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障害者が住みやすい社会が健常者も住みやすい社会?

社会福祉士です。
この考え方に賛同出来る方、出来ない方の、
双方の意見が知りたいです。

菅直人氏は、消費税を上げると言っていますが、
それは、社会保障費に充てるためではなく、
本当は、国の借金を返すためでしょう?
と思っています。
それに、健常者でさえ貧困にあえぐ現代、
こんな時に障害者の為に、
財源を確保できるのか。
声をあげるのは、だれでも何時でもできる。
まぁ、声はあげ続けていないと、叶うものも叶いませんけどね。

最近は、「障害者」ではなく「障がい者」という表記が目立つ。
でも、いくら「害」を消したところで、
「しょうがいしゃ」といっていることには、変わりない。
変えるなら、「障害者」という言葉自体を変えないと
とどのつまり、「害」の字はついてまわると思う。

健常者は、結局、障害者を差別する。
口では何とでも言える。
せっせとボランティアする人は偽善者だとは思わないけど、
(ボランティアでもお世話したりするのは大変だから)
じゃあ、例えば、HIV感染者とお友達になって、一緒にお風呂に入れますか?
いくら障害者には偏見を持っていないといっても、
どんなに思いやりに満ち溢れていても、
当事者でないのなら、やはり差別心はどこかにあるのでは?
というのが私の見解。

障害者が住みやすい世界ってなんだろうか。
そんなのユートピアなんじゃないか。

かなり過激な発言かもしれないけれど、
皆さんの率直な意見が知りたいです。

これからの研究に役立てていきたいので
宜しくお願いします。

A 回答 (9件)

>健常者は、結局、障害者を差別する


当たり前のことです。何故なら違いが有るからです。
*健常者間でも差はあります。致し方ない事です。

男女の差別問題も法律的には解決?してますが
現実は相変わらずです。それは差が有るので同じく
する事には無理あるわけです。

他に白人と黒人の問題も全く解決してませんね。
これも誰が見ても差があるので所詮無理なのです。

*但し私は障害者、黒人、女性を決して軽視をしていません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ただ、「差」の問題を論じたいのではなく、
焦点は、あくまでも、
「障害者が住みやすい世界は、健常者も住みやすい世界」か?
ということです。

それについて、何か意見があれば、
宜しくお願いします。

お礼日時:2010/09/17 01:41

>じゃあ、例えば、HIV感染者とお友達になって、一緒にお風呂に入れますか?



こういう設問する人は、経験上かなり差別意識が高い人ですね。
色々と言うんだけど、周りを軽蔑している人に多く見られました。
健常者が障碍者問題に取り組まない事に、勝手に憤っている人とかね。

障碍者に対する差別じゃなくて、健常者に対する差別。



政治家と霞ヶ関は、本気で末端の国民の事なんか気にしてませんよ。
現場で直面している職員らには、本気で取り組んでいる人もいるけどね。

障碍者を差別するってのは、教育の賜物でしょうかね。
学校には障碍者がいない。
街で見掛けたら、親が子供に「悪い事するとああなるからね」と平気でほざく。
長年、そうやって叩き込まれて世代交代しているんですから、その差別を無くすなんて、すぐには無理。

思いやりの気持ちさえ植えつければ済む話なんだけど、子供だけじゃなく、親世代だって、祖父母世代だって、自分さえ良ければ、自分と家族さえ良ければって考えで行動してるんだから、これも無理。


障碍者に代表される弱者が住み易ければ、かなりの健常者も住み易いと思う。でも、それは庶民の話。
金持ちには関係無い。
だから、政治家や霞ヶ関には「弱者が住み易い環境」ってのが、理解できないのが本音だろうね。


福祉に携わる人で、やたらと障碍者との交流を迫る人がいるんだけどさ。
相手が障碍者だろうが何だろうが、気が合う合わないはあるんだから、強請は辞めて欲しいね。
10人の障碍者を前にして、10人全員と仲良くなれるなんて、それこそ障碍者の個性を無視した驕りだわ。

食事介助、入浴介助、排泄介助、就眠介助、位だったら、お義理でもできるけど。
外出介助だけは気が合う方が楽。買い物してても趣味が合わなきゃ辛い。

差別を悪だと思ってると辛いよ。
差別ありきで、どうするか考えるしか無いでしょう。
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この回答へのお礼

>>じゃあ、例えば、HIV感染者とお友達になって、一緒にお風呂に入れますか?

