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こんにちは。
昨今、鬱や不安神経症のかたが多いようですが、仏教ではどのような解釈なのでしょうか?昔々から、ある病気?なのでしょうか?お釈迦様が斗刈られている説法などはあるのでしょうか?
こだわりがあるためそれを治すことで、人生が開けていくと聞いたことがあります。
お返事遅くなります。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (5件)

仏教のなかの唯識という一派が人間の深層心理現象に注目して


いろいろと解説しています。

まず人間には6つの根本的な煩悩がある。
貪 とん むさぼり 「自然な欲求」ではない、「病的な欲望」
瞋 しん いきどおり 過剰な自己防衛、攻撃性
癡 ち おろかさ 人生の肝腎なことを知らない、無知
慢 まん たかぶり 自分と人を比べる心。いきすぎた優越感、いきすぎた劣等感
疑 ぎ うたがい 考え方、生き方が定まらない、迷っている、ためらっている態度
悪見 あっけん あやまった見方

さらにここから20の随煩悩が現象として生じる
忿 ふん いかり
恨 こん うらみ
覆 ふく ごまかし
悩 のう なやみ
嫉 しつ ねたみ
慳 けん ものおしみ
誑 おう だますこと
諂 てん へつらい
害 がい 傷つけること
驕 きょう おごり
無慚 むざん 内的無反省
無愧 むき 対他的無反省
掉挙 じょうこ のぼせ
昏沈 こんじん おちこみ
不信 ふしん まごころのなさ
懈怠 けだい おこたり
放逸 ほういつ いいかげんさ
失念 しつねん ものわすれ
散乱 さんらん 気が散っていること
不正知 ふしょうち 正しいことを知らないこと

鬱や不安はこの随煩悩のうちの昏沈として、取り扱われています。
これの対策としては善を為し、修行することを説いています。

詳しくは唯識の本や解説を見てください。
http://www.io-p.net/io_nikki/study/yuishiki.htm
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この回答へのお礼

長文、有難うございました。
やはり、説法の中にあるのですね、初めて拝見いたしました。
必ず昔の説法にあると思っていたので、嬉しかったです。

今も昔もテクノロジーは進化しても、煩悩は同じですね。
私も勉強して、精進したいと思います。
どうもありがとうございました。
失礼致します。

お礼日時:2009/12/13 19:06

人は昔から心が鬱になったり不安になったり、総じて苦と言うものがあるから仏教が説かれたんだと思います。


社会のあり方や人の心のあり方という表層的な部分に違いはあっても、根源は同じではないでしょうか?
お釈迦様の説法は全てあなたの問いに答えられているのではないかと私は思います。
しかし現実には観念だけで人の心は変わりません。
又、偽りを真実と言い、真実を偽りと言う多くの中から正しいものに辿り着くのは至難だと思います。
それは貴方の心のあり方が逆に問われてくる事なのだと思います。
正しい教え、正しい師にめぐり会えますように。
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この回答へのお礼

こんにちは。
ありがとうございます。
やはり、自分自身の心のありよう、、、なのかなと、、、?
お釈迦様にはなれるわけ無いですし、どんなときでも心の安定を持っている、、、それこそが生きる意味なのかもしれませんね?

>正しい教え、正しい師にめぐり会えますように。

楽しみに、、、、出会えることを自分でもがんばります。

有難うございました。
失礼致します。

お礼日時:2009/12/13 19:05

仏教に限らず信仰による不安の解消は、古より続いてきた事です。


信仰によって常に頼れるものがあるというのは大変良い事だと思います。
こだわりや執着をなくす事は中々できないものですが、信仰心があれば乗り越えられるようにも思えます。
理屈だけでは抑えきれない感情も、信仰という心の大きな支えがあれば落ち着かせる事ができるのでしょう。

人生のさまざまな不安や苦しみを自分一人で抱えなくても済むというところに救いがあるように思います。
常に神や仏と一緒にいるという安心感が不安を取り除くのでしょう。
盲信であるかどうかが問題となってくるのでしょうが
一般的には、長く続いてきた神や仏への信仰ならば差しさわりのないもののように感じます。

仏教では無我を説き、すべては実体の無いものであるから、それらに執着するのは誤りである・・と言いますが
無我である事が分からなければ執着から解放される事はないと思います。
この執着の暗闇を照らしてくれるのが信仰の灯なのでしょう。

