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「勉強のかいがあった」とか、効果、効き目のことを「かい」と言いますね。「効があった」とも書くようです。
これをふつう「甲斐」と書くのは、単なる当て字なのでしょうか、それとも何か理由があるのでしょうか。

また「ふがいない」はよく「不甲斐ない」あるいは「腑甲斐ない」と書きますが、どちらが正しいのでしょうか。
また、「不甲斐ない」「腑甲斐ない」の「甲斐」は上の「効果」を意味する「かい」と同じものでしょうか。

A 回答 (8件)

 語源については俗解も含め諸説紛紛するところですが、学界の通説としては、現代語の「代える・替える」に相当する四段動詞「替ふ(かふ)」の名詞形「かひ」から来たとすることで固まっていると思われます。

つまり、「代わりになるもの」「替えることのできるもの」から「価値のあるもの」となり、転じて「効果」「効き目」という意味になったというものです。
 具体的には、日本国語大辞典(第2版)や時代別国語辞典(上代編)が採用する見解ですが、万葉集の「代」を「かひ」と読ませる古訓がありますし、妥当だと思もわれます。

 「貝」について、「替えることができる」から「貝」だという話は江戸時代からあります。そうだとすれば、「貝」と「甲斐」は関係があるということになります。
 しかし、言語学的にはもちろん、考古学的にも疑問点が多く、私としては支持しがたいところです。

 「不甲斐ない」については、「腑も不も当て字であろう。甲斐は『かひなし』の甲斐で良いだろうが、『ふ』の具体的役割はよく分からない」というのが、穏当な立場かと思います。
 江戸時代の『片言』という解説書には「云ふ甲斐なし」の省略であろうとあるそうですが、そういう考え方も否定はできない、という程度でしょう。
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この回答へのお礼

専門的な立場からのご解説ありがとうございました。
いろいろ調べまして、小生も「替ふ」説が妥当ではないかと思います。

お礼日時:2003/06/21 03:21

#6です。



#7の方が書かれていますが「貝」と「甲斐」・・・
これは無関係ではありません(という論が最近では唱えられています。)

「甲斐」の語源は、最近では「交ひ」だと言われています。これは、甲斐の国が黄泉の国との境(交わっているところ)だといわれているところに由来します。(昔、伊邪那岐命が黄泉の国から帰ってくる時、持ち物を投げ捨てたところから奥津甲斐辨羅神という神が生まれたというところに由来します。)

同様に「貝」も「交ひ」に由来していると言われています。これは#7の方も書かれているように「交換できる」という意味です。

つまり「貝」と「甲斐」は無関係ではありません。
ただし、この時に使われる「甲斐がある」の「かい」は当て字でもともとの意味は「貝」だということです。

もっとももともとの日本語の意味は、
「か」・・・仮の
「ひ」・・・中心
です。「貝」にしても「甲斐」にしても「交ひ」にしても元は同じ音から組み立てられていると思われます。
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この回答へのお礼

貝に由来するというご教示、ありがとうございます。

甲州の「甲斐」は、「峡谷」の「峡」(かひ)ではないかという説もありますね。

奥津甲斐辨羅神についてのご教示、興味深いですね。一般的には「沖と水際の間」を司る神で、沖に関わる水神であるとされているので、海のない甲州との関連がいま一つ分からないところがありますが……。

ただ海がないくせに山梨県には「海の口」とか、海に関する地名があるので、そこらへんに何かあるのでは、という気もします。研究課題ですね。

お礼日時:2003/06/21 03:28

かい→貝です。

甲斐はあくまで当字ですね。

古くは平安時代ぐらいから「価値のあるもの」という意味で使われていました。(竹取物語にもでてきます。)

どうして貝が価値があるものかというと、昔は貝(子安貝)を通貨として使用していたからです。

で、「貝」の語源はネパール語のkyay(あるもの)だと言われています。
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No.2です。



ここで突っ込んで議論するほどの知識はありませんが、
不用意な当て字がイメージを作り、いろいろと理由付けが始るのではないでしょうか。

生きがい、やりがいなどの「がい」は接尾語なので甲斐はあきらかに当て字です。問題は不甲斐なしですが、これも当て字からくる錯覚を起していました。「ふがいなし」はそのような状態を示した形容詞だと思いますので、名詞の甲斐(性)を不で打ち消したり、腑で強調したものではないと考えます。漢字を忘れてやまとことばとして語源を追求すればもっと確実なことがいえると思いますが、残念ながらその知識も時間もありません。

その道の真打の登場を待ちたいですね。
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#3です



「効があった」は 「甲斐があった」では わかりにくいから 効果が あったという意味で 書き換えていると
思います

 すべては「甲斐性」から 始まっていると 思います

「腑甲斐ない」も 外面だけでなく はらわたから 内面からも 甲斐性がない と言う意味だと 思います

 いずれにしても 甲斐の国の人の 性質から これらの
言葉は 始まっていると 思います

この回答への補足

karrinさま
さっそくのご教示をいただきありがとうございます。

すべては「甲斐性」から、つまり戦国時代の甲斐の国の人たちの性質からこれらの言葉が生まれ、それが「効があった」ということですが、
たとえば百人一首の周防内侍、
春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそ惜しけれ
では、「かひなく」は「なんの甲斐もなく、つまらなく」と、現用の「甲斐なし」と同じ意味で用いられています。つまり戦国時代以前、甲州武士が武名を轟かせる以前の平安時代から「かひ」という語は用いられていることになります。
この点はどうお考えになられますか?

補足日時:2003/06/16 10:57
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 ふがいないは 腑が正しいと思います



 甲斐性 は 「甲斐」の国の人の「性質」という
 意味で 昔 言われてたのが 語源だと 思います

 つまり 戦国時代に 山梨県のあたりに 住んでいた
人は 気力にあふれ 頼りになる 武人が 多かったという 印象から 甲斐性 という 言葉が できたのでは
ないでしょううか
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漢語辞典を見る限りそのような意味はないので、当て字でしょう。

甲斐(甲州、山梨県)の国の甲斐からの連想かもしれません。

ふがいないは腑(腹わた)が正しいと思います(腑ぬけともいう)が、こちらも単に強調の意味で使っているので当て字ともいえます。一方甲斐性がないことを不甲斐ない(効果がないことではなく、傍目にもいくじがなく黙っておれない状態)という場合は不が正しいでしょう。この場合の「がい」は名詞でも動詞でもないので、不はやはり当て字くさく、腑も不も日本人が器用に使った当て字だと思います。現代では腑は死語に近いので不が有利かも。
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この回答へのお礼

>martinbuhoさま
さっそくご教示いただき恐縮です。

「かひ」が何らかの形で甲州の甲斐と関係があれば、山梨県の人が自慢すると思うのですが、(笑)そういう形跡がないのですね。
ですから単なる当て字かなあという思いが強いのですが。

また「不甲斐」という言葉があったとして「なし」に続くと二重否定になり、肯定となります。それでなければ「ふがい」(腑がい?)という言葉が「意気地がある」という意味であれば「ふがいなし」が「意気地がない」という意味として通じますよね。
そういう解釈もあるかな、と思いました。

お礼日時:2003/06/16 11:31

男らしさや、経済力を行ってるようですね。



http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%B9%C3 …
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