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宗教は信じるべきなのでしょうか?
肯定派も否定派もその理由を述べていただけると有難いです。

A 回答 (10件)

信じていない人に対しては



「理性的・論理的・道徳的・実証的に確かめられることを徹底的に確かめて、その結果と信仰する対象の言っていることがどの程度差異があって、論理破錠があって現実とそぐわないか。徹底的に検証して問題がないものなら、安全かも。でも強く信仰すると言うことは信仰した時点で事実を捻じ曲げてでも信仰したものを事実として、他は間違っているとすることだから慎重に吟味して、理性で分析・検証して出てくる疑問は徹底的に解消して、それからにしたほうがいいと僕は思うよ。個人的には柔軟に見解を少しでもマシなものになるようにしていきたいと思ってるけどね。」

信じている人には

「自由だから何を信じようが良いと思うよ。ただその信仰によって自分や他人が悩んだり苦しんだりしているようなら、一度・論理的道徳的におかしなことは無いか調べてみるのも良いかもよ。生命なら誰でも幸福になりたいし、悩み苦しみは嫌だし、努力は実って欲しいし、今なすべきことはすぐにひらめいて欲しいという希求があると思うから、素晴らしい方の説く素晴らしい教えなら、その希求を全生命が満たす方法を説いているはずでしょ?その線から外れて説かないんじゃないかな。素晴らしい方が説くおしえなら、矛盾なく説かれているだろうから徹底的に調べてみるのも有意義かもよ。我々は完璧じゃないから、今まで教えの解釈とかを取り違えているかもしれないしね。」

と相手の自由を認めて、理性を刺激するぐらいでしょうか。。。

信仰するものが危険なものなら、多くの悩み苦しみを生むものなら大変ですから、検証は大事かなと思います。洗脳されてもつまらないですしね。
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信じてるからオタクとかマニアってのが居るんじゃないかな。


宗教なんて硬く考えない方がいいですよ。
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「信じているもの」が宗教です。

信じるべきなどというものではありません。
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♪「こんにちは赤ちゃん、わたしがママよ」


と、言われてもホントに自分を生んでくれた親たる確信
となると普通は親の言を信じるしかありません。
嘘かホントかDNA鑑定しても100%確実でない鑑定を信じますか?
そんなとき親を信じるか科学を信じるか悩ましいですね。
如何なる宗教も「絶対唯一、我が宗旨が正しい」のであり、
またそうでなくては信仰になりませんね。
信仰は利益が具体的に体感できないので更に迷う事になります。
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信じたければ信じればいいのです。

個人の自由だと思ってます。ちなみに私は無神論者です。
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宗教そのものは、人に死がある以上必要なものといえます、もちろん死を恐れず、堂々と向かい合える人は別ですが、大方の人は死の恐ろしさを宗教に求めて、癒されて安堵の気持ちを持つものです。


それにしても、世の中宗教が多すぎます、仏教でも、キリスト教でも
分派までいれれば、何百とあります、不思議に思うのは、教えは一つのはずです、釈迦が二人いた、キリストが三人いたなどという話は聞いたことがありません、釈迦もキリストも一つの教えしか説いていないのに、なぜこうも色々なたくさんの宗教が生まれてくるのでしょう。それは宗教を食い物にして自分の利益のためだけに都合のいいように、本来は一つしかない教えを捻じ曲げて解釈しようとするからです。
信じるか信じないかは、ご質問者様の考え一つです、宗教の助けなどかりなくても、自分は死と対じ出来る強い意志を持っていると思えば信じる必要はありません、そうでなければ宗教を信じ気持の安らぎを宗教に求めるのも一つの道です、ただしその場合その宗教をよく見定めて下さい。金儲けのためのインチキ宗教だけは気をつけて下さいね。
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その宗教が原因で争いが起きてるし、宗教という名目で金儲けしている連中もいる。

所詮その程度のもの。信じる必要なーし。
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信じる「べき」ではなく、信じるものでしょう・・

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私は宗教は信じていない派です。


ですが、信じるべきものではないとは思いません。
私は宗教は人がより幸せになるために生まれた思想だと思っています。
ですので質問の答えとしては、それを信じることによりその人が幸せになれるのでしたら信じるべきだと思いますし、そんなことを信じても無意味だと思う人は信じないのがいいと思います。
例えば、輪廻や生まれ変わりの思想などは死ぬのが怖いと思う人にとって、信じられる人にとっては救いになるので、その宗教を信じることは有意義だと思いますし、信じられないのであれば意味のない思想だと思います。個人的には信じられない派なのですが、信じられる人はうらやましいと思っています。
ただどちらにしても、自分の考えを人に押し付けてくるのは迷惑なので止めて欲しいと思いますけど。
あと、宗教がややこしいことになってしまうのは、それにつけこんで欲を満たそうとする人がいる事と、自分の宗派を無理に広めようとする人がいるからだと思います。
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個人的には、「信じるべき云々」という時点で論外ではないかと思います。


宗教とは人が生きる規範とし拠り所とするものであり、明確に「●●教」というものでなくても自身が拠り所に出来るものなら何でも信仰たり得ます。
「鰯の頭も信心から」と揶揄して言われますが事実そうだと思いますよ。

例えば「世界は物理学で全て説明できる」という信念を持っている人は「物理学信者」と言えます。
また我々日本人はよく
「そんなことをしたらバチが当たる」
「黒猫を見るなんて験(げん)が悪い」
などと言いますが、これも日本の土着宗教に依存するものですから「日本教信者」と言えるでしょう。

「信じるべきか」などと能動的にとらえるものではなく、
自然とその人の精神を規定する器たり得るもの・・・ではないかと考えます。
信じるべきか否かと言われれば「受動的に信じるべき」とでも答えましょうか。
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