兵站軽視、食糧を現地で調達するという帝国陸軍の考えはどこから出てきたのでしょうか。
太平洋戦争敗戦まで、その考えに固執したのには、よほど強烈な思想があったのではと、愚考しています。
日清戦争で、早くも「因糧於敵」の方針が示されています。
穿った見方をすれば、陸軍創設を指導した西欧のどこかの国が、わざと軽視するべしと教えたのではないかと、つまらぬ妄想をしています。
よろしくお願いします。

A 回答 (15件中1~10件)

帝国陸軍の近代化の基礎のお手本となったのはドイツです。


ドイツからクレメンス・メッケル少佐が来て顧問となり、大きな影響力を発揮しました。
また、帝国陸軍の教科書とも言うべき「作戦要務令」(少尉以上の階級の指揮官のためのもので、戦場での動きから平時における行動まで書かれたもの)についても、ドイツの野外要務令やドイツの歩兵操典の影響を大きく受けつつ、何度も改定されながら昭和15年に完成しています。

帝国陸軍はドイツの影響を大きく受けはしましたが、そこで兵站を軽視するよう学んだとか影響を受けたという事はありません。
また「作戦要務令」の内容は四部構成になっていますが、その第3部が補給・兵站の内容となっています。

この「作戦要務令」について、1995年に朝日ソノラマから「詳解・日本陸軍作戦要務令」という「作戦要務令」を解説した本が出されています。著者は熊谷直さんという人物で、防衛大学を卒業し航空自衛隊に勤務し、後には防衛大学や統合幕僚学校で教官を務めたそうです。
この人が「作戦要務令」の第3部の部分で、論じている事を要約すると・・、
「第二次世界大戦の時の日本陸軍は「糧は敵による」式で補給を怠ったため敗れたと言われる事が多い。
しかし、陸軍は、組織としては輸送や補給にも力を入れていた。
補給計画もあり、その計画通りに輸送ができていれば第一線の兵士が飢える事はなかった。
しかし輸送船を援護する航空機の数は足らず、機動部隊の援護も限られていたため、輸送船が撃沈され補給ができなかった。
総合的な力の不足が、第一線の兵士の餓死をもたらしたものであり、後方の軽視のためだとは言い切れない。
陸軍全体としてみれば、兵站の重要性は認識されていた。そうでなければ、作戦要務令の第3部は編纂されなかっただろう。そのつもりはあったが、国力がないばかりに第一線への補給ができなかった」
・・という事なのだそうです。

また、「作戦要務令」の他に、帝国陸軍には「統帥綱領」という戦争遂行のための指導書があります。これは将軍や参謀のためのもので「作戦要務令」よりも重要で高度なものであり、軍事機密となっていました。
この「統帥綱領」の中でも第二編六章において「兵站」について記述されています。
ちょっと書くと・・・
「兵站の適否は直ちに軍の作戦を左右す」
「補給は実に兵站の主務にして、また用兵の基礎なり」
とか色々、もっと細かい事も書かれています。
本当に兵站を軽視していたのなら、「軍事機密」に指定されていた「統帥綱領」の中に「兵站」の章はなかったでしょう。

ちなみに、帝国陸軍が戦時に物資を現地調達できる法令が定められたのは明治15年の「徴発令」です。
これは、まだメッケル少佐が来日する前であり、またドイツの操典や要務令を参考にする以前の事です。
ですから、現地調達は外国の影響というより日本内部から出てきたものと言えると思います。
ただ、現地調達というのは、本国からの補給が間に合わない場合や、本国の負担を減らすために、どこの国の軍隊でも多かれ少なかれしている事であり、珍しい事ではありません。
日清戦争でも戦争開始で急遽派遣された帝国陸軍の大島混成旅団に現地調達の指示が出ていますが、これは戦争初期で準備が万全でなかった事からその指示が出されました。その大島混成旅団と戦った相手の清軍も現地徴発しています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>補給計画もあり、その計画通りに輸送ができていれば第一線の兵士が飢える事はなかった。
しかし輸送船を援護する航空機の数は足らず、機動部隊の援護も限られていたため、輸送船が撃沈され補給ができなかった。

上記のように熊谷直さんの著書には書いてあるそうですが、私は、「兵站」とは補給計画だけでなく、輸送そのものを含む活動だと思っていました。
「輸送船を援護できず撃沈されて補給できなかった」こと自体が、兵站軽視だと思っていました。
私の知識不足でした。

