アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

位牌について。
魂入れ魂抜きについて詳しい方アドバイスお願いします。

前月父の五十日祭※1が済み、お墓ができるまでの間※2お骨をお寺に預けに行きました。
(※1 神式で葬儀を行いました・・・ちなみにワタシも父も無宗教です、親戚の関係で神式で行いました。)
(※2弟がお墓を建てるまでの間なので結構長くなる予定)


現在手元には白木の位牌※3のみがあるのですが、来週には親戚のおじさん(父の兄)が作ってくれた本位牌がうちに届く予定です。
(※3 神式では肉体から魂を抜いて白木の位牌に一旦入れる、とゆう御魂移しとゆう作業があります。なので、この白木の位牌には故人の魂が入っているとゆうワケです。)

とゆうワケで、二つの位牌が我が家にある、とゆう状態になるワケですが

ネットで調べると、<仏式では葬儀の際は白木の位牌をつかって、葬儀後は本位牌に魂入れをして白木
の位牌は償却処分するか、お墓に一緒に入れる。>とゆうようなことが書いてありました。

そこで、
葬儀をしてもらった神式のお坊さん(これも親戚のおじさんなのですが・・・)にネットで調べた件を話し、どうすればいいか相談すると、「天理教では、御魂移しをした白木の位牌を手元に大事においておくのが通常、償却処分するや墓に入れるなどもってのほか。もう一つ別に位牌を置くとゆうのならば白木の位牌はウチのお堂で大切に管理するから送ってくれ。本位牌のことはワシはわからないから、お骨を預けているお寺のお坊さんに聞きなさい。」と言われました。

そこでお寺のお坊さん(真言宗派)に電話で問合せをしました。
ネットで調べた魂入れ・魂抜きの概念についても訪ねました。
「葬儀の時は、神式で行って御魂移しとゆう作業をして白木の位牌に魂を移してあります。ですが、今後は本位牌を手元に置く予定にしているのですが、その時に白木の位牌から本位牌に魂入れなどそちらでしていただけるのでしょうか?」など尋ねると・・・

すると先方は
「魂入れとか魂抜きとかうちではやってないので・・・」
「白木の位牌は葬儀が終わるまで、葬儀が終われば本位牌にチェンジする、とそうゆうことです。」
と、何度聞いてもそれしか答えが返ってきません。

じゃぁあの、ネットで調べた情報はなんだったのか?
親戚のおじさん(父の兄)も「魂入れはせずに送るからね」、と言っていました。
なのに、お寺のお坊さんはそんな概念など知らないといわんばかりに
「ちょっとよくわからないけど、とにかく白木の位牌は葬儀まで、本位牌は葬儀後、とゆうことです。」を繰り返しおっしゃります。

ワタシとしても、いくら宗派が違うとはいえ(天理教VS真言宗派)
一旦魂を入れる作業をした白木の位牌を、なんのお経もあげず本位牌にただチェンジする、とゆうことがどうしてもひっかかり、今後どうすればいいのか悩んでいます。

それに、ワタシとしては魂の入った位牌を手元に置きたいとゆうのが気持ちとしてあります。

ワタシは無宗教だし、亡くなった父も無宗教。
だけど、親戚の都合で神式で葬儀を行い(これには生前父も同意のうえ)、それ以降の供養は仏式で行うとゆう流れです。
無宗教ではありますが、故人を敬う気持ちがもちろんあります。
また、その魂に対しても(目に見えない存在を信じる信じないに関わらず)敬意を持って供養し接して行きたいと思っています。
なので、お経をあげる、魂入れ、などの作業はカタチといえばカタチなのですが。。。

カタチをもって表現する、とゆう意味で
魂入れのような作業を行いたいな、と思っています。

もしくは、白木の位牌も本位牌も両方手元に置いておく、とゆう方法もあるのかな・・・とも考えています。


以上、まとまりのない文章ですみません。

まとめると。

二つの位牌の今後の適切な処置と管理、とゆう内容で

どなたかアドバイスいただけますでしょうか。

どうぞよろしくお願いいたします。

A 回答 (3件)

私も真言宗の僧侶です。



神道の魂入れ、魂抜きという概念は知りません。よその宗教が何をしているかは知る術もありません。

真言宗の中ですら、よその派が何をしているかはよく知りません。

それを他の宗教と絡めて聞かれたら、そもそも話が混乱して分かりにくいことでしょう。


位牌に関してですが、位牌の開眼供養というのがあります。
位牌を仏像のように見立てて、それ自体を仏にする儀式です。これ以後、位牌は仏となります。
これは、故人の魂を入れているというのではありませんが、世に魂入れと言われることもあります。

