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太閤検地の例外規定について調べています。農地面積の測量時に例外規定などが存在したようなのですが、どなたか具体的なことをご存知ないでしょうか?

A 回答 (3件)

>太閤検地の例外規定について調べています。

農地面積の測量時に例外規定などが存在したようなのですが、どなたか具体的なことをご存知ないでしょうか?

おはようございます。
太閤検地については従来画一的に全国規模で実施されたとされていました。しかし、多くの例外規定があることが分かってきています。浅学で、そのうちの2例だけしかあげることはできないのですが、

一つは「一地一作人」の原則が崩れているものがあるということです。年貢負担者(土地所有者と考えられています)と耕作者(作人)を併記した検地帳の存在です。これは畿内でも実例があるとされていますが、Wikipediaの「検地帳」の項目に、年貢を負担するものと、耕作者を併記したものがあるとの記述がありましたので、参考に。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%9C%E5%9C%B0% …

いま一つは「石盛」の原則の例外です。見積生産高(斗代)を石高で表示するわけですが、地域によっては旧来の貫高制により記載したものがあります。これについては次のURLを参考に。
「奥州における太閤検地」
http://www.muratasystem.or.jp/~hideyuki/kennti.h …

太閤検地については画期的な出来事ではあり、「なでぎり」の言葉などから、例外は無いと考えられてきましたので、根拠をあげられるもののみ書きました。参考まで。
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こんにちは。


私は、自称「歴史作家」です。

>>太閤検地の例外規定?(測定方法など)

まず、例外規定(免税)から説明しましょう。確かに、「例外」が存在しました。
(1)荒引減免・・・例えば、1升の玄米を精米すると約8合位になります。そこで、精米で納めるのではなく「玄米」で納める。
(2)損免引・・・・冷害や旱魃で不作の時は、少なく納める。
(3)村の長(おさ)免除・・・これは、村の年貢の取立てなどを行う者で、扶持米(給料)を支払う代わりに村長の田畑の納税免除。
(4)寺社地や寄進地の免除。

測量面から見た例外:
(1)1町=10反=100畝=3000歩。
(2)1歩=6尺3寸(191cm)四方で、畳2枚分ですので、1坪ともいいます。
(3)1升=10合で、縦×横4寸9分、深さ2寸7分の京枡の使用が強制されました。
(それまでは、縦横約4寸、深さ約2寸の枡でした)。
(4)1石=10斗、1俵=4斗(60kg)ですから、1石=2俵2斗。
(5)上田=1石5斗、中田=1石3斗、下田=1石1斗、下下田=9斗。
この「上田」「中田」「下田」「下下田」の区別をしたのが唯一「例外」かもしれません。
このように、1反当りの平均収穫率を「石盛(こくもり=斗代・とだい)」といいます。
(6)石高=面積×石盛で計算されます。上田を1000町持っていれば、その大名は「石高1万5000石の大名」と呼ばれました。

測量の方法等:
(1)検地尺は、上質の柾目桧板製で、表には墨による2個の×印で1尺の長さを表示し、さらに1寸ごとの目盛りがあり、石田三成(治少)の署名と花押がある。
(2)裏には、「この寸をもって、六尺三寸を壱間にあい定め候て、五間に六十間を壱反に仕るべく候なり」とある。
(3)現在のポールにあたる梵天竹や細見竹、巻尺にあたる水縄、直角規にあたる十字などを使用。
(4)田だけではなく、畑や屋敷地も計られ、米を生産できる地として登録されました。

まとめ:
(1)「太閤検地」は別名「天正の石直し」ともいわれます。天正は、秀吉の治世の年号で、石直しとは以前の貫高を石高に改革したことです。貫高とは、土地の生産高を銭(貫)で換算することです。石高とは、土地の生産高を米(石)で換算することです。
(2)幾層にも分かれていた土地の所有者が1人に固定された結果、大名地にある公家の領主としての地位が無くなり、荘園制が完全に崩壊しました。「一地一作人制」とも言う。
(3)検地帳に記載されたものを百姓と規定した結果、兵農分離が進み、身分が固定化されました。
(4)農民は「耕作権」を保証される代わりに「年貢」の負担義務が生じました。
(5)検地は全国で一斉に行われ、「日本国中寸土尺地も残さず」という方針でした。
(6)秀吉が、浅野長政に宛てた手紙が残っています。それには、相手が検地を承知しない時、大名の場合は、「一人も残置かず、なでぎりニ申し付くべく候。百姓以下にいたるまで相届かざるニ付ては、一郷も二郷も悉くなでぎり仕るべく候。たとへ亡所ニ成り候ても苦しからず候」とあります。

まあ、太閤検地で「例外」としてまとめるならば、
(1)村長や寺社領、寄進地などの免除。
(2)それまで一律であつた田を「上田」「中田」「下田」「下下田」等に分別したことぐらいでしょうか。
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太閤検地についての文献を図書館で探して調べれば解決するでしょう。


なお、明治維新以前の日本は今よりはるかに本音と建前の乖離が激しい社会でしたので注意が必要です。
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