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神が想像上のものであるなら、
神を冒涜する行為を、
人間が勝手に想像することは可能だと思います。

が、もし神が実在していたとするなら、
人間が神を冒涜することなど、不可能だと思え
るのですが。(神の視点では)
それは、人間がどんな悪さをしたとしても、
所詮は、ひとつの自然現象に過ぎないように思
えるからです。
人間以外の動物が何をしようが自然現象に過ぎ
ないのと同じだと思うのです。
自然現象には善も悪もないと思います。
人間は勝手に「自然」と「人工」を区別して考え
ますが、神の視点に立てば、全てが「自然」に
過ぎないと思うのですが。
人間のみが「自然」に反逆できる存在だと捉え
るのは、ある意味、人間の傲慢さの表れのよう
に思えるのですが。

神を冒涜する行為について、思うことを教えて
下さい。

A 回答 (11件中1~10件)

実体的存在としての神を考える例えとして。



玉将    →  宇宙人
王将    →  人間
飛車    →  猿
角      →  牛
その他の駒 →  適当に動物に割り当てる
将棋を指している人間 → 神

駒がどんな動きを取ろうとも、指している実体を冒涜することにはならない、てな感じでしょう。

相対的世界観の中で想定される神については、#4殿が非常に簡明に言い表していますね。

実体的存在としての神を想定した時に、神を冒涜することは不可能との質問者殿の見解に対する、的確な反論はないようですね。

反論ではないですが、そもそも実体的存在としての全知全能の神など存在しないと思っています。
それでもあえて想定するなら、「神=宇宙を存在させている法則」てな感じになります。
その法則は絶対的なものなので犯すことは不可能ゆえに、冒涜することも有り得ない。結論的には質問者殿と同じになりますね。
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この回答へのお礼

ご意見、ありがとうございます。

>駒がどんな動きを取ろうとも、指している実体を冒涜することにはならない、
>てな感じでしょう。

将棋を例にして、
神とその他の生き物の関係をうまく表していますね。
なるほどと思いました。

>それでもあえて想定するなら、「神=宇宙を存在させている法則」
>てな感じになります。
>その法則は絶対的なものなので犯すことは不可能ゆえに、冒涜することも有り得ない。

なるほど、
「神=宇宙を存在させている法則」
には、頷けるものがあります。
だとすると、ご指摘のように、
冒涜に値する行為など、存在しなさそうですね。
人間はただ、
絶対的な法則に従って、
動かされているだけであると。
自由意志のようなものであっても、
法則に従って生成されているに過ぎず、
法則から外れるものは何一つ存在しない。
ということでしょうかね。

お礼日時:2003/05/24 01:03

面白いので私も参加させて下さい (^^;



個人的には、No6さんの意見に納得です。

>神が人間の行動に関心を持ち、評価を下されると考えること自体が
>神を矮小化していることであり、最大の冒涜だと思います。

なるほど!って思いました。

ようするに、神を母親、人間を赤ちゃんにたとえるなら・・・

赤ちゃんがどんなに泣こうが喚こうが、赤ちゃんが母親を冒涜することなんかできない。

赤ちゃんが異様なくらい激しく泣き喚くと、母親は怒りだすと考えることは、母親に対して失礼で、母親を冒涜することになる。

そんなふうに勝手に受けとめました (^^;

あと、余談ですが、想像の神であろうが、実体の神であろうが、神がもっとも愚かだと思う人物は、他人のことを馬鹿呼ばわりする人だと思います。

ほら、よく言うじゃないですか、馬鹿ほど他人を馬鹿って呼びたくなるって (^^;

本当に利口な人って、ぜっ~~たいに、他人のことを馬鹿とは言わないですよねぇ (^^)

自分だけで自分のことを利口と思っていて他者を馬鹿呼ばわりする人間の存在こそ、、、最大の神に対する冒涜ではないでしょうか (^^)
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この回答へのお礼

ご意見、ありがとうございます。

>赤ちゃんが異様なくらい激しく泣き喚くと、母親は怒りだすと考えることは、
>母親に対して失礼で、母親を冒涜することになる。

なるほど。
たとえ赤ちゃんが母親に噛み付いて、
血だらけにしたとしても、
母親は優しく赤ちゃんを包み込むだけであると。
神も、人間がどんな愚行を行おうが、
それを優しく包み込むだけであり、
神が怒りを表すと考えることは、
神を俗物化していることになり、
まさしく、これ以上ない「神への冒涜」になる。
確かに、そういうことになるかも知れないですね。