大本営が「兵站」を軽視していたのではなく、その重要性は認識していたということについてはよく解りました。

お礼日時:2010/08/20 21:19

兵站(戦争に際して、食糧などの必需品を運ぶ作業、部門のこと)こそ戦争の勝敗を分ける生命線だとはよくいわれることです。



そして孫子は「戦争は短期決戦に限り」「兵站は現地で奪うに限る」と説いています。以下、「孫氏」現代訳より
http://maneuver.s16.xrea.com/cn/sonshi1.html

*****************************
 巧みに軍を運用する者は、民衆に二度も軍役を課したりせず、食糧を三度も前線に補給したりはしない。戦費は国内で調達するが、食糧は敵に求める。このようにするから、兵糧も十分まかなえるのである。
 国家が軍隊のために貧しくなる原因は、遠征軍に遠くまで補給物資を輸送するからである。遠征軍に遠方まで物資を輸送すれば、その負担に耐えかねて、民衆は生活物資が欠乏して貧しくなり、国境近くに軍隊が出動すれば、近辺の商工業者や農民たちは、大量調達による物不足につけ込んで、物の値段をつり上げて売るようになる。物価が高騰すれば、政府は平時よりも高値で軍需物資を買い上げることになり、国家財政は枯渇してしまう。国家の財源が底をつけば、民衆に対する課税も厳しさを増す。
 だからこそ遠征軍を率いる智将は、できるだけ適地で食糧を調達するよう努める。輸送コストを考えれば、敵の食糧五十リットルを食らうのは、本国から供給される千リットルにも相当し、牛馬の資料となる豆殻やわら三十キログラムは、本国から供給される六百キログラムにも相当する。
 そこで、敵兵を殺すのは、奮い立った気勢によるのであるが、敵の物資を奪い取るのは利益の為である。だから車戦で車十台以上を捕獲したときには、その最初に捕獲した者に賞として与え、敵の旗印を味方のものに取り替えた上、その車は味方のものにたちまじって乗用させ、その兵卒は優遇して養わせる。これが敵に勝って強さを増すということである。

***************************

上記が、闘いの王道だったのですね。しかし、近代戦争になると、長期戦が常態化し、物資調達の後方支援が勝敗を分けるようになります。

この背後には、いわゆる「戦争ビジネス」に目をつけた国際金融資本が大量の資金を貸し出すようになったことが影響しています。おそらく日本の軍部は、そのような近代戦争の仕組みの本質が見抜けなかったが故に敗北していったのだと思います。
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この回答へのお礼

多くの方々から懇切丁寧なご回答を得ることができましたが、
私の知識不足でまだ十分理解できておりません。

>この背後には、いわゆる「戦争ビジネス」に目をつけた国際金融資本が大量の資金を貸し出すようになったことが影響しています。おそらく日本の軍部は、そのような近代戦争の仕組みの本質が見抜けなかったが故に敗北していったのだと思います。

要するに「カネ」あっての戦争ということですか。
兵站といっても運ぶ武器弾薬や食糧、輸送手段あってのことと言うことになりますか。
確かにそうですね、納得しました。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/08/20 20:19

帝国陸軍は25キロ毎に補給拠点を設置し、輜重部隊は馬24頭及び輜重車(リヤカー)での運搬を行ってますが…



ガダルカナルの餓死は有名ですが、海軍が1000キロ毎にしか拠点を作らず、それを知らずに陸軍が応援に駆けつけた結果です。

世界に誇る乾パン・インスタント食品は陸軍の携帯口糧研究の結果生まれたものです。
ちなみに一部の地域を除いて兵隊は太って帰ってきたようですよ。

ちなみに高速道路のサービスエリアとパーキングエリアって25キロ毎に交互に設置してあるのはご存知ですか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>海軍が1000キロ毎にしか拠点を作らず、それを知らずに陸軍が応援に駆けつけた結果です。

