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日本語というのは単純に論理で割り切れないものですね。
今日、日本語の難しさを感じました。

私は大学生なのですが、大学から駅まで行く途中に盆地があり、
夏にはその盆地でたくさんの蛙がいい声で鳴いていて、
いい声だなと思いながらいつも通っていました。

そして春になると蛙の声もめっきり聞こえなくなり、
残念に思いながらその盆地の傍を通ったとき
つい「あの蛙の声が好きだったんだよな」と呟いてしまいました。

べつに蛙の鳴き声が好きじゃなくなったわけではありません。
今はもう聞こえない、昨年夏の蛙の声を思い出して
「好きだった」という過去形になったのですが・・

この呟きは日本語として正しいでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

#3です。



>あの呟きは結局のところ
あの蛙の鳴き声が好きだと言っているんです。

『「蛙の鳴き声が【今も変わらず好きだ】」
という意図のつぶやきではなかった、ということが大事』
という箇所に関してのコメントと思います。
私の表現が誤解を与えたと思いますが、この箇所の骨子は、
「【今も】という意図ではなかった、ということが大事」ということです。
よって、(「今も好き」という事実があったとしても)現在形である必要はない、という展開ですね。

つぶやいた時点の心理は、「あの蛙の声が好きだった」よりも、むしろ「今は聞けなくて残念だ」ということに力点が置かれていたのでしょう。
「今は聞けなくて残念だ。あの時の蛙の鳴き声は好きだったのになあ」
というニュアンス。
ただ、「残念だ」というあからさまな表現を避けるために、後半の文だけをつぶやきに変えた。

「今も」という意図ではなかったことは、「【あの】蛙の鳴き声」という表現にも表れていて、
「あの蛙の鳴き声」は「あの時の蛙の鳴き声」と同義であり、結果として過去形にならざるを得なかったということでもあるでしょう。
以前ご馳走になった手料理を再びご馳走になる際、
「あのハンバーグは本当においしかったよ」と言っても、「今回のはまずそうだ」という意味にならないのと似ているかもしれません。
  
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NO.8 です。


大体の状況を説明いただき理解できた積りです。

>盆地があり→ちょっとした周りより低い空き地があり、去年の夏には--
>そして春に→久しぶりにこの春、そこを通った時に去年の蛙の声を思い出しました。
今それが聞けないことを残念に思いました。
>つい「あの蛙の声が好きだったんだよな」と呟いてしまいました。

付加→あれ、「だったんだよな」って?
>べつに蛙の鳴き声が好きじゃなくなったわけではないんです。
付加→むしろ前よりも好きになった感じなのですが。
>この呟きは日本語として(文法的に)変なのでしょうか?

強引に貴方が言いたかった(らしい)ことを私なりの文にしてみました。

でも、やっぱり、くどいようですが、最後の文節は余計なように思えます。
そういった疑問を抱く日本人は少数派だと思います。
そこに貴方の独創(新規な視点)があるといえば、いえないこともないでしょう。

ご参考まで。
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 皆さんから色々出ましたので,重箱の隅をつつくようなことしかありませんが,「大学から駅まで行く途中」は,普通は「『駅から大学』へ行く途中」と言いませんか。


 それとも,往きと帰りで道が違うのでしょうか。
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文章というものは、人それぞれの好みも入るので、いつも良しあしを判定


するのは難しいものだと思います。最初の段落では盆地以外違和感はありません。

次の段落で、秋冬を飛ばしいきなり春になると、と飛んでいるところにすこし違和感があります。
蛙は秋冬鳴かないものだとしたら、そして春が来ても蛙の声はいっこうにきこえなくて、になり
ませんか。
めっきりは変化の度合いに使われる表現なので同じ夏が来てもめっきり聞こえなくなった。
なら違和感はありません。「好きだったんだよな」
いい声だなと思った自分を思い出し確認しているのだからいいとおもいます。
公用の文書じゃないから殆ど問題ないと思います。
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日本語としてはおおむね(盆地 を除いて)文法的に間違ってはいないと思います。

でも、全体として違和感のある文章です。大雑把に言って最後の文節「別に蛙の---」が不要です。これはなくもがな、というよりも全体の詩的な調子を変な理屈っぽいものに汚して台無しにしています。

もうひとつ、この文章は日本の季節と自然の移り変わりの描写とそれからくる切ない印象が面白く描かれていると私は思いましたが、気になるところは最初が夏で、次が春になるというのがいかにも不自然です。夏から秋、冬と蛙の声がずっと聞こえ、春になってめっきりと減った(聞こえなくなった、0になったのならめっきりとはいいません。このあたりも不満があります)のですか?それとも、自然そのものが(開発などで)変ったのでしょうか(そのあたりが不明ですし)?自然の移り変わりをいうのなら春→夏、あるいは夏→秋 と時系列で順番にするべきでしょうね。
盆地 とは「諏訪盆地」とか「京都盆地」とか大きいくくりになります。そばを通るというのは(鉄道が通っているとかいうスケールでなければ)不自然です。ここは池とか沼とかいうほうが自然です。湿地ということも可能ですが、歩いて通り過ぎる範囲なら沼地、湿地というのもまだちょっと大きすぎるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
最後の文節が理屈っぽいのは仕方がないんです。
「あの蛙が好きだったんだよな」という呟きには
二通りの意味の解釈があって、それらの内の情緒的な
方の解釈を説明するためにはどうしても詩的な感じに
ならざるおえなくて、逆に論理的な方の解釈を説明するためには
理屈っぽくしなければならなかったんです。