>ほら、よく言うじゃないですか、馬鹿ほど他人を馬鹿って呼びたくなるって (^^;

そういった愚かな人間も、
神が意図的に作られているんじゃないでしょうか (笑)
まあ冗談はさておき、
他人を馬鹿と言いたがる人は、
自分に自信がない人が多いですね。
自分がたいした者でないことを、
ある意味、自覚しているんじゃないでしょうか。
それをカモフラージュしたいがために、
他人に対して攻撃的になるのだと思いますよ。
酷くなると、
通り魔とか、
そういったケースにまで発展してしまうのでしょうね。

お礼日時:2003/05/24 01:26

神を実体的な存在ではなく、人間文化の産物と考える立場にたって回答します。



一般的な理解では、神は全知全能であるがゆえに神を冒涜することはいけない、とされますが、これは少し因果関係を間違っているように思えます。

実際のところは、人間は「冒涜する行為」の認識を通じてしか「神の存在」を確認できないのです。つまり両者の間には時間的な因果関係は存在せず、表裏一体のものとして存在するわけなのです。冒涜という認識は同時に神という認識の輪郭を形作るひとつの文化的装置である、と言ってもよいと思います。

「冒涜」という禁忌の概念そのものが「神」の概念を明確に成立させるのであって、禁忌と神とは互いが互いを必要として同時に成立する概念である、とも言えるでしょう。従って、「冒涜」という概念を寄せつけない(あるいは必要としない)「絶対なる神」を想定することは理論的には可能であっても、これは少しレベルが違う議論ということになります。

現代思想めいて言うと、人間は差異の構造を通じてしか世界を認識することはできませんし、宗教を含めた文化の構造というのは「差異づけられた価値の相互関係」といったものでしかありません。ご質問にあるように世界を「善」と「悪」、「自然」と「人工」という対立概念で分節する理解もその典型です。

我々は常にこのような概念で世界認識をするのですが、これらの概念は常に「差異」として関係性の中にしか認識されないものですから、「自然」も「人工」もそれぞれ独立して単立しない概念だということになります。「神」という概念も、それが存在証明を持たないものである以上文化的な価値を有するものであって、システムの中でしか価値を持ち得ないはずなのです。(ご質問にある「神の視点に立てば」というのは、図らずもこのような相対的な立場に立つことと同義になります)

確かに、絶対神は「思惟を超えた存在」として認識されるのですが、重要なことはその認識そのものを成り立たせている構造を考えることでしょう。この場合で言えば、「神」について「冒涜という禁忌」がどのようなシステムのなかで働いているのか、ということを考えないといけないはずで、神学でない以上、神だけを取り上げてそのものの本質を論じてもあまり意味はないでしょう。「神」の意味は(従って「冒涜」の意味も)それ自身の中には存在しないからです。

譬えていえば、将棋の駒の「王将」は全ての駒全体の存在とプレー全体の規則を前提して初めて「王将」たり得ます。つまり全体の関係性の中で初めて「王将」の意味付けが議論され得るのであって、単に「王将」だけをシステムから切り離して論じることは本質を誤ってしまいます。仮に王将が「どのような動きも許される絶対の存在」であったとしても、その「絶対性」自体もやはり、他の動きの制限された駒群との関係性のなかでしか意味を論じられない、というのと同じ事です。

適切な例かどうかわかりませんが、レヴィ=ストロースの研究したインセスト・タブー(近親相姦の禁忌)の見方がひとつのアナロジーになると思います。彼は、近親相姦の禁忌の存在が形を変えつつ世界的に共通していることを通じて「自然」と「文化」の間の相対的な関係を分析しました。
その結論をごく簡単に表せば、人間は近親相姦の「禁止」を通じて自然から文化(つまり社会)を分節しているのであり、「禁止」が秩序を生み出している源泉である、ということです。平たく言えば、近親相姦のタブーとは「近親者であるが故に禁じられる」のではなく、逆に「禁じられることで近親者とみなされる関係が生み出される」ということになります。神と禁忌の関係も同様に理解することが可能です。

もっとご質問に近い例で言えば、デュルケームが宗教について行った古典的な定義を考えても良いでしょう。彼は「聖」と「俗」という対立概念を持ち出して、宗教を「聖なるものに関する慣行と信念の体系」というように定義したのですが、この「聖」「俗」も自律的な概念ではありません。
というのも、「聖」とは本質を持たないもので、結局「俗ならざるもの」という消極的な定義をせざるを得ないものですし、逆に俗もまた「聖ならざるもの」として実体的に論じることができない存在だからです。この相互依存的な、つまり差異化の中にしか認められない「聖」と「俗」の輪郭線上に浮かび上がるのが「禁忌」という行為群なのであって、この禁忌によってこそ「聖」と「俗」が生み出されているわけです。

