街中で見かけて「グッときた人」の思い出

”なぜ生きるために「物語」が必要なのか?”


河合隼雄さんや小川洋子さんの著書を読んでいて、上記の疑問が沸きました。
きっと著書の中にその答えが書かれているとは思うのですが、読解力が乏しく、神話に関するキャンベルさんの本を読んでも、他の方のレビューを読ませてもらっても、まだうまく理解できずにおります。


物語を楽しむということは理解できます。
たとえば、「クマのプーさん」や「チョコレート工場の秘密」のような物語を読んで、ワクワクしたりホッとしたりして楽しむ事は分かります。

また、人は生きるために(現実を受け入れることができるように)物語をつくっている、ということも分かります。
だから人には物語が必要…ということはわかりますが、”自分以外の他人の物語”が、なぜ、どのようにして、癒し(効用?)となるのかが分かりません。
なぜそれが生きるために必要なのか、を上手く捉えられません。


頭の中がごちゃごちゃしており、この質問もちゃんと書けているか少々疑問ですが、もしよろしければ教えて頂きたいです。

A 回答 (3件)

こんばんは、



> ”自分以外の他人の物語”が、なぜ、どのようにして、
> 癒し(効用?)となるのかが分かりません。

自分の問題にぶつかり悩んでいる人間が、
自分の物語しか知らないと、そこから逃げられません、

ユング派ではない、交流分析なども、“脚本”呼ばれる自分のストーリを基に、
人生を選択して行くと考えられていますが、勝者のストーリを持っている人間は
そのままで、良いですけど、敗者のストーリを持っている(しまった)人間は、
その脚本を書き換えない限り、最悪の場合、自殺や殺人などの
悲惨な人生をたどると考えられています。

そして、人は他人と比べることで、自分(の特質などに)の気づくものです。
他人の物語を学び参考にして、自分の上手く行かない人生を変えていくことが、
硬直している人生を超えていくヒントや気づきになると思われます。

例えば、「アリとキリギリス」の物語を読んで、
「アリのように明日に備えて生きなければいけない」と、考える人も居れば、逆に、
「キリギリスのように生きても、善意で生きて行ける」と感じる人も居ると思います。

他の物語が与えてくれる、多彩な選択肢(※)が、悩んでいる人に
多くの気づきを与えてくれるものだと、思われます。
 ※この選択肢は、自分の物語でないことで、
  軽く正確に受け入れやすいものと思われます。

“癒し”とか“効用”とは、自分の方法(物語)が上手く行かないことで悩んでいる人に、
他の希望のある物語を選択できることを気づいてもらい、
それを採用することで、上手く行くように人生を変えて行く力が在り、
変えて行けることを、確信してもらうことにあると思います。
このことを物語を「リフレーミング」すると表現したりします。
http://yukiduke.jp/imamade/giho2.html
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この回答へのお礼

こんにちは。
質問に回答頂きましてありがとうございました。

質問に対して「例」を挙げて細かく教えていただき、とても分かりやすく感じました。
参考URLも拝見しました。
まだ頭の中でぼやけている部分もあるのですが、こちらの回答や本をこれからも繰り返し読んで、自分の中で納得できるまで考えていきたいと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/07 14:32

>なぜ生きるために「物語」が必要なのか?



物語自身に中身は何も無いんですよね。言葉の羅列、単なるテキストデータです。
物語を受け取る側に既に中身があります。逆に、受け取る側にこの中身がなければ、物語は全く意味を成しません。

図書館の外側の世界に豊かな経験があり、物語がこの経験の断片を紡ぐから、疑似体験となり、学習となり、癒しとなるのでしょう。
ですから、物語を受け取る側に濃密な情報が既にあって、密度の希薄な物語を使って、濃密な部分を繋ぐことで、対応する形を構築するという言うことなのではないでしょうか。だから、物語が必要になるというこだと思います。

新しい音楽を聴いて、すばらしいと感じるときがあります。
聞く側に、その音楽を聴いてすばらしいと感じる素地があるから、
それがすばらしいのです。作曲者だけではなく聞く側もすばらいのです。その潜在能力は、音楽を聞く前から持っていたのです。
音楽を聴いて作り出されたのではありませんね。

物語も同じように、経験によって培われた潜在している能力を顕在化する力があると思います。
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この回答へのお礼

こんにちは。
質問に回答いただきましてありがとうございました。

仰っている事は何となく理解できるのですが、こちらの回答を何度も繰り返し読んで考えていかないと、きちんと実感して納得して、腹におちていかない感じがしております。(これはモチロン私の読解力や経験が不足しているからだと思います。そしてきちんと納得できるのはすぐにできるものではなさそうです…)

これからの参考にさせていただきます。
ありがとうございます。

お礼日時:2009/05/07 14:39

回答します。



東京大学の教養学部辺りで編集した「物語性」という哲学の本が「ベストセラー」になるという奇跡を起こしたのが、数年前のことです。

人に説明したり、共感してもらうためには、何らかのストーリで説明しないと分からない。そこにこの話の原点があるような気がします。

「経験」を相手に伝えるにしても、「知識」や「情報」を伝達するにしても、ある一定の物語にしないと旨く伝えることが出来ない。なぜならば、そこに一定の因果関係があるにせよ、そこに一定の法則性が存在するにせよ、何かを始めようとするとき、目的があって、目標が産まれる。その目標をかなえるためには、様々な努力をする。その一連の流れを「物語性」(もしくはストーリー性)と呼んだからであるといえます。

実際に、裁判をはじめとして、会社での会議などのシミュレーションを行うロールプレイングでも、ある一定の物語が無いと判断できないという結果が出ています。

多分、それらを総称して、物語と呼んでいるのだと思います。

学術的には、以下にあげた文献などを参考にしてみてください。

タイトル:
シリーズ「物語り論」、原初の言葉、彼方からの言葉、2007より
物語理論講義、2004

どちらも財団法人「東京大学出版会」です。

では。
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この回答へのお礼

こんにちは。
質問に回答頂きましてありがとうございました。

伝達には物語が必要なのですね・・・。
言葉では何となく分かる気がするものの、まだ自分の中で整理がうまくつきません。

参考文献をのせて下さってありがとうございます。
アマゾンなどの簡単な書籍紹介を見たところ、かなり難しそうな内容に感じられました。学術的とのことですので、当面はいま自分が所持している本を理解して、もっと先に進めそうだと判断できた時にこちらの本を読ませていただこうと思っております。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/07 14:28

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