普通だと、四十九日の法要のときに同時に、本位牌の開眼供養をして、白木の位牌はハッケンして(仏様にお帰りいただいて)お焚き上げ(焼却)します。

まったく概念の違う宗教を組み合わせて考えるのは無理があります。

当方の寺なら、この場合なら引導を渡すとこ(葬儀)から、やり直さなきゃ入れません。もちろん、簡単に引導の部分だけとかで、親族も集める必要はありませんけどね。神道で葬式あげても、真言宗的には葬式あげてないのと一緒ですから。

あなたは「無宗教」というよりも、「宗教に関して優柔不断」と言い換えた方が近い気がします。あれこれ手を出さず、どこの宗教にするか決めた方が楽ですし、坊さんなんかにも失礼がないと思います。

せめて、世間のように「七五三は神社、死者の供養はお寺、結婚式は教会」くらいに
    • good
    • 1
この回答へのお礼

自分がどの宗教にするのか、に芯がないというか、宗教に深く関わることをワタシは避けてきたように思います。

それは、子供の頃から母と祖母が家庭内で宗教戦争を勃発していた悲しい思い出も影響しているのだと思います。

ですが、
過去の嫌な思い出をクリアして、自らがどう在りたいのか、自分の信仰をどう考えているのか、をそろそろ向き合って考える時期なのだと、今回のことを通して感じました。

今は禅の考え方に興味があるので、これを通してこれから勉強していこうと思います。

とても勉強になりました。

回答どうもありがとうございました。

お礼日時:2010/08/21 16:37

No.1の方の言うとおり。



そもそも、神道、仏教でも宗派によって作法が違います。

天理か、真言かどちらかに決めましょう。

そうでないと、アドバイスのしようがありません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そうですね(^_^;)

父の生前の希望で天理教の葬儀を行いましたが、父の死後は自分の信仰に芯を持とうと思います。

現在は禅の考えかたに興味があるので、そこから勉強してみようと思います。

勉強になりました、どうもありがとうございました。

お礼日時:2010/08/21 16:22

 神道(天理教)で葬儀をされたとの事。

白木に名前が書かれているものは位牌ではなく「霊璽(れいじ)」と呼ばれ、亡くなった方の魂そのものが納まっていると聞いたことがあります。神道においては「故人のお骨」よりも「霊璽(れいじ)」の方が大事なくらい大切なものだそうです。
対して仏式で扱われる白木の位牌はあくまで本位牌が出来るまでの仮のもので、故人の魂自体は四十九日をもってどこか他の世界に行っているはずです。天理教と真言宗は「宗派が違う」というレベルではなく、チベット仏教とキリスト教くらい、全く違うものです。
 元々全く違う考えである神道と仏教を絡めて「適切に」といわれても無理があるのではないですか?それぞれそれなりの修行をされてきた宗教者のお2人にネットで調べた程度の知識をぶつけても答えが出てこないのは当たり前です。

これまで通り質問者様が思うようにされるしかありません。無宗教というのはそういうものです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

おっしゃる通りですね(^_^;)
ワタシに芯がないのが混乱する原因だと気づきました 笑

ただ、今すぐ宗教を決めるというワケにも行かないので
自分と宗教との関わりにある程度の確信がもてるまで、では今、これから、どうするかというところで考えて見ました。

そこで
先日初盆の供養をしに行ったときに改めて、骨を預けているお寺のお坊さんに聞いてみました。

お坊さんによると、こういったパターン(神式での葬儀、仏式で供養などの変更希望者)は結構あるとのこと。
また、こういった場合に関わらず宗教を変える人もいるし、無宗教の人も多くいるので、その都度対応している、とのことでした。

なるほど、という感じで宗教の持つ(このお寺の持つ)多少の寛容さに安心を感じました。

お坊さんと相談した結果、今回の対処としては、二つの位牌を置いておく場所(ワタシの自宅)でお経をあげて、そこで魂入れの供養を行う、というものです。
神式の時に使ったミタマシロは、天理教のお寺で供養管理してもらうようにします。
これで一応、葬儀以降の供養の全ては落ち着きます。


おっしゃるように“バラバラ感”“思うとおり感”はやっぱり否めませんよね(^_^;)


が、これが今のワタシにできる最良だと考えて、今後は自分の宗教に関する考え方をしっかり持ちたいと思います。

つらつらと書き連ねてすみません。
お返事をしながら、現状に対する自分の考えをまとめている、というようなつもりで書きました。
もしかしたら気を悪くさせてしまっていたらごめんなさい。

この度は回答いただいてありがとうございました。

とても勉強させていただきました。

お礼日時:2010/08/21 17:10

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!