この禁忌をやぶることは「冒涜」とされますが、既に書いたように「冒涜」そのものが「聖と俗」「神と人間」といった対立する概念の間にできる“襞”のようなもので、その価値観全体を無化するものではありません。従って、「冒涜」を論じることも結局同じ対立関係の中に回収されてしまいます。
つまり、「聖なるものはない」と声高に論じることもまた「それをも許す聖性」という一項を持つより大きな(メタレベルの)「聖と俗」という対立項の中に吸収されてしまうわけです。人間が傲慢であろうとなかろうと、このシステムが根本にある限り、「冒涜」は常に生まれ、回収されるものだ、という風に言えると思います。

※少しくどい文章になってしまいました。質問者氏が神の実体論的立場に立たれる場合にはどうぞ無視して頂くようお願いします。
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この回答へのお礼

ご意見、ありがとうございます。

お礼日時:2003/05/24 00:40

>仮に神が、意思を持った全知全能の存在であるとするなら、


>意思に反する現象が起こりうる設定には、していないように
>思えるのですが。

私は神様ではないので詳しいことはわかりませんが、
神が人間に自由を与えたとすれば、上記の前提は成り立ち
ませんね。

そして約束事を決めておいて(聖書の十戒や仏教の戒律のように)
それに違反した場合に適度な罰を与え、約束事をよく守れ
ば神様が恵みを与えるという考え方もあるかと思います。
|既存の宗教は、だいたいそういうふうに信徒に教えますね。
|すべての宗教の教えにあてはまるわけではないのですが。
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この回答へのお礼

ご意見、ありがとうございます。

>既存の宗教は、だいたいそういうふうに信徒に教えますね。

それは、そうすることで、
秩序が保てると思っているからだと思います。
想像の神を、安定のための道具にしているように思えます。私には。
まあ、戦乱を呼び起こすことにもつながってはいますが。

>神が人間に自由を与えたとすれば、上記の前提は成り立ちませんね。

>そして約束事を決めておいて(聖書の十戒や仏教の戒律のように)
>それに違反した場合に適度な罰を与え、約束事をよく守れば神様が恵みを与える
>という考え方もあるかと思います。

適度な罰を与えたり、恵みを与えることによって、
何らかの効果を得たいと神が望んでいるのであるなら、
その効果を最初から設定してしまえばいいと、
思えてなりません。
神が全知全能であるなら。

お礼日時:2003/05/23 14:34

#1です。


なかなか意見が発展してきましたね。他の回答者の方の意見も、たのしく読ませていただいています。

さて、わたしの回答を、少し読み違えられたかなと思ったので補足させてください。

猿が人間を支配しようが、人間が猿を支配しようが、神にとってどうでもいい話というのは、私も同意見です。しかし、人間自身は「人間に対する冒涜と考えるでしょう」

猿<人間 の関係をそのまま、人間<神 に置き換えて考えると、たとえば人間が神を支配するような環境が生まれたとして(SFですよSF)、そうなっても神さんは「私が人間に支配され虐げられるのも、自然現象だからOK」と考えるでしょうか?と言いたかったわけです。

みなさんは神を唯一無二の絶対神で人格を持たない超越的な存在として認識しているようですが、世界には多神教あり、人格神あり、いろいろな宗教文化があります。実際にギリシャ神話で神とされていたゼウスなんかは、嫉妬深くて非常に人間的だとされていましたよね。

「もし神が実在していたとするなら」という定義のところで、神がどんな存在にするか(冒涜を冒涜とも思わない存在orやっぱり冒涜がゆるせない存在)によって、結論が大きく変わってくるのでしょうね。

そんなことを考えてみました。
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この回答へのお礼

ご意見、ありがとうございます。

>人間が神を支配するような環境が生まれたとして(SFですよSF)、そうなっても
>神さんは「私が人間に支配され虐げられるのも、自然現象だからOK」と
>考えるでしょうか?と言いたかったわけです。

私のイメージとしては、
人間に支配される神というのは、
「神」とは呼んでも、その実態は、
人間に毛の生えた程度の存在であり、
本物の神が他にもいるだろうという認識です。
勿論、実在の神を考えた場合、
神にも能力の限界がある、
という考え方もあるかもしれないですが、
私には、能力に限界がないものこそが神だと、
思えて仕方ないです。

