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村上春樹「羊をめぐる冒険」

について教えていただきたいのですが。
結局、羊とは(論理的に説明すると)何だったのでしょうか?
文学を(とりわけ村上ワールドを)論理で読んでは仕方ないのかもしれませんが、
それにしても「どういう話なのか」すら分からないのでは、2度も読んだのに切ないです。

「人に強大な能力を与える変わりに、自分らしさを奪う思想」みたいなものでしょうか?
ぜんぜん違うでしょうか?
それを主人公が(正体も分からず)探しに行くというのは、いったい、どういう??

理屈で読めるものではないと、お叱りを受けるかもしれませんが、
作品の基本的な設定というか、仕組みというか、その部分も分かってないと自覚しているので、
なんとか「論理的なヒント」をいただけると助かります。

A 回答 (1件)

 村上春樹は故意に自分の作品に欠落を作って、その穴埋めを読者にやってもらおうとする作風になっています。

羊についても、その意味について作者自身が明快な解を持たずに書いています。
 もっとも、論理的に読み込めば、ある程度正体は絞れてしまうのですが(そして、村上春樹は論理的に自分の作品を解釈するのを嫌うのですが)。

 鼠の台詞の「完全にアナーキーな観念の王国だよ。そこではあらゆる対立が一体化するんだ。その中心に俺と羊がいる」という箇所から、羊は、あらゆる対立関係が消滅した世界を作りたいという願望を表していると言えます。
 願望が擬人化されて、人に取り憑いたり抜けたりするから妙に見えるわけですが、悪魔が人の願望を叶えることで魂を奪う話の変形版だと考えればわかりやすいかと。

 で、主人公がそれを探すことになる理由は、主人公自身がその願望を無意識に抱いているからです。この辺は明確に書いている箇所はなかったと思いますが(作者が意図的に削っているはずなので)、人間関係や「やれやれ」に代表される逃避行動などから容易に推測はできます。
 ストーリー上は黒服に脅されて無理矢理やらされていることになっていますが、主人公が羊と全く関係のないのなら、そもそもこの作品の主人公ではありえないはずです。
 本来なら主人公自身が、自分の願望の化身である羊と対峙し、自らの手で滅ぼすのが王道ストーリーというやつなのですが、この作品が特殊なのは、主人公自身は何にもしないうちに、勝手に他の人が自分の願望を叶えようとして、そして滅ぼすという構造になっていることです。どちらかというと鼠が主人公の座に位置して、自らの命と引き替えに羊を倒すという形を取っている。
 かといって主人公が狂言回しの役をしているわけでなく、あくまでこの作品は主人公自身の「冒険」であるところが屈折しているわけですね。
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この回答へのお礼

感激しました。また読んでみようという気持ちになりました。ありがとうございます。

お礼日時:2010/06/19 10:36

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