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最近大学の図書館で見かけた、テリー・イーグルトン著「文学とは何か」や文学理論、物語論などの本が気になっています。気になっているのなら読めばいいではないかと言われるでしょうが、少し自分の中で躊躇してしまう理由があります。自分は趣味で小説を書いていています。もし文学理論や物語論というものを学んでしまったら、そういう理論に沿った物語しか書けなくなってしまうのではないかという不安があります。趣味の創作ごとき、と思われるのでしょうが、一体自分はどうすればよいのでしょうか?
また、文学理論、物語論は何のために作られたのかなどの経緯、概要を説明していただけたら嬉しいです。
ここまで読んでいただいてありがとうございますm(_ _)m

A 回答 (3件)

神話や伝承などを研究するため、


かなり古くから研究されているようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A9%E8%AA%9E% …

物語の類型に興味があり、
ウラジミール・プロップの『魔法童話の形態学』を読んでみたいと
思いますが、見たことがないです。
http://www.trpg.net/user/el./fct/labo/u_p.htm

学者の分析の結果なので、
この話はこういう話、とか頭の中を整理するのにいいと思います。
創作活動にも使える(ここの展開を変えたら
今までにない話かもとか)と思いますが、
こうするとアレと同じになるし~とか、
オリジナリティに強いこだわりがあり悩むようなら
読まない方がいいと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
物語というものにより深く関わってみたいので、紹介されたウラジミール・プロップ氏の本を読んでみようと思います。
また、心のどこかに物語論などを学んでしまったら、小説に対して冷めた読み方しかできなくなってしまうのでは?という気持ちがありました。
root_16さんは物語論を知った上でも小説を楽しめているのでしょうか?申し訳ありませんが、できたら再度回答お願いします。

お礼日時:2009/11/20 22:16

イーグルトンの『文学とは何か』は名著だということで、翻訳が出されて間もない頃に読みましたが、文学をめぐる錯綜した問題を、結局は社会学的な視点から手際よく分析してくれているという以上の印象は持てませんでした。



>もし文学理論や物語論というものを学んでしまったら、そういう理論に沿った物語しか書けなくなってしまうのではないかという不安があります。

う~ん、そのように受け止めるには及ばないと思いますよ。
たとえば、仮に私のようなド素人がとんでもない稚拙な小説を書いたにせよ、それでもどんなに立派で精緻な体系を持った「文学理論や物語論」をもってしても解明し得ない謎や疑問をたくさん潜在させているはずと考えるしかないからです。

「理論」というのは、人間の知識であり、知識の体系の別名でもありますが、所詮、これは人間の様々な経験から抽象され、整序された経験則以上でも以下でもでもない以上、決してナマの経験それ自体には敵わないですよね。
さらに、たとえ幼い子供であろうと、その子なりに考えられるようになれば、必ず何らかの意味での「理論」(経験則)が働いてのこととしか説明しようがないはずです。
と同時に、どんなに緻密な理論家にしろ、「理論」通りに思考するなんてことは不可能なはずでして、彼が生きて不断に自己形成し続けている以上は、必ず自身の「理論」を逸脱する形でしか思考せざるを得ないと思います。

このように、人間が考えようとする限り、たとえ当人はそうと気付かないにせよ、程度の差こそあれ、理論的であらざるを得ないのです。
ただ、理論的思考が苦手な人ほど、「自分的には」、「個人的には」、「直観(感)的には」、「主観的には」等々という言い方を平然としたがるところがあるかもしれませんね。
本当は、自分が何に囚われ、何にマインドコントロールされた結果としてこのように考えているのか? と反省的、自己批評的に考えるべきところを。

>文学理論、物語論は何のために作られたのかなどの経緯、概要を説明していただけたら嬉しいです。

もうお分かりだと思いますが、文学や物語に限らず、「理論」と呼ばれるものは、われわれが何かを理解したり、説明したりしようとするとき、できるだけ正確であろうとした結果として生み出されたもの、としか規定しようがないと思います。
その意味で、優れた「理論」家ほど、著者の自説、判断を主張することよりも、むしろその論拠なり根拠なりを明示することの方に熱心で意欲的だと言えるかもしれません。
要するに、論拠の論拠、根拠の根拠、理由の理由等をしつこく追究しないではいられない発想や姿勢の持ち主だけが、真の意味で「理論」的なんだと思います。
くれぐれも、これさえあればどんな文学的な難問も解明できる便利なマニュアルであるかのように勘違いしてはならないでしょうね。

その点、『文学とは何か』におけるイーグルトンはと言えば、確かに批評をめぐる主要な諸問題全般に論及しておりますが、所詮そこでは啓蒙的なレベル以上のことを書くつもりはなかったのかなという気がします。
本当に「理論」的であろうとするなら、「理論」の限界に行き着いて、なおかつ、その地平線の向こう側に神やニヒリズムの問題がチラチラと見え隠れすることに言及せざるを得ないからです。
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>物語論を知った上でも小説を楽しめているのでしょうか?


少なくとも私は、小説を読むときに物語論を前提に読むことはないです。
割と何も考えずに読むほうなので。
ミステリーを読むときは、当然推理しますが、外れていることの方が
多いです。この時は、物語論というか、既出のトリックを考慮してますが、
より楽しめて読めています。
これも楽しみ方の一つかもしれません。

作り方や構造が、といった視点で作品を見るのは
優れた作品でいい意味で驚かされた場合、
つまり読んだあとなので、
よほど、稚拙な作品であらが目立ちすぎるという場合
以外は、普通に読者として楽しめると思います。

それと、小説には象徴化された人物や
光景、建物とかが出てくることも多いので、
設定を作るときとかに心理学関係の本も参考になると思います。
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