この前留学生に奈良を案内していたらこんな質問されて困りました・・・
答え知ってる人いれば・・・
・なぜ日本にはどこにでも灯籠OR燈籠があるのか
・なぜ日本の池には鯉がいるのか

A 回答 (7件)

え?鯉って中国からの外来魚だったの?っつー指摘を釣りのカテゴリーで受けて調べてみたら縄文期以前、ザックリ言って1万年前くらいの日本の地層から化石が出たんだって。

俺も中国からの外来魚だと思ってたよ。。。って訂正の文章乗せといたっす。錦鯉の養殖技術は、中国伝来らしいっすけど、ね。

日本の池って随分広い範疇で言われると色々あるっすよ。奈良に限った答えは既に#2さんが述べているので割愛するとして、信州や東北の山岳地域では貴重なタンパク源をストックするって意味合いで飼っていたし、都会だと教養の高さをひけらかすっつー意味合いもあったっすね。
じゃあ何故鯉なのさ、別に鮒でも鱒でも良いじゃねえの、俺なんか釣りをするからウグイでもオイカワでもハゼでも良いじゃねえか、って思うんっすけど、鯉じゃないとダメなんっすよ。なにしろ縁起物っすから。
鯉ってね、川を遡って滝にぶつかって、そこを昇り切った鯉だけが竜になれるっつー中国の故事の「昇竜伝説」っつー根拠に基づいているんっすよ。だから鯉のぼりも上げるし池に鯉を飼って縁起物にあやかろうっつー感じっすよ。

灯篭は。。。こないだ「和風総本家」(http://www.tv-osaka.co.jp/ip4/wafu/)でやってたんだけど豆助に見惚れて忘れちった。
でも日本限定で言えば仏教の伝来とセットで来たものだから元々は知性や教養・格式を示すものっつー意味合いが強いっすね。なにしろ昔は最高の教養っつったら仏教だったんだから。特に庭園なんかは知性と格式に加えて美意識っつーモノがあるから庭園によっては月や北斗七星や北極星なんかをさりげなく表現するためのアイテムだったのかも知れねっすね。なにしろ昔は月と北極星と北斗七星は信仰の対象だったから。
もっともお寺や神社の場合は魔除けと視界確保のために火を焚いたわけで、外国からやってきた灯篭を置く事で信者に興味を持ってもらって引き寄せる目的と別次元の空間っつー雰囲気を出す目的があったんでしょうね。「おい、あそこ、なんかシャレオツじゃね?行ってみね?」的な?なにしろ信者が増えないと神社も寺も、意味ナシっすから。キリスト教のステンドグラスみたいなモンっすよ。


どうしても春日大社の神主さんを「ガーカス大社のヌシカンさん」って、雰囲気を「イキフン」って言いたくなるバチアタリの言う事っすから、結構雑っすよ。でも留学生には、伝わると思う、たぶん。
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(失礼、回答番号:No.5が途切れてしまいましたので再掲)



日本書紀などによれば、吐火羅(とから・人)や舎衛(しゃえ・人)などのペルシア人と見られる人々が7世紀に来朝している。
孝徳天皇・斉明天皇・天武天皇の時代で各天皇は駅馬を使って彼らを都に迎え、飛鳥寺の西に須弥山を象ったものを作り、盂蘭盆会を行ない、大饗を賜ったと、尋常ではない歓待ぶりである
斉明天皇には拝火教(ゾロアスター教)の信者だった形跡もあるとされマギの秘術を使ったともいわれる。
トカラ列島の由来には諸説あるが、吐火羅国船の漂着起源説も根強い。
彼らは伺候(朝廷に仕える)したとも伝えられ、舎衛の人の内、乾豆波斯達阿(けんずはしたちあ)が本国に帰りたいと求め、10名ほど送使している
波斯(はし)とは、ペルシア人をさす中国の呼称であり、それらがペルシア人と見られる根拠のひとつ

