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占守島の戦いの意味

日本の降伏直後に行われた占守島の戦いの意味について教えて下さい。

日本の占守島の守備隊は攻めてくるソ連軍に対して、強く抵抗して一時は撃退したそうですが、結局は日本政府の命令で降伏し、武装解除して捕虜としてシベリアに連れ去らることになりました。抵抗することにどのようなメリットがあったのでしょうか? 本土に逃げ帰るという選択肢は無かったのでしょうか? それなら捕虜として強制労働させられることはなかったのでは。

また、ソ連の方も、最終的には武装解除して無血占領できるはずの占守島を大きな犠牲をはらってまで攻撃した理由は何でしょうか?

A 回答 (8件)

こんにちは




> 抵抗することにどのようなメリットがあったのでしょうか?

当時千島の防衛を担当していた第5方面軍から、占守、幌筵、両島の
担任部隊である第91師団に対して
「8月18日16時の時点で停戦し、こちらから軍使を派遣せよ」
「もし敵が戦闘をしかけて来たら"自衛のための戦闘は妨げず"」
という命令が既に出ており、17日中には島内の各部隊にはその命令
が伝わっていたそうです。

従って、現地部隊とすれば"「自衛のための戦闘」という命令に従った
行動をした"という事になり、メリット云々を考えることは(またその
余裕も)無かったと思われます。

ただ、同島に派遣されていた戦車第11連隊の池田連隊長は、上陸して
きたソ連軍に対する反撃戦を遂行する前に、部下達を集めて

「我々は大詔を奉じ家郷に帰る日を胸にひたすら終戦業務に努めて
きた。しかしことここに至り、もはや降魔の剣を振るうほか無い」
「そこであえて皆に問う」
「諸氏は今"赤穂浪士となり、恥を忍んで将来に仇を報ぜんとするか
、あるいは白虎隊となり、玉砕を持って民族の防波堤となり、後世
の歴史に問わんとするか」
「赤穂浪士たらんとする者は一歩前に、白虎隊たらんとする者は手
を挙げよ」
と、問うたところ、

全員が間髪入れずに「おう!」と手を挙げたのを見て、一言「ありが
とう」と言って涙を流したそうです。

池田連隊長を語る数々のエピソードからすると、もしも"一歩前に"
歩み出た者がいたとしても、決して咎めずに対応したと思います。
(実際に この戦闘の直前に、学徒出陣で徴兵された見習い士官に
対して「お前は戦闘に参加することはならず、帰還してお国の為に
働くように」と言って、前線から返した そうです)

このように指揮官以下、末端の兵まで含めて
「俺たちがここで頑張らないでどうする」
という強い気持ちが同島守備隊にはあったのであろう、と思います。


> 本土に逃げ帰るという選択肢は無かったのでしょうか?

当時 同島部隊は、軍隊としての指揮統制がきちんと効いていました
ので、上級司令部(第5方面軍)からの撤退(転進)命令、ないしは
現地91師団がこれ以上の戦闘継続が不可能、と判断しない限りは同島
からの撤収(行き先は別として)はあり得ないでしょう。


> ソ連の方も、最終的には武装解除して無血占領できるはずの占守島
> を大きな犠牲をはらってまで攻撃した理由は何でしょうか?

終戦間際になってのアメリカとの協議では、当初は千島や樺太はソ連で
管轄する、という話になっていたのが、途中からアメリカがだんだん
と、ソ連の影響を排除しようとする動きを見せたため"占領という既成
事実を作り上げるため"にとった作戦ですね。

地勢上ソ連は外洋に出るポイント(海峡)が日本やアメリカにがっちり
と抑えられており、また冬季には使用出来る港も限られてしまいますの
で、千島、樺太、北海道を自国の勢力下に置くことは非常に大きなメリ
ットがあります。

実はソ連は終戦の1年以上前に、占守島東部の小泊岬の沖で輸送船を座礁
させたらしいのですが、日本側からの再三の救助の打診にも関わらず
(日ソ中立条約を結んでいましたから)何故かそれを拒否し続け、結局
乗員がソ連艦船により救出されたのが、半年以上も後のことだったそう
です。

帝国陸軍の現地部隊のある将校さんが、戦後の回想記の中で
「多分 あの船(輸送船)は、ワザと座礁したんじゃないか? 乗員は
我々(陸軍部隊)の配置や行動の偵察を長期間に渡り行っていたんじゃ
ないかと思う」
と書いておられました。

もしもこれが事実だとすれば、彼ら(ソ連)も占守島が戦略上極めて
重要な地、ということはだいぶ前から認識していたのでしょう。
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この回答へのお礼

たいへん詳しいご回答有難うございました。いままで疑問に思っていた事が、よく理解できました。

お礼日時:2010/08/15 14:54

今の状況を見て分かりませんか?未だに返還されませんよね。



ちなみに、千島列島(北方領土除く)は、千島・樺太交換条約により、侵略と言われる要素が、まったくない獲得をしています。
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アッツ島にしても、占守島にしても、


全員を撤退させる船はありませんでした。
こちらから迎えに行く船もなかったし。

抵抗以外、自らの命を守る方法はなかったと思います。
情報が遮断されていた日本では敵前逃亡はありえなかったし。
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 悲しくなるようなご質問ですね。



