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こちらのカテゴリで良いか迷いましたが、おたずねします。

社会的地位が高いことと倫理観は別だと私は思っています。
テレビや新聞で社会的地位の高い人が非倫理的だったり品格のない行動を取ることを見聞きすることもあります。善行を行うこともあります。
一方、社会的地位が低いといわれる人についても、同様です。
つまり、社会的地位と倫理的であることのあいだに自動的な一致はないと思います。

しかしその二つが混同されることが多いと思います(社会的地位の計り方や倫理的行為の計り方はここでは置いておきます)。
私が想像するに、「社会的地位がある程度「縛り」になるため行動を慎む」という理屈だろうか、と考えます。しかしいつもそうとは限らず、社会的地位と倫理観を常にセットで考える人の根拠が理解できません。
そこでご意見を伺いたいのですが、

・ 上記の理由以外に、社会的地位が高いことと倫理的であるということを結びつける理由には、何が考えられるでしょうか。
・ 普段この二つを別のものだと考える人はあまり多くないのでしょうか(ご自分の周りではいかがですか)。

ご意見を聞かせていただけると幸いです。

A 回答 (5件)

(1) 昔の偉い人たちがそう言って、もう長いこと広まっている



このことに関して私は、高校の漢文の授業を居眠りしながら聞いたのが知識のピークなんですが、昔の中国の偉い人たちは「社会的地位が高い人は、徳がある人でなければならない」と繰り返し説いていたようです。徳の欠けた人が高い社会的地位に就いてはならないと。
また、西洋でもたとえばソクラテスが、徳は知であると言ってたような。徳と知はバラバラなものじゃないというようなことでしょう。ソクラテスの弟子がプラトンで、プラトンの弟子がアリストテレス(紀元前4世紀の人)です。
アリストテレスの学問といえば理系から文系まで幅広く、当時の最高水準であり、哲学や倫理学や政治学まで含んでいました。また、ウィキペディアによると、「政治学を倫理学の延長線上に考えた」そうです(これは今見てパクった)。これらの思想はのちに神学者たちによってキリスト教を補強するために採用され、西洋思想に深い影響を及ぼしました。
つまり、東洋でも西洋でも、「社会的地位が高いことと、倫理的であることとは、別々であってはならない」という教えが、偉大な思想として大昔から広まっていったのです。

(2) 現在でも実際に役立っている

「何で昔の人はあんな考え方を信じてたんだろう?」と、現代では否定されている伝統的な思想って、いろいろありますよね。しかし、(1)の考え方は今なお廃(すた)れていません。
その理由としては、次のような計算で、けっきょく差し引き得になるからだと思われます。

社会的地位の高い人を a+ 、低い人を a- 、倫理的な人を b+ 、倫理的でない人を b- とする。次の(ア)~(ウ)の各効果を考える。

(ア) a+ の人は、伝統的思想や世間からの期待にも影響されて、b+ になることを心がける。「a+ が b- だったら、世の中真っ暗だよな~」と自省する。
(イ) 「a+ かつ b-」の人が、世間から「a+ だから b+ だろう」と見なされるのを悪用するのみで、「b+ になろう」とは心がけない。
(ウ) 「a- かつ b+」の人が、世間から「a- だから b- だろう」と見なされるのに腐ってしまい、「だったら b- になってやるよ」と転落する。

ここで「(ア)-(イ)-(ウ)」を計算すると、おそらく差し引きプラスの効果になっているでしょう。これがマイナスを示すようなら、(1)の考え方は既に廃れているはずです。なお、(ア)~(ウ)以外にもさまざまな効果はありうると思いますが、回答を短くするため3つ程度にしました。