>こういう設問する人は、経験上かなり差別意識が高い人ですね。
 色々と言うんだけど、周りを軽蔑している人に多く見られました。
 健常者が障碍者問題に取り組まない事に、勝手に憤っている人とかね。
 障碍者に対する差別じゃなくて、健常者に対する差別。


あえてHIV感染者のことを例に出して挑発みたいなことしてしまったんだけど
(ごめんなさい)
面白い回答をどうも有り難う!

いやぁ、福祉の世界だとね、健常者に対する差別をしてる人って、結構いるんだよね。
だから、なんか、意見が世間とズレてる気がしてね。

社会福祉協議会の集会なんて行くと、「だからさ~;」
みたいな(すいません、ニュアンス受け取って・・・)こと、
平気で言ってるのね。

すごく興味深く、読ませていただきました。
他にも何か意見があったら、教えてくださいね。

どうも有り難う!

お礼日時:2010/09/17 01:11

障害者が住みやすい社会が健常者も住みやすい社会だとおもいます。


いずれ自分も不自由な身体になるのですから。

「障がい者」の表記は単に害の字をさけたのではありません。
「障碍」の碍の字が戦後の漢字制限で使えなくなった際、新聞などで「障害」と書き換えたのが間違いだったとし、「障碍」に戻したいけれどもいまだ常用漢字に採用されないのでかなで書いているのです。
(質問者様はご存知かと思いますが見た人が誤解するといけませんから)
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この回答へのお礼

ご回答、有難うございます。


>「障碍」の碍の字が戦後の漢字制限で使えなくなった際、新聞などで「障害」と書き換えたのが間違い だったとし、「障碍」に戻したいけれどもいまだ常用漢字に採用されないのでかなで書いているのです

それはそうなんだけど、「障碍」の意味するところも、「さしさわり」とか「さまたげとなるもの」
ですよね。
「天魔・外道それによりて障碍をなすべし」(今昔物語)
だから、「しょうがい」という言葉自体を変えないと、
障がい者は「差し障りのある者」という風になりませんか?

日本語は変化します。
現在では、「重複」を「ちょうふく」ではなく「じゅうふく」と読む人が多くなったから
「じゅうふく」でも良しとするところがあるし、
「全然~大丈夫」というのも、文法上はおかしくて、「全然~」ときたら、
その後に否定形がこなくてはいけない。でも、口語では、そんなのどちらでも良くなってる。
言葉は時代によっても変化するし、使っている人によっても変化する。
だから、「しょうがいしゃ」も変化した言葉になれば、何か変わるのかな、
と思っただけで・・・・・・。(長くなってすみません)

この問題については、あなたはどう思いますか?
ぜひご意見を聞かせてください。
宜しくお願いします。

お礼日時:2010/09/17 01:36

障碍の「碍」の字、私は意識的に使っているけれど、実際の障碍者に聞いてみると、大抵は「どうでも良い」って応えますね。


ひらがなだろうが、害だろうが、碍だろうが、それは障碍者を現す記号でしか無いって。

どんな字を使ってても、敬意を払ってるか、蔑視されてるか、全体の雰囲気で書き物でも話し言葉でもわかるって。

拘るのは健常者だけ。差別を意識し過ぎて、何を考えなきゃいけないかが見えなくなっている。本末転倒。と、経験上、私は思う。



社協あたりだと、職員は熱く語りつつも現実をクールに見据えてるから平気。
ボランティアに執着している人は、熱くなり過ぎて現実が見えていないね。確かに。
極論をぶち撒けて、一体何と闘っているんだろうと良く思います。
ああいう人は、自分大好きで自分がボランティア活動している事に酔っている事が多いですね。
だから、私みたいな人間はかなり非難されます。(苦笑)

