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論理の間違いを説明する文

「大食いすべきかどうかを知るためには大食いしてみなければならず
 大食いしてはならぬかどうかを知るためにも大食いしてみなくてはならぬ。したがって、いずれにせよ、(ひとは)大食いしなくてはならぬ」

上記の文は、すべてを網羅していないのに、網羅したと考えて結論を導く間違いの単純な例ということです。

{AのためにはBをしなければならない。CのためにはBをしなければ
ならない。したがって、いずれにしてもBをしなければならない}が論理的に正しいためには、
「Aのため」と「Cのため」ですべての「~のため」を網羅していなければなりませんが、例文の場合では網羅されていないからです。←と説明されていました。

質問(1)
すべてを網羅しなければならない、とありますが上記、大食いの例文での「すべて」とは何を指すのでしょうか?

質問(2)
「Aのため」と「Cのため」ですべての「~のため」を網羅していなければなりません←この文の意味が理解できません。

では「Aのため」と「Cのため」ですべての「~のため」を網羅する、としたらいったいどうなるのでしょうか?

説明できる方は、ぜひ詳しく教えてくだされば嬉しいです。
よろしくお願いします。

A 回答 (15件中11~15件)

大食い「すべき」の対義語は、大食い「する必要はない」


なので、
こうすれば全てを網羅したことになります。

A.大食いすべきかどうかを知るためには大食いしてみなければならない
B.大食いしなくてもいいかどうかは大食いしてみなくてはならない
C.いずれにせよ、(ひとは)大食いしなくてはならぬ
こうなれば確かに、個別議論が正しければ論理的に正しいですが、
Bは明確な誤り。
B.大食いしなくてもいいかどうかは大食いしてはならない。
となってしまいます。

よって、大食い「する必要はない」(=しても、しなくても良い)を「すべきでない」と直してしまうと、
たしかに全ケースを網羅していない事例ということに。
※全ケースの網羅云々というより、単に、「対偶のとりかた」という反則技のような気が。
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 ‘理論の間違いを説明する文’を「大食いすべきか、すべきでないかは、大食いしてみなければならぬ」としたら、意味が違ってしまうのでしょうか。


 
 「すべて」とは、何なのでしょうね。

 回答でなく、‘疑問’でした。
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その説明を取りあえず受け取ると、


「大食いすべき」の否定が「大食いしてはならぬ」と思ってしまうので、「すべてを網羅」しているかに思う間違いを冒す、という話でしょう。

ご質問のように、「すべて」を考えるのは無理からぬ点はありますが、「すべて」なんてもともと無理っぽいですよね。Aの否定がCであるか否かではないですか。そうであるなら、A+Cですべてということになる、ということでしょう。そうすれば「論理的に正しい」と。しかし、Aの否定がCではないので、他にDもEもあるのだから、DについてもEについてもその結論が出るか示さなければならない、と。それでは、Dとして何があるか?分かりませんね。

さて、これからが私にとっての本論ですが、

その「例」なるものは、話がおかしい。「大食い」が曖昧である点には目をつむって考えてもです。「大食いすべきかどうか」が、「大食いすべきか否か」であると思えるのです。そして、「大食いすべきかどうかを知るためには大食いしてみなければならず」は、間違っています。大食いすべきか否かを知る為には、「必ず大食いすべき」という訳ではありません。したがって私の解釈は、間違った前提からはどんな結論を出してもその真偽は不明、という例題文である、というものです。
回答ではなく、疑問になりましたが悪しからず。
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「大食いしなければならない」かどうかが欠けている。

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質問(1)知ること


質問(2)知るためだから大食いする以外にも方法があるはずです。

自信なし。。。
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