>世界には多神教あり、人格神あり、いろいろな宗教文化があります。

それらの神は、私にはどれも、
人間を特別視しているという点で、
No.4さんがおっしゃっているような存在に過ぎない、
と思えて仕方ないです。

>(冒涜を冒涜とも思わない存在orやっぱり冒涜がゆるせない存在)によって、
>結論が大きく変わってくるのでしょうね。

そうですね。
そこで私が疑問に思うのは、
冒涜が許せない存在と考える場合、
なぜ神が、冒涜を許さないのかということです。
(神が全知全能である場合のことですが)
許せない行為だったら、
最初から全ての存在に対して、
冒涜行為ができないようにしておけばよいのでは、
と思ってしまいます。

お礼日時:2003/05/23 14:08

神が実在するとしたら、きっと、あらゆることに無関心だと思います。

というのも、神は全てをお見通しでしょうから。どんな結果になってもそれが事前にわかっているので、結果に一喜一憂することはないのです。

ですから、人間が死滅しようが地球が放射能まみれになろうが、神が嘆くことは全くないでしょう。全てがあらかじめ決まっていることですから。

神の視点に立てば、冒涜もへったくれもないのです。神が人間の行動に関心を持ち、評価を下されると考えること自体が神を矮小化していることであり、最大の冒涜だと思います。
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この回答へのお礼

ご意見、ありがとうございます。

>神は全てをお見通しでしょうから。

神を完全なる存在と定義するなら、
当然そうなると思います。

>全てがあらかじめ決まっていることですから。

私もそう思います。

>神が人間の行動に関心を持ち、評価を下されると考えること自体が神を矮小化している
>ことであり、最大の冒涜だと思います。

そう言われてみれば、そんな気がします。
ようするに我々は、
自然の摂理の中のちっぽけな歯車に過ぎず、
どんなことを仕出かそうが、
歯車の動きには善も悪もない、
ということなんでしょうね。

お礼日時:2003/05/23 13:40

>人間は勝手に「自然」と「人工」を区別して考え ますが、神の視点に立てば、全てが「自然」に過ぎないと思うのですが。



全く同感です。人間が自然から発生しているわけですから、人間のすることは全て自然の行為と思います。

人類にとって最も大切な事は、人類が生存し続けるだと思います。地球を取るか、人類の生存を取るかの選択があれば、人類は間違いなく人類の生存を取ると思います。それも自然の行為と考えます。

人間の欲望を際限なく大きくしていけば、地球はもたないでしょう。人間によって人類の生存を不可能になるくらい地球資源の浪費と破壊を起こせば、人類は宇宙に向かうでしょうが、果たして間に合うでしょうか?欲望は人類の進歩の一端をになっています。この欲望をコントロールしつつ人類の生存を継続する事の難しさが、今後顕著に出てくると思います。

よくSFのテーマでありますね。人間がどこまで出来るかを神が見ていて、「失敗だ」と神が思うと鉄槌を下すストーリです。

>神を冒涜する行為について、思うことを教えて
下さい。

人類がその生存に失敗すれば、神の実験の失敗でしょう。それは神を冒涜する行為かも知れません。
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この回答へのお礼

ご意見、ありがとうございます。

>人類にとって最も大切な事は、人類が生存し続けるだと思います。

一人間としては、そう思います。

>この欲望をコントロールしつつ人類の生存を継続する事の難しさが、今後顕著に
>出てくると思います。

そう思います。

>人類がその生存に失敗すれば、神の実験の失敗でしょう。
>それは神を冒涜する行為かも知れません。

私が思うには、
神は完全なる存在ですから、
実験を必要とはしないと思うのです。
実験なり試行錯誤を必要とするのは、
不完全な存在だと思うのです。
ですので、人類がその生存を、永続させようが途絶
させようが、
神の視点では、
全てが予定通りに行われているに過ぎないように
思えるのですが。
仮に実験の失敗と認識する存在がいるとするなら、
それは神というよりは、
単に人間より優れた存在というだけであり、
その、人間より優れた存在のずっと上に、神がいる、
というふうに私は受け止めます。
また、
人類が途絶する = 実験の失敗
と捉えるなら、
実験が失敗した折には、
人類が実験者を冒涜したというより、
実験者の設定にミスがあったゆえの失敗であり、
責任は全て実験者に帰するものであると思えます。

お礼日時:2003/05/23 13:32

 >人間のみが「自然」に反逆できる存在だと捉える・・・



 誰がそのように捉えているんですか?