でも、そういう人も実際に介助するとなると怖がって何もしなかったりする。
何でもやればできると思い込んで事故起こされるよりはましだけど。
初対面の障碍者に障碍の程度を聞く事を「差別」だの「失礼」だの言ってやらないから、介助の方法も選べない。
介助には障碍の程度を知る事が絶対に必要。
だから私は初対面から、ずけずけと病名や経緯を聞く。本人が一番良く障碍の事を知っているから。
できる事、できない事、やりたい事、やりたくない事、これも聞く。
これで介助の度合いが決まるし、手の出し過ぎは本人に失礼だから。

そういうのを健常者に理解してもらうのは難しいね。
大抵の健常者は、私の事を「失礼な奴だ」と評価するよ。


かと思えば、フレンドリーを勘違いしているボランティアも多い。
もう25年前になるかな。
初めて参加するボランティア団体の集まりで、知的障碍児に対して何度も説明している私に対して、「こいつはバカだから、そんなに説明しなくても良いですよ」と言った常連ボランティアがいた。
私が嗜めると、「平気ですよ。俺とこいつはもう3年の付き合いなんだから。な?仲良いよな?それに何言われてるかなんてわかんないよな?」と障碍児の頭をぽんぽんと叩いた。
母親が離れた場所で悔しそうな顔をして見ていたのを良く覚えてる。
後で母親に話を聞くと、「近所で受け入れてくれる団体がここしか無い」と泣いていた。
団体代表にそのボランティアを出入り禁止にするように提言しましたが、ダメでしたね。ただの仲良しグループでした。
少し遠くなるけど、隣の区に良い団体があるのを知ってたから、母親にそこを勧めましたよ。

この団体からは、余計な口を出すという事で私が出入り禁止を喰らった。もう行く気も無かったけど。(笑)


結局ね。
道や建物じゃ無いんですよ。
すべては人。
人が変わらなきゃ、物的な環境を変えても住み易くはならない。
人が変われば、障碍者も健常者も関係無く住み易いでしょう。


そもそも、障碍者向けにすべての物的環境を変えたら、健常者には住み難くて仕方が無い。
物的環境の共存の度合いをどうするかってのも課題かもしれませんね。
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この回答へのお礼

2回目のご回答、有難うございます。

私はあなたを「失礼な奴だ」とは思いません。
むしろ、深く物事を視ているひとだと思います。

体験を交えて、また、興味深いご意見を
本当に有難うございます。

>物的環境の共存の度合いをどうするかってのも課題かもしれませんね

それはいえてると思います。

よく、スウェーデンとかの福祉国家を例に出して、
「ああゆうのが最適。日本は何かと(制度も施設も)後手後手だから・・・。」
という意見を聞くことがありますが、
なにもスウェーデンが正解ではないと思うんですよね。
日本は日本でやれる道がある、と私は思うのです。

>差別を意識し過ぎて、何を考えなきゃいけないかが見えなくなっている

ちょっと横道にそれますが、、
自分の意思を伝えられない発達障害を持つ人の意見をどうくみ取るのか。
妙に考えすぎて、何を考えなきゃいけないかが見えなくなります・・・


すごく参考になりました。
勉強になります!

お礼日時:2010/09/17 03:01

#3です。

丁寧な「お礼」ありがとうございます。

>言葉は時代によっても変化するし、使っている人によっても変化する。
だから、「しょうがいしゃ」も変化した言葉になれば、何か変わるのかな、
と思っただけで・・・・・・。

同感です。病名のいいかえも「統合失調症」「認知症」など以前の言い方よりカドがとれましたね。
もっとも「認知症」なんか最初は違和感ばかりで「不認知症」のまちがいだろ。なんて思っていましたが、北山修さん(作詞家、精神科医)がラジオで、病名は一目で症状がわからないほうがいいと言う意味のことを言っているのを聞いて考えを改めました。

