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いろんな学問の中で哲学だけは道楽のように思えるのですが、哲学は何かに貢献することはあるのでしょうか?
何か例があれば教えてください

子供のころは哲学って意味も分からずにすごいものだと思っていましたけど、大人になってなくても良いような気もしたので質問しました

A 回答 (28件中21~28件)

 哲学の意義の一つの側面は、「当たり前」過ぎて見えなくなったものを見ることにあると思います。

空気はあって当たり前なので普段は気にもしていませんが、台風などで体が吹き飛ばされそうになった時、空気の存在に改めて気付くのです。重力もそうですね。
 「どう生きるのが正しいか」「人生の意味とは」という問いに、「その答えを求める過程そのものが人生だ」と答えるのが現代風だと思います。昔は確固とした答えをああでもないこうでもないと議論していたのだと思います。「絶対的に正しいものはない」という考え方はごく最近の考え方で、これが構造主義と呼ばれるものだと思います。
 「正しく考えるには」という問いに、誰よりも正確に答えられれば、それはとてつもない自信を与えてくれると思います。だって、100対1でも60億対1でも、自分の方が正しいのですから。騒音に対して逆位相の音をぶつけることで騒音を低減させようとする装置があり、高速道路の防音壁への採用が検討されています。自分の持っている偏見を知り、それを意識的に差し引くことで「正しく考える」ことができるのではないかと考えられます。世界を正しく捉えるとは、結局は自らの認知の仕方を知ることと同義ではないかと思います。
 なぜ正しく考える必要があるのか。それはこの世界(身近な人間関係や社会情勢から自分自身のことまで全て)に対して効果的に働きかけるためです。正しい認識をしていないと、効果的に働きかけられないからです。心理学も脳科学も人類学も歴史学も、この点では共通の面があると思います。
 もしも、もしも私たちがこの“世界”を“ありのまま”に捉えることができたとしましょう。一切の偏見を排除できたとしましょう。そうすると“世界”はどのように私たちの目に映るでしょうか。おそらく、ありのままの世界には“意味”がないでしょう。空気のように無色透明で、重力のように意識されないでしょう。
 だったら、“世界をありのままに捉える”という企みは絵にかいた餅です。おそらく「真理」は、ロシア土産のマトリョーシカのような入れ子構造になっていて、真理に近づいたような気にはなるが、決して真理には到達し得ないのでしょう。
 私たちは流されています。気付かないうちに、時代の潮流に流されています。人間ならば誰もが持っている「認知の仕方」に流されています。人物像において、暖かい⇔冷たい、やさしい⇔厳しい、細かい⇔おおざっぱ、という線分上で捉える二分法は、どうして三分法や四分法ではないのでしょう。それは、この現実世界には秩序があるからです。私に近い方からA地点、B地点、C地点があれば、A⇒B⇒Cの順に到達します。時間も昨日⇒今日⇒明日の順に流れます。もしも現実世界に時空の歪みが頻出するようなら、もしも人間の性格が激変する事態が頻出するなら、このような二分法で捉えはしないでしょう。
 その認知の仕方が正しいかどうかは、世界に対して働きかけるに、効果的かどうかによって検証されるのだと思います。哲学の貢献は、その点にあると思います。 
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この回答へのお礼

>哲学の意義の一つの側面は、「当たり前」過ぎて見えなくなったものを見ることにあると思います

”素人の意見は大事だ”に似てますね

要するに哲学そのもだけでの答えはなく、なにか見えなくなったものと抱き合わせで考えるものと思って良いのでしょうね
人間の利益を考えての哲学は、何か的を絞ってその中から見えないものを探し出し追求することで良いのでしょうか?

ここで回答も一段落しているので、哲学があらゆる学問・芸術に貢献していることは分かりました。
しかし、宗教的な分野ではどのように役立っているのでしょうか?
人がどうあるべきかということで追求するのでしょうが、その材料となるのが物理や化学などと違い何かがあるという仮定(神など・・)の上でされることも哲学なのでしょうか?
なんでもありでは哲学の価値がないようにも思えるのです

誰かこの質問で答えられる方がいましたらお願いします

お礼日時:2009/03/14 08:59

論理的思考で、宇宙や人を追求しても答えはでません。

宇宙は心、自然の情緒で出来ています。論理的思考は脳の思考活動です。心の活動ではありません。科学は、脳の論理的思考で発展しましたが、脳は自然、心と対立してるので、最終的には自然を破壊しました。だから論理的思考は言葉の遊びです。宇宙を理解するためには、脳の論理的思考を止めて、人の心で自然の情緒で考えないと答えはでません。日本の伝統文化は、脳を休めて自然の情緒、心の癒しを追求してきました。禅、茶道、能、雅楽、舞、演歌、日本画、短歌、俳句、落語、文楽などです。これが本当の哲学です。だから西洋の哲学は、科学と論理、自我ですが、日本の哲学は、自然の情緒、心、無我を追求しています。
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この回答へのお礼

その人が存在する空間と時間によって考え方も変るものだとよく分かります
しかし、哲学とはとりとめもないのですね
これだけいろんものがあると比較した時に矛盾したことが一杯出てきそうですね

お礼日時:2009/03/14 08:27

その人の行動の指針ではないですか?


