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日本刀は槍などのリーチのある武器にかなわないので実際の戦場では武器として使い物にはならず、単なる首取りの道具や戦場のお守りの類でしかなかったと昨今言われていますが、倭寇に手を焼いた明の将軍には自分たちの武器ではかなわないので日本刀をこちらも使うべきとまで提言する人がおり、実際に軍の武器として正式採用もしているようです。

このギャップをどう考えていいのかわかりません。明軍は臆病だから日本国内では首取り用武器やお守りでしかないものを過大評価して採用してしまったということでしょうか?

A 回答 (10件)

状況に応じてそのときに有効な武器は違ってきます。


リーチの長い槍のほうが有利になることは多いですが、先端部にしか攻撃する能力のない槍は懐に入られると一気に弱くなります。
また広い場所でないと使えないため市街戦や乱戦になると使いにくい部分もあります。
戦国時代のように多くの人間が組織だって動くときには槍の方が有効的に使えるようになります。
しかし倭寇のようなゲリラ戦や維新時代のような市街戦では刀の方が有効的に使える場面が増えてきます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>先端部にしか攻撃する能力のない槍は懐に入られると一気に弱くなります。
マケドニア対ローマの戦いはまさにそんな感じだったらしいですね。

お礼日時:2009/04/01 19:35

広い土地で下のように合戦をする場合は


リーチのある槍と弓が有利です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

ただ、合戦においては常にそうしたシチュエーションばかりが続くわけではないのでしょうね。

お礼日時:2009/04/01 19:46

最近の発表では、坂本龍馬を暗殺したときの武器は「脇差」だったそうです。


脇差は「太刀」などと違い、小さくて破壊力に乏しそうですが、近接時に振り抜けるという意味では有効な殺人兵器です。
また、小さいので狙いを外しづらいという利点もあります。

実際に使用された刀を見ると、刃こぼれの後が見られるものが数多く存在します。
これはつまり「合戦時に実際に使用した」と見る向きが正解でしょう。
首切りには、実際にはかなり大ぶりな刀が必要なため、何人も切るのであれば特注品が欲しいはずです。
実際に合戦で多く使用されたのは小太刀や脇差くらいのタイプだと想像されます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>実際に使用された刀を見ると、刃こぼれの後が見られるものが数多く存在します。
これはまさに動かぬ証拠ですね。

>首切りには、実際にはかなり大ぶりな刀が必要なため、何人も切るのであれば特注品が欲しいはずです。
>実際に合戦で多く使用されたのは小太刀や脇差くらいのタイプだと想像されます。
うーん、あまり考えたくはないですがやる気になれば包丁でだって首は取れないですかね?なぜ首切りには大ぶりな刀が必要だとお考えなのでしょうか?

お礼日時:2009/04/01 19:44

我が家の先祖に応仁の乱の頃から続く刀鍛冶の家系があります。

戦国時代の納品記録ではおもに大身槍百筋に対して長刀五十振になっています。これが江戸期に入ると槍はなくなり大小刀のみになっています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

興味深い記録ですね。長刀というのは薙刀でしょうか?それとも長い刀と言うことでしょうか?
また、足軽の活躍が目立ち始めた応仁の乱のころには、槍の注文が急に増えていたりもするんでしょうか?

お礼日時:2009/04/01 19:50

それは、青龍刀よりは日本刀のほうが実戦向きだったという意味に思えます。



刀としては、硬さなど世界最高の品の一つらしいので。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。材質の強靭さと両手で扱うことから生まれる威力が明側には恐れられたようですね。

お礼日時:2009/04/01 19:58

新撰組の土方歳三が鳥羽・伏見の戦いのあと、刀の時代が終わったとの感想を述べたことは有名です。


 逆にいえば、それまでは強力な武器だったのです。
夜とか、白兵戦になれば刀は有効です。突きもできるし、払いもできます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

ただ、その後の宮古湾海戦で土方が斬り込みを敢行しているのが面白いところです。

お礼日時:2009/04/01 20:04

結局兵器なんて「どういうシーンで使うか」ですよ。



開けた場所の騎乗突撃に日本刀を使うのは愚かですし、海賊行為に槍や鉄砲を使うのも愚かでしょう?

倭冦の戦闘と戦国時代の会戦と、ましてや幕末の屋内戦闘をごっちゃに考える事自体が混乱のもとです。

「それぞれに適切な武器を選択する必要」があります。

倭冦では騎乗突撃や、開けた場所での射撃戦闘などはありませんから、日本刀の方が有利なシーンも多くあった筈ですが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>海賊行為に槍や鉄砲を使うのも愚かでしょう?

http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/conference-seminar/s …
この人たちは愚かなようですね?

お礼日時:2009/04/01 20:07

日本刀は近接武器や護身用として有効なものです。


圧倒的な鋭利さで、軽いにもかかわらず近い距離に殺傷力を発揮します。
他のほとんどの武器は勢いや重さ、遠心力といったものに威力を頼っています。
つまり船の上というきわめて狭いところでは有効な武器だったのです。

逆に言えば船の上や屋内と護身以外では、ほとんど使えません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>遠心力といったものに威力を頼っています。
日本刀の反りは遠心力を生かした斬撃を行うためのものではなかったでしたっけ?

あと、倭寇はしばしば沿岸のみならず内陸にも侵攻し、中には南京まで行ってしまった例もあるそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/弘治_(日本)

このときは全員船を下りると使えない刀を捨てて槍に持ち替えていったのでしょうか?