(3) ご質問者が言う通り、「a+ かつ b-」、「a- かつ b+」のケースは実在する

したがって、ご質問者の疑問が生じるのは当然です。しかし世間の人も、a「社会的地位」と b「倫理的」との間に自動的な一致はないことに、もちろん気づいています。自動的には一致しないからこそ、(1)の大思想が説かれました。
そして、(1)の伝統的教えに影響されて、また現実的にも(2)の差し引き効果によって、「a と b が一致するかのように考える」ことがお得なセットになっているのでしょう。
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 社会的地位を築いた人は、人心掌握の技術に長けている事が多いですから、実際にはやましいところがあっても、少なくとも直接会う人間に「素晴らしい」「倫理的」と思わせるような才能は持ち合わせているのではないでしょうか。

普通の人が、「地位の高さ」と「倫理」を繋げて考えるのはそのあたりにあると考えられます。

 この説明の盲点は、じゃあ、テレビや新聞で報道される社会的地位の高い人のいかがわしい行動は何なんだ、という所にありますが、これはおそらく普通の社会的地位の高い人の人心掌握の技術の有効範囲がフェイスtoフェイスのコミュニケーションを行う場合に限られ(メディア掌握には別の技術がいる)、全国的に有名になり、メディアに今までの行動を洗いざらい報じられると、どうしてもぼろが出てしまうというというのが適切な説明かと思われます。但し、直接会っている人の印象は相変わらず良いので、メディアで多少悪く報道されたからといって、その人の地位には報道の割には影響されない、という実情があるのかな、と思います。

 政治家でも、メディアの報道だとみんな「駄目おやじ/おばさん」みたいな印象を受けてしまうが、直接会うと、威風堂々としていて「こんな人が父or母だったら良かったのに」みたいに思ってしまう事がよくあるようです。それもこういうことなのかな、と考えたりもします。
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諸葛孔明は無職ニート生活を送っていたのに、世間って無職ニートって評価しませんね。


世間の言うことなんてこの程度の戯言です。
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社会的地位の低い男です。



>上記の理由以外に、社会的地位が高いことと倫理的であるということを結びつける理由には、何が考えられるでしょうか。
私は『確率』に着目しました。
社会的地位の高い人=私個人的に社会的地位の高いと思う職業に携わる人として回答させて頂きます。

社会的地位の高い人の非倫理的な行動や犯罪に関しては近年非常に増加したと思います。
しかし、割合はどうでしょう。
私の購読している地方紙3面記事には、大事件の他に地元で発生した小さな犯罪もほぼ毎日複数記載されています。

まず圧倒的に多いのが無職の人です。
次に、一般的に社会的地位の高い職業とされない職種に携わる人が多いです。厳密な集計はしておらず、具体的なデータも探してはおりませんが、これを日本全国全ての犯罪にて表すと、98%~99%を占めると言っても過言では無いと思います。これが品格に及ぶと確率はかなり下がると思いますが、要は圧倒的多数で社会的地位の高い人が有利なのです。
従いまして、個々の持つイメージが形成され、
社会的地位の高い人=良い人が多い=犯罪も犯しにくい=倫理的な人が多いになるのでしょう。

>普段この二つを別のものだと考える人はあまり多くないのでしょうか(ご自分の周りではいかがですか)。
周囲の人とこの様な議論をした事が殆どありませんので、回答が難しいのですが、一般論と類似していると思慮ます。
但し、品格に関しましては、捉え方によって大きく変わるのではないでしょうか。
品格を品格=品性=人間性
と、捉えた場合には社会的地位は全く関係ないと思慮します。
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私も社会的地位が高いことと倫理観は別だと思います。


世の中のほとんどの人がそう思っているのではないですか?

凛の会の事件ほか贈収賄事件はそれなりの社会的地位が高い人が起こしたものばかりです。
議員や公務員、銀行員、医者、学校の先生などの起こした問題が毎日のように新聞に載る始末。
そもそも倫理観があれば今の社会は生まれません。
アホな首相や能力のかけらもない議員、二世議員などが闊歩しているのですから。

今の真面目な小学生の爪の垢を煎じて飲ませたいくらいです。
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