その人の志。

不安定な人は宗教に走ると思います。
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この回答へのお礼

やはり哲学と宗教は隣りあわせだと感じている方の回答も出ましたね

”不安定な人が走る”についても考えながら回答を見て回ります

お礼日時:2009/03/14 08:18

「いろんな学問の中で哲学だけは道楽のように思えるのですが、哲学は何かに貢献することはあるのでしょうか?」



ロボットあるいは動物と人間を分けるものですね。哲学以外はプログラムロボットでも猿でも可能でしょう。なぜなら発見や発明は哲学効果ですからね。
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この回答へのお礼

これは納得です^^

お礼日時:2009/03/14 08:15

 権力の御用にお役に立つ哲学。


 自分ではそうは思っていなくても、道楽の哲学。
 世界と自分の根源的存在となる哲学。
 貢献してもらいながら貢献している哲学。
 貢献してもらいもせず、貢献もしない哲学。
 人の思いを豊かにするだけの哲学。
 何か考えただけの哲学。
 ポーズとしての、アクセサリとしての哲学。
 そういうように、根本を論じながらいろいろありうるのでしょうね。
 論じているだけの哲学とか。それは道楽の哲学でしょうね。
 ご質問者は何をなぜ、何のために、何に立脚して回答を求める質問をなさっているのか、この後どうするのか。
 これも不可解ですね。どうなんですか、本当のところは?
 補足の要求にお応え(答え)はあるのでしょうかね?
 期待していていいのかしらね?

この回答への補足

みなさんに返事はさせて頂きますよ
しかし、もう少しお待ち下さい^^

補足日時:2009/03/13 16:26
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この回答へのお礼

>ご質問者は何をなぜ、何のために、何に立脚して回答を求める質問をなさっているのか、この後どうするのか。
 
素朴な質問で裏はありません
哲学に対する専門外の人も含めてどのように思われているのかまず知りたかった事、それは自分が子供の頃に勝手にイメージしたものとどれくらいのギャップがあるのか知った上でまとを絞り(これは最初からとりあえずですが宗教と哲学との関係)疑問に感じていることに答えを見つけ出そうかなと思ったからです

なにかひとつまとを絞ればすべてに共通するものもあるだろうと思っているのですが・・

ついでに、私は無宗教です(理由なくして無宗教な訳ではありません)
子供の頃にそう決めたことですが、今この年になってそれが正しかったのかどうか確認したいのもあります

といってもまだ的は絞ってはいませんよ

お礼日時:2009/03/14 08:13

難しい学問の基礎ともいえると思いますが、



道楽でも間違ってない学問だと思います。
すごいものだというのも間違ってないし、
なくても良いというのも間違っていません。

通常の生活を送るのに、必需の学問ではないし、
そもそも興味を持つ、理解が深い人も稀という学問です。
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この回答へのお礼

いろんな方向から見ることが出来ますよね
私は道楽であるならば、ある意味素敵な事なのかなと思っています

お礼日時:2009/03/14 08:02

いくつか考えられると思います。



既存の宗教・権力を擁護する。
既存の宗教・権力を非難する。
新たな宗教・権力をアピールする。
論敵に勝つ。
業界で金を稼ぎ生きる。
名誉欲。
単純にそう思ったから発表する。
「生命の苦しみをなくしたい」
「純粋に生命の分析」
こんなところだと考えてます。

「生命の苦しみをなくしたい」「純粋に生命の分析」という働きで私の知っているのはゴータマ・シッダールタさんのパーリ語の仏法です。

反宗教的で論理的理性的で道徳的で実証的に語られた教えです。

これは生命にとって無ければならないものだと言う実感があります。

手始めに「やさしいってどういうこと?」スマナサーラ長老の書籍をオススメします。

サンガ出版の仏法も教科書のようでオススメです。

何か参考になれば幸いです。
幸福であれノシ
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この回答へのお礼

あらゆるものに哲学は必要?あるとは思っていましたが、考えればキリがないですね
ここで大きな疑問なのですが宗教と哲学が結びつくのがこじつけにも思えるのですが・・これはこの先いろんな回答がまだあるので少し考えてみたいと思います

お礼日時:2009/03/14 08:00

こんにちは



僕はこのカテゴリーで回答するのは初めてですし、哲学は全くの素人ですが

かつて錬金術が化学などの現代の自然科学の基礎になったのと同じように、現代の人文社会科学系学問の基礎になったものというイメージがありますね
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この回答へのお礼

私もまったくの素人です
なにか発見できれば良いですね^^

お礼日時:2009/03/14 07:54

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