最速怪談選手権

読書家の方に質問です

参考書や問題集以外は、本に書き込みをする習慣がありませんでしたが、カーネギーの本を読み始め、重要な部分には印をつけるようにとありました。
今後、読み進む上で、必要なのだと思います。
そこで、本に書き込み等をされている方は、どのような方法、または筆記具で記入されていますか?

例えば、文庫にマーカーだと、インクが裏側に滲むような気がして不安です。
よろしくお願い致します。

A 回答 (8件)

これはノーベル賞をもらった方から教わった方法です。

その先生は理科系(物理および化学)の方ですが、大変な読書家で、人文科学系の思想界にも多大な影響を与えた方です。その先生はヨーロッパ人なので横書きの本を読んでいました。先生が印象に残ったり参考にしたい場所があると、その数行の文章(一行のときもある)の右側か左側にボールペンか鉛筆で縦線を引いていました。重要な部分には二重線を書き込んであるときもありました。文字その物の下に線が引いてあることは滅多にありませんでした。そして、稀にその線を引いた部分に簡単なコメントが書いてあることもあります。また、その線を引いた部分の頁番号を、本の最初の見開きあたりに書いてあります。また、その見開きの頁番号にその部分に関するキーワードがしばしば書いてありました。

私もこれの真似をして、横書きの本では先生のように、また縦書きの本ではその数行の文章の下か上に横線を書き込みます。見開きにその部分の頁番号とキーワードを書いておくと、後でその部分を探すのが大変楽です。

私はこの方法を、人文系の本ばかりでなく、私の専門の理科系の論文を読む時にも使っています。特に他の研究者の専門誌への投稿論文の審査のための査読をするときには、一通り読んで気になった所の文章の脇に一重や二重の線を引き、気になったコメントを書いて置きます。そうすると論文の山場がすぐ分かり、その論文を専門誌に載せることを推薦するかどうかの判断や、また論文の出来に不満な時には、どこをどうすれば良くなるかの生産的な提案をするのに役に立っています。
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この回答へのお礼

cyototuさん、ご回答をありがとうございました。

何だか、無料(^^;)でこのようなご回答を頂き、身に余る光栄に存じます。
「街頭で赤い羽根募金のお願いをしていたら、1億円の小切手をポンと戴けた」ような気分です。

ノーベル賞受賞者の方の方法ですか・・・。
わたしと同じ読書でも、「熟読」されていることが伝わって参ります。
ネット上でも、受験生の間などで「マーカー不要論」が言われていますが、確かにその通りかもしれません。
実際、現在読んでいるカーネギーの名著「道は開ける」でも、重要な部分の横には読点のようなものがふってあって、読み辛いのなんのって、不満に思って居りました。
まあ、これは、カーネギーのアイデアではなくて、出版社側のセンスなのでしょうが・・・。
ぜひ、参考にさせて頂こうと思います。

それから、話題が脇道に逸れますが、もし入手が可能でしたら、読書家の方にはぜひ読んでみて頂きたい本があります。
わたしの中では久々のヒット作で、「棺に入れて欲しい100冊の本」の中の1冊に入れました。

「えこひいきされる技術」 島地勝彦 講談社

http://juneh.exblog.jp/10992149/

この方の他の著書も購入済みで、途中までですが、やはり、面白いです。
同じ読書家でも、こういうスケールの人物は、存在が許されず、育たない時代になってしまったのかもしれません。

お礼日時:2010/05/11 15:50

あ、Bの鉛筆を使うのはわたしの個人事情です。

書き出しからわかりにくい文章になってしまって。主語が抜けました。
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この回答へのお礼

ご丁寧にありがとうございました(^0^)

お礼日時:2010/05/21 12:09

学者のほとんどはこの方式だと思うんですが、横文字の本なら、行頭に沿って余白に縦に線を入れ、縦書きの本なら、行頭に沿って余白に横向きに線を入れます。

ほとんどはBの鉛筆です。
頭の中でその部分とリンクした別件のキーワードを添えたりもします。
高価な本や豪華本の場合は、何も書きません。ノートします。

大学生のころまではわたしはまったく書き込みはしませんでした。院より後になってからです。
受験勉強でマーカーや色ペンを駆使するという趣味もなかったです。
一回で覚えるとか、何回も目にしてやっと覚えるとかいった事柄は、それは堆積していくだけで掘り起こす作業ではなかったですから、しるしをつけてセルフコントロールするようなものとは思いませんでした。
読書の上で、なにか心に残ったと言う場合は、人によっては常にノートに書きだすのを知っていますが、わたしは怠惰なのでそういう趣味もありませんでした。

