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日本はどうして統治領に教育を施したりインフラを整えたのか?
台湾や韓国など、日本はどうして欧米のように植民地的な経営をせず、同化政策の下、農作業を指導したり学校教育を施したりしたのでしょうか?その先に策略があったのでしょうか?
それとも、その同化政策自体、植民地的な経営同様、人々には屈辱的な支配的な方法であったのでしょうか?

A 回答 (7件)

ご質問自体が誤りに基づいています。


次の(a)、(b)の両極端な考え方は、排さなければならないでしょう。

(a) 日本による植民地統治は、世界に類を見ない獰悪(どうあく)なものだった。
(b) 日本は台湾や朝鮮を植民地にしていない。日本による統治は欧米のそれとは大違いで、相親しむ良好なものだった。

ご質問の趣旨は(b)に近いようです。しかし、普通に歴史を学べば、「台湾や韓国など、日本はどうして欧米のように植民地的な経営をせず、」などとは書けないと思います。「同化政策」は異民族統治の定番なんですけど。そもそも、インフラを整えなければ、農産物や天然資源を開発して大規模に運び出せません。また、「植民地 朝鮮 飢餓輸出」で検索してみてください(リビジョニストも暴れている模様)。また、「教育を施した」については、下記の既出質問もご覧ください。

日本は統合時代、朝鮮最初の大学、京城帝国大学を創立した - 教えて!goo
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/5021001.html?best_fl …
ハングルについて質問です。 - 教えて!goo
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/5890033.html

以上、(a)も(b)も排すると述べた上で、ご質問にお答えします。

> その先に策略があったのでしょうか?

「豚は太らせてから食え」という策略でしょう。

> 人々には屈辱的な支配的な方法であったのでしょうか?

その通りです。程度の差こそあれ、台湾においてもそうでした。この点を抉(えぐ)った『NHKスペシャル』の『シリーズJAPANデビュー 第1回 アジアの“一等国”』は右翼から激しい攻撃を受けました。
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この回答へのお礼

ご指摘の通り、私の質問は(b)に近い趣旨になります。そもそも戦争で負けて日本の文化を強制されたことは屈辱的であったのは当然のこと。恥かしいです。
ご回答、ありがとうございます。

お礼日時:2010/07/07 20:08

>日本はどうして欧米のように植民地的な経営をせず、同化政策の下、農作業を指導したり学校教育を施したりしたのでしょうか?



 基本的に、列強帝国主義(後期帝国主義)においては、農業技術・社会インフラ整技術の指導などは行われています。
”日本だけ”なんてのは思い違いです。
 同化政策に関しては、理由は極めて簡単で、東アジア文化圏においては、同化政策が行いやすい政治背景(儒教基盤)があっただけであって、逆にいえば、東アジア以外の日本の植民地は、列強と大差ないだけではなく、信教の自由も認めないイベリア半島の旧来の植民地経営と大差ありません。

>その同化政策自体、植民地的な経営同様、人々には屈辱的な支配的な方法であったのでしょうか?

 屈辱とは限らないと思いますが、同化政策に受け入れる側の価値観によって大きく変わる話だと思います。
 植民地になることが不名誉と考えよりも、生活維持が最優先の人々もいますから、生存権の部類が保障される植民地支配ならば、排他的であっても評価されうる余地はあるでしょう。
 
 なお、日本の植民地統治は、後藤新平の台湾統治という極めて特異な成功例があるだけで、概ね成功とは言えないものが多く指摘できます。
(もっとも、後藤新平が特異な行政マンだったこともあります)
 
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この回答へのお礼

アジア圏であって、辛うじて成功と言われるような(実際はわかりませんが)統治領があったとのこと。
>日本の植民地統治は、後藤新平の台湾統治という極めて特異な成功例があるだけで、概ね成功とは言えないものが多く指摘できます
この部分もよく調べてみます。ご回答、ありがとうございます。

お礼日時:2010/07/07 20:13

日本はどうして統治領に・・・



帝国主義ってのは、「おれは帝国だ、威張りたい」といって帝国主義をするわけでなく
儲かるからやるのです。
あるいは、儲かるというのを隠蔽して「俺達が、遅れた民族を指導する責務があるから」と建前を立ててやるのです。