 まぁそれはそれとして、仰るとおり「自然」と「人工」は人間が勝手に区別しているだけだと思います。
 動植物たちにも神の観念があるか分かりませんが、たぶん神も人間が創り出したものだと思います。

 創り出す人は自分に都合の良い神をでっち上げ、その神が自分にとって都合のよい者が信者になる。
 だから、世界では多様な神が存在し、時にはその都合の良い神を互いに押しつけようと、戦争になることもありますよね。

 つまり、神とは自分の身代わりなんです。うまく言葉で表現できませんが、自分にとっての理想像を神としているにすぎないと思います。自分にとって都合の悪いことや、嫌なことを直接言わず、神の名を借りて「神を冒涜する行為」と言えば、当事者にならず、評論家のような立場で、ものを言える気分になれるからでしょう。

 ズバリ「神を冒涜する行為」=「自分の気に入らない行為」ということですね。
 
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この回答へのお礼

ご意見、ありがとうございます。

> >人間のみが「自然」に反逆できる存在だと捉える・・・

> 誰がそのように捉えているんですか?

一般的に、「自然を破壊する」という表現は、
人間に対してしか用いないと思うのですが。

>創り出す人は自分に都合の良い神をでっち上げ、その神が自分にとって
>都合のよい者が信者になる。

神は人間のご都合主義の権化のようなもの、
ということですね。
想像の神においては、私も同じことを思います。

>自分にとっての理想像を神としているにすぎないと思います。

そんな感じですね。

>ズバリ「神を冒涜する行為」=「自分の気に入らない行為」ということですね。

ようするに、自分なり特定の集団が気に食わない行為を、
自分達以外の絶対的な存在を持ち出して
その絶対的な存在に評価させることによって、
自分達の見解に権威付けをしたい、
ということかも知れないですね。
結局、神という想像物を、
都合のいいように利用しているに過ぎないと。

お礼日時:2003/05/23 11:08

神の規定が宗教ごとにあり、色んな神様が存在するようになっていますが、神を単に超越的な存在拠り所という共通点だけ残し、あとは人それぞれが想像し規定して良いとおもいます。

(天皇機関説ではありませんが、神を組織を結束する機関として利用するなら共通の規定をする必要があるかもしれませんが)
私の場合の神とは地球であり、人間の元存在を支える拠り所である母であるからです。だから私にとって神を冒涜する行為とは地球を破壊する行為です。
地球に人間が住むように、我々人体の中にも微生物が住んでいる訳で、これは全く同じ関係だと思います。体内の住人が悪い微生物ばかりになれば体調を崩すし、逆なら心地よく生きられる。
興味があればまた回答したいとおもいます
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この回答へのお礼

ご意見、ありがとうございます。

>神を単に超越的な存在拠り所という共通点だけ残し、あとは人それぞれが想像し
>規定して良いとおもいます。

私もそう思います。

>私の場合の神とは地球であり、
>だから私にとって神を冒涜する行為とは地球を破壊する行為です。

良いお考えだとは思います。
が、そのお考えですと、地球を破壊する最たる存在
である「人間」が滅んでしまうことが、地球の健全化
という点では最上のようにも思えてしまうのですが。
勿論、人間は別格なので、人間が滅んでしまっては
元も子もないというご認識なのでしょう。
私が思うには、
人間を別格だと思っているのは人間だけであり、
限りなく大きな視点で自然を捉えるなら、
最終兵器で地球が一瞬にして爆破されることが
あったとしても、
自然の摂理の中で、なるようにしてなったのに過ぎず、
そこには善も悪もないだろうというのが(そう神も感じる)、
私の思いです。

お礼日時:2003/05/22 21:00

神が意思をもつならば、その意思に反する行為は、


冒涜するのと同じことだと思います。

その意思とは、どんなものなのか。
それは、神にきかないとわからないでしょう。
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この回答へのお礼

ご意見、ありがとうございます。

>神が意思をもつならば、その意思に反する行為は、
>冒涜するのと同じことだと思います。

仮に神が、意思を持った全知全能の存在であるとする
なら、
意思に反する現象が起こりうる設定には、していない
ように思えるのですが。
また、仮に意思に反する現象が起こりうる設定にして
いたとしても、

人間が猿を支配することはOK
猿が人間を支配することはNG

神が上記の認識を持つ理由は想像できないのですが。

>その意思とは、どんなものなのか。
>それは、神にきかないとわからないでしょう。

それは当然ですね。
それができないので、
「想像」というものを用いるのでしょうね。
人間は。

お礼日時:2003/05/22 19:13

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