プロが教えるわが家の防犯対策術!

私は23の会社員ですが、先日、我が家の祖母が亡くなりました。
今まで元気だったのにいきなり入院となり、そのまま亡くなりました。
正直、突然のことで今でも信じられません。
祖母には生まれてきたときから、つい最近まで、
いろいろとお世話になりました。
しかし、私は祖母には何もしてあげられなかった、
と言いますか相当な世話焼きな祖母だったので私自身うっとおしいなと思っていおり、まともに会話すらしませんでした。
今、思うと今までの人生で一番の後悔です。
家族の死を初めて体験して死というものが、どんなものなのか
やっとわかりました。
また、本当に自分はダメな人間だったと実感しました。
自分は今まで鬱などもなく、これまでの人生を何の疑問もなく
生きてきましたが、これを機に人生とはなんなのか?
自分は何のために生まれてきたのか?
というものを真剣に考えるようになりました。
考えても答えがみつかりません。自分の存在意義がわかりません。
祖母が死んで数日経ちますが今私は、何も手をつけることができない
無気力な状態です。
仕事をするのがやっとです、仕事中も頭の中は祖母の死で考えがいっぱいです。その大きな理由は生きてる間、祖母に可愛がってもらったのに何もしてあげられなかった自分が許せなくて涙が出てきます。
今の私は希望もなにもなくなってしまいました。早く死にたいと思うだけです。残りの人生もう捨てたい、と思う日々です。
たかが人の死で、と思うかもしれませんが、こんなに自分の人生が
未来がどうでもいいと思ってしまうことは初めです。
とにかく、この無気力な状態をどうにかしたいのですが、
皆さんの中で似たような体験をしたことある方おりますか?
いろいろお話をお聞きしたいです。

A 回答 (12件中1~10件)

私は現在23歳ですが、17歳の時ほぼ同時期に祖父と父を亡くしました。


質問者様と同じく、元気だったのに入院してすぐでした。
あまりに突然すぎて、涙も出ませんでした。
私はその頃『思春期』と言いますか、家族全員と距離を置いていて
特に祖父と父とは全く喋っていない状態でした。
父が亡くなる前々日に、母に連れられお見舞いに行ったのですが
見るからに「もう家には帰ってこない」ということが
わかったんですが、それでも話ができませんでした。
亡くなる前日、母と姉はお見舞いに行き言葉を交わしたそうです…。
しかし結局私は最期まで一言もしゃべることができなかったのです。
というより、思えば最後に喋った記憶は、ケンカでした。
今でもものすごい後悔に襲われます。
「ごめんなさい」も「ありがとう」もいえませんでした。
しばらくずっと無気力で、食べることさえしなくなり
体重も激減し、自殺願望を抱き、仕舞いには自殺未遂まで…。
正直2年間、落ち込み続け、あまり記憶はありません。

10歳の時に母方の祖父が亡くなり、初めて身近な死を経験しました。
私はその頃から『死』とは何かを考え続け、
中学、高校と、質問者様と同じようなことばかり考えていました。
死にまつわる書物を、片っ端から読み漁りました。
結論から言ってしまえば、答えは出ていません。
考えても考えてもわかりません。
まだたったの23歳なので(多分、同い年?ですね!)、
この先何が待ってるかわかりませんが
きっと「最期」まで「私自身の答え」は出ない気がします。

ただ確実なのは今もこうして生きているという事実。
あれから5年が経過しましたが、今でもよく考えます。
祖父や父の死、生きること、死ぬこと。
でも私は今も毎日ご飯を食べて生きています。

とりあえず今は、ゆっくり休んでください。
そして思う存分考えてください。でも考えすぎないでください。
それから最後に一言…。
きっとお婆様に、質問者様の後悔の気持ち、
優しい気持ち、伝わってると私は思います。
私自身何もしてあげることができず、後悔でいっぱいでしたが、
誰かが、「そんなに想ってもらえて、ふたりは幸せだったね」
と言ったのを聞いて、号泣した記憶があります。
もしかしたら自己満足かも…正当化したいだけかも…
と当時はネガティブにもなりましたが、
実際、想う気持ちは本物です。胸を張って言えます。