ササン朝ペルシアはアラブ軍に侵攻され、651年崩壊、王族は現アフガニスタン北部にあたるトハラ(中国名;吐火羅)に逃れ、唐に援軍を要請。
しかし、唐は当時突厥と戦争状態で余裕が無くトハラ軍を編成して654年派遣したが、成果が無かった。
同654年、日向に吐火羅・舎衛人5名が漂着。逃れたササン朝王族ではないかといわれている。とすれば朝廷の尋常でない歓待の説明がつく
ペルシャの宝物や厩戸王子、奈良京都に目立つ3つ柱の鳥居(?教・景教由来といわれる)など、ペルシャ・?教の痕跡からみて当時のペルシャの影響は相当なものであった事が分かる
西域人が中国に定住し、朝鮮半島にも行き来していた故に、中国・印度由来に捉えられる事案が多いと思われる
天武天皇の時代には舎衛人が百済人と共にやってきて薬などを朝廷に献上したという記述に符合する

灯篭もまた、ペルシア・?教(ゾロアスター教)文化が中国印度文化と、渾然一体となって日本に流れ込んだ、拝火教の痕跡である
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(灯篭とゾロアスター教の続き....)



日本書紀などによれば、吐火羅(とから・人)や舎衛(しゃえ・人)などのペルシア人と見られる人々が7世紀に来朝している。
孝徳天皇・斉明天皇・天武天皇の時代で各天皇は駅馬を使って彼らを都に迎え、飛鳥寺の西に須弥山を象ったものを作り、盂蘭盆会を行ない、大饗を賜ったと、尋常ではない歓待ぶりである
斉明天皇には拝火教(ゾロアスター教)の信者だった形跡もあるとされマギの秘術を使ったともいわれる。
トカラ列島の由来には諸説あるが、吐火羅国船の漂着起源説も根強い。
彼らは伺候(朝廷に仕える)したとも伝えられ、舎衛の人の内、乾豆波斯達阿(けんずはしたちあ)が本国に帰りたいと求め、10名ほど送使している
波斯(はし)とは、ペルシア人をさす中国の呼称であり、それらがペルシア人と見られる根拠のひとつ

ササン朝ペルシアはアラブ軍に侵攻され、651年崩壊、王族は現アフガニスタン北部にあたるトハラ(中国名;吐火羅)に逃れ、唐に援軍を要請。
しかし、唐は当時突厥と戦争状態で余裕が無くトハラ軍を編成して654年派遣したが、成果が無かった。
同654年、日向に吐火羅・舎衛人5名が漂着。逃れたササン朝王族ではないかといわれている。とすれば朝廷の尋常でない歓待の説明がつく
ペルシャの宝物や厩戸王子、奈良京都に目立つ3つ柱の鳥居(?教・景教由来といわれる)など、ペルシャ・?教の痕跡からみて当時のペルシャの影響は相当なものであっ
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第2問の回答、灯篭について



燈篭は特に奈良時代に数多く作られたもので、元々の仏寺に設置されたものが、神社にも置かれるようになった
奈良の灯籠といえば、春日大社の灯篭が有名で石燈籠約2000基、釣燈籠約1000基の合計約3000基。
古いものは、関白藤原忠通奉納、藤原頼通の寄進の灯篭などがあり、家内安全、商売繁盛、武運長久、先祖の冥福向上等の願いをこめて寄進されたもので室町時代~江戸期の者が多い。
お盆には中元万燈籠という行事で全ての灯篭に油が注がれ灯りがともされる行事があり特に有名だが、800年ほどしか歴史はない。
中元は道教の行事で、人間贖罪の日として、一日中火を焚いて神を祝う風習に由来する。お中元の語源でもある。
道教の中元と仏教の盂蘭盆(うらぼん、死者を弔う行事)が習合して、日本の「盆」の概念を形成し、仏寺も神社も同様の行事を行う
盂蘭盆はサンスクリット語のウラムバナに対する漢字の当て字で、この概念はインド由来である。
更に遡れば、ペルシャ系ソグド人のウルバンに行き当たる。ソグド人はシルクロードの時代に商人として活躍した所謂ペルシア商人である
ペルシア商人は、ゾロスター教(拝火教)を信仰して、死霊を祭る習慣を持ち、それを「ウルバン」と呼び、東アジアに持ち込んだ

ゾロアスター教はペルシア(一部インド)の宗教であり、アフラ・マズダーを主神とする多神教で、光の象徴としての純粋な「火」を尊んだため、拝火教とも呼ばれる。
ゾロアスター教は、マズダー教、ミトラ単一神教、女神アナーヒター崇拝等の単体宗教をペルシャ帝国の分裂を回避する為に折衷したものである。ゾロアスター教とキリスト教他を折衷したのが、マニ教である
ミトラ教はペルシャ・インド共通信仰の神の宗教で、契約神・戦争神・太陽神の顔を持つ。キリスト教が躓いていたならば、ミトラ教が代わりに普及していただろうとまで言われるほど古く影響力がある宗教だった。
ミトラ教を取り込んだゾロアスター教は、世界中の宗教観念に多大な影響を与えている。

