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これまでここでたくさんの質問をしてきました。私は考え深い性格なのか、もやもやしてなりません。もう消えちゃいたいと思うくらいもやもやしています。変わった質問だと思われるかもしれませんがみなさんのお力を貸して下さい。これから書く質問に答えられるものがありましたらお願いします。

●人間が体を繊細に自由に動かして使えるのはなぜか?何か行動するとき(たとえば物を手で掴んで運ぶという一連の動作)、手や足などが動く角度にはメカニズムがあるの?

●人間は漢字などの複雑な文字をどういう風に覚えたり理解したりしているの?

●なぜ人間って暑かったら冷たいのを求め、寒かったら暖かいのを求めるの?

●笑っっている顔、泣いて悲しんでいる顔、怒っている顔、疲れている顔…。どうして感情によってなる顔が違うの?またそういう顔をなぜ判別できるの?なぜ顔はその時の感情を表わすの?

●本などの複雑な文章をどうし読んだからって理解できるの?(小説などは文字を見て読むだけで話の内容がわかってしまう)文字という記号を見ただけでどうしてわかっちゃうの?

●思ったこと、伝えたいこと、聞きたいことなどを即座に言葉にできるのはどうして?(思いついたと同時に口が動いているのは不思議)人がしゃべているの、話しているのを聞いて聞いたと同時にわかってしまうのはどうして?

A 回答 (2件)

貴方は自分自身に敏感という言い方が出来ます。

他の人には気が付かない事に貴方は気が付いたという意味になります。

●人間が体を繊細に自由に動かして使えるのはなぜか?と言う問いにに関して言うなら、意思の力で体を働かそうとした場合には『神経症的な問題が出る』と言う事が予想出来るという答えもあります。

オリンピックなどのメダルに近い演技の場合には、その演技をする主体は『自我意識が出ないように』演技が出来た時です。『自我意識が出た場合』メンタル面が弱くて、プレッシャーに負けたと言う言い方になります。

●人間は漢字などの複雑な文字をどういう風に覚えたり理解したりしているの?
この問いに関して言うなら、高い所に上がった時に『怖い事』を知らせる機構が人間には備わっていますが、その機構とは、『もう一つの意識』がその事を知らせています。と言う答えになります。

●なぜ人間って暑かったら冷たいのを求め、寒かったら暖かいのを求めるの?と言う事も、●笑っっている顔、泣いて悲しんでいる顔、怒っている顔、疲れている顔…。どうして感情によってなる顔が違うの?またそういう顔をなぜ判別できるの?なぜ顔はその時の感情を表わすの?

この答えにも同じ共通点があります。後の質問も同様です。その共通しているものとは自我意識と共に働いている者です。

脳科学からその根拠を書いて在るものを載せてみます。

”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。”

自我意識は左脳の意識です。もう一つの意識とは右脳の意識です。主に直感や閃きや、殺気などとして自我意識に脳梁を通してある情報として送っています。

是は『命そのものの働き』として生まれた時にす既に備わっています。赤ん坊が教えられなくとも悲しみや楽しさや、愉快とか不愉快、或いは不安や安心を知っていることに通じています。人間に生まれたとき既に備わっている『命の働き』です。

その働きは、ホルモンや、血流や、呼吸数までもその環境において最適になるように調節してくれています。そうしてその者は『無意識や潜在意識』の意識として働いています。

人間の行動を正常に働かせている者は、正に『自我意識』ではなくて、『もう一つの意識』といってもよいかもしれません。その意識との出会いを『見性』と言います。つまり悟りを開くという事です。

キリスト教的な言い方をするなら『神に会って和解する』という事になります。鬱や心を病む場合の『自我意識』に圧迫を加えている者の事です。神経症などにも云えます。神経症などの症状を『起こしている者』という事になります。

人間の心の『感情が湧き上がるシステム』に付いて書いてみます。人間が物を見た場合に自我意識と無意識とが同時に同じものを見ています。自我意識が思うところのものの他に、殺気や気配などやそのほかのことも感じています。

例えば好きな人に会った場合などでは、その人の事をどの程度、或いは遊びかどうか?或いは本当に好きなのか?言葉にならないほどの情報を自我意識は貰って、そうしてから言葉にして行動しています。

自我意識は言葉による決断しかしていません、そうして自我意識の能力は、分った事しか判断材料がありません。従って自我意識に出来る事とは、割り切れる問題しか回答する能力がないということです。

従って『明日の事に関しては』判断能力は在りません。そうして『有限の世界』しか理解出来ません。従って、矛盾した問題や、永遠に関する問いかけには『成す術は在りません』

この能力が人間の自我意識の『悩みとして』昔から人間を悩ませて来ました。この解決方法を宗教文化の発展として人間は後押しをして来た訳になります。

人間の無意識の『意識』を仏性として、お釈迦様は唱えて来ました。それは右脳の意識の事です。その意識と出会うためのテキストが『禅問答』という事になります。右脳の意識は言葉を持っていないからです。禅問答が解けたときには右脳の意識に出会います。

その事を『生死の問題が解決した』と言っています。或いは『神に会って和解した』どちら、も心的な内容は同じです。不安や恐怖を湧かせていた者が自分自身であった事を知るという意味で、それ以後は不安や恐怖感には悩まなくなると言う意味になります。心を病む場合の究極的な解決方法を、禅は提供している事を示しています。命の働きに出会う事で心の病は完治します
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この回答へのお礼

私の質問に長い文章で答えて下さりありがとうございます。とても参考になりました。
ネットで検索して調べたり、本を探してみたりもしてみようと思います。

お礼日時:2010/08/07 16:52

とりあえず、いっぺんに全部答えて下さる方は少ないでしょう。


一つづつ聞いていった方がいいと思いますよ。
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この回答へのお礼

そうですね。いっぺんに質問を書きすぎました。ありがとうございました。

お礼日時:2010/08/07 16:53

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