お礼日時:2009/04/01 20:15

日本刀は、長い歴史を持っています。



奈良平安の頃は直刀でした。平安末期になって、甲冑を断ち切るために反りが深くなり、馬上戦に適すべく茎(柄の部分)が短くなりました。このころの戦は、弓を射て長距離戦を戦い、そのあと、おもむろに一対一の武将戦が行われ、武士は馬上において片手で太刀を操り、ときには甲冑を断ち切って相手を倒していたのです。だから、この当時の日本刀は柄の部分が短いのです。

しかし、こういう戦い方は、集団戦に長じた元(げん)には通用しませんでした(元寇)。で、このときの経験から、日本刀は刺突に適した浅い反り(笠木反り)に変化します。さらに、その後も馬上戦から徒歩集団戦への変化に応じるため、柄が長くなり、また地上で素早く刀を抜くために刀の差し方も刃を上に向けて腰に直接差すようになります。

このように、環境の変化に適応し、少しずつ形状や使い方を変化させながら実戦に有用な武器として使用され続けたのが日本刀にほかなりません。逆に言うと、武器として使用されない物がこのように形状や使い方を変化させるわけがないのです。

日本における槍は南北朝のころに発明されたものです。槍の有用性によって最も影響を受けたものが、薙刀です。薙刀は、槍の発明によって、武士の戦場から徐々に姿を消していきます。その槍も戦国時代、足軽たちの、より集団化した戦法によりさらに長大化してゆきます。斎藤道三や信長などは、三間柄の槍を使わせたと言いますが、三間というと、5m以上あります。この長い槍を立てて相手を叩くのです。あるいは、横に一線に並べて前進するとかというものです。およそ刀とは使い道が異なるのです(こういう槍の使い方と宝蔵院などの兵法としての槍とを混同してはいけない)。戦国時代といえども、ほとんどの兵は半農ですから兵法者の槍の使い様とは異なり、みな集団の中で上から下に叩くように使ったものと思われます。

こういう長い槍は、集団戦で使ってこそ意味があるものでして、乱戦の中や攻城戦では使いにくかったのではないでしょうか。すべからく武器というものは、使いどころを棲み分けるべきものです。屋内において長槍を使う愚を思えば、ご理解いただけると思います。

したがって、戦い方や使い方を抜きにして、槍と刀とを比較するのは暴論というものではないでしょうか。

なお、古来、対明貿易その他で多くの刀が外国に輸出された事実は、日本刀の有用性が日本ならず外国においても評価されていたという何よりの証左であろうと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

元寇が日本の戦術に与えた影響について調べたくなりました。その南北朝時代に槍の元祖と言われる菊池槍を作った肥後菊池氏は元寇で活躍していますし、異なる思想の軍隊との交戦は様々な変化をもたらしたのでしょうね。

>逆に言うと、武器として使用されない物がこのように形状や使い方を変化させるわけがないのです。
まったくそう思います。打刀の差し方一つとっても合戦の知恵から生まれたものだと納得できますし、彼我ともに甲冑を身に着けた相手を想定して鎧の隙間を狙う介者剣術の技法なども経験の蓄積がなければ生まれないものでしょうね。

>したがって、戦い方や使い方を抜きにして、槍と刀とを比較するのは暴論というものではないでしょうか。
昨今はその暴論が幅を利かせているようで困りものです。

お礼日時:2009/04/01 20:38

日本刀は補助武器である事は間違いありません。

これは西洋もおなじで、剣よりも斧付き槍(ハルバート)が騎士の第一の武器でした。
どのような戦いでも最も安全なのは間合いを遠く取る事で、槍などの竿状武器はもっとも使用されました。しかし、武器が壊れたり十分に使えないような環境であると、違う武器に切り替えねばなりません。これは戦場でアサルトライフルとピストルのような関係です。
刀剣は携帯でき、すぐに使用できますから護身や特殊な環境では便利でした。ようは使い分けが必要だし、どうせ使うのならば性能の良い物を使った方が良い。接近武器としては中国の柳葉刀よりも使い勝手が良かったとおもいます。まず、両手持ちの刀剣のなかでは異常に軽い事。その割に胴を両断で斬るほどの威力があること。柳葉刀よりも長い事。突きもできる事。
ただし、明軍が盾を持っていたら刀は大変不利になります。刀は盾にとても相性が悪い。もし、明が盾を持っていて負けたのなら明の兵士が異常に弱いとしか考えられません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>しかし、武器が壊れたり十分に使えないような環境であると、違う武器に切り替えねばなりません。
刀は使われなかったという説に拘る人は、そうした発想ができないのでしょうね。打刀という様式はその武器の切り替えという必要から生まれたのだと思います(メインには槍等を使うが壊れたり近づかれたりするなどの事態にはメインアームを手放して抜刀即応戦ができるように)。

>ただし、明軍が盾を持っていたら刀は大変不利になります。刀は盾にとても相性が悪い。もし、明が盾を持っていて負けたのなら明の兵士が異常に弱いとしか考えられません。

スポチャンでは両手剣スタイルより盾持ち片手剣が有利などと聞きましたが、明軍は盾や槍を持っていてもかなわなかったようです。ただ、100人にも満たない倭寇に上陸されて大暴れされた例などを考えると、冗談ではなく本当に異常に弱いのかもしれません。

あと、ハルベルトってどちらかというと騎士ではなくてスイス傭兵のような徒歩兵士が持つものではなかったでしたっけ?

お礼日時:2009/04/01 20:56

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