてるような…。
次の「なぜ哲学者は物事を逆さまに見たのか」ですが、もう少し内容を具体化していただけるとうれしいです。マルクスのヘーゲル批判なのかなぁ…とか一瞬、思いましたが。それともニーチェとの関連で言うと…「価値評価する視点の反転」(『道徳の系譜学』)かな…。
P.S.「フレデリック」は英語発音で、ドイツ語では「フリードリッヒ」になります。
どうも有り難う御座います。
思弁哲学というのが、少し解った感じがします。
哲学を興味から取ってみたのですが、とても難しいですね。
物事を逆さまに見る、というのは哲学者の言うoppositeの事なのですが、
例えばDeath and alive, black and white, togther and alone, と
なり、ニーチェの書いたGood and evelになる、ということです。
彼は、この逆さまに何を見たのでしょう?
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
「物事を逆に…」というのは「反対のもの opposite」ということですか。
二元論 dualism のような物の見方ですね。これならば、たしかに非常に多くの哲学者たちが物の見方として採用しています。私自身は、この「世界を二つの棚に分けて整理する」見方は、人間思惟の根底にある、最も根源的な「罠」であると考えています。
例えば、ヘレン・ケラーは「水」という単語から言葉の世界に踏み込んでいきました。そこで彼女の中に起きたことは、「水」という物と「水」という単語を結びつけることだったのですが、もう少し詳しく見ると、それは「水」と「非-水」という対立する二項構造を把握したということなのです。あるものに注目することは、それを他のものと区別することです。「これはAである」と肯定的に規定することは、「これはA以外のものではない」という否定をも同時に含んでいます。
また例えば、あなたが恋人との待ち合わせで街角に立っているとします。そのとき、あなたの意識には「対立する二項構造」が出来ているはずです。「愛する人」と「その他大勢」との。
人間が何かを考えようとするとき、人は自動的にこのような二項構造を持ってしまうのです。
おそらく、このことの反映でしょう。人間の目から見ると、世界は二つの棚に分けて整理するとうまく説明できるもののように見えてしまうのです。男と女、善と悪、心と身体、人間と自然…などなど、と。哲学者たちがoppositeで物事を見てきたのは、こういう理由によると思われます。
なお、この質問の8つくらい前に「二元論」関連の質問が二つ並んでいます。参考になさってください。もっと前の質問にも参考になるものがあるはずです。
さて、ニーチェ。善と悪 Gut und Boeseです。
上で二元論の話が出ましたから、まずは「善と悪」の色々な捉え方をみておきましょう。四つほどあります。
1 善と悪はそれぞれ「実体」である。(二元論)
2 悪とは善の欠如である。(善の一元論)
3 善とは悪による仮構である。(悪の一元論)
4 悪とは関係の解体・関係からの逸脱である。(善悪の相対論)
上から順に、簡単に説明します。
「1」→「神」という善の実体、「悪魔」という悪の実体、というように、善と悪がそれぞれ自立して存在しているという捉え方です。ゾロアスター教が好例です。
「2」→プラトン的な考え方。キリスト教の考え方も本来はこれに属します。善だけが実在する、悪は善が欠如しているか不足しているために起こることだ、というものです。
「3」→例えば社会契約説です。ホッブズで言えば、「万人の万人に対する闘争」という人類滅亡必至の状況を阻止するため、権力を譲渡して「政府」を立てる…みたいな。「善」とか「道徳」とかいうものは、本来欲望の塊でしかない人間が、互いに生き延びるために編み出した妥協の産物だ、というような考え方です。
「4」→これ、いちばん説明しにくいんですが…。それ自体として善と言えたり、それ自体として悪と言えたりするものはない、という考え方です。例えば「不倫」という名の悪があります。これは、法的に婚姻を結んだ男女の「関係」からの逸脱であり、その「関係」の解体だから悪とされるのです。しかしこの「関係」自体が別の形をとれば、それは悪とは言えなくなります。例えば平安時代の愛の形は、今日で言う「不倫」というものを当たり前のものにしています。…要するに善悪の基準は絶対的ではない、という意味での相対論です。
そこでニーチェですが、上記の「1」や「2」のように捉えられた善を「虚妄」としてバッサリ切り捨てます。そうした善が成立した過程の説明の仕方は「3」に近いものがあります。しかしその過程は「欲望の制限ないし生の否定」という方向で善を立てていくものでした。その結果、人間の持つ善は「やましい良心」「奴隷道徳」にすぎないものになってしまった。ですからニーチェは「価値の転換」を図ります。「生の肯定」という方向で人間の生き方を再構築しようとしたわけです。
ニーチェは「すべての事物には力への意志がそなわっている」とし、またこの意志は善悪の範疇を超えて肯定されなければならない、としています。すべての存在は、力を欲し、その力でできることをしようとする。それを否定してはいけない、ということです。
ところが、その「力」と、「その力でできること」とを引き離し切り離そうとする力も働きます。これが「反動的な力」です。キリスト教道徳に代表される「奴隷道徳」は、この反動的な力によって形成されたと、ニーチェは考えます。そうではなくて、生の肯定に発する「能動的な力」によって道徳は立てられねばならない。もともと無(nihilo)だったところに、それを覆い隠す虚構として立てられた善やら道徳やらは打ち壊さねばならない。そこであらわになった「無」を肯定できる強者の道徳が立てられねばならない。
つまりニーチェは、人生を無意味なものと見定め、そこから逃げて作り事の「意味」や「価値」の幻想に溺れたりしないで、無意味な生を無意味なまま肯定して生きるという生き方を考えていたと言えましょう。そこではもはや、われわれ凡人が考えるような善悪は問題になりません。「善悪の彼岸」に飛翔してしまっています。
ですから、結論的に言えば、ニーチェは「善悪なんてカンケーない」という見方をとったことになるでしょう。
それで、上記の「4」のような善悪の捉え方ですが、これ自体がニーチェに見られるということはありません。ただ、ニーチェを生産的に解釈しようとする議論の中で、彼の主張に「互いに他の生を肯定しあう積極的な欲望」を読み取ろうとする場面で、似たような図式が援用される場合があるように感じます。ドゥルーズとか竹田青嗣とか…。
と、書いてまいりましたが、実際のところ、ニーチェの思想をこの場でまとめるのは不可能なことです。それに、彼の言葉は、それ自体難解ということはないのですが、人によってさまざまな解釈の仕方を許す幅と深さがあります。市販されている信頼できる解説書などを片手に、ご自分なりに原典に触れてみることをお勧めします。
どうもありがとうございます。
とても良い参考になりました。
今からいうと、怒られるかもしれませんが、
明日までのリポートなのです。
教科書を読んでもいまいち分からなかったり、
また、授業にもついていくのがやっとという感じだったので、
正直につらかったです。
今週は月曜から、水曜まで雪のため、大学がお休みだったので
今からserpent-owlさんの答えを参考にがんばります。
No.3
- 回答日時:
やはりレポートでしたか。
「興味を持って取った」とおっしゃっていたので、そうだろうとは感じていました。でも「興味」をお持ちなら、それでもいいと思ったのです。哲学は必ずしも学校で学ぶものではありません。ご自分の興味が向いたところから、少しずつ学び、考えていけばよいと思います。
では、ご健闘を。
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