長々と自分の体験を語ってしまい申し訳ないです。
そしてまとまらず、よくわからない話ですみませんでした。
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お悔やみ申し上げます。



私は4年前に祖母を亡くしました。
gogo-ak74さんと違い、祖母の状態があまり良くない状態が続いており
もしかしてそろそろ…と覚悟はしていました。

ただ、仕事が忙しく、隣の県だったものですから
なかなかお見舞いにも行けず
やっと「行くぞ!」と思っていた日のお昼前に亡くなりました。
午後に行く予定でしたので、間に合いませんでした。

お通夜、お葬式が過ぎても全然気持ちの整理がつかず
当時は塾講師をしていたのですが
「プロなので生徒のためにも授業だけはしっかりしないと…!」
と、何とか仕事はしていました。

家に帰って一人になると、毎日ボロボロ泣いていました。
いつになったら気持ちの整理がつくのか、全く先が見えませんでした。

でも数ヶ月経った頃、ふと思ったんです。
人の死って何だろう?…って。

考えてみたら、私の中で祖母はまだ生きているんです。
だって、目を閉じたら見えるんです。
声だって聞こえます。
祖母のことはいつだって鮮明に思い出せるんです。

祖母のことを思い出す人が誰もいなくなった時
本当に祖母は死ぬんだと考えるようになりました。

少なくとも、私が生きている間は、祖母が死ぬことはないんです。

gogo-ak74さんも死にたいなんて考えてはいけません。
少しでも長く生きて、少しでも沢山おばあさんのことを思い出してあげれば
gogo-ak74さんの中で、おばあさんはまだ生きていられるんです。

それに、おばあさんはgogo-ak74さんに
何もしてもらってないとは考えていないと思います。
gogo-ak74さんが生まれてきてくれた
それだけでおばあさんは幸せだったはずです。

私も親となって初めて感じたことです。
生まれてきてくれただけで幸せ…と。

まだまだ気持ちの整理がつくには時間がかかると思います。
ただ、gogo-ak74さんの中にはおばあさんの血が受け継がれています。
gogo-ak74さんの中で、おばあさんはまだ生きています。
それだけは忘れずにいて下さい。
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お悔やみ申し上げます。


こんなに悲しいのは、きっと、あなたにとって、
最高のおばあちゃんだったからです。
誰がなんと言おうと”うちのばあちゃんが最高”なんですよ(^^)!

49日をすぎるまではおばあちゃんはお家にいます。
ケンカのこと、一緒に出かけたこと、何でもいい。
遺影とお話しして、心の中で「最高のおばあちゃんだったよ!」
って言ってあげてください。
49日まで、もうちょっとふんばって、おばあちゃんを
送り出してあげてください。

心を癒すのは時間です。
お葬式、初七日、49日、納骨、初盆、1回忌・・・
日本人は儀式を行うことで悲しみをやわらげてきました。
仕事が手につかないのは当然です。まだ数日ですよ。
自分がおかしいのかって思ったかもしれないけど、普通です。

生きることが疑問だって書いてあったけど、
おばあちゃんはあなたにこんなに
思い出、気持ち・・・
たくさんくれたじゃないですか。
それを大事にしてあげてくださいね。

P.S.
私も父を亡くしたときは、病名もわかってるのに
「なんで死んだの?なんで?」しか頭の中に出てきませんでした。
病気だっつーの!って自分ツッコみできるようになったのは
1年くらいたってからでした。
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ある意味、迷惑をかけず、きれいな死に方でした。