それならば、インフラを施すのは当たり前です。

インフラはあとで、利益をもたらしますし、責務でやっているという感じが出ます。

インドでも最古の大学は、1857年にイギリスがつくっています
http://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Madras

アイルランドの最有力大学は
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA% …

イギリスがつくっています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E5%9F%8E% …
ダブリン大学がプロテスタントでないと入れないというのと、京城大学が日本語ができないと入れないというのは、構造的に似ていますね。つまり支配国のスタンダードでないと入学を認めませんという点で。

フランスでは、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB% …

教育による、ブルトン文化の破壊をしております。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
この質問で知識の薄っぺらさを痛感しております。
結局のところ飴とむちのようなものですよね。

お礼日時:2010/07/07 20:17

 韓国併合の頃の世界は、1等国といわれ広大な海外植民地を所有したり広大な国土を持っている、イギリス・フランス・アメリカの3カ国と弱体化したロシア(日露戦争とそれに続く革命騒ぎで1等国から脱落。

)の勢力圏であったバルカン半島に勢力を伸ばし1等国として不動の地位を作りたいドイツ、ロシアの勢力圏であった満州を勢力圏とし1等国の仲間入りを目指す日本を軸に動いていました。

 すでに広大な土地を自分のものとしている国々は、現状維持が国益と考えていました。
 しかし、支配する土地が狭いドイツと日本は、支配地を広げないと、他国の顔色を伺う立場に転落するため、他の民族の居住する土地を新たな勢力圏にすることが国益と考えていました。

 他民族が多く住む土地を支配する場合、そこに住む民族をあまり教育せず、国土の開発も必要最小限にとどめるようにすれば、植民地からの利益の増加は少ないものの、支配地の力は弱いままとなるので、本国に対する独立の動きをコントロールしやすくなります。
 フランス・イギリスの場合、支配地が未開発のままでも、支配地が広大なため、本国の国力に対する貢献は大きなものとなりますから、この方法を選びました。

 支配地が少ない日本がこれらの欧米の強国と互角の国力になるためには、支配地を極力経済発展させ、本国と一体化することが必要不可欠でした。
 その最初の実験台が、民族としての独自の歴史・文化の形成が未熟であった台湾です。
 この台湾を日本と同化して、経済を伸ばす政策はかなりの成功を収めました。

 その成功例を繰り返すことを目指し、独自の民族としての長い歴史を持った朝鮮を、同じように開発し朝鮮人を日本人化し、日本の国力を増大しようとしました。
 
<朝鮮支配の結果>
 民族意識の出来上がっていた朝鮮で日本人同化政策を取った結果、当時の日本の法の多くが朝鮮半島に住む朝鮮人にも適用され、問題の発生原因となりました。

 この頃の日本経済は、財閥による独占資本主義の時代で、日本では労働運動・社会運動・女性人権運動など、ロシアに起こった革命と同じことが日本に起こるのを恐れ、政府は厳しく監視していました。

 また、1923年関東大震災では、焼け野原となったため東京の治安が大きく悪化し、デマ・うわさ・憶測で多くの悲劇が起きました。
例を2つ
1.甘粕事件。
 社会運動家の大杉栄・伊藤野枝および大杉栄の甥、橘宗一(当時6歳)、憲兵隊により惨殺。橘宗一がアメリカ国籍を持っていたため、アメリカが関与し、問題が表面化しました。
2.震災後の朝鮮人虐殺。
 うわさに踊らされて、被災した人々が作った自警団が朝鮮人と疑われた人々を虐殺。真相不明・被害者も日本人を含む多数でした。

 このような時代を背景に、国民の不満・不安をコントロールするための飴と鞭として「普通選挙法」と「治安維持法」が成立しました。(1925年)

 この「治安維持法」によって、多くの新しい考え方をする人々が、社会的治安を乱す恐れのある考えの持ち主として、思想犯・政治犯として逮捕・取締りを受け、取調中の拷問・獄中死などが続発しました。