しかし・・・反面・・・
私はだいぶ以前、中学生が知的に遅れがある同級生に対して「シンタイ」という悪口を言っているのを聞いたことがあります。「シンタイ」は身体障害者の省略で障害者全般に対する蔑称でした。

「シンタイ!」なんて言っていじめている当人は、自分は勉強ができないだけであいつら「シンタイ」とは違うんだという心の叫びですから、こちらも必死なのです。
言葉をかえても差別意識が変わらないかぎり新しい差別用語ができるだけともいえます。


簡単に済まない問題ですね
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってすみません。

差別語については、
文壇でもマスメディアでも意見が分かれるところですよね。

結局のところ、差別する心があるところに、
差別はなくならない。

じゃあ、差別する心はなくなるのか?

それは無理ですよね。

アイデンティティを低いところに位置付ければ、
自分の存在価値を裏づけるのが難しくなって、
そうすると、何が起きるのかといえば、
自分よりも価値の低いと思われる他者の存在を望んでしまう。

もし、
世の中にはいろんな価値観の人がいて、
いろんな規範があって、
それでいいじゃないの、
と、心底、思える人ばかりの世界なら
差別心なんてなくなるかもしれないけれど、
今の世の中、そんなの理想かな
と思ってしまう・・・

もしかしたら、差別語は存在してもよくて、
傷ついた人が、
「あなたの言葉に傷つきました」
ってちゃんといえる社会なら、
「でも、傷つけるつもりで言ったんじゃない」
とかいう回答の人には、
差別について考える機会を与えることになるし、
そう考えると、
別に、
障害者に優しい社会が健常者に優しい社会
とも思えなくなってくる。

いやはや、支離滅裂?な意見で申し訳ありませんが、

こんな私の質問につき合ってくださって、
本当に有難うございます!

お礼日時:2010/09/19 00:53

インフラが整備されるかどうかが大きな問題ですね。


まだ、バリアフリーなんて言葉がない時代には、殆どの駅にEVが存在せず、
車椅子を使用している者は、大変苦労していました。

但し、民主党の意味する「福祉」とは、生活保護を不当に受け取る者を重視するのです。
「子ども手当」の歪さを実感した方は非常に多かったと思います。

理想を言えば、まだまだインフラやサポート面が充実していないので、国家を挙げて
そのベースを構築しなければいけないのです。それによって、雇用も増えるでしょうし。
しかし、その場合、マージンを吸い取るだけの政治屋を排除せねばならないでしょう。

今は、モンペアや鳩山のようなキ○ガイの住みやすい世界ではないかと思います。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってスミマセン。

民主党は、一応、悪法といわれる「自立支援法」をなくして、
平成24年度に「障害者総合福祉法」なるものを制定目標としています。

その点では、民主党になって、
障害者福祉は良かった部分もあると言えると思います。
ただ、難病や発達障害については明確にしていないのが気になります。

まぁ、障害当事者を含めた委員会を発足させたのは、
良い所、
でも、自分の意思を伝えられない障害者の意見を反映させられないのは、
悪い所だと思います。

それでなくても、借金大国の日本。
社会保障費(障害者福祉に充てるお金を含みますが)は、
一体どこから、捻出するんだか。

頭痛いですよね。

ご回答、有難うございます。

お礼日時:2010/09/19 01:08

ちょっと思い出した事。



30年以上前に、住み易い街づくりをテーマに、車椅子体験、目隠しして盲擬似体験、拘束具を使った行動制限体験、砂袋を使った妊婦体験を企画しました。
当時は全国的にも珍しい体験企画でした。

企画したのが、私を含め高校生だったので、相当非難されましたね。
市民団体やボランティア団体、障碍者施設、行政にも企画書を提出して協力を仰ぎましたが、認めてくれたのは県社協と市社協の交流があった職員と、一部の団体だけでした。
県内でも有名な大きなボランティア団体からは、鼻で笑われて「そんな事してどうなる?福祉ってのは子供の遊びじゃないんだぞ」と非難されました。

