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カトリックでは偶像崇拝は禁止されていないみたいですが、元々ヘブライ語の聖書では禁止されていたんですよね?

どういう経緯でこうなったんですか?
信者たちは疑問を持たないのでしょうか?
もし公式な見解があればそれも教えてください

A 回答 (4件)

よほどの新興宗教でもない限りどの宗教も偶像崇拝は禁止ですよ。


神とはそれぞれの人の心の中にあり、仏教でいうところの涅槃の境地に達するのが目的です。
仏像や弥勒菩薩像などは一体感となって瞑想への手助けをいたします。

ところが偶像崇拝は生身の人間を崇拝したり、物欲に目が眩んだりします。
そうなると神を敬うというよりも人間のエゴの部分が出てしまい、宗教とは異質になります。

旧約聖書でモーセがいない間にユダヤの民が黄金の牡牛像をつくって
その眩いばかりの輝きに心を奪われたシーンがあります。
モーセは帰還すると激怒し、牡牛をつくらせたものを処刑したとあります。

一方、古代イスラエルの偉大な王ソロモンはこの世のものとは思えない
壮麗で豪華な神殿(エルサレム神殿)をつくっています。
その素晴らしさは旧約聖書に数頁を引き割かれて書かれています。
上記の牡牛の件との違いがお分かりでしょうか。
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偶像崇拝自体は禁止ですよ。


あれは偶像を拝んでるのではなく、
祈るイメージのよりどころなのです。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B3% …

<聖像の神学的意義>のところをご覧ください。

『すなわち聖像の使用は像そのものの崇拝ではなく、像が表わすものの想起のためであり、像そのものは敬意をもって扱われるべきものではあっても、あくまでも崇拝の対象ではないと考えるのである。聖像擁護論にあっては聖像はしばしば「恋人の図像」に喩えられる。恋人の絵や写真は恋人そのものではないが、遠く離れた恋人をしのぶ者はその図像を大切にする。それと同じく聖像は、その造形を通して神や聖人の存在、またその事跡を想起させるのである、という主張である。』

<想起させる>うまい表現をして批判をかわしていますね。
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実は私も同じ疑問を持っていたのですが、浅学ゆえ正直なところよくわかりません。



 私見ですが、聖アウグスティヌス以降から偶像崇拝が肯定されるようになったのではないでしょうか?

 私もこれから勉強してまいります。
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