ゾロアスター教は多神教である為か、排他性が無く寛容であるため、他の多くの宗教と共存し互いに影響を与え合った。
古くは、ユダヤ教と親和していた時期があり、互いの宗教文化が影響しあった。
アケメネス朝ペルシャ帝国時代は、各単神教と共存していたが、ササン朝ペルシャ帝国時代には、マニ教を異端とし、ゾロアスター教が正式に国教となっている
イスラム教とも元々は親和し共存していた為、今もペルシャ帝国の末裔たるイランにはゾロアスター教の寺院が残り、政府に保護されている
唐代の中国では西域人が多数居住し、ゾロアスター教(?教)、マニ教、ネストリウス派キリスト教(景教、キリストの神性を認めるユダヤ教、原始キリスト教)総称して三夷教、その寺を三夷寺と呼び、長安を中心に盛んであった
空海が遣唐使として持ち帰った密教が、三夷教だったともいわれている。
特に密教における護摩を焚く儀式は、ゾロアスター教の祭儀そのものであるとされ、阿弥陀如来や大日如来もアフマ・マズタと重なる部分があるとされる。
イラン学者伊藤義教によれば新義真言宗の作法やお水取りの時に行われる達陀の行法は、ゾロアスター教の影響を受けているとも言われる。
護摩は一部の神社でも焚かれ、神道護摩と呼ばれる。灯篭と並んで拝火教であるゾロアスター教の影響が見られる
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質問が二つありますので、まず「鯉」から



鯉は中国原産といわれる淡水魚で本来は外来魚ともされ、中国では紀元前(BC)5世紀に養殖技術を持っていたことが分かっている。
紀元前(BC)1世紀頃、養殖の鯉が、日本に伝えられ、中国産の鯉の日本伝来の時期である。
14世紀に入るとヨーロッパ、ハンガリーやオーストラリアに鯉は伝わり、18世紀にはロシアに伝わったとされる。
鯉の日本伝来から約600年後の(AD)6世紀、中国の智顗が天台宗の開祖とされ、仏教儀式としての放生会は漁民が雑魚を捨てている様子を見て憐れみ、自身の持ち物を売っては魚を買い取って放生池に放したことに始まるとされる。
神道においては、7世紀に天武天皇より放生の勅が出され、天変地異や祭礼の際に放生を行なったのが最初で、8世紀に戦で命を奪った罪への禊ぎとして九州宇佐神宮で行なわれたのが神社における放生会の最初とされる。以後全国の寺社仏閣で同様の行事が見られる

一方日本では、琵琶湖他、全国の湖沼河川から鯉の化石が見つかり、日本最古といわれる鯉の化石は、長崎県の壱岐島の新生代第3紀中新世(2500万年前~500万年前)の地層から見つかった化石である。
中国養殖種とは別に、日本原産種は古代から生息しており、日本書紀ではAD2世紀の景行天王(4世紀説も有る日本武尊の父)美濃国泳宮で池に鯉を放って鑑賞されたと記されている。
恐らく放生会よりも遥か昔から、天皇家を中心として貴族社会など上流階級層には、鯉を庭池に放して鑑賞する文化があったのではないかと思われる。

青みがかった種が多い中アルビノ(白子、色素変異)も良く見られるが、お馴染みのカラフルな錦鯉は、200年前に新潟で作りだされたもので、比較的新しい

だが何と言っても鯉の特徴は、その強い繁殖力。広範な雑食性と成長力
成長すると魚体が優に60cmを超え、天敵がいなくなり、その生態域ではほぼ最大最強の生き物になる
日本の河川湖沼では、一般に魚体が20~30cmを超えると生命を脅かす水生の生物はいなくなる
強力な雑食性で他の生き物を絶滅に追い込むこともあり、余りに強い繁殖力のため、国際自然保護連合では、コイを世界の侵略的外来種ワースト100にリストしている
侵略的外来種ワーストとしての魚類は8種であり、鯉以外には、ブラックバス、ニジマスなどが上げられている
強い繁殖力はブラックバスと同等以上といわれ、現在北米で猛烈な繁殖を見せている。
米大陸では珍しい鯉であるが、北米は最早鯉に制覇されること確実で、珍しい魚でなくなるのは時間の問題である