まるで、旅行にでも出掛けた様な感じです。
こういう人は恵まれているのです。
すなわち、徳があるために、この世で使命が無くなれば、またすぐに生まれ変わってしまうのですね。
そして、次の世でも世間を救うためにご尽力されることでしょう。
苦しみや執着のない人は早く死ねます。
まるで眠るようになんです。
生まれる時もさほど苦しまずにポンと生まれるのですね。
死とは実は生命の変化の一過程に過ぎないことが法華経に説かれております。
つまり、祖母は死んでいないのです。
生を受ける資格のある人間なんです。
なにもそんなことで悲しむことはありませんよ。
あなたのことは全て天がお見通しなのです。
あなたにはあなたの使命があるのです。
それを純粋に全うすることで、苦しむことなく、あなたも祖母と同様に旅立つことが可能なわけです。
明日と言わず今日から笑顔で、どこにご自分の使命があるのかよくお探しになることです。
祖母の世話を胸に刻んで、たくましく生きられることを強く願わずにはいられません。
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まずはお悔やみ申し上げます。



私も大切な家族を予期せず突然亡くした経験があります。
しかもケンカの最中でろくに口も利いてなく逝かれてしまいました。
あれから数十年経ちますが、ずっと後悔の十字架を背負っています。
ですからあなたの抱えてる気持ち喪失感もわかります。

でも家族ってそういうものです。
24時間365日、生活を共にすれば苦しい時も悲しい時も怒ってる時も
運命共同体ですから家族は。

あなたの今の喪失感は時間と共に癒されます。
ケンカ別れした私が言うのですから本当です。
でも後悔は残ります。
だから今度はこんな辛い思いしたくないと思う気持ちで
残された家族を大切にしようと思います。
家族の死をもって自分はどう与えられた命を生ききるかも考えさせられます。

貴方はお祖母様に可愛がってもらったのに何も恩返しできなかったと
言っていますが、
違いますよ!
貴方が誕生してこの世にお祖母様の孫として生まれてきた。
その成長を見ながら生活できた。
この事実だけでもお祖母様は充分幸せだったはずです。
その証拠に可愛がってもらったという事実があるのですから。

あとはあなたがどう生きるかを見守るだけ。
それが姿かたち見えぬ天からなのか姿ある地なのかの違いです。
姿かたち見えぬとも必ずお祖母様は見てると思います。
今のあなたも、これから先のあなたも。

最後にひとつ。
無理して元気になる必要はありませんが、
仏様が安らかに成仏できるのには、
生きてるものたちが心配をかけない事だそうです。
私もこの一念を胸に生き続けています。
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お察しいたします。



質問者様は鬱っぽくなられたのだと感じます。
鬱にもいろいろあります。
怠けグセの鬱、真面目すぎて完璧主義の鬱、病から来る鬱
そして喪失感から来る鬱。
大切な人を失った時鬱になってしまうのです。

もちろん亡くなった事でショックもおありでしょうし、
ご自身の後悔等で落ち込んでいるのも確かです。
100%鬱とは言い切れません。

でも悩んでも仕方ありませんよ。
亡くなってしまってからはもう遅いのです。
ではどうすればいいのかを考えましょうよ。
今あなたが落ち込まれて後悔してもおばあさまは何が嬉しいのでしょうか。
それに気がついただけでもう十分ではないでしょうか
気がついてくれてそんな風に思ってくれて、ありがとう っと思っていても
そこからあなたがそういう状態では世話焼きのおばあさまはすごくご心配なさるのではないでしょうか。
後悔したなら前に進まないと。
これからの人生、あなたもご両親がいらっしゃるだろうし、
また世の中の人年老いた人に思いやりの心を起こすだけでも違います。
あなたが前向きに頑張っている事でおばあさまは安心なさるだろうし、
おばあさまが亡くなって気がつかせてくれた証ではないでしょうか。

人は必ず死にます。
人の死を無駄にするのか無駄にしないのかは生きている人の心構えで変わるのですよ。

頭で理解してもどうしても出来ないどうしてもどうしても悩んでしまうのならやはり鬱の気がありますから
心療内科に行かれてください。
病院の手をかりるのも悪くはありません。