この怠惰の延長線に、たぶん、わたしの今の「余白に線」方式があるのだとおもいます。後で使おうという買い物根性が半分と、自分の立つ傾向を明確にするという目的が半分です。
なんかきっと、立派な勤勉な方なら、かつての自分がどこに関心を持ってどういうことを考えていたのかを再確認し成長できるからといったような、優雅な目的で線を引くのかもしれませんが、
わたしの場合は過去の自分に教えを乞うようなところがあります。とくにセンスや直感や、手に入れていたテーマをめぐる空気感といったものを、素材として眺めたくなるときがあります。
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この回答へのお礼

amaguapppaさん、お礼が大変に遅くなり、失礼を致しました。
ご回答をありがとうございます。

わたし、頭が良い人(この場合は、勉強ができるという意味で)と、それ以外の人との差は、吸収力の差だと思っています。
多くの人が、5回やって憶えるところを、頭の良い人は、1回で憶えてしまえるのです。
身近にいる「頭の良い」人々を見て、そう思いました。
ですから、マーカー不要論も、その立場で考えれば、もっともなのだと思えます。
もしかしたら、amagauappaさんも、その為に、マーカーなどが必要なかったのかもしれませんね。

わたしの夢は、晴耕雨読の生活なのですが、その中のひとつで、「夜、アルコール類を呑みながら読書をする」というものがあります。
たぶん、そういう「余裕のある読書」ができるようになった頃、かつて自分が記した書き込みをあれこれ考えながら読めるような気がします。

いまは、勤め人ですので、夜、アルコールを呑んだら爆睡モードに突入し、読書など、とてもできませんが・・・。

お礼日時:2010/05/21 12:08

王道は赤鉛筆ではないでしょうか。



紙質に関係なく線を引けるし、文字の上にかぶっても文字が読める。
父の本は、結構値の張る様な本でも赤鉛筆で線がひかれてあり、古本屋にもっていけないとがっかりした記憶がありますが、結局私も赤鉛筆を常用しています。
これは、犬が散歩の途中でおしっこをかけるのと似たところがありまして、俺のものだ、俺の知識だ、というマーキングの意味もあるのでしょうね。
古本の価値はなくなりますが、なんとなく自分のものにしたような気分になります。

赤鉛筆を持っていないときには、ページの隅を折り曲げるのもやります。
これは、このページの中のどこかに宝があるぞ、という宝探しマークですから宝を探すためにもう一度ページ全体に目を通す必要がありますが、これがなかなか楽しい。
通常はすぐ宝が見つかりますが、たまにどこにも宝が見当たらず、なんで耳を折ったのかなと思うこともある。
また、そのページだけで済まずに数十ページを読み直してしまうこともありますね。これがまた楽しい。
同じ本を二度読むことはあまりないですが、こうしたつまみ食いは良くやります。

本当に中身を記憶したいときには線やマークではなく、やはりキーワードを余白に書きます。
漢字が書けなくなったと思った頃から時々実践していますが、やはり書くことによって記憶を強化し、それだけ全体の理解も深まる様な気がします。
受験勉強向けですかね。

このような悪い癖があるので図書館の本はどうしても嫌で、できるだけ買い求めようとするので費用対効果は悪いような気がします。
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この回答へのお礼

Mokuzo100nennさん、お礼が大変に遅くなり、失礼を致しました。
ご回答をありがとうございます。

>父の本は、結構値の張る様な本でも赤鉛筆で線がひかれてあり

お父様は、ブック○フ向きではない、学者肌の方なのでしょうか?「後」の事などお考えにならず、本当に読書を楽しんでいらっしゃるのでしょうね。
考えてみると、そもそも読書とは、そういう点で贅沢(?)であるべきなのかもしれません。
古本屋さんに持って行くことを前提に本を買うのは、もしかしたら、邪道(?)なのかも・・・。

王道は、やはり、赤鉛筆ですか。
ちょっとズレますが、鉛筆って、シャープペンシルにはない、「肌に馴染む感」がありませんか?
シャーペンは便利なのですが、芯が1ケース無くなっても、えんぴつを削って削って小さくなって、もうお別れね・・・という時のような感情が湧かないのです。
今日は、これから、銀座の伊○屋へ行って、赤鉛筆を吟味して来ようと思います。
(ついでに、キャップも買って、赤鉛筆を持ち歩こうかと思います)

お礼日時:2010/05/21 11:49

私も横道にそれますが、もしスケールの大きい人物の書いた物に興味がおありなら、多分もう読んだかもしれませんが、南方熊楠の『履歴書』南方熊楠文集1、東洋文庫352、平凡社、と『南方マンダラ』河出文庫680をお読みになることをお勧め致します。



『履歴書』は彼が粘菌学の研究所を作るための援助を銀行家にお願いした時に履歴書を提出せよと言われて、細字の墨筆でびっしりと約8mの巻き紙に書いた物です。私は本物を見たことがありますが、その圧倒的な量たるや迫力がありました。印刷されたもので70頁程の量になっています。日本人が書いた履歴書で一番長い履歴書とされているようです。