実施した時も、健常の高校生が車椅子に乗ったり、目隠しして歩いてるものだから、すれ違う市民からも「障碍者を馬鹿にしてるのか」と暴言も浴びました。

私が高校を卒業するまでに3回、その後も後輩たちが10数回実施して、市中心部のほとんどの道、建物を網羅して、車椅子マップ、多目的・多機能トイレマップ、改善ポイントマップを作り上げました。
それでも、有名団体からは「子供の遊び」と非難されてましたね。

それから数年後、東京や大阪の大都市で有名団体が同様の企画を実施して、テレビに取り上げられてからでしょうか。
それまで非難していた団体や行政が手のひらを返して賞賛するようになったのは。


結局、純粋に考えて行動していても、世間の評価はそんなもんなんだと実感した出来事です。
地元高校生が企画しても鼻にも掛けないくせに、どこかで有名団体がやっているとか、テレビで話題になったとか、そういう事でしか判断しない馬鹿者が多いって事です。


確かに、半分ゲーム感覚で考えた企画でした。
でも、そうでもしないと一般市民が興味を持ってくれないだろうと思ったからなんですけどね。
その他にも、車椅子バスケの体験や、障碍者とペアを組むスポーツ大会とか、自分と同じ高校生が興味を持ちそうな企画も実施しました。
やたらと非難されましたけどね。

そういう企画に参加した小中学生らが、その後成長して県社協職員になったり、授産施設に勤めたりしたという事から、やって良かったなと心の底から思えたのは10数年後でしたね。
ずっと「これで良かったのか」と自問自答していましたから。


そういう経験から、有名団体や行政は、前例が無いと非難ばかりで行動しないという事も覚えました。
権威に弱いってのもね。


だから、住み易い街づくりってのも、個人や一団体で提唱しても、絶対に無理だと思っています。
今なら、マスコミを上手く利用するってのを考えますね。
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この回答へのお礼

またまた、興味深いご回答を有難うございます。

>住み易い街づくりってのも、個人や一団体で提唱しても、絶対に無理だと思っています
>今なら、マスコミを上手く利用するってのを考えますね

ご経験上の、重いご意見として、心に留めておきます。
そういえば、消えた高齢者問題も、
事件になったから、明るみになっただけで、
実際は、以前からこんな問題ありましたしね。

マスコミをつかって、操作される側ではなく、操作する側にまわりたいものです。

お礼日時:2010/09/19 01:13

生まれた時から障害者です。


私見ですので、ご容赦ください。
また、読みにくい文章になってるかも知れません。すみません。

菅さんが言っている『社会保障』とは、主に高齢者がメインであって、
別に『障害者の為に』ではないのではないでしょうか?
まぁ障害者に比べて高齢者の方が人数的に断然多いですので、当然だと思っています。
声を揚げ続けても、少数では何にもなりません。逆にオカシイ人扱いです。
(権力のある人が、声を揚げ続ければ何とかなるでしょうが。)

また、『障害者』という字が『害』だろうが、『碍』だろうが、結局は『しょうがいしゃ』という
枠には変わらないし、会話の中では漢字がどうであろうと関係ないですよね。
なので、私的には、漢字がどうなろうがどうでも良い事です。
というか、『ふぅ~ん。で、何で今さら??そんな事で、何か変わるの??』って思います。


私は、差別はなくならないと思います。
殆どの健常者の人達は障害者を見るのは、障害を持つ人に興味がある人とかで無い限り殆ど
見た事が無く、どうしたらいいか判らず、自己防衛手段として『差別』があるんだと思います。

ご質問者様は社会福祉士との事ですので、既に歴史等を学んでこられたかとは思いますが、
私達障害者がこうして表(学校に行けたり、就職等)に出てこれたのは、ここ3・40年の話です。

当時は、障害を持って生まれた人たちは即殺されるか、一生座敷牢での生活でした。
今でも、小さい頃は格子の付いた部屋での生活で外にすら出してもらえ無かった、
という方達が多くいらっしゃいます。
なので、今は、健常者と呼ばれる人たちが『障害を持っている人達をやっと見慣れてきた』
という時代になったんだと思います。