おばあさまが、あなたが人生どうでもいいなんて思ってしまえば
亡くなった自分を責めるのではないでしょうか。
死んでも尚心配かけておばあさまに後悔までさせてはいけませんよ。

自分の力で切り替えましょう。それがどうしても無理ならお医者にかかりましょう。
亡くなれた淋しさは誰にだってあります。
でも本当に後悔していらっしゃるのなら、前向きに切り替える事ですよ、
それが本当に後悔しているということです。

理解してもまだまだ自分が悪いと後悔してならない辛いと言ってる間は
厳しいようですがまだ自分が一番可愛いのですよ。

そうならないように、もう一度しっかり考えて落ち着いて
本当に今必要なおばあさまの供養はなんなのか考えてみてください。

気が付けたあなたですから、きっと頑張れますよ^^
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曾祖母と祖父を亡くしています。


人の死はその人と自分のかかわりから
「あなたは人ときちんと向き合っているのか」

問いかけられるものだと思っています。

曾祖母とはあまり会話もなく、
お世話した記憶もありません。
どう接していいかわからなくて遠くから見ていた、
という記憶があります。

祖父は元気なときは理解できない事だらけで、
関わりを避けていました。
晩年入院してお見舞いに行くようになってから
初めて目をみて話をした、という記憶があります。

先の曾祖母の死から、
その相手に残る自分の最後の記憶も
自分に残るその相手の記憶も
笑顔でありたい
と思っていたので
祖父の死でそれは叶い、訃報を聞いたときに
「最後に笑顔でよかった」と思いました。

その経験を通して
人と人とは儚いものだから
いつでも最善の関わり方をしよう、と思うようになりました。
勿論気持ちの浮き沈みはあり、できないときもありますが
自分が大切に思う人に対しては
自分が後悔しないように
まっすぐに向き合うようにしています。

人は誰もいつか死ぬのです。
存在意義は自分が納得するように自分で決めればいいもので
無理に見つけようとしたら見つけられる(正確には見つけた気になる)
ものだと思います。
その方が生きやすいなら見つけるのもいいし
見つけること自体意味がないように感じればその時々を
その時々の感覚で生きればいいと思います。

自分の無気力をお祖母様の死に負わせないでください。
たかが人の死、ではないです。
お祖母様の生は、質問者様の生でもありました。
共有した時間はともに生きていました。
つらいのは当然です。自分の身体の一部が抜け落ちた感じになります。
今まで当然にあったものがなくなるわけですから。
でもそれでも質問者様は生きていかなければなりません。
質問者様の時間は流れているのです。

今は気持ちが混乱して
考えすぎたり真っ白になったりしていると思います。
そのうち、未来を見ることが出来る時期が来るでしょう。
それまではゆっくり
色んなものを見つめていかれるといいと思います。
今まで何も考えずにただ見てた風景が
違って見えたりすると思うので。
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はじめまして。


五歳の時に祖母を、そして六年前に祖父を病院側の治療ミスで亡くした者です。
祖母の時も、祖父の時も、「当たり前のようにしてそこにあり、
これからも当たり前のように甘えることが出来る」存在だった、
それがなくなって、私も限り無い喪失感を味わいました。

祖父は晩年、脳梗塞をわずらって病院で治療していました。
その時、私は「すぐに退院してくる。その時には必ず私が
面倒を見る。介護の資格だって取る」なんて思っていました。
実際、経済的に苦しくて、私が働かなければどうにもならない状況で、
祖父の見舞いにも行けなかったんです。
で、そんな私を、祖父は病院で、訪ねて来るのを待って待って…
ある日突然、病院のスタッフのミスで植物状態になり、そのまま永眠しました。
…悔やんでも悔やみきれないです。どうして彼が意識のあるときに、
無理してでも頻繁に、それこそ毎日会いに行かなかったのか。
その時のことを思うと、こうして書いている途中でも泣けて止まりません。
幼い頃から、彼の孫達の中で一番可愛がってもらった。
結婚してからも、「お前、お小遣いあるのか」と、稼ぎの悪い男に無理に嫁入った
私であるにもかかわらず、彼の家を訪ねると必ず数万単位でお小遣いをくれた。
なのに私は、彼に甘えるばかりで最低限の祖父の願いすら叶えてあげられなかった…。
経済的に苦しくて、いつも仕事をしなければならなくて、だからクタクタで病院に
見舞いに行けない、というのはただの言い訳でした。

