泣く子と地頭には勝てぬとは、道理の通じない者や権力者にはどうやっても勝てないから、無理を言われても従うしかないということ。
http://kotowaza-allguide.com/na/nakukotojitou.html
時と場合によりけりでしょうが、どうでも良いことに関してなら妥当な諺だろうと思います。
「道理が通じない者」かどうか、みなさんは、どういった基準で判断しますか?
No.2
- 回答日時:
「道理が通じない者」とは哲学・信念を持たぬ者のことじゃ。
北斗神拳奥義 七星点心…相手の死角から死角へと移動し、動きを掴ませぬ
動きなのじゃ。
恐るべき相手なのだが、相手にしなければそれでよい。
ご回答ありがとうございます。
>「道理が通じない者」とは哲学・信念を持たぬ者のことじゃ。
:
たしかに。
ただ、鼻から『哲学・信念を持たぬ者』なら、まだ潔いというか、わかりやすいのですが、『哲学・信念を持っている者』に泣かれると厄介かもしれないですね。
この場合、広義では『哲学・信念を持っていると思い込んでいる者』にすぎないのかもしれませんが。
>北斗神拳奥義 七星点心…相手の死角から死角へと移動し、動きを掴ませぬ
動きなのじゃ。
:
なかなか美味しそうな命名です。
因みに、この技を仕掛けた人は、発作で倒れてしまったとのことですね。
>恐るべき相手なのだが、相手にしなければそれでよい。
:
厄介とは思いこそすれ恐るべきとは思わないのですが、君子危うきに近寄らずとも申しますので一理ありそうです。
No.5
- 回答日時:
>時と場合によりけりでしょうが、どうでも良いことに関してなら妥当な諺だろうと思います。
いえ、昔は地頭に逆らったら殺されてしまいます。だから深刻なことに関しても妥当な諺です。
それがもっと進むと、
泣く子は餅を一つ余計にもらえる
なんて諺にしてしまう国があるようです。
>「道理が通じない者」かどうか、みなさんは、どういった基準で判断しますか?
相当信頼できる基準は、どこの国の人であるかによる判断ですね。1)大声でまくし立てる、2)自分の方が正しいと周りの連中に言い立てる(夫婦喧嘩を表でやって、この手を使うそうです)、3)論点をすり替える、が常套手段であり、話の論理構成による判断基準は全く無意味です。
世相を見てもお判りなように、国別で見ても「道理が通じない者」が本当にいることが良く判ります。「中には道理の通じる人もいる」なんていって、今まで散々騙されてきたという事実の重みは大きいです。福沢諭吉先生のお言葉は今でも生きているのですね。
ご回答ありがとうございます。
>いえ、昔は地頭に逆らったら殺されてしまいます。だから深刻なことに関しても妥当な諺です。
:
内部告発や革命などは愚かしいというお考えですね。
>泣く子は餅を一つ余計にもらえる
なんて諺にしてしまう国があるようです。
:
ありそうです。
泣く子という烙印を押されてしまっては以後の信用を失ってしまうはずですから、慌てる乞食は貰いが少ない、という諺とセットなのかもしれません。
>1)大声でまくし立てる、2)自分の方が正しいと周りの連中に言い立てる(夫婦喧嘩を表でやって、この手を使うそうです)、3)論点をすり替える、が常套手段であり、話の論理構成による判断基準は全く無意味です。
:
おっしゃるとおりと思います。
1)~3)は、まさに泣く子の常套手段と言えますね。
ただ、これらは必要条件かもしれませんが、十分条件ではないですよね。(たぶん)
cyototuさんの場合、相手に対して『論理構成による判断基準は全く無意味』と確信を持つのは、どういった時でしょうか?
No.7
- 回答日時:
ことわざ自体は ただ《無理がとおれば 道理は引っ込む》と言って
いるだけです。
そのために 《泣く子》を例に持って来ています。ことわざになるく
らい ユーモアなのでしょう。
勝つ・勝たない・勝てないといった見方は――表現としてそう言って
いますが―― 関係ないはずです。
もし いや やはり勝ちたいだろうにと言ってくるならば こう答え
ます。――《引っ込む》のであって 仮りに勝つまでたたかって勝っ
たとしても つまらないという判断があるからだと。
もっとも:
▲ 従うしかない
☆ というのは 最後に採る事実行為としてこの定義が説明するとこ
ろと同じになります。《引っ込んだ》あと 無関係でいられることは
稀れにしかないでしょう。同じ社会にいるかぎり。
★ 「道理が通じない者」かどうか、みなさんは、どういった基準で
判断しますか?
☆ 《無理》とは何か? 《無理がとおる》とは どういうことか?
