プロが教えるわが家の防犯対策術!

難関大に合格してる人は高校の授業を大切にしている、とよく聞きます。
でも、それって本当なのでしょうか?学校の先生にだって当たりはずれはあるので一概にそんなことはいえないのではないでしょうか。
だから、学校の授業を受けるなら問題集などを解いたほうがいいと最近思い始めました。確かに大切な授業もあるとは思います。
たとえば、数学で初めて習うところはちゃんと受けます。しかし、それからは自分で問題集などやったほうがいいんじゃないかと思います。
高2になってから塾に通いはじめたので、それすらも不必要な気がしています。
こんな風に考えているのですが、上に書いたようなジンクスがやはり気になってしまい授業をどう受けるか悩んでいます。
皆さんの意見を聞かせてください。

A 回答 (9件)

そうですね。

僕は中学受験塾に行ってました。進学塾では学校よりも1年以上進んでますから先生が黒板に題を書いた瞬間に「あー知ってる」と思ってました。他の子が20分かけてやるテストも2分ぐらいでできたし、基本的に満点しか取りませんでした。
だから授業はつまらなかったし、好きな科目しか聞いていませんでしたね。
でも何て言うか「聞くべきだ」と言う倫理観はあったのでなるべく聞くふりはしていました。今思えばそういうのは良かったと思います。いい意味で復習になったし。あと塾は進学コースだったので時々わけのわからん授業もあったのですが、そっちも「聞くだけは聞こう」と頑張ってました。

もちろん塾や自宅できちんとやれば問題ないわけですけど、学校の先生と言うのは一応プロであるわけですし、塾や自宅できちんとやってると言う保障も無いわけですから、出来る部分は学校でやることに何ら問題はないと思います。

ちなみに本当に頭のいい人、成績のいい人は、いい意味での割り切りとか使い分けがある人が多かったですね。例えば副科目の時間なら寝たり英数の問題集を解いてたりとか。


逆に中高は落ちこぼれだったのですが、受験生になった時には意外にすんなり受験体制に入れました。これは落ちこぼれながらも授業だけはきちんと聞いてたせいかなあ、と思いましたね。自分で思ってたよりも授業は聞いてたので基礎が出来てたんだと思います。
授業は大事です多分。でもそれだけで満足しているマジメくん・ちゃんは一定レベルまでしか行けないと思います。

男子校ではわざと授業中など遊びまわって、人の見えないところでめちゃめちゃ勉強して「あいつはめちゃ賢い」と言う自己演出してる奴とかけっこういますけどねwww
    • good
    • 0

授業の受け方を知らないだけですね。


授業に限らず自分が生きている時間すべてを大切にすればいいでしょ。
    • good
    • 0

>難関大に合格してる人は高校の授業を大切にしている、とよく聞きます。



逆に、授業を大切にしない人は、難関大には受からないと思います。

勉強は、教えてもらうものではなく自分でするものです。
塾や予備校などで高校の授業より先に習っていたとしても、
高校の授業を退屈だとか不必要だとか思わず復習だと思って臨む意気込みが大切なのだと思います。


学校の先生と言うのは、日教組うんぬん・・・
まぁ、色々あるんですよ。
    • good
    • 0

問題集だって塾だって当たり外れはあるわけで。



そもそも「塾/問題集でやったから授業でやる意味がない」というのがおかしいわけですね。
それを言うなら「授業でやるんだから塾/問題集でやる意味がない」も成り立つでしょう?
授業をいいかげんに聞いて塾でしっかり勉強するくらいなら、
授業を真面目にしっかり受けて塾へ行くはずの時間遊んだほうが有意義ってもんです。
(授業中に遊ぶよりもいろんなことができます)
で、難関大学へ行くような人は授業もしっかり受けて他の時間もしっかり勉強するわけです。
・授業で何も覚えず、問題集でAを覚える
・授業でAを覚え、問題集はやらない
・授業でAを覚え、問題集でBを覚える
どれが一番実力がつくかは明白です。
    • good
    • 0