そうなんですか。
陸軍と海軍とは仲がよくなかったと聞きますが、何か寒々とする話ですね。

>世界に誇る乾パン・インスタント食品は陸軍の携帯口糧研究の結果生まれたものです。

全く知りませんでした。
質問すればいろんなことを教えて頂けるので、クセになりそうです。
高速道路の話は、他のカテで見たことがあります。

お礼日時:2010/08/20 14:16

 たしかに日本軍は兵站に関しては評判は良くはありませんでしたが、それは程度の差はあってもどこの国の軍隊でもそれなりに問題はありました。

それでも「マレー侵攻作戦」に見られるように、兵站準備の周到さによって作戦を成功に導いた例があります。

 兵站自体の陸軍内部の立場は事実として軽んじられていましたが、それでもその兵站畑の中から将官も出ていますし、あの石原莞爾のように兵站に関しての重要度を常に周りに説いていた人物もいます。

 ではなぜ日本の兵站思想の貧しさの好例として常に挙げられる、「インパール」や「ガダルカナル」のような悲劇が起こったのでしょうか。

 一つにはとにかく日本軍が貧しかったということがあります。「日清日露戦争」や「日中戦争」に見られるように、銃剣突撃や白兵戦を常に攻撃の主体においていたのには、この貧しさが大きな原因となっています。

 つまり、攻撃前の十分な準備射撃には膨大な弾薬が必要となりますが、これを用意できなかった(あるいは惜しんだ)ため、結果的に肉弾による最後の決戦に挑んだということです。旧日本陸軍では日清日露戦争当時から、戦闘時における砲弾や銃弾の不足に常に悩まされていましたが、これは製造能力が無かったというよりは、やはり弾を惜しんで一発必中的を推奨する軍内部の精神的な悪癖がありました。

 もうこれは日本の文化といっても良いもので、現在に至るも自衛隊での訓練における弾薬の一人当たりの消費量は、南米の小国であるニカラグアのそれよりもはるかに少ないということも、なんだか笑ってしまうほどの哀しい文化だというしかありませんし、警察や海保なども似たり寄ったりの状況です。

 質問にある「糧が敵に因る」や「現地調達」という思想は元々旧日本軍からでた発想で、外国から強いられた発想ではありません。旧日本陸軍に大きな影響を残し、陸軍参謀本部の生みの親でもあるドイツ軍人メルケル少佐は、つねにその講義の中で兵站や補給の重要性を説いていました。

 旧日本軍が兵站戦でも敗北した理由のもう一つに、戦線での制空権と制海権の喪失があります。いくら補給をしたくとも、途中でその輸送艦船が壊滅させられればどうしようもありません。それでも「ガ島」の例にあるように、「ネズミ輸送」とか「アリ輸送」などのように揶揄されながらも、必死に補給を続けようとしていましたし、「インパール」にしても輜重出身であった第15軍参謀長の小畑少将が、その兵站無視の無謀な作戦に最後まで抵抗をしていました。

 よくアメリカ軍の補給能力の高さが取りざたされますが、それも相対的な戦局の有利があってのことです。そのアメリカでさえ細かな戦闘を取り上げれば、それなりに補給に苦しめられた戦線が多々ありました。ただアメリカのすごいところは、一旦これは必要不可欠なものだと理解したら、官民上げての協力体態勢を即座に構築し、一丸となってことに当たる覚悟の良さです。
 倒的な物量、言い換えれば国内での大量生産体制があってのことでもありますが、アメリカの思考方法の柔軟さは今でも見習うべきところがあります。

 第一次湾岸戦争(イラクを第二次と呼ぶならばですが)で見せた、あの圧倒的なロジスティック能力と物量を見るにつれ、この国はやはり戦争の時になればなるほど生き生きとするんだなとあきれるばかりでした。

 閑話休題 

 今に至る日本軍兵站思想の貧しさを非難する風潮は、たしかに事実として部分的には当たってはいます。旧陸大の輜重科を卒業し輜重将校になったのは、全卒業生の1パーセントにも満たないし、その中から大将までに登りつめたものもいません。それは明治維新の幾多の戦闘において、新政府側がその輜重業務を当時の地域の博徒(つまりはヤクザですね)達に任せていたことが、後々までに輜重に対しての悪いイメージを遺していったという面もあるかもしれません。

 旧日本海軍にしても輸送関係の部署を「ボロ士官の捨て所」とよんで侮蔑していましたので、この前近代的な伝統は根深いものがありました。

 しかし前述したように、軍部内部にも心ある人物はいて兵站に関する重要性を常に説いていましたし、大きな犠牲を払いながらも補給を継続しようとする意思と行動を続けていたことも事実です。しかしあまりにもその数が少なく、兵站に関しての人材不足はやはりどうしようもなく、旧日本軍の大きな欠点でした。