分かりやすいのは この《地頭》もそうであったと思われるように
話し合いを物理的なチカラによって結着をつける行為に出ることです。
▼ 戦争とは他の手段をもってする政治の継続である。
☆ とでも――正義はチカラなりとでも――このチカラ論者は 思っ
ているのでしょう。
その対極にある《無理》の形式は したがって 《物理的なチカラに
恃まない》場合です。
いちばん分かりやすいのは 《われは無力であり阿呆だから》という
理由を述べて話し合いを切るという無理です。
《地頭》の裏返しですね。《ウラ‐ジトウ》。
ご回答ありがとうございます。
質問文にも記しましたが、時と場合によりけりでしょうが、どうでも良いことに関してなら妥当な諺だろうと思います。
場面によっては妥当性があると考えているわけです。
なので、認めなければならないときにどうすればよいか、という質問ではありません。
負けるが勝ちという真理もありますので、それはどうでも良いのです。
「道理が通じない者」かどうか、みなさんは、どういった基準で判断しますか?
という質問です。
それぞれ「基準」としていることがあれば、それを教えてほしい、ということ。
No.8
- 回答日時:
№2では、ある特定のケースを想定して回答しました。
不十分でした。1.信念というものを持たない人だと判断した時。
2.信念を持っているものの、それに対する全体観を持たず、点で理解している人だと判断した時。
3.私を軽く見ている人だと判断した時。(反撃はします)
4.私のことを憎み、ダメージを与えることしか頭にない人だと判断した時。(やはり反撃します)
5.自分の手柄が一番と考えている人だと判断した時。
6.価値観が著しく異なる人だと判断した時。
とはいえ、人間ですから、多少なりともそういう面は誰でもあるでしょう。ですから、分かりあう
努力は必要ですね。でも、なんか近頃できないんですよねー。
ご回答ありがとうございます。
>人間ですから、多少なりともそういう面は誰でもあるでしょう。ですから、分かりあう
努力は必要ですね。
:
同感ですね。
ただ、どうやっても、こりゃ分かり合えないな、と判断せざるを得ない場合もあると思うのです。
そのギリギリの判断基準。
1は例外として、3・4・5に関しては、たしかに「泣く子と地頭には勝てぬ」ですね。
これはわかりやすい。
2・6については、2通りの受け止め方を想定しています。
まず、「見解の相違」と捉えることが可能な場合。
これは、わたしの中では「合意」を意味しますので、「泣く子と地頭には勝てぬ」とは受け止めません。
では、あくまで私の場合ですが、「泣く子と地頭には勝てぬ」と判断するのは、どういうときかというと、それは、相手が価値観なり見解なりを述べる際に、その根拠を示さない場合です。
根拠を示せば、その根拠に納得がいくか行かないかで見解の相違や同意という結末を得ることができます。
そうでなければ、その判断すらさせてもらえないことになる。
しかも、それを是とする確信犯ですので、これはもう「道理が通じない者」と判断するしかなくなる(と思う)。
なお、この場合、そういう行為に出ざるを得ない相手の心理を慮ります。
そして、「君子危うきに近寄らず」というスタンスを取る。
なので、基本的に反撃はしません。(程度問題ですが)
>でも、なんか近頃できないんですよねー。
:
「ご同慶の至り」の反対です。(対義語を知らないので)
No.9
- 回答日時:
なるほど。
丁寧な説明をありがとうございます。
私の場合は、対話して、混迷に陥る場合、道理に通じない、道理に通じ合わない者として判断します。混迷とは、無理解が跳梁跋扈することで苛立ったり、同じ過ちの繰り返しに辟易するような事態の事です。
そして勿論、その場合、自分が道理に通じないのか、相手が通じないのか、その両方なのかと言う仔細についても考える必要はあると思います。
そのために付け加えるなら、対話者のどちらかが道理の通達者ならば、対話に混迷は起こらないのではないか、と思っています。道理の通達者は聴く耳があるので、話が逸脱した時に、その意味を正しく理解して、無理に話を戻したり、逸脱した要素を無視したりせず、対話者に起こった混迷を除去できるからです。
で、もしある人が一人自問自答して混迷する様であるなら、その時、その人は道理に通じない者である事を認めざるを得ない。
道理の通達者は自問自答においても理解と無理解を峻別して、それぞれの意味を把握し非道く扱わず、混迷しないと思われるのです。
また、議論の場合には、議論を通じて到達するより高い目標、知見を共通目的にし、論者としての互いの役割を演ずる事を認め合う事が議論の成功のためにはとても有効だと思います。しかし、これらのうち、共通目的を忘れたり、互いの演じている役割についての認知がうまくいかないと、我執と偏見の入り混じる不毛な言い争いとなってしまい、そこには道理、筋道の存在しない騒めきだけがある事となってしまう。
この様な場合、条件を整える事で、道理に合った議論の形成がある程度は可能なのではないかと思っています。
ご回答ありがとうございます。
>そして勿論、その場合、自分が道理に通じないのか、相手が通じないのか、その両方なのかと言う仔細についても考える必要はあると思います。
:
これができる人が案外少ないようで。
>しかし、これらのうち、共通目的を忘れたり、互いの演じている役割についての認知がうまくいかないと、我執と偏見の入り混じる不毛な言い争いとなってしまい、そこには道理、筋道の存在しない騒めきだけがある事となってしまう。
:
『演じている役割』ですか。
ちょっと理解が難しそうです。
『我執と偏見の入り混じる不毛な言い争い~』
おっしゃることは、非常によくわかりますし正論だと思います。
ただ、わたしが興味を惹かれるのは「我執と偏見」という判断を、何を基準にしているのだろうか、ということなんですよ。
面倒臭くて申し訳ないです。
No.10
- 回答日時:
>cyototuさんの場合、相手に対して『論理構成による判断基準は全く無意味』と確信を持つのは、どういった時でしょうか?