季節の移り変わりについては
去年の夏の中頃から訳あって大学をお休みしていたんです。
それで春から復学することになったので、私の中の時系列では
夏→春となってしまうのです。

盆地に関しては私の誤りでした。
蛙の鳴き声がするところは通学路のすぐ傍にある
あまり大きくないちょっとへこんだ土地で
そこにたくさんの背の高い草が生えていて
蛙の姿は見えませんが、その草の中で鳴いているようでした。

お礼日時:2010/04/22 11:37

tttyyyuioさん。

おはようございます。

「あの蛙の声が【昔からずっと】好きだったんだよな。」
という呟きなんですよね、
正しい日本語だと思いますよ。
「have Bn ...ing」(現在完了の継続)
になっていると思います。
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私は日本語として正しいと思いますよ。



>「好きだった」という過去形になったのですが・・

この「好きだった」という表現を英語の過去形と同じ意味であると捉えるから変に感じるのだと思います。

これは単純な過去をあらわすのではなく、過去の出来事に対する回想を表していると私は理解しています。
今は聞こえない蛙の声を思い出して、「あれは好きだったなあ、もう一度聞きたいなあ」と思い出に浸っているわけです。
日本語として何の問題もありません。

重ねて言いますが「た」を英語の過去形と同様に考えてはいけません。
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手直しした全文を用意するというよりも、今後応用し易いようにあえてピンポイントで解説させて頂きますね。


「盆地」は確かに変なので、とりあえず「湿地」ってことにしてお話させて頂きます。


>大学から駅まで行く途中に湿地があり、
こう言うと「駅から大学に行く途中には湿地は無い」とも言えてしまい少し不自然です。「行く」は使わずに「大学から駅までの道のりに」や「大学と駅の間に」ならまだ大丈夫です。

短い間に「盆地」「いい声」等が繰り返されるのが、日本文としてはあまり美しくないと思います。
改善例:
・・・途中に湿地があり、夏にはそこでたくさんの・・・
・・・蛙が鳴いていて、いい声だなと思いながら・・・
tttyyyuioさんの文はこの「繰り返し傾向」が強いようですので、これだけでも直せば全体の不自然さがかなり解消されると思いますよ。

>そして春になると蛙の声もめっきり聞こえなくなり、
「蛙の声が聞こえなくなる」という変化が起きる秋(?)なら「(秋になると)聞こえなくなる」が使えますが、春はその変化が起きた秋よりもずっと後ですので、「(春になると)聞こえなくなり」というのはかなり不自然です。「春には(もう)めっきり聞こえなくなっていて」等とする方が、意味としては自然ですね。


・・・以上、特に意識して直した方が良い点です。(細かい難ならまだありますが、これらはデリケート過ぎて説明するのがかなり難しかったので、今回は省略させて頂きました。)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
考えたのですが、「あの蛙の声が好きだった」と書いて
蛙の声が好きなのは過去のことで、今は好きかどうかわからない
という意味をこの呟きから受け取るのは
英語の発想なんじゃないかと思いました。
英文法で過去形を習うと上のような理屈を言いますよね。
だから、この違和感の正体は文の解釈に対する英語と日本語の違いから
生まれるのではないかと思いました。

お礼日時:2010/04/22 08:20

No.2さんの言うとおり、呟き自体はおかしくありませんが(そうか、とつけた方がドラマ性がある)、前後の文章が不自然ですね。

僕は、No.2さんの例の一つ目が最も良いと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2010/04/22 08:07

「べつに蛙の鳴き声が好きじゃなくなったわけではありません。


ということですが、
「蛙の鳴き声が【今も変わらず好きだ】」
という意図のつぶやきではなかった、ということが大事なのでしょう。


「あの蛙の声が好きだったんだよな」は、
「今は聞けない」という不可能性を基調としたシチュエーションがイメージされているのでしょう。
今は聞けない以上、「好きなんだよな」と言ったところで始まらないだろう、という無意識的認識が、「聞こえていた時に好きだという感覚を持ったものだったんだよ。あの蛙の鳴き声・・・思い出すなあ・・・」というニュアンスを前面に出したのではないか、という気がします。

今は聞けないということに対する拘り(残念さ)が「好きだったんだがな」よりは希薄になりますが、そういうシチュエーションもあり得そうです。
つぶやきでもありましょうが、自分自身への呼び掛け・確認、といったようなニュアンスでしょう。
  
  
 
  
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
すいません、あの呟きは結局のところ
あの蛙の鳴き声が好きだと言っているんです。
だけど蛙の鳴き声はもう聞こえなく、昔を思い起こし
「好き」と言わずに「好きだった」となってしまったと
自分では考えています。
ただ、蛙の声が好きという気持ちを表すのに
「好きだった」という言い方をするのが日本語として正しいならば
呟きの言葉自体が持っている意味(過去に、蛙の声が好きだった)と
表現していることに違いがでてきてしまいます。
この違いに違和感を覚えて質問した次第なんです。

お礼日時:2010/04/22 08:03

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