日本を含む極東地域では、比較的好まれる食感である。漢方の薬料理とされることもある
そのため貴重な蛋白源を確保する目的で、中世においては長野などの山間部や鯉がいなかった東北などで食用として盛んに放流され鯉の繁殖が奨励された
生命力と繁殖力が強い為、その目的には格好の魚類であった

鯉は比較的穏やかなイメージの為、今も日本各地で稚魚の放流事業がよく行われるが、実際は世界的に問題とされる淡水魚である

図抜けた強靭な生命力を利用して、ヒラメ釣りの餌にも利用される。
海の小魚ではヒラメ針に掛けて泳がせるとすぐ死んでしまい、生餌の役目を果たさない為大量の小魚を用意せねばならない高コストな釣りで、
1人当たり、普通200匹以上の小あじを用意してポンプで酸素を送り続ける。
だが、鯉は針に掛けて海水に投げ込んでも15・20分以上生きて泳ぎ回る為、アジ・イワシなどの代わりにヒラメ釣りの生き餌に使われるほどである

大陸からの渡来人が多かった関西などは、観賞用や食用として鯉が持ち込まれて飼われたりする内に、大繁殖して住み着いたことは容易に想像がつく
ましてカラフルな鯉は神社仏閣・城郭庭園の鑑賞魚として人工池に多く飼われている
奈良(西日本)の小川や自然の池でも金魚や鯉の群生は良く見られる光景である

参考URL:http://www.koinikoisiyo.com/know/history.html
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奈良のこと限定での回答です。



奈良の灯籠は、春日大社に願掛けして願いがかなった人がお礼に奉納したものです。
長い歴史画あるしきたりなので、ちりもつもって膨大な数になってしまいました。むかしこの灯籠の数を正確に数えたら金持ちになれるという話しを聞いた人がいて、数えてみたがあまり数に「トウロウわからなんだ」といったそうです。

鯉は放生会(ほうじょうえ)というお寺の行事で池に放したものです。殺生はいけません生き物の命を大切にしましょうという御釈迦様のおしえです。
http://blogs.yahoo.co.jp/nonbay55/31016562.html

灯籠の奉納も、放生会も全国の寺社で行なわれておりますので他の地方でも似たような由来ではないのでしょうか。
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 現在は両方とも鑑賞目的でしかありません。

しかし、昔は両方とも実用的な目的がありました。
 
 まず、灯篭ですが、神社・仏閣においては本当の叶えたい願いのために、深夜にお参りを習慣がありましたので参拝者への照明です。子の刻参りとかお百度を踏むといった言葉だけは残っています。
 一般家庭においては更に深刻です。日本の家屋は木と紙でできています。火事になったら家が一軒燃えるだけでは済みません。町全体が焼けつくされてしまいます。火事の後自分の土地はこの辺りだという目印にしたのが、燃えない石や金属でできた灯篭です。

 池の鯉も元々は飢饉の時の食料として飼われていたものです。現在でも、産後のお七夜に母乳が出るようにと鯉料理を食べさせる習慣が残っていますが、仏教の習慣で哺乳類の肉食を禁じられていた日本人も魚類だけは食することが許されており、平時でも重要な蛋白源でした。
 さて、飢饉でも海に出れば魚が一杯泳いでいるじゃないか、鯉の養殖なんて必要ないと思われることでしょうから、海外からの観光客向けの薀蓄を先に紹介します。
 京都の鱧料理って何故人気なのでしょう?これも理由があります。昔、京都で食べられる海の魚は殆どが兵庫の明石で獲れた魚でした。死んだ魚を明石から京都まで人の足で運んでいたら腐ってしまいます。ところが鱧は水がなくても24時間程度なら生きていられます。そこで、生きた鱧をどうやったらおいしく食べられるかということで、研究されたのが京の鱧料理なんです。昔は鉄道もトラックもありませんでしたからね。
 飢饉に備えての鯉の養殖ですが、ただですら食料が不足しているのです。それを海に面した人が丸一日かけて山の上まで歩いて運ぶとお考えですか?そう考える心優しい人がいたとしても途中で山賊や追いはぎにやられるだけです。そのため、各地で鯉の養殖が奨励された名残です。
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