一例を上げれば・・
よく知られた観音経の中で最も大切な部分といわれているのが
衆生被困厄 無量苦逼身 観音妙智力 能求世間苦
また、結びのところも大切と思います。
具一切功徳 慈眼持衆生 福壽海無量 是故応頂来
(全ての良き働きを身にそなえて諸人を凝視したもう、幸せは海の如く無量である、この故につつしみて礼拝するがよい)

観音様の大きな心に包まれて、伸び伸びと生きてゆけたら幸せだと思います。
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この回答へのお礼

こんにちは。こだわりや執着というのは、本当に難しいですね。むずかしいです!!。
確かに、信仰をしているということで、心の支えにはなっています。
>観音様の大きな心に包まれて、伸び伸びと生きてゆけたら幸せだと思います。
嬉しいお言葉、有難うございます。
ここ何年かは、神様がいないと思うぐらい、本当に私のことを見てくださっているか、、、、、こう思うこと事態が小我なのかな???

でも、そのおことばうれしいですね、
ありがとうございました。
勉強になりました。
失礼致します。

お礼日時:2009/12/13 19:03

>>仏教では鬱や不安神経症等はどのような解釈なのでしょうか?



釈迦の時代の社会と現在の社会システムは大きく違います。また、近代に限っても、「三丁目の夕日」の時代とコンピュータやインターネットが発達した現在とは、これまた大きな差があります。鬱や不安神経症に相当するものが、2500年も前の仏教の教えに無かったとしても当然でしょう。

ちなみに、書籍「仏陀再誕/幸福の科学」では、第四章の「政治と経済」において、再誕の仏陀である大川隆法氏が、現代に生きる私たちへ、現代に必要な教えを追加して説かれています。鬱や不安神経症の人には大いに参考になると思います。

ただ、過去の仏教の教えにある「三宝印」の
・諸行無常
・諸法無我
・涅槃寂静

の最初にある「諸行無常」をきちんと理解するだけでも、鬱や不安神経症は直ると思いますね。
仕事のノルマ、住宅ローン、子どもの非行やいじめなど、悩みの種は多いわけですが、30年もすれば多くの会社は潰れ、「仕事のノルマ」なんて関係なくなるし、転職・定年もある。住宅も老朽化して壊れてゆく、子どもも、いつの間にか大人になり、親子とも、お互いに「老人」の仲間になってしまう。そしてしばらくすると、そろって墓石の下に入る。

人生なんて、あっという間に終わってしまう夢のようなものです。「絶対にこれをやらねば!」と思っていた重しも、水の泡のように消えてゆくと理解すれば、心の重荷が無くなり、鬱病とか不安神経症なども治ってゆくと思います。(ただ、その簡単なことを理解するのに数年~数十年かかることが多いのも事実ですが・・)
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この回答へのお礼

そうですね~~、なんか考えすぎていたように思えます。
たしかに、会社30年説や、それ以外にも本当に悩むことが馬鹿らしくなりますね。
>「絶対にこれをやらねば!」と思っていた重しも、水の泡のように消えてゆくと理解すれば、心の重荷が無くなり

これがむずかしいですよね、、、笑

でも、やってみますね。
本当に、有難うございました。
参考になりました。
失礼します。

お礼日時:2009/12/13 19:00

「仏教」と言っても国や宗派により色々だと思いますが、


スリランカ初期仏教のお坊さんが色々本を書いたり、瞑想法のアドバイスをしていますよ。
私は本を2-3冊読んでみただけで、よくは知りませんけれど。
養老先生と対談した『希望のしくみ』(宝島新書)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4796653317/re …

あとは、仏教ではないんですが、
日本発祥の「森田療法」というのも神経症治療で有名です。
“森田神経質”というタイプに合うようですが、
「あるがまま」「目的本位」などは症状に困っていない健康な人にとっても役立つ考え方だと思います。
不安を治すとか消すんでなくて、それを抱えたままで構わないという考え方です。
http://www.mental-health.org/morita.html

お返事は気にしていませんので、心配なさらないでください。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
森田療法聞いたことがあります。ちょうど調べているところでした。
あるがまま、、、むずかしいですね。
勉強してみます。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/12/13 18:57

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