 日本本土では社会主義思想家・労働組合幹部などがその対象となりましたが、朝鮮半島ではそれに加えて、「朝鮮独立」を口にした人々が、その取締りの対象となりました。
 朝鮮独立=併合によって一つになった日韓の分離独立の考えを他人に広めることは、当然治安の維持に反する行為なのですから。
 この法律によって、多くの高等教育を受けた指導的な朝鮮知識人が、投獄されることになりました。

 しかし、当時の日本にとって、治安維持に反する行為を取り締まる、当然の法の運用でしかありません。 また戦後、朝鮮半島に朝鮮民族による独立国家ができた結果、治安維持法のもとで獄中死・刑死した人々が、「独立」の先駆者として、英雄となり迫害による殉死者とみなされるようになったのもまた、自然の成り行きなのです。

 尚、日本が韓国に建設した産業基盤は、その後の朝鮮戦争で、ほとんど破壊されてしまい、現在の韓国の人々には、日本が投資した産業設備の恩恵を韓国が受けているという実感を、ほとんど与えていません。

<参考>歴史は繰り返す
 フランス革命によって、力を得たナポレオンがドイツに軍を進め、古いドイツの小王国を倒した結果、フランスの強い影響下で新しく改革を進めたドイツ国民は、民族意識に目覚めて、フランス人をドイツから追い出す運動を始めました。

 最近でもイラン国王が、石油を売って得た多くの収入を使って、アメリカの技術を使い、経済開発をしたり、国民教育をしたところ、国民が民主的になって「国王が直接政治をしているのは、おかしい!」と言い出して、国王を国から追い出してしまいました。
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この回答へのお礼

国土を広げたかった。なるほど・・・
>このような時代を背景に、国民の不満・不安をコントロールするための飴と鞭として「普通選挙法」と「治安維持法」が成立しました。
すみません、この事を全く知らないまま質問を載せてしまいました。
皆様の詳しいご回答に、質問に至るまで勉強が足りなかったと思っています。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/07/07 20:27

>台湾や韓国など、日本はどうして欧米のように植民地的な経営をせず・・



最初に間違いがあります。台湾は1895年、日本帝国が清朝との講和条約に基づいて領有権を獲得した植民地です。しかし朝鮮については1910年、日本帝国が大韓帝国との併合条約に基づいて併合したので、「合邦国家」と言うのが正しい。

欧州での例を挙げれば、オーストリア・ハンガリー帝国が合邦国家でした。


>同化政策の下、農作業を指導したり学校教育を施したりしたのでしょうか?その先に策略があったのでしょうか?

日本帝国は残念ながら、日本の国の将来の利益(国益)を考えて台湾や朝鮮を統治したのではありません。その時々の政治家が目先の事のみを考えて台湾を領有したり朝鮮を併合したり、したに過ぎません。その先に何の政策も策略もありませんでした。

インフラ整備をしたり、世界最大級の水力発電所を建設したり、港湾を整備したり、鉄道網を整備したり、農作業や植林事業を指導したり、学校教育を施したり衛生思想を普及させたりしたのも日本の現在及び将来の国益を考えて行ったわけではありません。朝鮮人と台湾人の幸せのために、ただ漫然と日本人の莫大な税金を注ぎ込みました。

その結果は、朝鮮人と台湾人にとっては幸せでした。生活水準がずいぶんと向上したのです。


>それとも、その同化政策自体、植民地的な経営同様、人々には屈辱的な支配的な方法であったのでしょうか?