 それに軍内部に大きな発言力を持った、輜重畑出身の高官がいなかったことも日本にとっては不幸なことだったと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
「閑話休題」で書いて下さった話はとても興味深く読みました。
確かに「兵站」の重要性を認識していても、兵站は地味な仕事ですから、軍人なら誰でも陽の当たる第一線で「戦闘」に加わりたいでしょうね。

「軍内部に大きな発言力を持った、輜重畑出身の高官がいなかったこと」とのご指摘はよく理解できます。

お礼日時:2010/08/20 14:14

戊辰戦争で味方である筈の部隊を斬ったり、戊辰戦争を共に戦った人に反乱をされ斬りまくった。



事情があるとはいえ、味方を軽んじる体制では何事も軽んじるようになります。

補給の軽視はその一端でしょう。

社会そのものが軽かった。

今でも無為に自殺者を出しているので変わらない。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>社会そのものが軽かった。

なるほど、「一銭五厘の命」ですからね。

お礼日時:2010/08/20 10:52

こんにちは


_
_
> 陸軍創設を指導した西欧のどこかの国が、わざと軽視するべしと
> 教えたのではないかと、つまらぬ妄想をしています。
_
確かに"軽視"という意見に、異論を唱える人は少ないでしょうね。
_
ただ、組織的に見ると
大本営陸軍部には「兵站総監部」が ずっと(終戦まで)置かれて
いましたし、輜重兵という専門兵科やその教育機関もありましたし、
まったく無視していたことは無く、むしろそれなりに考えていた、
考えようとしていた(?)とは思うのですが・・・。
_
でも、どうしてそれが(先の大戦中に)有効に機能しなかったかと
言えば、まずは「工業生産力や技術力を主とした総合的な国力の不足」
が基本にあると思います。
_
そして(その、欧米に比べ貧弱な)国力の不足分を補うための仕組み
、どの原材料をどのくらい官需(軍需)用に振り分けて、どこで何を、
どれぐらい製造するのか、とかいう"国家的な調整機能"も無かった事。
_
以上のような経済、産業面での構造的な欠陥があった為「どうせ要求
したって補給なんかアテに出来ないんだから、それを抜きにして考え
よう」という風潮になっていったのではないでしょうか。
_
さらに陸軍に限って言えば、前述の兵站総監部とは別に、参謀部にも
兵站を担当する部門があり、それが何故だか一部二課(いわゆる作戦
課)の中にあったことも、多分に影響しているのかな?と。
_
以上のことから、全般的に兵站(補給)軽視の作戦行動が多くなって
いったのではないかと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
同じ大本営の参謀でも陸大などの成績のよい者は兵站担当部門には配属されなかったと、いろんな本で読みました。
作戦課長などの方針はよく本に出てきますが、兵站部門の意見はちょっと思い出せません。

>でも、どうしてそれが(先の大戦中に)有効に機能しなかったかと言えば、まずは「工業生産力や技術力を主とした総合的な国力の不足」が基本にあると思います。
そして(その、欧米に比べ貧弱な)国力の不足分を補うための仕組み、どの原材料をどのくらい官需(軍需)用に振り分けて、どこで何を、どれぐらい製造するのか、とかいう

なるほど、そうですよね。
長期的に見て、勝てる見込みの無い戦争に突入したのですから。
補給線や兵站うんぬんは枝葉末節の話で "国家的な調整機能"も無かった事の結果によるものでしょうね。

