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今の日本の食糧自給率は40% しかないという事で問題視されています。 特に大豆 (製油用を除く) は20%、小麦にいたっては14% という惨憺たる結果になっています。

大豆は豆腐や醤油・味噌に使われ、小麦は麺類などに使われると聞きます。 どちらも歴史的に日本人にとって必要不可欠な穀物です。

考えたのですが、これら穀物の輸入って戦後急速に伸びたわけですよね? 特に明治・大正までは穀物の輸入って無かったように思います (想像ですが)。 少なくとも江戸時代までの日本は鎖国していたわけで、1トンも輸入していないはずです。

という事は、当時の日本では小麦も大豆も全て国内産で賄っていた事になりますよね? その場合、自給率100% という事になります。

その後の日本ですが、大豆と小麦に関して、どうしてこんなに極端に自給率が減少したのでしょうか?

人口が爆発的に増加したから、生産量が追いつかなくなった?

安い外国産を輸入した方が安くつくから?

日本人の食生活が変化して、大豆や小麦の使用量が激増したから?

農業に従事する若者が減ったから?


「昔の日本はどうして大豆や小麦を100% 自給できたのだろう?」 と感じて仕方ありません。

A 回答 (5件)

 食糧自給率という指標は実はあまり意味がなく、国際的にも使われていません。

国民を脅かすために、政治的に取り上げられたといっても過言ではないでしょう。過去の類似回答をご参照ください。

 それはさておき、小麦と大豆について補足します。
 小麦は、米の関税を高く保つために犠牲になった作物です。また、国産小麦は軟質のためうどん向けで、パンや讃岐うどんのような硬質小麦は輸入が主です。
 大豆は、サラダオイルの原料として大量に輸入されています。ここで例になっている米、小麦、大豆、とうもろこし(家畜飼料)は、いずれも広い農地で粗放的に栽培するのが普通なので、コスト面で国産品は太刀打ちできません。

 なお、コメは4割減反にもかかわらず余っています。飢え死にを心配するのは気が早い。私も数年前からコメを作り始めましたが、高齢者でも機械と除草剤があれば自家消費分ぐらい訳ありません。石油の輸入が止まる方がはるかに深刻です。
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この回答へのお礼

有難うございました。
小麦にも2種類あるのですね。始めて知りました。
となると、輸入小麦が無い時代の讃岐うどんは、もっと柔らかい食感だったかも知れませんね。
でも米を作るって、その気になれば自分の分くらいは作れるのですね。
将来、参考にさせて頂きます。とても勉強になりました。

お礼日時:2009/07/16 09:45

米が完全自給できるようになったのは、戦後の昭和43年になってからで、戦前は米の自給率は84%程度でした。


麦類も戦前の自給率は60%台ですし、豆類も50%台でした。
http://www.meti.go.jp/hakusho/tsusyo/soron/S24/H …

牛肉なども大正6年頃から本格的に輸入されるようになり、大正11年(1922)から昭和2年(1926)には自給率76%になっていたそうです。
http://okayama.lin.go.jp/history/2-2-6-32.htm

戦前から、国内生産では間に合っていなかったのですよ。

江戸時代は確かに輸入はしていませんけど、国民に十分な食料が行き渡っていたかというと別問題です。
300年にわたって人口があまり増えていないというのは、食料供給がぎりぎりだったということを示唆しています。

なお、大豆の自給率が著しく低下したのは、国内生産量が減ったからというより、揚げ物用の大豆油の消費が飛躍的に増加したからです。
http://www.maff.go.jp/j/seisan/ryutu/daizu/d_dat …
http://www.maff.go.jp/j/seisan/ryutu/daizu/d_dat …
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この回答へのお礼

有難うございました。
とても、ためになるサイトをご紹介頂いて感謝します。
明治・大正の頃から既に自給率100% ではなかったのですね。
ある意味で江戸時代は100% だったかも知れないですが、それは食料が一般庶民にまで行き渡っていなかったからと考えるべきなんですね。
それを考えると、食生活が豊かになればなるほど自給率は下がる、これは仕方の無い事かもしれないですね。

お礼日時:2009/07/16 09:55

#3です。

添付を忘れました。

http://okwave.jp/qa4658673.html
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この回答へのお礼

サイトを拝見しました。
なるほど、自給率という言葉が一人歩きしているような印象を受けました。
もしかしると農水省の「ヤラセ」かも知れませんね。
一人一人が真実を見つめなければいけない気がしました。
有難うございました。

お礼日時:2009/07/16 09:49

江戸時代の百姓などが、小麦や大豆を十分に食べられたとは思えません。

「武士は食わねど高ようじ」なんて言葉さえあります。食糧事情は今とは比べようも無いほど悪かったと思いますので、自給率100%とはいえないのでは。また、昔は当然機械化されていないので、小麦や大豆なんて手間ばかりかかって、腹の足しにするなら、芋やかぼちゃなどの大きな作物の方が好まれたのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

有難うございました。
なるほど、逆に考えるべきなんですね。
つまり輸入などが存在しなかったため、国内で生産される穀物だけで食わざるを得ない、で、結局は自給率100% という数字になった。
たしかに白米や麺類などを一般の人が毎日食していたとは考えられないですね。

お礼日時:2009/07/16 09:40

農業経済を専攻していました。



ひとつは、戦後の占領下における政策です。
米食からパン食に切り替える政策が取られました。

これは、配給を行うことで、また給食などに使用することで米国本土の余剰小麦を消費し、価格の安定に使われるようになりました。

また、日本の国土は山が多く、農地に適さないことや、大量生産に向かないことも減少した要因とされています。

人間が8時間で出来る仕事量の限界があります。

その他、食の欧米化も上げられます。

日本人の体型は、飛躍的に変わり、スポーツにおいても国際的にトップクラスで戦える体格に変わりつつあります。

農業従事に関しては、雇用、環境、教育と様々な要因が考えられるので割愛します。

人口の増加や、加工食品の価格の低下と言うのも上げられます。

小麦のままでは食べられません。加工して最終はパンやケーキにかわります。

あと、昔は食べなかった雑穀や、食糧不足も輸入により解消されます。


その他は工業立国として、推移しているので、農業に人材を投入できない部分もあります。
農政族議員もすくなくなり、工場建設で人が集まり、票も集まります。

盆も正月もない労働形態と、週休二日を守られている雇用形態など社会的、政治的要因もあるかと存じます。
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この回答へのお礼

有難うございました。
戦後、パンが飛躍的に普及したのはGHQによる、余剰小麦問題の解決策というのは、以前テレビで見たような覚えがあります。
それに伴って、バターなどの乳製品の生産・輸入も増えたのでしょうね。
この時点で、それまでの日本とは違う姿になったと考えられるのでしょうね。
勉強になりました。

お礼日時:2009/07/16 09:37

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