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論理的思考について知りたいことがあります。以前、何かの本で読んだのですが、言語と関わる分野では、数学の場合と違って、命題に対する対偶が必ずしも正しいとは限らないとのことでした。その時読んだ内容は覚えていませんが、例えば、どのような場合に成り立たないのでしょうか。適切な実例をあげて説明して頂けるとありがたいです。こうした問題に関心のある方、お願いします。

A 回答 (3件)

#1さんの回答は、一見数学と言語学の違いを述べているようですが、そんなことはありませんよ。

数学では、正確には

命題:「AならばB」      
対偶:「BでないならAでない」 

ではなく、

もし命題:「AならばB」が正しいならば、その対偶:「BでないならAでない」も正しい、

と言うことです。

そこで、

命題:「AKB48の本当のファンならAKB48全員の名前が言えるよ」
対偶:「AKB48全員の名前が言えないなら、AKB48の本当のファンじゃないよ」

命題:「人は平家である」
対偶:「平家にあらずんば人にあらず」

を考えてみると、その命題は正しくないですね。だから、その対偶も正しくない。だから数学的にも言語学的にもただそれだけです。要するに、一見正しそうなことを言っているように見えても、その対偶が間違っていたら、その対偶の対偶も間違いですよと言うことを言っているのです。

言語は感情の表現としても使われますので、その主張が常に論理的に正しい必要はない。別な言い方をすると、言語を全て単純に論理的に理解するわけにはいかないと言うこを、#1さんの例は言っているだけす。それに対して、命題の論理的な正しさとその対偶の論理的な正しさの関係は、数学であろうが言語学であろうが同じです。

余談に成りますが、家の子供達が未だ小さい時に、美味しいおやつをいっぱい食べた後で、母親に、「アイスクリームも食べたい」と言いました。母親は「アイスクリームは無いよ」と言いました。そしたら子供達が「アイスクリームは冷凍庫に入っているよ」と言って、冷凍庫を開けて母親に見せました。そのとき、母親は「有っても無いの」と言いました。子供達はその意味を一遍で分り、素直に引き下がりました。その後も、同じような状況に成ると、母親に言われる前に、「有っても無いんだね」と言いうようになって、良い子に成りました。

このように言語では非論理的なことを言っても、相手にこちらの言いたいことを正しく伝えることができるのです。「平家にあらずんば人にあらず」とは、要するに「有っても無いの」と言ってるのと同じで、その場合の論理的整合性なんてどうでも良いことなんですよ。

この回答への補足

--返事が遅くなって失礼しました。 言語は感情でもあるわけですね。ところで、もう一つお聞きしたいことがあります。例えば、「雨が降ると運動会が中止される」という命題に対する対偶は「運動会が行われると雨は降らない」となって、対偶は成り立たないことになります。ということは、命題が時間の進行という現象を含む場合は、対偶は成り立たない場合がありうるということなのでしょうか。また、このことから、言語は時間でもあるといった言い方ができるのでしょうか。よろしくお願いします。

補足日時:2011/01/26 14:52
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・親孝行、したいときには親は無し


対偶は、
孝行をしたくないとき親がいる、 じゃなかった。(これは対偶ではなくて裏。)
・親が生きているときは親孝行したくない。
親孝行したいとは思っていないし、親孝行しようと思ったときは親孝行できないという事象はどちらも同じなので、文の意味も同じとしか言い様がありませんが、後者を人前では言えない、という、明らかな差異があります。

・赤信号、皆でわたれば怖くない。
文章の解釈次第で、対偶はいろいろ作れそうですが、
・皆で渡っても怖いのは青信号である。
・赤信号のとき、怖ければ一人で渡る。
   (皆で渡る、の否定を、「誰も渡らない」、とするのは変。
    一人で渡る場合が判定不可能になってしまう。)
どちらで考えても、対偶は元文と違った意味になります。


・ヘンペルのカラス。(言語の問題ではなく、数理上の問題。)
全てのカラスは黒い、の対偶は、黒以外の色のものはカラスではない。
では、黒以外の色のものを片端から調べ、その結果、カラスがいなかったら当初命題は証明されるか否かの問題。
※黒以外の色のものを片端から調べるのがものすごく大変ですが、理論的には確かにこうなってしまう。

○命題を否定しても意味が変わらないもの。
対偶で意味がズレるより、もっと悲惨な事例もあります。

・この川は滝だ。
・この川には滝が無い。
  ※この川とは、富山県の常願寺川(急流で有名)のこと。
前者:急流なので滝のようだ、の意味。
後者:滝が無いから急流にならざるを得ない、の意味。
ゆえに、意味は同じで、「この川は急流である」です。

この回答への補足

--返事が遅くなって失礼しました。 言語は感情でもあるわけですね。ところで、もう一つお聞きしたいことがあります。例えば、「雨が降ると運動会が中止される」という命題に対する対偶は「運動会が行われると雨は降らない」となって、対偶は成り立たないことになります。ということは、命題が時間の進行という現象を含む場合は、対偶は成り立たない場合がありうるということなのでしょうか。また、このことから、言語は時間でもあるといった言い方ができるのでしょうか。よろしくお願いします。

補足日時:2011/01/26 14:52
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もう解決されているかもしれませんが、回答者がおられないようなので、でしゃばりました。

言語系の者で、理数系ではありません。
 
命題:「AならばB」      
対偶:「BでないならAでない」 


対偶からいくようですよ。「AKB48全員の名前が言えないなら、AKB48の本当のファンじゃないよ」

命題:「AKB48の本当のファンならAKB48全員の名前が言えるよ」 本当のファンの集合体は?


参考URLからのぱくりです。

「平家にあらずんば人にあらず。(平家でなければ人でない)」は「人は平家である」の対偶であり、論理的に前者が正しければ後者も正しい。だが、前者は「平家以外を人より下位の存在と見下せるほどに、平家は大きな権力を持つ」という意味の故事であるのに対し、後者は単に「人間が全て平家である」ことを意味する。

私の独断的見解ですが、数学の集合体の分類や生物学たとえば馬・ほ乳類の分類などの場合、AとかBとかいう集合体は明確かつ客観的な数値を想定できますが、日常言語による主観的判断による分類の集合体は数値が主観的にゆらぎ、命題と対偶の論理が当てはまらないのは当然といえば当然ですよね。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/対偶_(論理学)

この回答への補足

--返事が遅くなって失礼しました。それにしても、言語の持つ論理性は難しいものですね。
実は、もう少しお聞きしたいことがあります。「数学の集合体の分類や生物学たとえば馬・ほ乳類の分類などの場合、AとかBとかいう集合体は明確かつ客観的な数値を想定できますが、日常言語による主観的判断による分類の集合体は数値が主観的にゆらぎ、命題と対偶の論理が当てはまらない」とのことですが、もう少し具体的に教えて頂けるとありがたいです。

それともう一つ、例えば、「雨が降ると運動会が中止される」という命題に対する対偶は「運動会が行われると雨は降らない」となって、対偶は成り立たないことになります。ということは、命題が時間の進行という現象を含む場合は、対偶は成り立たない場合がありうるということなのでしょうか。よろしくお願いします。

補足日時:2011/01/26 14:49
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