例えば幼児に対して、話して分からせる、なんて言うのは無理ですね。ある意味、思春期の連中に対しても話して分からせるが無駄な時もいっぱいある。思春期の連中に体罰ができない風潮が蔓延している昨今ですので、その場合は効率が悪いですが、放っておいて失敗して痛い目に合うのをはたから見ている方法しか、現在では残されていないようです。
先輩たちが痛い思いをしながら経験し、手に入れてきた知恵を今の若者に効率よく伝承できなくなってしまった。毎回ご破算ではと始めからやり直し、あたかもなんの文化も持っていないで本能としてDNAに繰り込まれた情報の発露のみで動物のように育てられている現在の若者を見ていると、人類って退化することもあるんだと、忍びないです。
ご回答ありがとうございます。
>先輩たちが痛い思いをしながら経験し、手に入れてきた知恵を今の若者に効率よく伝承できなくなってしまった。毎回ご破算ではと始めからやり直し、あたかもなんの文化も持っていないで本能としてDNAに繰り込まれた情報の発露のみで動物のように育てられている現在の若者を見ていると、人類って退化することもあるんだと、忍びないです。
:
なるほど。
ごもっともな感懐だと思います。
これはcyototuさんが経験から得たものが真理である、という前提に基づいておられることになりますので、やはり相当自信のある方でないと口にできない言葉でしょうね。
その経験が真理であることを、明快な根拠を示した上でわかりやすい言葉で相手に伝える。
にもかかわらず、相手が根拠を挙げずに、それに反論してくるような場合。
この時点で、はじめて「道理が通じない者」と相手を判断することが許される(という表現もどうなのかですが)ような気がします、個人的には。
なぜなら、明快な根拠なしに、その経験が真理かどうかを(人生の先輩であるという理由だけで)信用することはできないわけでしょうし。
その根拠が理解できるかどうか、というのはまた別の話になるでしょうけどね。双方ともに。
>ある意味、思春期の連中に対しても話して分からせるが無駄な時もいっぱいある。
:
というのもわかるのですが、この場合でも、いくつかのパターンがあるのではないでしょうか。
a.大人の言っている意味はわかるし、同意できる。(合意)
b.大人の言っている意味はわかるし、同意できる。(見解の相違)
c.大人の言っている意味はわからないが、いずれにせよ大人の言うことだから、ともかく同意できる。(道理が通じない者)
d.大人の言っている意味はわからないし、いずれにせよ大人の言うことだから、ともかく同意できない。(道理が通じない者)
何十年も昔のことなので若者の心理に確信は持てませんが、せめてa なり b なりの状態にまで持っていくのが、論議する場合の基本ではないかという気がします。
同意できるかできないかはそれほど大した問題ではない、と思われないでしょうか。
いや、大した問題かもしれませんが、その判断に行きつくまでの過程において、すでに議論の体を成していない状況が、なにか多すぎるような印象も受けるわけです。
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「道理が通じない者」と解釈せざるを得ない局面に遭遇することは、稀ですが誰にでもあるように思います。
ただ、これは、あくまで「道理が通じない(と私が判断する)者」であるはず。
そこで、「道理が通じない(者)」とみなさんが判断するのは、どの時点でなのか聞いてみたいと思ったわけです。
cyototuさん、申しわけありません。
訂正です。
×
b.大人の言っている意味はわかるし、同意できる。(見解の相違)
〇
b.大人の言っている意味はわかるが、同意できない。(見解の相違)