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言語に優劣はないとwikipediaの言語学の頁に書いてありましたが、其れは例えば韓国語であれば韓国語、日本語であれば日本語という横の関係で優劣はないと言う事なのでしょうか。
国語の授業では古文と現代文を習いますが、世界の他の言語にも其の様な物はあると思います。言語学的に言うと、古文と現代文の間にも優劣は無いと言う事になるのでしょうか。昔日本語には「が」と言うのは無かったと聞きます。しかし今は普通に使われています。これはより良くなったと言う事は出来ないのでしょうか。

A 回答 (5件)

WIKIさんがどういう意味で"優劣"って言っているのか知りませんが、言葉というのは煎じ詰めれば文化ですから、結局は文化に優劣はあるかという事にもなります。



西欧文明(文化)が、世界では一番進んで勝っているという考えがこの数世紀、世界の常識みたいになっていましたが、人類学という学問において、西欧文明(文化)も一つのローカルな平凡で、ある意味では劣っている文明だと言われるようになりました。

そうしますと、言葉というものもそれぞれが歴史をもった相対的な価値があるのだ、"優劣"など論じる余地などないってことになるような気が私にはします。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。文化に依るということは、今現在の日本では、日常で話されている現代日本語が合っていると言う事でしょうか。今の日本に無理やり古文を持ってきても、今の環境に因って変わる事があると言う事でしょうか。

お礼日時:2010/05/05 18:38

>>昔日本語には「が」と言うのは無かったと聞きます。

しかし今は普通に使われています。これはより良くなったと言う事は出来ないのでしょうか。

 おっしゃる通り「が」がある言葉は世界一です。「が」が無いことばは、皆劣っています。イギリスにも,フランスにも、「が」が無いので,駄目です。アメリカに「が」があるかは只今、ウィキペディアという大変信頼できる参考書で調べております。
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この回答へのお礼

周りの環境や文化、価値観に依って言葉は変わっていくのでしょうか。

お礼日時:2010/05/05 18:42

歴史的な言語の変遷を考えれば、多くの言語は当初よりボキャブラリーも増え、他言語も取り入れて豊かになり、表現力は確実に幅を増しています。

当然ウィキは一言語の縦方向の、時間的な前後の比較をもって優劣を言っているのではないでしょう。

それは多分現代の様々な地域で使用されている言語同士の比較で、原則的におおむねそういったことが言えるということだろうと思います。もちろん、今でも原始部族で用いられているような文字のない言語はあきらかにその蓄積力で劣っていますし、どれほど微妙なことが表現できるかなど一般的的な意味の表現力の差や習得の難易度の違い、それに何よりもどれほどの国で通用するかというような国際言語としての尺度でいけば、言語に優劣の差があるのは明らかです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。今の日本語は、現代の環境や価値観によってそう成っていったのでしょうか。

お礼日時:2010/05/05 18:46

おはようございます、疑問はつきませんね。



さてご質問の件ですが、良い所に気づかれましたね。何を以て「優劣」をつけるか・・、という所に帰着しそうですね。

「優劣」という価値を何を基につけたらいいのでしょう?たとえばあなたがあげていらっしゃる「が」ですが、古典においては、それほど主語を明確にする必要がなかったので、あまり「が」「は」を使いませんでした。(多少私の憶測が入っていますが)限られた人間同志・貴族だけの間の問題でしたから。現代は、様々な人間が交錯し、その関係がわかりづらくなっています。また、近代の大きな問題でもある「私」が確立してきたために、「が」「は」が発達してきたのかもしれません。


時代により、価値の基準が異なります。「おかめ・ひょっとこ」の「おかめ」は江戸時代の美人の代表でした。ところがいまは・・汗  価値判断の基準が異なると、比べることさえできなくなってしまいます。

ですので、「優劣」といった価値判断を、比べる基準の違うものに当てはめようとしていないのだと思います。 数学の先生に言われました、1時間と 1メートル どちらが 大きいか比べられますか?と 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。優劣それ自体よりも、日本語は時代を経るにつれその時の環境や価値観により変わっていったのですね。

お礼日時:2010/05/05 18:49

えーと、こう考えたらおかしいでしょうか。


まず、日本語の文法から考えると、古典語のほうが敬語は複雑だったそうですし、上代語では母音が8つもあったらしいし、つまりは現代語よりも文法も音韻も複雑だったようです。
複雑だということを「優れている」と考えるか、「劣っている」と考えるかは、また別の話かもしれませんが。敬語が簡略化されていくのは、「進歩」だとする考え方もあるでしょう。
言語文化という面から考えると、柿本人麻呂ほどの歌人はその後いないそうですし、もちろん近代の短歌は万葉集のレベルとは比べものにならないでしょうから、時代が下るにつれて、文化的にも劣ってきているのでしょう。小説でいえば、源氏物語は、もう、いうまでもなく最高の作品だという評価を受けているので、これまた古典時代のほうが優れています。
西洋のことを考えても、ホメロスやプラトン、アリストテレス、エウリピデスを生んだ古典ギリシャ時代が最高の時代でしょうから、やはり人類の言語文化は衰えてきているのでしょう。
思想的には、孔子・釈迦・キリストのことを考えると、、、、いや、これはまた別でしょうか。
というわけで、言語に関して現代が昔より勝っているのは語彙の数だけということになりかねません。
こう考えてくると、「が」があるとかないとかいうのは、いかにも小さなことで、いや、逆に考えると、「が」がなくても複雑なことが通じた時代と(源氏物語がいかに「主語」を省略しても、お互いがしっかり理解し合っていたか!)、それをはっきり示さないとわからなくなってしまう現代とでは、つまりは日本語を使う人間の頭が悪くなってきたという証拠ではないのか、とも言えるわけで、「が」があるから優れている、とも言えないのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。日本語に関して言えば、母音が8つあった時代の日本語と現代の日本語では別々に見ればその時代では適していたと思います。
でも、言葉は周りの環境や人の価値観の変化などで変わっていき今の日本語に成ったと思っています。
今の日本で母音が8つあった時代の日本語を使おうとしても、必要性や利便性が生じて現代の日本語に成ると思いますか。

お礼日時:2010/05/05 18:56

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