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荒井由実を聴いていたのですが、歌詞の内容はヘビーなのに清々しささえ伴う共感・感動を覚えます。彼女の作文能力と客観的・普遍的な洞察力に信頼を感じ、衝動が機知に富んだ言葉に昇華される瞬間にドキドキワクワクジンワリします。最近の邦楽POPは陳腐なテーマを陳腐な言葉で歌われるので、気恥ずかしくて聴いていられないですが、そもそも彼らの国語力という土台の貧弱さが情けなく、悲しくなってきます。こうなってしまった原因はなんなのでしょうか?

A 回答 (3件)

陳腐という批評のようですが、


そのような曲は恐らく、貴方の言われる「陳腐なテーマ、陳腐な言葉」を気に留めないような聞き手をターゲットにしているのではないでしょうか。
彼らは、あまり深く考えず、てきとうに軽く聞き流せるようなのを求めているんだと思います。
国語力というものも、別に求めていないように思いますよ。
それよりも、メロディやリズムに乗った歌詞で、且つカラオケで歌って面白そうな曲のほうが優先的にリリースされているのでは。
それで、ファッションや言動などが時代に合致した曲(というか歌い手)が売れているのでは。

また、現在の実年齢、または多感な時期を過ごした時代など、
年齢的なものも関係あるのかもしれませんね。
私の場合は、どちらに該当するか自己判断できていませんが、
少なくともここ10年くらいに聞いてる曲は、
自分の小学生時代にあたる、70年代後半から80年代の曲が殆どです。

蛇足ですが、今の邦楽の状況はオーディオの例に似ている気がします。
昔は、スピーカー、アンプを揃えて
自室に一通りのオーディオセットを構築してる人が結構居たもんですが、
今はそのような人は滅多に見掛けなくなって、主に安価なミニコンポ+携帯MP3プレイヤーの組み合わせです。
音質よりも手軽さを求めている人が多いから、こんな状況になったのだと思っています。
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一個人のただの考察にしか過ぎないのですが、過去に比べてコンテンツが多様化し、小説を読む時間が減り、ボキャブラリーが減ったからでは?


本を沢山読んでる人の文章っておおよそ言い回しが上手いと思うので。

あと最近の邦楽に関して気が付いている事ですが、日本語でさえもカタカナ的に発音しているというか、どのように発音するかに気をとられていて、言葉の意味を伝えようという意思が薄弱なものが目立つと思います。
あくまで一般論なので、全部が全部という訳ではないのでしょうけど。


『嬉しい』→『ウレシー』
『悲しい』→『カナシー』
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この回答へのお礼

なるほど~。日本語をカタカナで捉えるっていうのはひとつの手がかりになるご指摘だと思います。「意味を伝えようとする意思」うん確かに。簡単で安易な言葉だけを多用してますよね。。とても参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2009/07/04 09:26

要因は色々ありますが、一番は好みの問題。


最近の若者は最近のポップスの詞の方が好み、と言うただそれだけです。
それがあなたの好みには合わない、と言うことでしょう。
事実、私は30代ですが、荒井由実氏の詞は響いてきません。
えぇ、好みの問題です。私の好みではない、と言うだけです。

もう一つ、私が強く思うのは「無理矢理、英語を突っ込む」ところでしょう。
意味の通らない英語を使うのがかっこいい風潮がありますね。
たとえば「僕のMY LOVE」など。「僕の恋人」で音数も合いますよね。
そもそも「my」は「僕の」と言う意味ですから、「頭痛が痛い」などの表現に通じます。
本来の意味としてはまるで通じない文言です。


でも、良いんじゃないですか?
>気恥ずかしくて聴いていられない
なら、聴かなければいいのです。

最後に。
好みじゃないと思う人が聴くと、どんな詞でも“陳腐なテーマ”にしか聴こえないものです。
「古池や 蛙飛び込む 水の音」
とらえ方によっては、蛙が池に飛び込んだ、ってそのままじゃん?と思われるでしょう。
名句として今日まで語られている理由は、「大半の人の好みに合った」からです。
それだけのことです。
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この回答へのお礼

好みと質は違うのはわかります?日本語の文法もおぼつかない作詞家と高い文章力の作詞家、デッサンのヘタな画家としっかりした画家。好み以前の事を問題にしてるんです。
いやなら聴かなきゃ?批判精神の無さが日本の芸術・文化を駄目にしたと思うのでそうはいきませんわ。

お礼日時:2009/07/03 11:23

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