統治時代全期間の政策のうち、マイナスもあったかもしれないが、プラスの方が遥かに多かったので差引するとプラスです。

日本人の多額の資金をつぎ込んだりして、日本人はお人好し過ぎたのです。日本の国益を考えれば反対の政策を行うべきでした。つまり朝鮮人と台湾人から搾取すべきだったのです。イギリス人がインドやビルマ(現、ミャンマー)でしたように。オランダ人がインドネシアでしたように。フランス人がベトナムでしたように。
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この回答へのお礼

>朝鮮人と台湾人の幸せのために、ただ漫然と日本人の莫大な税金を注ぎ込みました。
私ももしそうだとしたら、日本人は相当なお人よしだと思ったのです。皆様のご回答を頂いて、本当のところは違うと思うところも沢山あります。そうなんですよ、普通は搾取するものなのではないかと思ったのです。
よくよく調べて出直してきます。
ご回答、どうもありがとうございました。

お礼日時:2010/07/07 20:33

インフラ整備と教育については、朝鮮と台湾の人の生活の向上のための親切心からです。



策略としては、朝鮮を近代化させて国力を増やしてロシアから侵略されないように保護するためで、朝鮮人から搾取しようとは考えていません。
戦争中も、徴兵や動員は遅らせて日本人よりも優遇しています。


同化政策については、日本人は天皇を尊敬していたので皇民化政策をして、
天皇を尊敬する暮らしをすれば、朝鮮人や台湾人も幸せになると考えたための親切心からです。
しかし、朝鮮人と台湾人の中には、受け入れる人や反感を覚える人もいました。

ジャパンデビューの裁判については、台湾人の人が、日本人の中には差別する人や仲良くする人もいて、インフラ整備や教育については感謝していて、
日本の統治は良かった所も悪かった所もあるという意見をNHKに言ったところ、
日本の統治は、悪いことばかりだという内容になっていたため、取材された台湾人の人がNHKに抗議して、NHK側が説明に行ったようです。
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この回答へのお礼

>朝鮮と台湾の人の生活の向上のための親切心からです。
相手方はどのように思っているかわかりませんが、もし、親切心からであれば、本当にお人良しだと感じました。というのも、うまい表現が見つからないのですが食うか食われるかの時でさえ、食べ物を差し出しているような。
私が日本人であるので、事実を知らないだけなのか、歪められたフィルターを通して認識しているのか、とても気になった部分です、
ご回答、ありがとうございます。

お礼日時:2010/07/07 20:39

欧米の植民地政策は、本国から遠く離れた未開地の、自分達から見れば本質的に劣等な異民族に対し行なわれたものです。


また、圧倒的な武力で相手から主権を奪い取った結果で、多少の抵抗があっても軍事力で圧殺できる自信の元に、本国に経済価値を収奪して行く目的に絞られたものです。
最初の南米に於けるスペイン等の植民地政策は、のどかに暮らしていたインディオ達を奴隷化し、あまりに過酷な労働を強いたため大量死を来たし、頑強なアフリカ黒人奴隷を輸入する様な結果を招きました。
多少の学習を経た後の典型的なアジア植民地においては、本来狩猟生活的に喰って寝て過ごしていた未開人を、その国に何等富をもたらす事の無いゴム園等での強制労働に駆り立てて、文明化を施したと思っていました。

日本の得た台湾や朝鮮は、ある時期は日本が文明を受け取った相手であり、統治政策に無理を通すだけの戦力も持ち合わせていませんでした。

従って、欧州内で行なわれたアルザス地方やバスク地方等の統治の様に、融合的政策を採らざるを得なかった側面もあります。

植民地政策とは、それまでの生き方を変えさせて新しくするので、日本が敗戦後経験した様に「明らかに昔より良い」と言う結果が定着するまでは、肯定的反応を得る事は難しいでしょう。
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この回答へのお礼

>欧州内で行なわれたアルザス地方やバスク地方等の統治の様に、融合的政策を採らざるを得なかった側面もあります
ここのところ、詳しく調べてみます。
例えば、ご回答の内容から、もしも日本が軍事力など圧倒的な力を持っていたら、インディオの奴隷化まではいかないにしろ、そのような性格を持った民族になっていたのか?と思ったのが根本の質問のきっかけでした。世界的に見て、日本はCO2削減でいい人をやってしまったように、「日本はお人好し」だと感じる部分があり、これは昔からの遺伝、民族性なのか?と妄想していたのですが、事実認識は難しいですね。
>「明らかに昔より良い」と言う結果が定着するまでは、肯定的反応を得る事は難しい
確かに、その通りですね。
ご回答、どうもありがとうございます。

お礼日時:2010/07/07 20:53

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