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ロシア(ソ連)が中国東北部に敷設した北満鉄路(旧東清鉄路)の満鉄への譲渡に携わったとされる満洲国外交官の北川四郎氏のことを調べています。
著書も多くなく、文献への登場回数や紳士録等にも見当たりません。
どなたか、略歴や関連文献をご教示いただけないでしょうか?

A 回答 (4件)

 こんばんは。


 さっそくですが、全国の大学図書館と国会図書館のリンクを通じて入手した北川四郎の著作をお知らせします。多分ご存知のものばかりではないかと思いますが、以下に書き出しておきます。

 「シベリア出兵から戦後50年へ」 御園書房 1995

 「ノモンハン:元満洲国外交官の証言 戦争と人間の記録」
  現代史出版社 1979

 「ボーダー・レスとは?:東郷外交から北方領土へ」
  日本図書刊行会 1993

 「『まさか』の歴史:万物は流転し、意識は変化する」
  谷沢書房 1989

 「司馬史観:軍部が日本を占領した」
  垂井日之出印刷所 2000

 「司馬遼太郎は何故ノモンハンを書かなかった?」
  垂井日之出印刷所 2000

 調べてもらった大学の図書司書の子が言うには(いつも助けてもらっている子で、とても有能な子です)、現在北川四郎という名前で入手できる資料はこれが全てではないでしょうかということでした。
 
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この回答へのお礼

いろいろな情報をありがとうございます。
返信が大変遅くなり申し訳ございませんでした。
ご提供いただいた書誌については、いくつか未見のものがありまして、小生も早速図書館を当たってみたところではあるものの、残念ながら本学には蔵書が見当たりませんでした。(電子データ化が遅れていてるのかも知れないので、蔵書カードで当たってみることといたします。)
垂井日之出印刷所が発行している最後の2刊は、書名自体はあちこちで見かけますが、幸か不幸か、これらの内容を引用している論文の多くが、独自に論評を加えられており、原典にあたることなくサボっておりました。
小生の愚問にお付き合いいただいて丁寧な情報の提供をいただいたKITAIKKI様に対しても、大変忸怩たる思いがいたします。
また、もう少し勉強をしなおして、改めて疑問等が出ました折に、やや具体的な質問を投稿することがあろうかと思いますが、お見掛けになったらまたお付き合いいただければ幸いでございます。
今回は、本当に助かりました。ありがとうございます。

お礼日時:2010/03/08 12:55

 こんにちは。


 多少はスパイスの聞いた言葉をかけられても仕方ないと覚悟しておりましたが、優しいお言葉をいただきほっとしております。

 近々久しぶりに近くにある国立大学の図書館へ資料漁りに行くつもりです。ついでといっては失礼ですが、もし北川氏に関しての資料がなにかありましたら後日お知らせいたします。

 春先の気まぐれな気候が続いております、くれぐれもご自愛ください。
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 申し訳ありません。

私のほうこそ大きな勘違いをしておりました。
 満鉄の文字にだけ目が行っており、質問の内容をきちんと把握しておりませんんでした。北満鉄路と書いてあるのに、なぜかその文字を勘違いしておりました。

 実は私は満州における朝鮮人移民について研究(といっても遊び半分ですが…)しており、北川四郎氏の著書にもそのこと(特に万宝山事件)が少し触れられていることもあって彼の著書を所有(といっても1冊ですが)し、また軍事的なものにも興味を持っていることもあって、その流れで満洲鉄道にも少しずつ興味を持ってきたというわけです。

 さて私が知り得ている北川氏の情報といえば、彼の自伝的著書の奥付に書いてあるありきたりの略歴程度で、あなたのご期待に応えることは難しいかと思います。ただ私も彼の著書を県立や市立の図書館で探しているとき、大正・昭和の人物録や紳士録などにまったく掲載されていなかったことが思い出されました。

 ということで、私の勘違いで不愉快な思いをさせてしまったことを改めてお詫びします。
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この回答へのお礼

丁寧な追伸をありがとうございました。
全く不愉快な思いなどは欠片も感じておりませんので、ご心配されませぬよう。
小生のほうこそ、KITAIKKIさんが近代史の研究をなさっておられとのことで、親近感を覚えました。
朝鮮人移民については、わたくしの領域からはやや分野がずれるのであまり明るくありませんが、
いずれ手をつける機会があればと思っております。
これ以上書くと特定されそうなので(笑)、まずはお礼までにて失礼いたします。
暫く質問の受付は続けておくつもりです。
北川四郎氏について何かお気づきの情報があれば、追ってご教示いただければ幸甚でございます。
また、貴兄が、何らかの成果を発表される折には、小生にもご案内いただければ
大変光栄に存じます。

お礼日時:2010/03/03 01:25

 満鉄には多少の興味を持っている者です。


 貴方の質問にある北川四郎氏が私の知っている北川四郎氏と年代が合わず、もしかして同姓同名の方でまったく未知の人物なのかと、他の賢兄の方々の回答を興味深く見守っていました。しかしどなたからも回答がない様子なので、僭越ながら質問に対する疑問を書かせてもらいます。
 
 私が知っている北川氏は1913年の生まれです。満鉄創設は1906年ですので、私の知っている北川氏がロシアより東清鉄道南部支線の譲渡作業に関わることは不可能です。ただしこの方も満州国外交部に就職されていますので、どうもその辺が混乱するところです。

 もし私の知らない北川四郎氏という方が満鉄創世時に存在されているのでしたら、かなり興味がありますので是非その人物像をご教授いただければと思います。 
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この回答へのお礼

情報をお寄せいただきありがとうございます。
舌足らずで誤解を与えてしまったかと思います。
質問に書きました北鉄譲渡交渉は1933年ごろに始まって、1935年に全線の満洲国への売却が完了したと記憶しています。
北川四郎氏が1913年のお生まれであるのならば、北鉄譲渡交渉がまとまった時期は単純に計算すると22歳ですので、年齢は合います。
南満鉄道に関しては、ご指摘のとおりでして、ほぼ当初より長春近郊の寛城子までが標準軌敷設で野戦鉄道提理部の管理下におかれておりましたので、一応、「譲渡」という概念からは外れるのかなと一人合点しておりましたが、ご質問申し上げた内容からは確かに誤解を招きかねない記述でした。お詫び申し上げます。
つきましては、貴兄のご指摘の北川四郎氏について改めてご教示いただければ幸いでございます。
特に急ぐ話でもなく、お時間等に余裕がおありのときで結構でございます。
今回は、丁寧なご指摘、ありがとうございました。

お礼日時:2010/03/02 16:26

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