また、私は見た目ですぐ判る障害があるので、子供の頃はよくお年寄りの方々に『南無阿弥陀仏』と
面を向かって拝まれたり(笑)、無邪気な子供に指を指される(ガン見は当然!!!)なんて良くあって、
親に『見ちゃいけません!!』なんて事は昔も今も変わっていません。
そんな親たちに育てられれば、当然子供だってそうなりますよね?
だから無くならないんだと思うし、やっと見慣れてきたけど障害のある人のことを
どう説明したら良いかが判らないから、(とりあえず手っ取り早く)『見ちゃいけません!!!』
になるんだと思います。


健常者も障害者も住みやすい世界・・・。難しいですね。
視覚に障害がある人向けの道路にある黄色い凸凹は、車椅子にとっては前輪が引っかかり易い
から通りづらいし、足腰の弱った方々には凸凹も『ちょっと怖い』と感じるかもしれません。
また、聴覚に障害があり聞き取りづらいからテレビの音を最大に、なんて事をすれば、
その人にとってはハッピーだけど、近所迷惑ですよね。
なので、全員が全員ハッピーなんて事は無く、みんなある程度の妥協は必要なんだと思っています。
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この回答へのお礼

障害当事者からのご回答、貴重な意見、有難うございます。

差別は、何度もいうように、なくならないと思います。

大事なのは、差別をなくすにはどうしたらいいのか、
という命題に対し、人々が一緒になって考え、
そこに新たなコミュニティを作っていくことではないか
と思うようになっています。

>視覚に障害がある人向けの道路にある黄色い凸凹は、車椅子にとっては前輪が引っかかり易い
 から通りづらいし、足腰の弱った方々には凸凹も『ちょっと怖い』と感じるかもしれません。
 また、聴覚に障害があり聞き取りづらいからテレビの音を最大に、なんて事をすれば、
 その人にとってはハッピーだけど、近所迷惑ですよね

これは、バリアフリーを掲げて、
街づくりを始めたころから出てきた問題点ですよね。
障害者を、ひとくくりにするから、
こんなことが起きるんですよね。

>健常者も障害者も住みやすい世界・・・。難しいですね

そもそも、この言葉は、
「知的発達障害者の生きやすい法制度を求める!
  第5回東京大集会」
で、壇上に上がっていた人が言っていた言葉なんです。

障害者と聞くと、大抵が、身体・知的を思い浮かべますが、
現在は、発達障害とか、今までは「障害」と思われなかった人たちが
声を上げるようになったんですね。

小さい声ならだれも見向きもしないけど、
小さな声を沢山集めたら、何か変わるかもしれない。

そうなったらいいなぁ、と思います。

有難うございました。

お礼日時:2010/09/19 14:16

郷里で片足の無い人が洋服の仕立て屋をしていました。

傷害の内容によって対応が変わるのだと思います。職場に傷害者を受け入れる体制さえあればある程度の事はできると思います。しかし全く働けない人をどうするかは課題だと思います。給料の問題もあります。
バリアフリーは善し悪しです。なだらかなスロープなどをやたらと作られては困ります。
面白いことは、健康な人より、半病人の方が有利だという事です。半病人は健康保険や介護保険で手厚く保護されています。完全に病人になったら終わりです。しかし、正常な人も年を取れば惨めです。介護保険が使えません。
障害者の中には付き合いたくないと思われる人もいます。外見で人を判断するのも問題だと思いますが、障害者も何ができるのか、何をしたいのかアピールすべきだと思います。
イギリスにパーキンソン病の有名な科学者がいたと記憶しています。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってスミマセン。

>障害者も何ができるのか、何をしたいのかアピールすべきだと思います

アピールできる人ばかりではない(意思表示のできない人もいる)
のが問題なんですよね。

それに、障害者というと、大抵の人は、
身体障害者を想像してしまう。

これはとても危険ですよね。

見えない障害者
(知的・内部・発達・難病など)
の問題にも踏み込んで考えてゆきたいですよね。

ご回答、どうも有難うございました!!!

お礼日時:2010/09/22 16:44

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