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お彼岸どうしてするの?

お彼岸のことよくわかっていないのですが、どうしてお彼岸を「する」?のでしょうか?
そもそもお彼岸ってなんですか?おしえてください。

A 回答 (3件)

創価学会の者です。



「彼岸」とは、梵語の“パーリマン・ティーラン”の漢訳で、「彼(か)の岸、向こう側の岸」のことです。「こちら側の岸」を意味する「此岸(しがん)」と対をなす言葉です。生死・煩悩の迷いの世界が「此岸」であり、成仏の悟りの境地を「彼岸」というのです。「彼岸」は、成仏の境地のほかに、そこに到る「修行」と「実践」の意義(到彼岸〈彼岸に到る〉)も含みます。

ところで、春・秋の「彼岸会」は、仏教本来の伝統ではなく、あくまでも日本独特の風習です。もともと先祖供養とは、何の関係もないことだったのです。春分・秋分の日は、太陽がほぼ真東から昇り、真西に沈みます。それが古くからの先祖供養や農耕の儀式と結びつき、「彼岸会」として定着したといわれます。彼岸にあわせて墓参りしたり、僧侶を呼んで先祖の供養をしてもらうという習慣などは、江戸時代以降に「葬式仏教」のもとで定着したものです。

しかしながら、報恩感謝の念で先祖に回向し追善供養することは、なんら仏法上の教義に違背することではありません。我々の仏法(南無妙法蓮華経の日蓮仏法)では、毎日の勤行・唱題で、先祖をはじめ、自分に縁する故人に対して追善回向を行っています。我々の信心実践の功徳を、先祖や故人に「廻(回、めぐ)らし向け」ているのです。「彼岸には、坊さんを呼んで読経してもらわねば、故人は成仏できない」というものでは決してないのです。我々の信心の姿勢においては、毎日がいわば「常彼岸」なのです。

仏法では、仏法の本義に違背しない限り、社会や時代の風習・慣習を尊重すべきであるとする、「随方毘尼」という法理があります。ゆえに、彼岸を一つの機会として、故人への追善を行うことは、「随方毘尼」の法理の上から意味のあることなのです。ですから、創価学会では、彼岸の日を中心に、全国の主要会館、墓地公園、納骨堂で、儀典部をはじめとする同志の手で真心込めて、彼岸勤行法要を毎年行なっています。
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彼岸とは、仏教で、煩悩を脱した悟りの境地のことで、煩悩や迷いに満ちたこの世をこちら側の岸「此岸」(しがん)と言うのに対して、向う側の岸「彼岸」と言います。



「彼岸会(ひがんえ)」は、雑節の一つで、春分・秋分を中日とし、前後各3日を合わせた7日間のこと。また、この期間に行われる仏事のこと。暦の上では最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」なお、地方によっては最後の日を「はしりくち」という地方もある。俗に、中日に先祖に感謝し、残る6日は、悟りの境地に達するのに必要な6つの徳目、六波羅蜜を1日に1つずつ修めるためとされています。
『由来』
彼岸会法要は日本オリジナルです。現在では彼岸の仏事は浄土思想に結びつけて説明される場合が多くみられます。
浄土思想で信じられている極楽浄土(阿弥陀如来が治める浄土の一種)は西方の遙か彼方にあると考えられている(西方浄土ともいう)。
春分と秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりです。

もとはシルクロードを経て伝わった、生を終えた後の世界を願う考え方に基づいてい手、心に極楽浄土を思い描き浄土に生まれ変われることを願ったもの(念仏)と理解されているようです。

由来は、天皇の詔として始められた行事であったが、いつの時代も人として、生を終えた後の世界への関心の高いことは同じであり、いつの間にか生を終えていった祖先を供養する行事として定着するに至ったものです。
彼岸会の「彼岸」は、「日願(ひがん)」から来ているとも言えます。日本に限らず古来から、太陽や祖霊信仰は原始宗教の頃からつきものなのであるため、仏教語の彼岸は後から結びついたものであるという説(五来重による)もあリます。
806年(大同元年)、日本で初めて彼岸会が行われました。このとき崇道天皇(早良親王)のために諸国の国分寺の僧に命じて「七日金剛般若経を読まわしむ」と『日本後紀』に記述されています。

以上YAHOO辞書参照
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彼岸 由来 でHP検索すると結構出てきます。



以下のサイトを参考までに。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%BC%E5%B2%B8
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