自分を責めました。失って初めて、私の心の中で祖父がどれだけ
大きな存在であるのか気付いて、三日三晩泣き続けました。
こんな恩知らずな私なんか、居なくなっても構わないとすら思いました。
だけど、その時私には小さな娘がいた。彼の初ひ孫で、「一番可愛い孫娘である
私が産んだ、一番可愛いひ孫」だということで、彼がそれこそ目の中に入れても
痛くないほどに可愛がってくれていた私の娘。
彼の命を確かに受け継ぐ、小さな小さな娘です。だから、彼女に精一杯のことを
することで、祖父へのせめてもの恩返しになるのかもしれない、と、
そう考えました。
祖父の愛は、大きくて大きすぎて、どうしても先に亡くなってしまう彼に
返すことは出来なかった。だからその分、娘へ彼が私にしてくれたのと
出来れば同じくらいの愛を注ぎたい。それが祖父への何よりの恩返しに
なると思っています。

祖父は、私からの恩返しなんて考えてもいませんでした。
ですから、貴女のお祖母様も、たとえどんなに貴女がご自身で鬱陶しいと思い、
ひょっとしたら酷い言葉を投げつけてしまったかもしれないと思っていても、
「可愛い孫のわがまま」
ということで、むしろ笑って許していたのだと思います。そして、今も恐らくそうです。
私の祖父も、ただ私の幸せだけを願っていました。私がいつも幸せに笑っていること、
それが祖父の幸せでもあったんですね。貴女のお祖母様だってきっとそう。
だから…今はまだお辛いでしょうが、お祖母様のお仏壇に手を合わせるときは、
笑ってあげてください。
貴女がいつまでも「お祖母さんが死んだから、自分は不幸だと泣いている」のなら、
お祖母様も不幸です。
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お祖母さまは、あなたに対して「何もしてくれなかった」等とお思いでしょうか?


大間違いです。特別何かをしたから良かったとかでは無くあなたと過ごした何でもない日常こそがお祖母様の幸せであり、宝物そのものなのです。

お祖母さまの願いはたった1つです。

あなたが幸せであること。

私も父親の様に思っていたおじを若くして突然亡くし毎日落ち込んでいました。
でも気づきました。亡くなった人はいつも近くにいて 全部見てるんだって事に。今泣いているあなたの姿をすぐ横でお祖母さんは心配して見ていますよ。

大丈夫。亡くなった人とは時空を越えてこれからもずっと一緒にいれるんです。オカルトでも何でも有りません。あなたはお祖母さんとずっと一緒ですよ。

辛い時会いたい時 願うとおじはいつも夢に出てきてくれます。

あなたが1日も早く元気になり、笑顔が戻ります様に…。
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私は26歳の時に祖父を亡くしました。


祖父母とも私が生まれてきたときから一緒に暮らしてきました。
質問者様同様、大変世話になったものです。
祖父は私の勤務先のすぐ近くに入院していましたので、亡くなるまで毎日病院に通いました。
ですが、実際祖父が亡くなると「何もしてあげられなかった」と思って後悔したものです。
どれだけ近くに居ても、精一杯尽くしても、悔いは残るものです。
自分は何のために生まれてきたのか?というものを真剣に考えるようになられたとありますが、
お婆様が考えるきっかけを作ってくださったのではないでしょうか?
質問者様にとって、実はお婆様の存在が大きかったのでしょう。

試練だと思いますよ。
これを超えて更に大成されることをお婆様は望んでいるはずです。
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