お礼日時:2010/08/20 10:46

補給を軽視することで、多大な戦果をあげたのが、ナポレオンです。


通常は、拠点となる補給基地に、十分に物資を集め、それから戦いが行われます。
1日や二日でケッ地(区がつく場合は問題ないのですが、長期戦になりそうな場合は、かならず、それを行います。
補給部隊の移動速度は、一般的に軍の行軍よりも遅いため、兵士たちの進軍も、一日20Kmとかになってしまいます。
しかし、ナポレオンは、補給部隊と関係なく行軍し、敵が想像できない速度で移動し、敵を倒してゆきました。
当然弾薬や火砲、食料などは、補給部隊が間に合わないため、破った敵から調達し、さらに追撃し、多大な戦果をあげました。
しかし、その戦法は、敵を撃破してこそうまくゆく戦法であり、敵に逃げられたり、敵と戦わなければ、自滅してしまう戦法でした。
そのため、ナポリオンのロシア遠征では、ロシア軍がナポレオンから逃げていたため、ナポレオン軍は、全くロシア軍と戦わないのに1/3に兵力が減少してしまいます。
日本陸軍は、フランス式の兵制を採用したため、このナポレオンの成功体験が強く印象に残ったのではないかと思います。
また、日本の陸軍は、海兵隊的性格の軍隊で、通常部隊内に一定量の補給物資を用意しており、緊急時に対応できるようにしていました。
外部からの補給が無くても、一定期間は活動できるようにすることで、軍の機動力を持ち、緊急展開ができ、補給部隊を削減することで、戦闘用の兵士を増やすことができます。
補給を重視した場合、戦闘部隊よりも、補給にかかわる人達のほうが多く必要になってしまいます。
そういった事は、日本軍としては、避けたいことでした。
短期間の戦いで勝負がつく事だけを考えた場合、補給を無視することは、メリットが非常に多い方針です。
日清戦争での平壌の戦いにおいて、日本軍は、食料不足から、短期決戦で望み、勝利しています。
兵站を担当する者から見た場合、意図的に物資を不足させる事で、兵士が死に物狂いで戦い勝利を得られるのであれば、そのほうが、はるかに楽です。
こういった成功体験も、日本軍の補給軽視の動きとなったのではないでしょうか。
マレー電撃戦、シンガポール陥落までは、この作戦は、あたりました。
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この回答へのお礼

ナポレオンの戦術、全く知りませんでしたので大変参考になりました。
私も、「平壌の戦い」のうまくいきすぎた成功体験が、兵站のその後の方針に何らかの影響(兵站を軽視する方向)を与えたと思います。
ご教示ありがとうございました。

お礼日時:2010/08/20 10:27

全く個人的な意見を書くので信憑性については割り切って気楽な感じで読んでください。



今も昔もその点は変わっていないんじゃないかと思います。

兵頭二十八という元自衛官の軍事マニアの著作に「地獄のX島で米軍と戦い、あくまで持久する方法」という本があります。お好きなマニアの方に非常に評価されている本です。
私も読みましたが、テーマは表題の通りです。それで、一応著者と編集者の対談方式で話は進んでいくのですが、やれ百式短機関銃だの九十九式軽機関銃だのと「兵士に持たせる兵器はどんなのがいいか」と侃々諤々とやっているのですが、まあマニアの方々も相当好きらしくて、兵頭氏が講演をするときなんぞ装備はかくあるべしと詳細なリポートを提出する方もいるそうです。
で、もちろん著作の中では補給についてはほとんど触れていません。せいぜい数ページ。しかも輸送船の構造の話だったか、そんなもんです。

でも考えてみてください。
地獄のX島であくまで持久するのが目的なら、兵器の質なんてどうでもいいのです。「いかに兵士が士気を高く保って戦えるか」に尽きます。士気を高く保つのはある意味簡単で、兵士の体力が持てばいいわけです。ではどうやって兵士の体力を維持するか。栄養が充分な食事を与え、疾病にかかっても治療を受けられ、それなりにちゃんとした状態で休息が取れる。そういうことだと思います。いくら最強の兵器を持っていても、兵士の体力が失われれば役に立ちません。
しかしそういうことにマニアたちも、誰も気づこうとしません。おそらく彼らも「補給を軽視したことが日本軍の敗因のひとつ」というでしょう。しかし、マニアでさえも補給を軽視どころか無視しているのです。兵士がどんな鉄砲を持つかについては知恵を絞らせても、塹壕の中でいかにストレスを軽減して長期戦に備えるかという発想は皆無なのです。

21世紀の日本の企業は、先進国の中でも生産性が大変に悪いんだそうです。そんなバカな、と私も思ったのですが、外国人の「ムダな残業が多い」というツッコミでハタ!と気がつきました。そうですね、今でも私たちは「不眠不休で頑張ることが素晴らしい」と盲目的に思い込んでしまいます。でも、不眠不休でやっていると疲労で生産性は落ちるしミスも増えるだけです。

