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だれか私の祖先を特定してくれませんか?
分かっている情報は、姓が高松、祖先が江戸時代は久留米藩で庄屋をしていたこと、祖先の一人が函館戦争で著名な高松凌雲、家紋が丸に隅立て四つ目ということだけです。
暇な時お願いします。

A 回答 (3件)

高松八郎兵衛は




井上組の大庄屋高松八郎右衛

天翔る雲(久留米藩一揆異聞)
西村聡淳

第3章 八幡河原の対決

宝暦4年、1754年3月
第7代藩主 有馬頼徸 よりゆき 38歳
徳雲寺 虎堂、人別銀

226頁
そこへ御井、御原の百姓達が群れをなして八幡河原へなだれ込んだという知らせが入った。
229頁
典膳は、日頃おとなしい百姓がどうしてこんなにも強くなって団結し対等に渡りあってくるのか、不審に思われてならなかった。裏で策を練って、百姓を先導している者がいる筈である。

昭和7年3月
舊久留米藩百姓一揆に関する調査
附 明治34年浮羽郡川合村小作騒動記
福岡県内務部
7月下旬には300人に及申候不分り8月に至、8月二十日詮議了る、同27日刑罰に逢者18人
右高松八郎兵衛は、大庄屋にて勤め候由之咎故、死刑と申すはやや軽く候由申伝候也
58頁
戌八月27日
井上組先大庄屋八郎兵衛儀、組中より追追銀米を取込、私欲無紛候、組百姓共、かねがね憤りこれあり、今般彼是申募り候儀顕然之事候、大庄屋役者農家長、組中不埒之筋之なきように廉直に心掛け、専ら農業出候様教導可致役儀候処、却って本意を失い候、之により郡中騒がしき様に出で致し候段、重々不届きにつき被行死刑候、御郡中大庄屋共江此旨申聞、向後随分心掛、百姓共疑心之なきように正直万端取り計らい相勤べき旨、尚又可申聞置事。

306頁
野中村庄屋八郎右衛門、干潟村庄屋三郎右衛門、門の上村庄屋忠助、井上の大庄屋高松八郎兵衛。以上の4人だけじゃ。

8月27日
御原郡井上先の大庄屋高松八郎兵衛、私曲の仕形之れ有り重々不届きにつき死刑
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家紋は個人が自由に選択出来る紋章ですから、あてになりません。


親子・兄弟で別々な家紋を選んでも良いのです。
庄屋の路線で見つからなければ、ムリでしょう。

No.1さんの女性(エバ)まで溯れば、人類皆親戚となります。
その後、ヨーロッパ人は2人、アジア人は7人に分かれていったそうですが。
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質問者さんのご先祖は、アフリカ大地溝帯にいた1人の女性の可能性が高いです。

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