 抵抗することにどのようなメリットがあったのかということについては、ここで頑強に抵抗してくれたからこそ、曲がりなりにも現在の日本があるということだと私は思います。もし無抵抗であったとしたら、もしかすると現在の北海道旅行にはパスポートが必要だったかもしれません。
 本土に逃げ帰るという選択肢については、他の方のおっしゃるとおり、物理的なリソースが無かったということだと思いますが、これに加え、ここで防御戦闘を行なうことで千島列島に居留する民間人が避難する時間を稼ぐ、という考えもあったのではないでしょうか。

 またソ連があえてこの島を攻撃した理由については、しょせん火事場泥棒の発想ですので本当のところはちょっとわかりません。
 実際には占守島攻略部隊とは別に北海道侵攻部隊が準備されていたらしいですが、いきなり北海道侵攻は激しい抵抗が予想されるため、何人かのソ連軍の将官が反対、手始めとして抵抗が軽微であろう(一日で占領できると踏んでいたらしい)占守島を選んだという説もあります。
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占守島の守備隊はよくやってくれた!


心から感謝し貴方方の英雄的な戦いぶりを高く評価いたします。
もし占守島守備隊の激しい抗戦がなかったらソ連は、
1.まず樺太と千島列島
2.次に北海道でした。

アメリカが原爆を落としたことを日本人は恨みますが、もちろん原爆は非道なもので許されるものではありませんが広島・長崎の尊い犠牲のおかげで日本が分断されるのを防ぎました。もし原爆が投下されていなかったら日本は戦いを続けていました。
そして占守島の守備隊の英雄的抗戦がなければ、ソ連は領土的野心がありましたから北海道のみならず南下し、東京を占領して皇居を境に北は北日本人民共和国ができて金日成のような共産主義の独裁者が出てきて今頃は南日本がせっせと北にコメを送っていたのかもしれません。そうならなくて本当に良かったです。占守島の守備隊の皆様、ありがとうございました。
そしてマッカーサーが弱腰であったなら北海道はソ連に取られていました。たとえ弱腰でなかったとしてもソ連は強硬に北海道占領を主張したでしょう。ソ連が強硬に主張しなかったのはアメリカが原爆をもっていたからです。ソ連は原爆がどれくらい恐ろしいものかを広島・長崎で知りましたからアメリカには譲歩しました。広島・長崎の尊い犠牲は日本が分断されることを防いでくれました。
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あのぉ…


日本の降伏は9月2日ですが…

8月15日の玉音放送は日本側の一方的攻撃停止宣言(日本は組織として特攻部隊を出撃させたり、沖縄やフィリピン、満洲、中国の部隊が連合軍に攻撃しないという意味)ですけど…

米国が日本の停戦宣言を受けて停戦したのが8月21日です。
ソ連は日本の停戦宣言を受けても仁義なく占守島へ攻勢をかけたのです。
ちなみに日本軍の完全武装解除は11月のサイパンにいた大場大尉率いる残存部隊です。
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 日本が8月15日に無条件降伏しました。


 その時、アメリカ、イギリス等は停戦しましたが、ソ連だけは降伏文章に調印していないとして戦闘を続行しています。
 日本軍の指示は停戦ですが、自衛の為の戦闘は許可されていました。
 占守島ですが、もしソ連が平和的に武装解除の為に上陸してきたなら戦闘にはならなかったはずです。砲撃をして上陸してきたのですから戦闘になります。これは正当防衛です。
 当時の状況から逃げるのは不可能です。
 シベリア抑留は結果論で、その時にそうなると決まっていた事ではありません。捕虜を過酷な労働で死に至らしめる事は捕虜虐待になり国際法違反です。当時のソ連は守る気は無かったと思いますが、それも結果論です。

 ソ連が武力侵攻した理由についていろいろ言い訳していますが、目的は侵略です。そうでなければ国際法に違反してまで宣戦布告しませんし、降伏後の武力上陸はあり得ません。
 占守島は第一歩に過ぎません。最終目的地は北海道でした。
 軍を進めて占領すれば、戦後処理で領土を得る事が可能になります。
 ソ連にとって計算外だったのは、占守島の戦闘で時間がかかり南下が大きく遅れ北海道侵攻は不可能になりました。
 9月2日に降伏文章に調印してしまうとこれ以上拡大できませんから、あわてて北方領土を押さえに来ました。
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メリットも何も、敵が攻めてきていて交戦しないというのがよくわからないのですが。


占守島の守備を任され、交戦能力はまだある、上からの命令で交戦するなと言われてない
これだけ条件揃っていて交戦しない軍隊はそうそう存在しないでしょう。


>本土に逃げ帰るという選択肢は無かったのでしょうか?
それは泳げってことですか?
占守島から北海道まで直線距離で約1000キロ、一番近い温禰古丹島まででも60キロあります。
「泳いで撤退したらどうだ?」なんて質問者はなかなかの鬼畜ですね。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

どうも私が大きな勘違いをしていたようで、8月15日の後も軍隊としての指揮命令系統は完全に維持されていたのですね。

あと、撤退のための輸送船なども、当然持っているものと思っていましたが、それも無かったとは。
撤退の集団が無いとは、今では信じられないような無謀な行動ですね。相手が強かったら、逃げるか降伏しかないわけですが、逃げる事ができない、日本軍では降伏を教えてない、ようするに死ぬまで闘えってことですか。

お礼日時:2010/08/15 14:30

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