ちなみに他の方も書いているように、日本軍だけが突出して補給を軽視していた訳ではありません。より正確にいうなら、「後先考えていない」が正解だと思います。例えばガダルカナルの狭い島に一個師団をモロに送り込めば、そりゃ彼らだってメシも食えばウンコもする。黙ってたって水も食料も燃料も必要です。だからそこから逆算すれば「せいぜい投入できてこの程度の戦力」となると思うのですが、そういう発想がない。「いいからどんどん送れ。あとは気合と根性でなんとかしよう」なんですよ。ひたすらみんな残業してなんとかしようみたいなもんです。えっ、私は日本軍の話をしているんですよ。21世紀の日本企業の話じゃないです。
おまけにガ島ではそれでも頑張って食料を送ったのです。輸送船が来る海岸線近辺では食料は豊富だったそうです。ところがそれをジャングルの奥まで送る術がない。というか、それを考える奴がいなかった。人が通るだけでも道を作って所々に集積所を置いて、そこから各部隊へ配布するというマネジメントできる人が誰もいなかったのです。おかげでまだ保存技術のない時代でさらに熱帯ですからどんどん食品は悪くなって使えなくなるという寸法です。
阪神淡路大震災で、全国から救援物資が届いたけど誰もそれをどう管理すればいいか分からないからひたすら山積みになって被災地には行き渡らず結局ゴミとなって処分されたアレと同じです。

補給そのものを無視したわけじゃありません。兵站つまりロジスティクスを考える人が誰もいなかったということなのです。そしてロジスティクスを無視するのは現代も変わっていないのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>より正確にいうなら、「後先考えていない」が正解だと思います。

そうですね。攻めるときは威勢がよい、今のどこかの政党に似ています。
「ムダな残業が多い」などのご意見はよく理解できます。

お礼日時:2010/08/20 10:24

旧日本軍は可能な限り十分な補給をはかっています。


物量が圧倒的に足りないだけです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/08/19 22:38

>兵站軽視、食糧を現地で調達するという帝国陸軍の考えはどこから出てきたのでしょうか。


ガダルカナルやニューギニア、ビルマ方面で餓死者が発生したという結果からそう見えるだけでしょう。
凄く簡単に言えば、とどのつまり「兵站軽視、食糧を現地で調達するという帝国陸軍の考え」は戦後の日本人の感想や評価であり、旧日本陸軍の考えではありません。
現地の徴収はやってはいますが、一番の頼みは本土からの海上輸送であり、大陸であれば鉄道輸送なんです。

日露戦争の話をすれば、兵站軽視なら日本陸軍は何故旅順要塞を攻略しようとしていたのでしょうか。
支那事変において、日本陸軍は中国の鉄道沿いに進攻しているのは何故なのでしょうか。
また、兵站軽視であるならば何故、広州・仏印・ビルマを占領して援蒋ルートを断然させようとしたのでしょうか。
ノモンハン事件の戦訓で補給強化の為にトラック部隊の増強を述べている報告書が出ているのは何故でしょうか。
ビルマ戦において日本陸軍は泰緬鉄道を建設したのは何故なのでしょうか。


先入観に囚われた頭で考えないで、興味があるならば体と時間使って調べてみたらどうでしょうか。
現地調達で云万人もの兵士を食わせられる、なんて質問者さんのような考えではとても旧日本陸軍の将校は務まりはしないでしょう。
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この回答へのお礼

>現地調達で云万人もの兵士を食わせられる、なんて質問者さんのような考えではとても旧日本陸軍の将校は務まりはしないでしょう。

これは私の考えではありません。
日清戦争時、参謀総長有栖川宮熾仁親王が、混成旅団長・大島義昌あて、次のように訓令しています。 

昔から兵家の格言に「因糧於敵」とある。食糧や運搬のための人員は敵地で調達するべきものである。食糧運搬のための人員を内地から送れば、この人員のための食糧も送らざるを得ないし、さらにそのための人員も必要になり、きりがない。
これは、大いに因糧於敵の原則に反している。今後はなるべく現地調達に因るものと決心し、内地からの追送を請求することを慎むべし。

私は、「親王の訓令」であるから、これがその後の兵站の考え方を束縛したのではないかと思って質問しました。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/08/19 22:13

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