『南方マンダラ』は彼が20才代にロンドン滞在中に、たまたま彼と同時期にそこに留学しいて、後に真言宗高野山派の管長になった土宜法竜と取り交わした書簡集です。南方は彼より10才ほど年上の法竜に向かって仏教の講義をしており、
  「仁者、宗教のことを知りたしという。これ仁者仏に信厚ければ到底能わざるかもしれぬ」
すなわち、今風にいうと
  「お主は宗教のことを知りたいという。しかしお主は仏教を信仰厚く学んでいる坊さんだからそれは到底無理だろう」
と喝破しております。
(注)私がこの部分をすぐ引用出来るのは、先に紹介したように、本の見開きのところにそのページ番号を書いておいたからです。

私の友人で40才代のバリバリの物理学者に南方の『履歴書』を読ませたら、その方は、今のままの自分で良いです。南方のようには成りたくありません、怖いです、との感想を述べておりました。

因に、粘菌学者、環境学者、日本民俗学者の南方は、世界で最も権威のある科学雑誌とされるイギリスのネーチャー誌に日本人で最も多くの論文を書いた方です。未だにその記録は破られておりません。
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この回答へのお礼

cyototuさん、再度のご投稿をありがとうございます。
「南方熊楠」、未開拓部分です!
昨日はネットで詳しく調べ、帰宅時に書店に寄りましたが、鶴見さんという女性の方が書いた文庫本が一冊あっただけでした。
ページをめくると、いきなり難しそうでしたので、まずは、わたしが大好きな「岩波ジュニア文庫」の古書(絶版の為)をネットで購入しました。
(ちなみに、「岩波ジュニア文庫」やポプラ社などの子供向けの本は、対象年齢が高校生くらいまでのものもあり、とても分かりやすくて、わたしなどには、有り難い存在です)
今、NHKの朝のドラマでも話題になっている水木しげる氏の「南方熊楠」という本もあるので、それも面白そうです。
まずは、そこから、クマグス扉を開いてみます。

アメリカにお住いとのことですので、駄情報をひとつご紹介させて頂きますが、人気タレントの番組で、↓こんなものもあります。

http://www.tbs.co.jp/kumagus/

お礼日時:2010/05/13 17:27

No.2です。



文章がおかしくなっていました。
「頭をぴょこんと飛び出させたいときは縦長の標準のものを、」
です。
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この回答へのお礼

ご丁寧にありがとうございました。

読書量の多い方は、言葉に厳密で、わたしは、そこが好きです。

お礼日時:2010/05/11 15:04

私はしおりのような感じで付箋を貼って、付箋に書き込みをしています。


付箋の大きさはいろいろありますので、本の頭からぴょこんと飛び出させたいときと
広めに書き込みを取りたい場合は幅広のものをページ内におさまるように貼ってます。

ただ付箋まみれになると本がめくりづらくなるので(笑)、
かなり覚書が必要だな!と思う本の場合は、読みながら自分でノートやレポートにまとめます。
哲学書・思想書などはほとんど、自分ノートがないと大変になっていきます。


もし少しでもご参考になれば、幸いです。
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この回答へのお礼

mocomoco5さん、ご回答をありがとうございました。

付箋ですか~!
キティちゃんとか、スヌーピーのではなくて、普通の付箋ですよねぇ~?
(^^;)
>付箋まみれになると本がめくりづらくなるので(笑)、

本が太った状態ですね。

「自分ノート」のアイデア、すっごく良いと思います。
実は、わたしもノートを買っておいたのですが、書き写すタイミングの見極めに慣れていないのと、早く読みすすめたいのとで、未だに実行できていません。
ちょっと、頑張ってみようと思います。

ところで、書き写すまではしなかった本の付箋は、読了された後、どうされていますか?
付箋って、時間が経ってから剥すと、接着成分が例え紙でも残りませんか?

お礼日時:2010/05/11 15:03

私は本に書きこみは絶対しませんが、


古書で購入すると書かれているものがあります、
今まで見た中では、
万年筆が多く、次にボールペン、赤鉛筆でした。
一度だけ筆書というのを見たことがあります。
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この回答へのお礼

takurankeさん、ご回答をありがとうございます。
古書だと、そういった書き込みがある場合がありますね。
以前、図書館で借りた太平洋戦争関連の本の中には、今で言う個人情報が入った(書き込みの主がそう主張する)「戦争犯罪者」に関するの書き込みがありました。
量も多く、憎悪を感じるもので、怖くて結局その本を読めませんでした。
確か、それは、万年筆によるものだったような記憶があります。

・・・ちょっと、万年筆が怖くなりました(^^;)

お礼日時:2010/05/11 14:46

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