或僕の友人は(県一の進学校ですが)「うちの学校の英語はクソだ」と言って英語の時間はよく寝ていたそうですが阪大に行きました。

英語は得意でした。
高校も授業を軽く見てもらいたくないので「高校の授業を大切にしろ。塾には行かなくてもいい」と宣伝する。塾は塾で「高校の先生は教師専用の解答を持ってそれを見て板書してるだけ。アホ」とこきおろす。
まあ授業聴くだけじゃだめだろうとは思う。+αがないと(予習とか復習とか質問とか)教師を上手に利用しないと。
    • good
    • 0

難関大に通る人は、多くの場合、難関高校に通うのですが


例えば数学では、難関高校では同じことは二度やりません。
常に新しい事をやります。

例えば、数列と極限を学んだからと言って、東大に合格するレベルの人ですら
初見ではライプニッツ級数やメルカトール級数は解けません。
関数列を学んだからと言って、チェビシェフの多項式が解けないのも同様です。
難関大は、ライプニッツ級数やチェビシェフの多項式などは
できるのは当然でそれをベースに問題を作ってきます。
また、これらの問題は一問につき授業でまるまる一時間解説だけでかかります。
いわゆる進学校ではこのような入試重要問題を入試ギリギリまで扱うため
授業が大切になります。
あなたがライプニッツ、メルカトールの両級数、チェビシェフの多項式、
凸不等式、エピサイクロイド、フィボナッチ数列、
最近流行りの座標を使って積分で面積を求め、それが二次曲線に帰着する問題等々
の問題を独学できたり、初見で解けるのなら授業はいらないかも知れませんね。
それが一般人には無理だから普通、進学校ではみんな授業を真面目に出ます。
また、上記の問題を勉強せずに受験することができる大学を難関大とは言いません。
    • good
    • 0

例えば教師が役不足だと感じるのであれば


「ばかな人」の話をきく練習だとも思えばよいのではないでしょうか。
世にでると、「ばかな人」と思うことも多いかもしれませんが、仕事をはじめると、それでも聞かなきゃいけなことは多いです。

あと、勉強は本来 大学合格のためにするものではありません。
学校の授業では、受験のためにはならないかもしれないけれども
生徒の知的好奇心を刺激したり、生きてゆくためのヒントであったりと
紙には書ききれないことも先生が教えてくれるはずです。
(というか、教えていなければいけません)

そういった機会に貪欲であることが、将来の自分自身の可能性を広げることになるのではないでしょうか。引き出しを増やすともいいます。

難関大学に入った、卒業した、それだけの人にならないためには、今ここで機会を限定させないほうが良いように思います。正直、東大いってもハーバードにいっても、「つまらない」人間のまま大人になってしまった人は、あきれるくらい多いと感じています。
    • good
    • 0

授業は大切です。


人の話を馬鹿にして聞けないような人間は、社会では通用しませんよ。


>難関大に合格してる人は高校の授業を大切にしている、とよく聞きます


そういう心の持ちようだと思います。
余裕がないと勉強ははかどらないし、身につきません。


確かに、授業で全てがまかなえるわけはありません。
先生だって完璧ではないし。

でも、50分の授業の中で、ただ1つでも得るものがあればそれで万々歳ではないかと思います。
特に国語や社会なんかでは、先生の雑談の中から面白いエピソードとかで、一生覚えている知識を得られたりします。

授業で足りない分は休み時間や放課後に質問に行っても良いと思います。
もちろん自分で問題集もやればよいですが、毎日の予習復習、そして授業をしっかりと聞いて、その上でのことでしょう。
    • good
    • 0

授業では学べて、問題集では学べないこと。



他人の言葉を・・・、他人の言わんとしていることを理解する力。
他人ちゅーのは、教師でもあり同級生でもあり。

まぁ、この辺の力は、偏差値上げたいだけの人らには関係ない力だろうけどね。
社会じゃ必須の能力だと思うけど。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!